オシム監督が急性脳梗塞で倒れ入院
日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は16日、東京・文京区のJFAハウスで緊急記者会見を開き、日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時すぎ、千葉県内の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、千葉・浦安市内の病院に入院したと発表した。
同監督は集中治療室(ICU)で治療を受けており、同キャプテンは「命を取り留めてほしいと願ってます。かなり厳しい状況」と涙を浮かべながら容体を心配した。
日本代表は年内の試合予定を終了。来年2月6日から10年W杯南アフリカ大会アジア3次予選がスタートすることになっている。 [2007年11月17日2時52分]
オシム監督倒れる、脳梗塞で緊急入院
日本サッカー界に激震が走った。日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時すぎ、千葉県内の自宅で倒れ、浦安市内の順大医学部浦安病院に緊急入院した。日本サッカー協会は午後4時50分から都内で緊急会見。同監督の病状について、急性脳梗塞(こうそく)で集中治療室で治療を受けていることを明かした。川淵三郎キャプテン(70)は「命を取り留めて欲しい」と涙ながらにコメント。来年2月6日にスタートする10年W杯南アフリカ大会アジア3次予選に向け、日本代表への影響は避けられない見通しとなった。
4大会連続のW杯出場を狙う日本代表に緊急事態が発生した。来年2月開幕のW杯予選へ82日と迫った大切な時期に、オシム監督が病に倒れた。
日本協会は午後4時50分から東京・文京区のJFAハウスで緊急会見。川淵キャプテンの説明では、同監督はイングランド・プレミアリーグをテレビ観戦したあとの午前2時すぎ、自宅の2階で倒れたという。アシマ夫人が発見し、長男の千葉アマル監督が対応。浦安市内の順大医学部浦安病院へ緊急搬送した。
診断は急性脳梗塞で、田中茂樹教授を中心とする脳神経内科・脳神経外科の医師団が集中治療室で治療にあたっているという。川淵キャプテンは「急性期のため症状が不安定で長期的展望についてはお話しする段階ではない」。今後の指揮については「協会にとっても本当にショックな出来事。皆さんの関心事だが、今は代表どうのこうのというよりも、オシム監督に治って欲しい。命を取り留めて欲しい」と涙で声を詰まらせながら話した。
同監督を見舞った関係者によると、倒れてから搬送までに約1時間を要したという。アマル氏が国内の関係者に電話したが深夜で連絡が取れず、海外の知人を経て国内の関係者が救急車を要請した。さらに193センチ、90キロの巨体を2階から下ろすことにも手間取ったという。
同関係者は「意識はあったり、なかったり。右手が少し動く程度」と説明したが、その後容体は安定。夜に撮った2度目のCTスキャンでは出血が止まったことが確認され、顔のむくみもとれてきた。小康状態と判断されたため、深夜には詰めていた家族や協会スタッフは病院を離れた。
オシム監督は9月の代表オーストリア遠征後、グラーツにある自宅などで10月初旬まで休暇をとり、同4日に再来日。同17日にはエジプト戦の指揮を執り、その後も日本に滞在して忙しい毎日を送っていた。14日には埼玉でACL決勝、浦和-セパハン戦を観戦。前日15日も千葉県内で千葉の練習試合を視察していた。
オシム監督は心臓に持病があり、昨年7月の就任前から高血圧など健康面に不安を抱えていた。同協会田嶋専務理事によると、月に1回は都内の病院で検査を受け、常時薬を持ち歩き、遠征中の緊急時に備えて病院のチェックを欠かさないなど、万全の態勢を敷いてきた。「(昨日まで)具合が悪い、という情報は受けていないし、調子が悪いとも聞いていなかった」と、15日までは変わった様子はなかった。
オシム監督は06年W杯ドイツ大会で惨敗後、ジーコ前監督の後を受け昨年7月に日本代表監督に就任。10年W杯に向け「人とボールが動くエレガントなサッカー」を推し進めつつ、若手の育成、国内組の底上げ、海外組の再生など約1年4カ月で日本サッカーを立て直し、南アへの土台を着々と築いてきた。川淵キャプテンは同監督の容体について「かなり厳しい状況」と話し、今後の指揮に影響が出ることは必至。来年2月の予選スタートを前に、日本サッカー界への影響は計り知れない。 [2007年11月17日9時28分 紙面から]
日本サッカー界に激震…オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院
サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時ごろ、千葉県浦安市の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、同市の順天堂大浦安病院に緊急入院した。日本協会の川淵三郎キャプテン(70)は、同監督が集中治療室(ICU)で治療を受けていることを明かした上で「命を取り留めてほしい」と涙ながらに話し、病状の深刻さをうかがわせた。
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オシムが倒れた。2010年南アフリカW杯へ向けて日本代表を指揮する名将が、急性脳梗塞を発症して緊急入院。強い寒気が日本列島を襲ったこの日、日本サッカー界を震え上がらせる衝撃の報が飛び込んだ。
「命を取り留めてほしい…と願っております」
日本協会内で緊急記者会見を行った川淵キャプテンの言葉が、事態の深刻さを物語る。「かなり厳しい状況です」。会見では何度も声を詰まらせ、瞳を潤ませた。
病院を訪れた田嶋幸三専務理事ら日本協会関係者によると、オシム監督は15日深夜、自宅のテレビで日課としている欧州サッカー観戦をした後、16日午前2時ごろに就寝しようと2階へ上がった直後に倒れたという。夫人のアシマさんが異変に気づき、同居する長男でJ1千葉監督のアマル氏がすぐに対応。自宅近くの病院へと搬送された。
緊急事態を受け、16日午後5時前に記者会見した川淵キャプテンは「急性脳梗塞で、現在は集中治療室で治療を行っています」と明かし、「急性期のため症状は不安定です。長期的な展望については、現時点でお話しする段階ではありません。医療チームが治療と全身管理を行い、最善の治療をしています」と涙ながらに説明した。脳神経内科・脳神経外科医師団の田中茂樹教授を中心としたチームが治療にあたっているが、予断を許さない状況だという。
66歳と高齢で、体重90キロ以上の巨漢。心臓に持病を抱え、その健康状態は昨年7月の就任当初から不安視はされていた。就任以来、日本協会との約束および協力で、東京・文京区の順天堂病院で毎月健康診断を実施。心臓や糖尿病、血圧などの検査を欠かしていなかった。7月に猛暑の東南アジアで行われたアジア杯指揮も乗り越えるなど、最近は大きな不安を見せず、検査数値は逆によくなっていた。2日前の14日は浦和のアジアCL決勝(埼玉ス)、前日15日も古巣・千葉の練習試合(秋津)を、会場まで足を運んで視察していた。
W杯アジア3次予選は来年2月に迫っている。川淵キャプテンの願いが通じて命を取り留めたとしても、手足の運動障害や言語障害などの症状が残る可能性はある。04年3月にはアテネ五輪野球日本代表監督の長嶋茂雄氏がオシム監督と同じ脳梗塞で倒れ、8月の本番では中畑清氏が代役として指揮を執っている。日本協会としては後任監督の人選も必要となってくるが、川淵キャプテンは悲痛な表情で口にした。
「今は代表どうこうよりも、オシム監督に治ってほしい」
97年11月16日にマレーシア・ジョホールバルで日本代表がイランを延長3-2で下し、初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」からちょうど10年目に、日本サッカーの未来を揺るがしかねない悪夢が襲いかかった。難解な試合をいくつも乗り越えてきた世界的知将、オシム監督。しかし今はただ、医療と天命に身を任せるしかない。
■イビチャ・オシム
1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)・サラエボ生まれ、66歳。現役時代のポジションはFW。59年に地元のFCゼレツカニール・サラエボでプロデビュー。以後、主にフランスリーグでプレーし、現役を引退した78年から指導者として活躍。86年にユーゴスラビア代表監督に就任し、90年イタリアW杯8強に導く。03年に市原(現千葉)監督に就任、05年にナビスコ杯優勝に導いた。06年7月に千葉監督を退任し、日本代表監督に就任した。
■オシムジャパン歴戦アラカルト
★キリン杯優勝 07年6月。第1戦でモンテネグロに2-0で快勝。続くコロンビア戦では引き分けに終わったものの、得失点差で優勝した
★アジア杯4強 同7月。3連覇を目指し、1次リーグを2勝1分けで首位通過。準々決勝で豪州にPK勝ちしたが、準決勝ではサウジアラビアに2-3で敗れた。3位決定戦では韓国にPK負けを喫した
★3大陸トーナメント優勝 同9月。第1戦でオーストリアにPK負け。第2戦のスイス戦では前半2失点したが、逆転で4-3勝利。得失点差で優勝した
■脳梗塞
脳の血管に血栓が詰まって血流が滞り、酸素や栄養素の供給を受けている周辺の脳細胞が死んでしまう病気。半身まひや言語障害などの後遺症がでることが多く、その重症度は起きた場所や規模で決まる。できるだけ早く血流を再開させることが大切で、発症3時間以内なら、05年10月に承認された治療薬「tPA」で血栓を溶かす治療が有効とされる。それを過ぎても他の「血栓治療薬」やカテーテルを使った血管内治療があるが、早期の治療開始が重要になる。危険因子としては高血圧や高脂血症、喫煙、飲酒、肥満などが挙げられる
オシム監督脳梗塞…W杯予選影響も
日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日、急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、千葉県浦安市内にある順天堂浦安病院に緊急入院した。未明に千葉県内の自宅から救急車で搬送され、そのまま集中治療室(ICU)に入った。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は都内で会見し、涙ながらに回復を祈った。来年2月に2010年W杯南アフリカ大会のアジア3次予選を控える日本代表チームへの影響も懸念される。
オシム監督の体調に異変が起きたのは16日の午前2時ごろ。自宅でプレミアリーグの衛星中継をテレビで見ていた際、次第にろれつが回らなくなり、観戦後、2階に上がって倒れた。長男の千葉・アマル監督が慌てて千葉関係者や日本協会関係者に連絡したが、深夜という時間帯が災いしつながらなかった。最終的に知人が救急車を要請したが、オシム監督が100キロ近い巨体のため担架に乗せるのに手間取り、病院に到着するのにかなりの時間を費やしたという。
搬送先の順天堂大浦安病院では脳神経内科の田中茂樹教授が中心となって集中治療室で治療。関係者によると意識はあったりなかったりで「良くない状態」だという。日本協会は午後4時50分に脳に血栓ができる「急性脳梗塞」と発表。会見に臨んだ川淵キャプテンは涙ながらに病状を説明し、予断を許さない状況であることをうかがわせた。しかし、この日夜になって行った3度目のCT検査で脳に出血が見られず、むくみがとれて小康状態となったため、付き添っていたアシマ夫人ら関係者はいったん帰宅した。
66歳のオシム監督は高血圧などの持病があり、日本協会では遠征や合宿の際に薬を常備。体調を崩した場合の病院の手配など危機管理も行っていた。昨年7月の代表監督就任以降、都内の病院で月に1度は定期検診も受けていた。関係者が「千葉時代より健康」と話すなど、最近も特に体調に異変はなかったという。
だが日本代表監督として過酷な移動をこなし、毎回Jリーグを視察。今年7月のアジア杯では高温多湿のベトナムで1カ月間、長袖で指揮を執っていた。自宅で夜中に海外サッカーの中継を見るのが日課。最近も14日にACL決勝を視察し浦和の優勝に喜び、倒れる前日の15日は千葉の練習試合を見学していた。異国の地で代表監督という重責を背負うストレスもあり、体への負担は大きかったに違いない。
日本代表は来年2月6日から、W杯アジア3次予選に挑む。12月3日から3日間程度の合宿、年明けには強化合宿と2試合の親善試合が予定されていたが、大きな影響が出ることは避けられない。脳梗塞は一般的にまひなどの後遺症が出ることが多く、回復しても代表監督という激務をこなすことは現実的に厳しい。日本協会は早急に代役監督もしくは後任監督の人選を迫られることになりそうだ。
06年のW杯ドイツ大会での惨敗後、日本再建の切り札として招へい。選手からの信頼も厚く、2010年W杯へ向けて着実にチームはステップアップしていた。その矢先に指揮官が倒れた。日本が初めてW杯出場を決めた「歓喜のジョホールバル」から丸10年を迎えたその日に起きた悲劇。オシム監督の容体が心配される。 [ 2007年11月17日付 紙面記事 ]
オシム監督、脳梗塞…川淵キャプテン「命とりとめて」
日本代表イビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時ごろ、千葉県内の自宅で、急性脳梗塞(こうそく)のため倒れ、緊急入院した。現在は千葉県内の病院で集中治療室に入っており、容体は予断を許さない状況。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は「代表チームがどうこう言うより今は治ってほしい。命を取りとめてほしい」と涙を流しながら訴えた。
オシム監督が病に倒れた。衝撃的なニュースが流れた。
日本サッカー協会の説明によると、16日午前2時ごろ、自宅で欧州サッカーのテレビ観戦を終え、寝室がある2階に上がろうとした時こん倒。アシマ夫人(64)が気づき、長男で千葉監督のアマル・オシム氏(40)が知人に依頼して救急車を呼んで、順天堂浦安病院に搬送された。診断は、急性脳梗塞で集中治療室に入っており、田中茂樹教授を中心に脳神経の専門医師団が懸命の治療にあたっている。
同日午後4時45分から緊急会見した川淵キャプテンは、涙ながらにオシム監督の置かれた厳しい現状を明かした。
「急性期のため症状は不安定で、長期的展望についてはお話しできる段階ではありません。日本協会にとって本当にショック。代表チームがどうのこうの言うより、今はオシム監督に治ってほしい…。命を取りとめてほしいと願っています」
命にかかわるほどの状況かという質問に「かなり厳しい状況です」と声を詰まらせた。川淵キャプテンは会見後、見舞いに向かったが面会できず。日本代表・加藤好男GKコーチ(50)ら関係者も病院を訪れたが、険しい表情で無言を貫いた。
昨年7月に代表監督に就任した時点でオシム監督は65歳。心臓に持病を抱え、健康面は心配されていた。そのため、日本協会では月に1度の健康診断を受けてもらうなど、スポーツ医科学委員会を中心に配慮してきた。14日にはアジア・チャンピオンズリーグ決勝第2戦、浦和―セパハン戦(埼スタ)を、15日も古巣の千葉の練習試合を視察していた。「(最近)体調が悪かったとは聞いていませんでした」と田嶋幸三専務理事(49)は話した。
関係者の話では、言葉の問題などのため、アマル氏は、オシム監督を市原(現千葉)に招へいし現在はフランス・グルノーブルGMの祖母井秀隆氏に連絡。フランス在住の同GMの手配で救急車が呼ばれ、倒れてから医師が最初に診断するまで1時間以上要してしまった。手当てが早いほど助かる可能性が高く、現在は全く予断を許さない状況という。
一にも二にも、オシム監督の回復が望まれるが、早期の現場復帰は極めて難しい。初めてのW杯出場を決めた1997年のアジア最終予選プレーオフ、イラン戦でVゴール勝ちした「ジョホールバルの歓喜」から、くしくもちょうど10年の11月16日。余りにも、悲しい出来事が起きてしまった。
◆イビチャ・オシム 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のサラエボ生まれ。66歳。90年イタリアW杯では旧ユーゴを8強に導くなど監督として内外のチームを率いた指導力は評価が高い。2003年に監督就任した市原(現千葉)に、05年のナビスコ杯で初タイトルをもたらす。昨年7月から外国人5人目の日本代表監督就任。戦績は20戦13勝2分け5敗。独特なコメントをまとめた著作「オシムの言葉」はベストセラーに。
◆脳梗塞 脳の血管に血栓が詰まって血流が滞り、酸素や栄養素の供給を受けている周辺の脳細胞が死んでしまう病気。半身まひや言語障害などの後遺症がでることが多く、その重症度は起きた場所や規模で決まる。できるだけ早く血流を再開させることが大切で、発症3時間以内なら、2005年10月に承認された治療薬「tPA」で血栓を溶かす治療が有効。それを過ぎても他の「血栓治療薬」やカテーテルを使った血管内治療があるが、早期の治療開始が重要。危険因子としては高血圧や高脂血症、喫煙、飲酒、肥満などが挙げられる。 (2007年11月17日06時01分 スポーツ報知)
一日も早い回復を心よりお祈りしております。