一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

あり得ない事を考えない、国と電力会社

2011-04-09 09:04:37 | 日記
全電源喪失、国は「考慮する必要はない」と解説、と云う記事が出ている。人間に例えると、今健康なので病気や病院のことを考える必要はない、と云うのと同じ。この国にあっては、都合の悪いことは絶対に起きないということなのだ。
日本は、地震国であり、津波が過去に何回も起きている。しかし、今は起きていないのだから、そんなことは考慮に入れる必要はないというのだ。これって、危機管理に対する供えはなくてもいいというのとまったく同じ。嘗ての自民党政権にあっては、そんなことが当然だということだったのだ。これは、民主党政権になっても殆んど方向転換していない。
国家にとって、危機管理とは何か、と云う基本的な考えが何もなかったのだろう。だから、今まで原子力発電所での危機管理も殆んど省みることはなかったのだ。国家が危機管理を怠ってきたのだから、それを管理監督する監督官庁が危機管理を考えていなかったのだから電力会社が怠ってもおかしくはない。
何故このようなことが罷り通っていたのだろうか。それは、企業と国、監督官庁の馴れ合いがあったからではないか。政権政党であった自民党にも、責任の一旦はある。どれをとっても危機管理を云々する資格はない。要は、総てにおいて、何も考えていなかったことがその基本にあるからだ。
原子力発電所だけではないかもしれない。日本のエネルギーに対する危機管理のあり方にも言及しなければならない。現在では、石油、天然ガス、石炭など原子力に頼らないエネルギー源は大丈夫なのだろうか。原子力は要らない、と云う人たちは、それを使わなくても日本のエネルギーを賄えると勘違いしている。現状を見るまでは原発反対を叫んでいた人たちは、エネルギーの供給をどのように考えていたのだろうか。自分たちが原発から電力を供給されていることを忘れていたとしかいえない。
今後は、あり得ない事にも大いに検討することをしないと、とんでもないことが起きてしまう。国を信頼していた人たちは裏切られたと思っているかもしれないが、今まで、国に頼りすぎていたかもしれないのだ。もっと自分たちにも責任があるということを自覚しなければならない。責任は国だけではなく、国民自身にもあるということを。
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節電、どこまでやれる?

2011-04-09 06:15:53 | 日記
口で云うのは簡単だが、イザ自分の家で行なうとなると、大変である。こまめに電気を消したり点けたり、不要な所には電気をつけないようにしているが、それどどのくらい節電できるのだろうか。これを1ヶ月間続けないと結果は出ない。本当に解るのは6ヶ月位経った時に平均して節電効果があったかどうか解るのだろう。
企業、特に工場の場合は、節電効果は直ぐに解る。問題は、工場で生産されるものを従来と同じ程度生産できるようにするにはどのような方法で確保するかであろう。工場の一部を節電してすとっぷさせるわけにはいかない。工場全体で製品を完全に一貫して造っている場合が多いからだ。空調にしても、製品の種類によっては、空調の調整が難しいものもある。特に温度を重視する商品については、やりたくても出来ないというジレンマがある。
オフィスビルはどうであろうか。電気を総て止めなくて済む、と云うことは出来る。空調も調整は可能だ。比較的節電がやりやすい環境にある。オフィスビルの場合は、都市部にあることも節電をやりやすい。夏場でやるのは大変かもしれないが、オフィスビルは絶対にやらなければならない。其の効果はもっとも大きくなるはずだ。
今回の電力不足は、たまたま東京電力で起きたものだが、このような原子力発電所の事故は、何時どこで起きても不思議はないのである。地震国にあって、津波が起きないわけがないという現実を、国民はもっと認識しなければならないのである。電気は欲しい、原発は反対、生活レベルは下げたくない、今の生活を維持したい、という考え方を根本的に変えない限り、今後も電力不足は何処かで起き得るのである。少なくとも覚悟は必要だということ。
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