一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

中国が「平和賞」だって?

2014-10-18 15:46:21 | 日記

『中国ソフト戦略の違和感 孔子平和賞候補にアサド氏』と言う記事を見て驚いた。軍事力を広げ、東アジアで侵略行為をしている国が平和と言う言葉を使うには全く相応しくない。これでは孔子が墓の中で大泣きをしてしまう。孔子は偉い人だった。しかし、今の中国で孔子のことを無暗矢鱈に濫用してはいけない。孔子の名を汚すものだ。それこそ習近平は「論語」を理解しているのだろうか。

「論語」には様々なことが書かれている。それも理路整然としている。決して間違っていることは書かれていない。それどころか、「論語」に書かれていることを習近平は一つでも実行しているだろうか。中国の生んだ将に天才である。その天才の名前を付けた平和賞を設立するのなら、何故、アサド氏が選ばれるのか。トンチンカンと言う言葉がとても相応しい。もしこの賞を受賞するに相応しい人がいるとすれば、今の中国政府を批判し、国を全面的に改革し、現政権の中枢にいる人を全て追放した人ではないだろうか。

「平和」と言う言葉を使うからには、少なくとも世の中を平和に導いた人に与えられなければならない。大体、中国で「平和賞」を作ること自体矛盾している。そんなことも解らない政府中枢なのだから、作ってしまったのだろう。恐らく中国の政府中枢にいる人たちは、「ノーベル平和賞」を念頭に置いたのではないか。物事を考える基本的なことは、まず自分の国がどのようなことをやっているのか、という事だろう。周辺国を武力で恐喝し、侵略行為をしている国が「平和賞」などと言う言葉を使ってもチャンチャラ可笑しい。落語の題材にもならない。

過去にノーベル賞を一つも受賞していない中国(平和賞はいるが)にとっては、もうノーベル賞は受賞できないと諦めたのだろう。だ方自分の国で新しく作った。バカにつける薬はない、という諺があるが、将にこれだ。愚かな考えしか出来ない中国のトップは、世界の指導者にはとてもなれないだろう。指導者と言うのは少なくとも国内から推奨の言葉がなければならない。国内問題が満載の中国は、まず国内を綺麗にすることから始めなければならない。それも出来なければ世界から指導者に相応しい、と言う言葉は無理だ。

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