カクレマショウ

やっぴBLOG

冬季オリンピックの歴史

2006-02-12 | └オリンピックの話
1898年、第1回「夏季」オリンピックがパリで開催されてから遅れること28年、初めての冬季オリンピック大会は1924年、同じくフランスのシャモニー・モンブランで開かれました。

古代ギリシアのオリンピア競技会にはもちろん「冬季」の競技はありませんでしたし、近代オリンピックでも、当時のIOC委員になじみの薄いスケートやスキーが種目として採用されることは当初は考えられませんでした。

ところが、1908年の第4回ロンドン大会で、なんとフィギュアスケートが競技に加えられたのです。数年前に完成していた屋内リンクのおかげでした。1920年の第7回アントワープ大会には、フィギュアに加えてアイスホッケーも登場し、冬季競技への関心も俄然高まりました。特に熱心だったのはフランスで、カナダやスイスといった国々とともに、「冬季オリンピック」の開催を強く主張していました。

意外なのは、ノルウェーやスウェーデンといった、スキーがさかんな北欧の国々が冬季オリンピックに反対していたこと。独自に世界選手権を開催していた彼らにとっては、新たに「オリンピック」という形で「本家」を乗っ取られることを恐れていたのかもしれません。

フランスは、とりあえず実験的に、第8回パリ大会(1924年)に先駆けて国際冬季競技会をシャモニー・モンブランで開催することを提案、結果的にこれが第1回冬季大会とみなされることになります。

第1回大会には、16カ国から258名が参加、スキー(距離、ジャンプ、ノルディック複合)、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケー、ボブスレー(4人乗り)の4競技、14種目が行われました。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧3ヶ国も結局参加し、終わってみればこの3ヶ国が14種目中9つの金メダルを取りました。

日本が初めて参加したのが第2回サンモリッツ冬季大会(スイス、1928年)。スキー競技に6名の選手が参加しています。第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季大会(ドイツ、1936年)では、初めてアルペン競技が実施されました。しかし、この大会は、同年開催された第11回ベルリン大会と同様、ナチス色の濃い大会となりました。「大会前日、大会会場周辺に張られていたユダヤ人排斥のビラやポスターを撤去するようヒトラーに要求。一度は反発したヒトラーだったが、ラツールIOC会長の厳然とした申し出に屈して、要求通りにポスターなどを撤去する命令を出す。」(JOC公式サイトより)というエピソードがあるようです。

第二次世界大戦中の1940、1944年の冬季大会は連続して中止されます。1956年の第7回コルチナ・ダンペッツォ冬季大会(イタリア)では、オーストリアのトニー・ザイラーが、スキーのアルペン競技で初の三冠王となり話題をさらいました。また、この大会で猪谷千春選手が、スキー回転競技で銀メダルを獲得しました。これが冬季大会で日本初のメダルとなりました。

1972年の第11回札幌大会では、スキー70m級ジャンプで、笠谷幸生、金野昭次、青地清二の各選手がそれぞれ金銀銅を取り、表彰台を独占しました。テレビで見たあの光景は今でも忘れられません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿