カクレマショウ

やっぴBLOG

「第9地区」─エイリアンのアイデンティティ

2010-05-16 | ■映画
“DISTRICT 9”
2009年/米国・ニュージーランド/111分
【監督】ニール・ブロムカンプ
【製作】ピーター・ジャクソン
【出演】シャールト・コプリー/ヴィカス デヴィッド・ジェームズ/クーバス大佐
    ジェイソン・コープ/グレイ・ブラッドナム、クリストファー・ジョンソン
    ヴァネッサ・ハイウッド/タニア
2010/05/14 青森コロナワールド
(C)2009 District9 Ltd All Rights Reserved.
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「エイリアン」が出てくるから「SF映画」なのかもしれませんが、「E.T.」のように心温まる話ではないし、「未知との遭遇」のように壮大でヒューマニティあふれる作品というわけでもない。「ディープ・インパクト」のように宇宙人による侵略への恐怖があるわけでもないし、もちろん”米国最高!”ってなわけでもない。だけど、はちゃめちゃに面白い。映画の醍醐味が堪能できる1本です。最近見た映画の中でもイチ押しです。

まず、基本的な設定が面白い。1982年、南アフリカのヨハネスブルク上空に、巨大な円盤形宇宙船が出現。以来、その宇宙船は「ディープ・インパクト」のように地球人に攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、「未知との遭遇」のように悠然と姿を現すわけでもなく、何のアクションもないまま、20年間にわたって中空に浮かんでいる。ということは、1982年以降にヨハネスブルクに生まれた10代の子どもたちにとっては、空にUFOが浮かんでいる状態が当たり前なのであって、「えっ、空にUFOがいないのが普通なの?」ってとこですか。まるで「秘密のケンミンショー」ですね。あんな光景が「日常」になっているという設定がまず気に入った。



南アフリカ共和国政府は、何もアクションのない謎の宇宙船に業を煮やし、ついにヘリコプターで偵察隊を派遣する。おそるおそる宇宙船の中に入ってみると、不衛生な船内には弱り果てたエイリアンたちが…。彼らは、宇宙船から降ろされ、「ディストリクト9(第9地区)」と呼ばれる仮設住宅に住むことになる。

このあたりまでは、ドキュメンタリータッチで描かれます。ジャーナリストや科学者、市民たちが次々と登場しては、エイリアンや第9地区について経緯やら意見やらを淡々と語っていく。エイリアンたちの姿は、いわゆる「虫型」。知能は高いが、見た目はグロテスクだし、不潔で野蛮ときている。市民たちは、彼らを”prawn”(エビ)と呼んで差別するようになる。(※"prawn"って、"lobster"と"shrimp"の中間の大きさのエビを指すらしい。)



…差別。

ここで、この映画の舞台が南アフリカでなければならないことに気づく。そう、かつて同国で行われていた、黒人・有色人種に対する隔離政策、アパルトヘイトのことが否が応でも思い起こされます。アパルトヘイトについては、映画「遠い夜明け」の項で詳しく説明しているので、興味のある方はそちらを読んでいただきたいのですが、アパルトヘイトの一連の政策の中で、1950年に制定された「集団地域法」に基づき、政府は、ケープタウンの「第6地区」を白人のみが住むことができる地域と定めました。よって、そこに住んでいた黒人たち6万人以上が他の地域に強制的に移住させられました。「第9地区」とは、この「第6地区」をもじったものなのでしょう。あるいは、アパルトヘイトを彷彿とさせる「エイリアン立入禁止」という看板も頻繁に出てくる。

主演したシャルト・コプリーは、インタビューで、「我々が描きたかったのは、アパルトヘイトよりもむしろ一人の男の『アイデンティティの喪失』だ」と語っていますが、それでも、この映画の背景には、エイリアン、つまり「よそもの」、「自分たちと違う者」に対する個人レベルの差別意識、さらにはそれを「政策」にまで昇華してしまうことの怖さが横たわっていることは間違いありません。

さて、政府は、第9地区の管理をMNU(MULTI-NATIONAL UNITED)という民間企業に委託していましたが、エイリアン人口は180万人にまで増え、スラム化し、人間たちとの争いも絶えないため、彼らをヨハネスブルク郊外の「第10地区」に移住させることにする。その移住計画の責任者に抜擢されたのが、MNUのエイリアン課に勤務するヴィカス(シャルト・コプリー)。彼は、MNU幹部の娘を妻としていましたが、責任者を義父から言い渡されたとき、「結婚式の次くらいにすごい日だよ」と興奮を隠せない。

ここから、ヴィカスの行動をカメラは追っていきます。移住計画初日、ヴィカスは自ら第9地区に赴き、エイリアンたちの家を1軒1軒回って、立ち退き要請同意書にサインしてもらおうとする。ヴィカスが、あくまでも社命に忠実な社員であることがわかります。しかし、一方では、言葉の端々にエイリアンに対する差別意識も見え隠れしています。言うことをきかない粗暴なエイリアンに対して、部下に暴力は振るうなと言いつつ、「エビ」は殺されても仕方がないという表情を見せたりもする。エビたちの卵が育てられている小屋を焼き払ったりもする。実は、立ち退き計画は一つの口実で、彼らが不法に所持している武器を探し出して没収するという本当の目的も明らかになっていく。エイリアンたちは、彼らのDNAにしか反応しない武器を持っていました。そんな人間には操作できない武器を集めているナイジェリア人のギャング団も第9地区には跋扈している。ギャング団のボスの願いは、エイリアンのような体を持つこと。そうすれば、とてもない威力を持つ武器を思うままに操れるからです。

捜索を進めるヴィカスは、とある不審な家で、エイリアンが隠し持っていた謎めいた容器をいじっているうちに、中に入った液体を浴びてしまう。それは、ヴィカスの体に異変をもたらす。「何か」に感染してしまったのです。MNUはすぐさま彼を隔離するが、義父は感染した彼の「体」を利用しようと企てる。ヴィカスは、必死の思いで脱走を図り、第9地区に逃げ込む…。

ここからは、ヴィカス対MNU(傭兵部隊)との対決が軸になります。ヴィカスが助けを求めたのは、あの液体を浴びた家。クリストファー・ジョンソンという素敵な名前を持つエイリアンとその小さな息子は、何かを企てているらしい。ヴィカスを体を元通りにするためには、自分が持ち去ったあの容器が必要と聞いたヴィカスは、容器を取り戻すために、クリストファーと共に、隔離されていたMNU本社ビルに舞い戻ることにする。

最後の数十分間は、ヴィカス、クリストファー、傭兵部隊、ナイジェリア人、エイリアンと、入り乱れての壮絶な戦闘シーンの連続。最後の最後までどうなるのか目が離せない。戦うヴィカスは、つい数日前の小市民とは思えないような変貌ぶりを見せます。自分の「アイデンティー」を必死になって取り戻そうとするかのようです。ちょっとよろめいたりするところにイライラさせられたりもしますが、それもヴィカスらしいといえばヴィカスらしい。



最初は、「敵役」はエイリアンでした。彼らのグロテスクな外見、粗暴な行動を見せられて、私たちはそういうふうに感じてしまいます。あるいは、人間と対立するようじゃ強制的に立ち退かされてもしょうがないよなあとも思う。そういう意味では、観客は「差別する側」にいる。ところが、映画が進むにつれ、あるいはクリストファー親子の言動に触れるにつけ、待てよ、という気持ちになってくる。故郷の星から遠く離れ、もう二度と帰る可能性はない。しかも、程度の低い地球人なんかの世話にならなきゃいけない。大好物のキャットフードを手に入れるためにはギャング団に金を払わなければならない。そういう差別される側の切ない思いがどんどん伝わってくる。アイデンティティを失ったのは、何もヴィカスだけじゃない。彼らこそ、すっかりアイデンティティをはぎ取られてしまって抜け殻状態であることに気づく。

そして、だからこそ、ヴィカスの行動に期待するようになる。彼なら何とかしてくれるのではないか。何しろ、もはや彼は律儀な小市民だけの人間ではないのだから…。

その期待にヴィカスが応えてくれたかどうかは見てのお楽しみですが、最後は、どう考えても「続編」ありを匂わせる終わり方でした。「第10地区」の公開が楽しみです。

ニール・ブロムカンプ監督、そして彼の旧友である主演のシャルト・コプリーももちろん、南アフリカ出身。つくづく思うのですが、この手の映画がハリウッドで作られていたら、あるいは主演がディカプリオやブラピだったなら、これほどすごい映画にはならなかったと思います。「2012年」みたいなVFXの実験映画みたいになってしまったり、家族愛的な余計な味付けが必ずされていたはずですから。南アフリカ、そして今最も治安の悪い都市の一つと言われているヨハネスブルクの映画だからこその面白さ、だと思います。




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