共産主義と言われている者は昔から個人思想が最優先にされてきた。嘗てのスターリン、毛沢東、チトーなどには必ずスターリン主義、毛沢東主義、チトー主義という言葉が使われている。共産主義社会は、法律の上にこれらの個人思想が立っている。法治国家では有り得ないことなのだが、共産主義国家では当たり前のことになっている。それでは何故、個人思想が最上位になければならないのか。
今回の中国共産党大会を見てみると、習近平国家主席は、国を纏めるために自己の主義主張を最大限持ち上げていた。習近平という個人の思想をトップに持って行って国を纏めようとしているのである。その思想がどれだけ立派な素晴らしいものであるかは、我々自由主義にいる人間には全く解らない。共産主義国家に生まれ、共産主義国家の中で教育を受け共産主義国家しか知らない人間には解るのかもしれない。
そもそも、共産党大会に出席している2000人ほどの党員たちが13億人から選挙で選ばれたわけでもないのだから個人思想がトップにあろうがなかろうが関係ない事なのだ。2000人が13億人の代表ではないという事だ。下部の指揮から上部の組織まで繋がっている団体から選挙ではなく推薦して持ち上がってきたのだ2000人だと思えばいいのだ。従って、全国共産党大会が国会というのもおかしい話なのだ。
国の在り方がどうであれ、取り敢えず中華人民共和国という国が存在している事実は認めなければならないだろう。共産主義に個人思想が最優先するのは中国の隣国である北朝鮮も全く同じである。金一族が国を牛耳っているという事実は曲げられない。中国との違いは下部組織と上部組織から持ち上がって出来た国ではないという事くらいだろう。ただ一つ言えることは金正恩委員長という人間の個人思想が存在するわけでもない。
過去に祖父、父が作り上げた思想を唯継いでいるだけである。過去と違う点は金正恩という自分だけが正しいと思って政治を進めているだけである。共産主義という政治形態は、個人思想を持ち上げないと上手く進めることが出来ないのかもしれない。何しろ13億人という人間を纏め上げるのは大変なことだ。あとはチベット、ウイグルという他民族の地区にも習近平という個人思想を広めることの難しさがある。
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