鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

柏戦コメント

2007年11月18日 | Weblog

鹿島アントラーズ  :監督  <試合終了>
シーズン当初から代表召集などで選手の抜けることは分かっていたこと。
今日は船山、石神が出場し、彼らは必要なときに力を発揮してくれた。彼らの活躍は今後のためにもつながっていく。良い意味でチーム内の競争力を高められればと思う。
初めて今シーズン2位となり、得点も若い選手が挙げてくれた。順位を上げることはすばらしいこと。
シーズン通していろいろと修正しなければならないが、今日はデメリットよりもメリットが多かった。押されてもチャンスを作らせなかったことと、レイソル相手に勝ったことを評価しないといけない。
今の状況を継続することがチームが今やらなければならないこと。
次は浦和レッズとの対戦だが、厳しい相手であり、厳しい戦いになることは分かっている。
今日勝ったことで高いモチベーションにもなるので、いい準備をして試合に臨みたい。タフなゲームとなるだろう。

【J1:第32節 鹿島 vs 柏】オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島)記者会見コメント [ J's GOAL ]
11月18日(日) 2007 J1リーグ戦 第32節
鹿島 1 - 0 柏 (14:05/カシマ/18,887人)
得点者:42' 船山祐二(鹿島)

●オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島):
Q:今日の選手たちに対する評価と、残り2試合で浦和レッズと勝ち点4差に近づいたわけですが、来節どういう風に戦うのかをお聞かせ下さい。
「シーズン当初から、終盤になったとき累積警告だったり、怪我だったり、代表だったりで選手が抜けるということは予想していました。そこで代わりの選手が必要になってくる。そうしたとき、自分たちのチームで選手を育てて、送り出さなくちゃいけないことはわかっていたことでした。そういった部分が、今日に関しては船山選手、石神選手、大道選手の3人が出ましたけど、こういった必要なときに力を発揮できたというのは、すばらしいことではあるし、嬉しいことでもあるし、今後のチームにつながっていくと思います。また、得点者が若い選手のうちのひとりである船山選手だというのは、まわりに対する影響もあると思うし、良い意味でチーム内の競争率や競争力を高めていくことにつながっていけばと思います。
初めて今シーズン2位というポジションまでのし上がったということと、得点者が若い選手だというのは嬉しい部分でもあるし、こういう順位まであがったことはすばらしいことだと思います。欲を言えばもっと上にいきたいというのが、チーム内、僕自身もあると思うし、クラブをあげての目標ではないかと思います。レッズというチームはアジアチャンピオンでもあるし、トヨタカップにも出るチームなので僕がなにかをコメントする必要はないと思いますが、それだけ厳しい相手、厳しい戦いであるということはわかっております。それに対してしっかり準備をする、高いモチベーションで挑めるということが、この試合を勝ったことによってプレスになっていくと思います。しっかりと準備して良い戦いができればと思います。当然ながらタフな試合になると思います。
この場を借りて、浦和レッズの関係者の皆さんにおめでとうという言葉を贈りたいと思います。やはりACLのチャンピオンというのは評価するべきものであるし、水曜日のセパハン戦は本当にタフな試合だったと思いますし、それを制したということはすばらしいことではないかと思います」

Q:後半、相手に押し込まれる時間が多かったと思いますが、今日の戦いの中での反省点は?
「どの試合でも修正すべき点はあると思うし、攻守共に(反省する点は)あるんじゃないかと思います。今日はデメリットよりもメリットの方が多かったんじゃないかと思います。押された状況の中でも、それを無失点で抑えることができた、明らかなチャンスをつくらせなかったということを考えれば、逆にそういったところを評価しなくちゃいけないと思いますし、レイソルというすばらしいチームに勝てたということは自信になると思います。失点が少ないチームに対し、しっかり点を取ることができたというのは評価するべき部分じゃないかと思います。いまの状況を継続することがいちばん難しいことであって、それがいちばんチームとしてやらなくてはならないことだと思います」
以上

【J1:第32節 鹿島 vs 柏】試合終了後の各選手コメント [ J's GOAL ]
●本山雅志選手(鹿島):
「レイソルは強かった。古賀さんがDFラインをうまくコントロールしていてチャンスは作れたんだけど、それほど決定的にはならなかった。練習試合で一緒にやっていたので船山のプレーはわかっていた。遜色のないプレーができたと思う。技術が高い選手なので、自由にプレーさせた。
(得点シーンは?)あれはパスじゃなくてシュート!(笑)太陽が目に入ってちょっと打ちづらかった」

●船山祐二選手(鹿島):
「モトさん(本山選手)がシュートを打ったとき、(自分のところに)流れてくると思った。準備ができていたんでああいうシュートが打てた。試合は均衡していたんで、自分のシュートで楽になってよかった。それまでプレーではなにもしてなかったんで、自分の気持ちも楽になった。自分は特別にうまい選手ではないので、当たりでは負けないようにした。ゴールは素直に嬉しいが、これからだと思うので積み重ねていきたい」
●田代有三選手(鹿島):
「攻撃的に前から行く作戦だった。選手が替わったけれど、みんなそれぞれの持ち味がある。入り方はギクシャクしたかもしれないが、ディフェンスでがんばって0に抑えたのは収穫だと思う。自分たちは全部勝たないとダメな状況で名古屋に負けてしまった。そのあとの試合は、全部決勝だと思って戦ってきた。それが良い方向につながってきたと思う。ただ、次に負けてしまうと、いままでがんばってきたことが無駄になってしまう。引き分けでも浦和の優勝になるので、目の前で優勝を決められるのは嫌だ。うちが勝つことでJリーグは盛り上がるだろうし、横浜FCも自分たちの目の前で優勝を決められるのは嫌なはず。Jリーグのためにも次は必ず勝ちたい」

心は次節かも知れぬ。
が、ここは平常心で行きたい。
邪悪なるさいスタの地、正義の鉄槌を下す立場としては感情にはしってはならぬ。
幸い出場停止はダニーロと石神だけである。
我等のサッカーで勝負して真の王者を見せつけたい。


ハネケン復帰か

2007年11月17日 | Weblog

羽田が鹿島復帰へ
 鹿島が来年1月、J2・C大阪にレンタル移籍中のDF羽田憲司(25)を復帰させる方針であることが16日、分かった。クラブ幹部が「本人の意向もあるだろうが、クラブとしては戻す方針」と明かした。今季からC大阪に移籍した羽田は、シーズン半ばから出場機会が増え、J2で22試合に出場。現在3位の鹿島は来季のACL出場権獲得に備え、戦力補強を進めている。(2007年11月17日06時01分 スポーツ報知)

2005年シーズン、幾度と無く与えられたチャンスを生かせず本来MFである青木にポジションを奪われ移籍志願したハネケンであるが、CBの補強として復帰させるとのことである。
今季、移籍したセレッソでは当初左SBでスタメン定着し、監督交代後はポジションを失うも実力で本来のCBを勝ち得、ボランチでも出場を果たすポリバレントな選手となっておった。
確かに現時点に於いて鹿島アントラーズに欲しい人材と言えよう。
来季、アジアへの挑戦も見えてきておる。
選手層の充実が急務となっておることは事実である。
とはいえ、レギュラー保証せぬ人材を他のクラブから引き抜くことは人道に劣る。
羽田は我等が保有選手、レギュラー保証は出来ぬがポジション争いをさせるのは悪くない選択肢である。
彼もセレッソで勝ち得た経験を再び鹿島で行うことも悪くはあるまい。
織田信行が元におった柴田勝家が謀反を密告し信長の元に馳せ参その後大活躍したが如く今後の活躍に期待しておる。


オシム日本代表監督倒れる。

2007年11月17日 | Weblog

オシム監督が急性脳梗塞で倒れ入院
 日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は16日、東京・文京区のJFAハウスで緊急記者会見を開き、日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時すぎ、千葉県内の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、千葉・浦安市内の病院に入院したと発表した。
 同監督は集中治療室(ICU)で治療を受けており、同キャプテンは「命を取り留めてほしいと願ってます。かなり厳しい状況」と涙を浮かべながら容体を心配した。
 日本代表は年内の試合予定を終了。来年2月6日から10年W杯南アフリカ大会アジア3次予選がスタートすることになっている。
[2007年11月17日2時52分]

オシム監督倒れる、脳梗塞で緊急入院
 日本サッカー界に激震が走った。日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時すぎ、千葉県内の自宅で倒れ、浦安市内の順大医学部浦安病院に緊急入院した。日本サッカー協会は午後4時50分から都内で緊急会見。同監督の病状について、急性脳梗塞(こうそく)で集中治療室で治療を受けていることを明かした。川淵三郎キャプテン(70)は「命を取り留めて欲しい」と涙ながらにコメント。来年2月6日にスタートする10年W杯南アフリカ大会アジア3次予選に向け、日本代表への影響は避けられない見通しとなった。

 4大会連続のW杯出場を狙う日本代表に緊急事態が発生した。来年2月開幕のW杯予選へ82日と迫った大切な時期に、オシム監督が病に倒れた。

 日本協会は午後4時50分から東京・文京区のJFAハウスで緊急会見。川淵キャプテンの説明では、同監督はイングランド・プレミアリーグをテレビ観戦したあとの午前2時すぎ、自宅の2階で倒れたという。アシマ夫人が発見し、長男の千葉アマル監督が対応。浦安市内の順大医学部浦安病院へ緊急搬送した。

 診断は急性脳梗塞で、田中茂樹教授を中心とする脳神経内科・脳神経外科の医師団が集中治療室で治療にあたっているという。川淵キャプテンは「急性期のため症状が不安定で長期的展望についてはお話しする段階ではない」。今後の指揮については「協会にとっても本当にショックな出来事。皆さんの関心事だが、今は代表どうのこうのというよりも、オシム監督に治って欲しい。命を取り留めて欲しい」と涙で声を詰まらせながら話した。

 同監督を見舞った関係者によると、倒れてから搬送までに約1時間を要したという。アマル氏が国内の関係者に電話したが深夜で連絡が取れず、海外の知人を経て国内の関係者が救急車を要請した。さらに193センチ、90キロの巨体を2階から下ろすことにも手間取ったという。

 同関係者は「意識はあったり、なかったり。右手が少し動く程度」と説明したが、その後容体は安定。夜に撮った2度目のCTスキャンでは出血が止まったことが確認され、顔のむくみもとれてきた。小康状態と判断されたため、深夜には詰めていた家族や協会スタッフは病院を離れた。

 オシム監督は9月の代表オーストリア遠征後、グラーツにある自宅などで10月初旬まで休暇をとり、同4日に再来日。同17日にはエジプト戦の指揮を執り、その後も日本に滞在して忙しい毎日を送っていた。14日には埼玉でACL決勝、浦和-セパハン戦を観戦。前日15日も千葉県内で千葉の練習試合を視察していた。

 オシム監督は心臓に持病があり、昨年7月の就任前から高血圧など健康面に不安を抱えていた。同協会田嶋専務理事によると、月に1回は都内の病院で検査を受け、常時薬を持ち歩き、遠征中の緊急時に備えて病院のチェックを欠かさないなど、万全の態勢を敷いてきた。「(昨日まで)具合が悪い、という情報は受けていないし、調子が悪いとも聞いていなかった」と、15日までは変わった様子はなかった。

 オシム監督は06年W杯ドイツ大会で惨敗後、ジーコ前監督の後を受け昨年7月に日本代表監督に就任。10年W杯に向け「人とボールが動くエレガントなサッカー」を推し進めつつ、若手の育成、国内組の底上げ、海外組の再生など約1年4カ月で日本サッカーを立て直し、南アへの土台を着々と築いてきた。川淵キャプテンは同監督の容体について「かなり厳しい状況」と話し、今後の指揮に影響が出ることは必至。来年2月の予選スタートを前に、日本サッカー界への影響は計り知れない。 [2007年11月17日9時28分 紙面から]

日本サッカー界に激震…オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院
 サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時ごろ、千葉県浦安市の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、同市の順天堂大浦安病院に緊急入院した。日本協会の川淵三郎キャプテン(70)は、同監督が集中治療室(ICU)で治療を受けていることを明かした上で「命を取り留めてほしい」と涙ながらに話し、病状の深刻さをうかがわせた。

 オシムが倒れた。2010年南アフリカW杯へ向けて日本代表を指揮する名将が、急性脳梗塞を発症して緊急入院。強い寒気が日本列島を襲ったこの日、日本サッカー界を震え上がらせる衝撃の報が飛び込んだ。
 「命を取り留めてほしい…と願っております」
 日本協会内で緊急記者会見を行った川淵キャプテンの言葉が、事態の深刻さを物語る。「かなり厳しい状況です」。会見では何度も声を詰まらせ、瞳を潤ませた。

 病院を訪れた田嶋幸三専務理事ら日本協会関係者によると、オシム監督は15日深夜、自宅のテレビで日課としている欧州サッカー観戦をした後、16日午前2時ごろに就寝しようと2階へ上がった直後に倒れたという。夫人のアシマさんが異変に気づき、同居する長男でJ1千葉監督のアマル氏がすぐに対応。自宅近くの病院へと搬送された。
 緊急事態を受け、16日午後5時前に記者会見した川淵キャプテンは「急性脳梗塞で、現在は集中治療室で治療を行っています」と明かし、「急性期のため症状は不安定です。長期的な展望については、現時点でお話しする段階ではありません。医療チームが治療と全身管理を行い、最善の治療をしています」と涙ながらに説明した。脳神経内科・脳神経外科医師団の田中茂樹教授を中心としたチームが治療にあたっているが、予断を許さない状況だという。
 66歳と高齢で、体重90キロ以上の巨漢。心臓に持病を抱え、その健康状態は昨年7月の就任当初から不安視はされていた。就任以来、日本協会との約束および協力で、東京・文京区の順天堂病院で毎月健康診断を実施。心臓や糖尿病、血圧などの検査を欠かしていなかった。7月に猛暑の東南アジアで行われたアジア杯指揮も乗り越えるなど、最近は大きな不安を見せず、検査数値は逆によくなっていた。2日前の14日は浦和のアジアCL決勝(埼玉ス)、前日15日も古巣・千葉の練習試合(秋津)を、会場まで足を運んで視察していた。

 W杯アジア3次予選は来年2月に迫っている。川淵キャプテンの願いが通じて命を取り留めたとしても、手足の運動障害や言語障害などの症状が残る可能性はある。04年3月にはアテネ五輪野球日本代表監督の長嶋茂雄氏がオシム監督と同じ脳梗塞で倒れ、8月の本番では中畑清氏が代役として指揮を執っている。日本協会としては後任監督の人選も必要となってくるが、川淵キャプテンは悲痛な表情で口にした。
 「今は代表どうこうよりも、オシム監督に治ってほしい」
 97年11月16日にマレーシア・ジョホールバルで日本代表がイランを延長3-2で下し、初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」からちょうど10年目に、日本サッカーの未来を揺るがしかねない悪夢が襲いかかった。難解な試合をいくつも乗り越えてきた世界的知将、オシム監督。しかし今はただ、医療と天命に身を任せるしかない。

■イビチャ・オシム
 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)・サラエボ生まれ、66歳。現役時代のポジションはFW。59年に地元のFCゼレツカニール・サラエボでプロデビュー。以後、主にフランスリーグでプレーし、現役を引退した78年から指導者として活躍。86年にユーゴスラビア代表監督に就任し、90年イタリアW杯8強に導く。03年に市原(現千葉)監督に就任、05年にナビスコ杯優勝に導いた。06年7月に千葉監督を退任し、日本代表監督に就任した。

■オシムジャパン歴戦アラカルト
 ★キリン杯優勝 07年6月。第1戦でモンテネグロに2-0で快勝。続くコロンビア戦では引き分けに終わったものの、得失点差で優勝した
 ★アジア杯4強 同7月。3連覇を目指し、1次リーグを2勝1分けで首位通過。準々決勝で豪州にPK勝ちしたが、準決勝ではサウジアラビアに2-3で敗れた。3位決定戦では韓国にPK負けを喫した
 ★3大陸トーナメント優勝 同9月。第1戦でオーストリアにPK負け。第2戦のスイス戦では前半2失点したが、逆転で4-3勝利。得失点差で優勝した

■脳梗塞
 脳の血管に血栓が詰まって血流が滞り、酸素や栄養素の供給を受けている周辺の脳細胞が死んでしまう病気。半身まひや言語障害などの後遺症がでることが多く、その重症度は起きた場所や規模で決まる。できるだけ早く血流を再開させることが大切で、発症3時間以内なら、05年10月に承認された治療薬「tPA」で血栓を溶かす治療が有効とされる。それを過ぎても他の「血栓治療薬」やカテーテルを使った血管内治療があるが、早期の治療開始が重要になる。危険因子としては高血圧や高脂血症、喫煙、飲酒、肥満などが挙げられる

オシム監督脳梗塞…W杯予選影響も
 日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日、急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、千葉県浦安市内にある順天堂浦安病院に緊急入院した。未明に千葉県内の自宅から救急車で搬送され、そのまま集中治療室(ICU)に入った。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は都内で会見し、涙ながらに回復を祈った。来年2月に2010年W杯南アフリカ大会のアジア3次予選を控える日本代表チームへの影響も懸念される。
 オシム監督の体調に異変が起きたのは16日の午前2時ごろ。自宅でプレミアリーグの衛星中継をテレビで見ていた際、次第にろれつが回らなくなり、観戦後、2階に上がって倒れた。長男の千葉・アマル監督が慌てて千葉関係者や日本協会関係者に連絡したが、深夜という時間帯が災いしつながらなかった。最終的に知人が救急車を要請したが、オシム監督が100キロ近い巨体のため担架に乗せるのに手間取り、病院に到着するのにかなりの時間を費やしたという。

 搬送先の順天堂大浦安病院では脳神経内科の田中茂樹教授が中心となって集中治療室で治療。関係者によると意識はあったりなかったりで「良くない状態」だという。日本協会は午後4時50分に脳に血栓ができる「急性脳梗塞」と発表。会見に臨んだ川淵キャプテンは涙ながらに病状を説明し、予断を許さない状況であることをうかがわせた。しかし、この日夜になって行った3度目のCT検査で脳に出血が見られず、むくみがとれて小康状態となったため、付き添っていたアシマ夫人ら関係者はいったん帰宅した。

 66歳のオシム監督は高血圧などの持病があり、日本協会では遠征や合宿の際に薬を常備。体調を崩した場合の病院の手配など危機管理も行っていた。昨年7月の代表監督就任以降、都内の病院で月に1度は定期検診も受けていた。関係者が「千葉時代より健康」と話すなど、最近も特に体調に異変はなかったという。

 だが日本代表監督として過酷な移動をこなし、毎回Jリーグを視察。今年7月のアジア杯では高温多湿のベトナムで1カ月間、長袖で指揮を執っていた。自宅で夜中に海外サッカーの中継を見るのが日課。最近も14日にACL決勝を視察し浦和の優勝に喜び、倒れる前日の15日は千葉の練習試合を見学していた。異国の地で代表監督という重責を背負うストレスもあり、体への負担は大きかったに違いない。

 日本代表は来年2月6日から、W杯アジア3次予選に挑む。12月3日から3日間程度の合宿、年明けには強化合宿と2試合の親善試合が予定されていたが、大きな影響が出ることは避けられない。脳梗塞は一般的にまひなどの後遺症が出ることが多く、回復しても代表監督という激務をこなすことは現実的に厳しい。日本協会は早急に代役監督もしくは後任監督の人選を迫られることになりそうだ。

 06年のW杯ドイツ大会での惨敗後、日本再建の切り札として招へい。選手からの信頼も厚く、2010年W杯へ向けて着実にチームはステップアップしていた。その矢先に指揮官が倒れた。日本が初めてW杯出場を決めた「歓喜のジョホールバル」から丸10年を迎えたその日に起きた悲劇。オシム監督の容体が心配される。 [ 2007年11月17日付 紙面記事 ]

オシム監督、脳梗塞…川淵キャプテン「命とりとめて」
 日本代表イビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時ごろ、千葉県内の自宅で、急性脳梗塞(こうそく)のため倒れ、緊急入院した。現在は千葉県内の病院で集中治療室に入っており、容体は予断を許さない状況。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は「代表チームがどうこう言うより今は治ってほしい。命を取りとめてほしい」と涙を流しながら訴えた。

 オシム監督が病に倒れた。衝撃的なニュースが流れた。
 日本サッカー協会の説明によると、16日午前2時ごろ、自宅で欧州サッカーのテレビ観戦を終え、寝室がある2階に上がろうとした時こん倒。アシマ夫人(64)が気づき、長男で千葉監督のアマル・オシム氏(40)が知人に依頼して救急車を呼んで、順天堂浦安病院に搬送された。診断は、急性脳梗塞で集中治療室に入っており、田中茂樹教授を中心に脳神経の専門医師団が懸命の治療にあたっている。

 同日午後4時45分から緊急会見した川淵キャプテンは、涙ながらにオシム監督の置かれた厳しい現状を明かした。
 「急性期のため症状は不安定で、長期的展望についてはお話しできる段階ではありません。日本協会にとって本当にショック。代表チームがどうのこうの言うより、今はオシム監督に治ってほしい…。命を取りとめてほしいと願っています」
 命にかかわるほどの状況かという質問に「かなり厳しい状況です」と声を詰まらせた。川淵キャプテンは会見後、見舞いに向かったが面会できず。日本代表・加藤好男GKコーチ(50)ら関係者も病院を訪れたが、険しい表情で無言を貫いた。

 昨年7月に代表監督に就任した時点でオシム監督は65歳。心臓に持病を抱え、健康面は心配されていた。そのため、日本協会では月に1度の健康診断を受けてもらうなど、スポーツ医科学委員会を中心に配慮してきた。14日にはアジア・チャンピオンズリーグ決勝第2戦、浦和―セパハン戦(埼スタ)を、15日も古巣の千葉の練習試合を視察していた。「(最近)体調が悪かったとは聞いていませんでした」と田嶋幸三専務理事(49)は話した。

 関係者の話では、言葉の問題などのため、アマル氏は、オシム監督を市原(現千葉)に招へいし現在はフランス・グルノーブルGMの祖母井秀隆氏に連絡。フランス在住の同GMの手配で救急車が呼ばれ、倒れてから医師が最初に診断するまで1時間以上要してしまった。手当てが早いほど助かる可能性が高く、現在は全く予断を許さない状況という。

 一にも二にも、オシム監督の回復が望まれるが、早期の現場復帰は極めて難しい。初めてのW杯出場を決めた1997年のアジア最終予選プレーオフ、イラン戦でVゴール勝ちした「ジョホールバルの歓喜」から、くしくもちょうど10年の11月16日。余りにも、悲しい出来事が起きてしまった。

 ◆イビチャ・オシム 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のサラエボ生まれ。66歳。90年イタリアW杯では旧ユーゴを8強に導くなど監督として内外のチームを率いた指導力は評価が高い。2003年に監督就任した市原(現千葉)に、05年のナビスコ杯で初タイトルをもたらす。昨年7月から外国人5人目の日本代表監督就任。戦績は20戦13勝2分け5敗。独特なコメントをまとめた著作「オシムの言葉」はベストセラーに。

 ◆脳梗塞 脳の血管に血栓が詰まって血流が滞り、酸素や栄養素の供給を受けている周辺の脳細胞が死んでしまう病気。半身まひや言語障害などの後遺症がでることが多く、その重症度は起きた場所や規模で決まる。できるだけ早く血流を再開させることが大切で、発症3時間以内なら、2005年10月に承認された治療薬「tPA」で血栓を溶かす治療が有効。それを過ぎても他の「血栓治療薬」やカテーテルを使った血管内治療があるが、早期の治療開始が重要。危険因子としては高血圧や高脂血症、喫煙、飲酒、肥満などが挙げられる。 (2007年11月17日06時01分  スポーツ報知)

一日も早い回復を心よりお祈りしております。


柳沢主将、逆転優勝を語る

2007年11月16日 | Weblog

鹿島奇跡の逆転優勝&来季ACL出場だ
 鹿島が浦和からの盟主奪回を誓った。日本初のACL制覇から一夜明けた15日、FW柳沢が複雑な思いを吐露した。「鹿島が今まで目指してきたことを先にやられて、悔しさ半面、うらやましさもある」。02年の第1回ACLに出場したが、当時は今ほどJリーグからのサポートもなく、1次リーグ敗退に終わった。皮肉にも浦和が優勝したことで3位以内まで来季のACL出場権が拡大。「今、ACLに出場できれば大きなエネルギーが得られる。それにまだリーグも逆転優勝の可能性がある」。首位浦和と勝ち点5差で残り3試合。奇跡の逆転優勝を信じつつ、アジアでの戦いも見据える。 [2007年11月16日9時45分 紙面から]

浦和うらやむ柳沢「来季ACL出る」
 鹿島のFW柳沢が来季のACL出場に意欲を示した。14日のACL決勝第2戦、浦和―セパハン戦はテレビで観戦。柳沢自身も02~03年のACL第1回大会に出場しているが、そのときは大会の注目度や環境面でのサポートなどが低かったことも影響し、グループステージで敗退。それだけに「アントラーズにもそういうチャンスはあった。最初に(アジア制覇を)やりたかった。悔しい半面、うらやましさもある」と複雑な心境をのぞかせた。

 それでも、浦和のアジア制覇により、来季のACLに出場できる可能性が高くなったのも事実。リーグ優勝の可能性もわずかに残すが、現在の3位を維持しさえすれば出場が決まる。柳沢は「出場できれば大きなエネルギーがわいてくると思う。そのためにも、残り3試合を全力で戦いたい」と闘志を燃やしていた。 [ 2007年11月16日付 紙面記事 ]

柳沢「先越され悔しい」…リーグで浦和見返す
 鹿島のFW柳沢が15日、浦和のACL制覇に「鹿島がやろうとしたことを先にやられた」と吐露。ACLには前身のアジアクラブ選手権と合わせ4回出場したが、当時は注目が低く、ジーコ総監督(当時)から「一番になることが大事」と言われても「ピンとこなかった」。浦和の優勝を見て「ジーコがいう意味が分かった。悔しい」と話す。現在の3位キープで来季ACL出場となるが、あくまで勝ち点6差の浦和を逆転してVが目標。残り3試合で意地をみせる。 (2007年11月16日06時02分  スポーツ報知)

ジーコに言われたことくらいピンとこい。
と言いたいところであるが、過去は変えられぬ。
心を入れ替え、勝利へ貢献せよ。
しかし、当時の状況は酷いものであり、注目度の低さというレベルではなかったことは紛れもない事実。
サポートが無いどころか、ほぼ同時開催を余儀なくされチームを二つに分けることとなり、マジーニョは足をへし折られ、理不尽なゴールを認定され敗れ去ることとなった。
思い出したくもない。
聞くところによると、今週末のJリーグ第33節が日曜開催なのはACL決勝戦を考慮したためとのことらしい。
時代は移り変わった。
これだけのサポートがあれば涙を呑むことも少ないであろう。
二度の篠木三郷を横領を試みる末森城主信行を許すことは出来ぬ。
ここは、実弟と言えども斬らねばならぬ。
病気と偽って呼び寄せるが良い。
“Ate breve,obrigado(アテ ブレーベ、オブリガード)”


アジアへの思い

2007年11月15日 | Weblog

鹿島MF本山が浦和アジア制覇に刺激
 鹿島MF本山雅志(28)がアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場へ思いを馳せた。浦和のACL制覇を受けて15日の練習後に「全部勝てば少なくとも(来季ACL出場権が得られる)3位以内が確定する。『レッズが取れるならうちも取れる』とフロントも思ってくれるはず」とチーム一体となっての挑戦に期待を込めた。 [2007年11月15日19時41分]

なかなか名台詞である。
残り全部勝って来シーズンへ弾みを付け、ジーコ以来の悲願「アジアへの飛躍」を成し遂げようではないか。
代表に選手を取られることもなく、ナビスコ杯も無い。
Jも流石に多少の考慮はしてくれる模様である。
まあ、Jのお荷物に取れるのだから、我等に手の届かぬわけがないのである。
問題はリーグ戦・カップ戦の日程と代表合宿だけだったわけなのだから。
その全てがクリアになったとあれば、怪我以外に障害はない。
と、気を吐く前に3連勝が必須であろう。
最終節はACL枠を狙う清水との直接対決。
その前にはアジア最強を見せつけるアウェイ戦。
と焦るところであるが、目前の敵は柏なのである。
相手はエースが負傷離脱と手負いの虎であり、こちらも篤人・興梠が五輪予選で不在な上に小笠原満男が出場停止なのである。
気が抜けぬ試合となろう。
スタメンはダニーロなのか船山なのか興味も尽きぬ。
ますます聖地での一戦に足が赴く。
一つまた一つ勝利を重ねるために。


1999年

2007年11月15日 | Weblog
ゼ・マリオ監督の迷走3バックで暗黒の時代と称される1999年シーズンである。
ナビスコ杯こそほぼ手中に収めていたが、尋常ならぬ長さのロスタイムと偏ったジャッジを行った梅本主審の悪意によってこぼれ落ちた。
我等としては黒歴史である。
その陰でライバルであるジュビロ磐田は我等を尻目に戦っておった。
アジアクラブ選手権での優勝、アジアスーパーカップの優勝。
まさにアジアの雄と名を馳せておった。
何よりも特筆すべきは、日本人メンバーであったことである。
   中山 高原
 名波    藤田
服部  福西   奥
 鈴木 田中 久藤
     大神
そんなジュビロを我等はアウェイで4-0と撃破しておる。
意地を見せたと言うべきか。
しかしながら、15万人のアウェイで勝ち得たアジアクラブ選手権の優勝は称賛に値するであろう。
素晴らしきアジア王者に今ここで賛美の言葉で讃えたい。
本当におめでとう!

U-22興梠慎三先発2TOPの一角へ

2007年11月14日 | Weblog

平山&興梠の2トップをテスト
 【ハノイ(ベトナム)13日=山下健二郎、奈島宏樹】J屈指の勝負強さを誇る男たちが、反町ジャパンで新タッグを結成した。U-22(22歳以下)日本代表が、17日の北京五輪アジア最終予選ベトナム戦へ向けて同地で初練習。J190分当たりの得点率1位のFW興梠慎三(21=鹿島)と同2位の平山相太(22=東京)が、約1時間半の戦術練習で2トップを組み、みっちり連係を深めた。

 後方からの縦パスを最前線で平山が受け止めると、快足を飛ばしてスペースへ走り込む興梠へつなぐ。相手にゴール前を固められても、次々とシュートシーンが生まれた。興梠が最終予選で初めて招集された今回、実現したタッグ。新しい「恋人」との相性を確かめた平山は「スピードがあるし、DFの裏を狙っている。役割がはっきりしていてやりやすいですね」と手応えを口にした。

 所属クラブでは控え暮らしが続いている2人だが、興梠は今季リーグ戦21試合、502分間プレーして6得点(得点率1・076)。平山も19試合、547分間で5得点(同0・823)とJ1のトップツーを走る。ベトナム戦では森島康(C大阪)と家長(G大阪)を出場停止で欠く上に、逆転での五輪出場権獲得には大量得点が必要。「とにかくシュートを打ってゴールにつなげたい」興梠が言うように、Jの舞台で「旬」な2人への期待は大きい。決戦までの残り3日間。新タッグが熟成度を上げて、先発出場を狙う。 [2007年11月14日9時11分 紙面から]

救世主として試合終盤に投入されるのかと思いきや先発の椅子を勝ち取った模様。
愚将の選択は興梠慎三の個人技頼みであることは火を見るより明らかである。
攻撃の型を選手に示せない以上、個人技や高さに頼るのは必然であろう。
とはいえ、選手は結果を出せば問題はない。
が、このチームはFWにボールを出す選手がいないのである。
頼みの篤人も水野と被り上がりが効果的ではなくボールが来ない。
ハーフウェイラインからロングボールを繰り返し、跳ね続ける平山が目に浮かぶようである。
興梠もこぼれ球を狙えと指示されながらも、ボールが来ず孤立すること必至であろう。
そして指揮官のコメントはFWをやり玉に挙げて終わるのであろう。
誠に残念無念である。


ユースGKトップ昇格

2007年11月14日 | Weblog

 ユース所属GK川俣慎一郎選手のトップ昇格が内定
標記の通り、鹿島アントラーズユース所属のGK川俣慎一郎選手が、来季からトップチームに昇格することが内定しましたので、お知らせ致します。
■川俣慎一郎(かわまた・しんいちろう)選手プロフィール
 1989年7月23日生まれ。静岡県御殿場市出身。身長187cm・体重82kg
 原里スポーツ少年団(御殿場)─ACNジュビロ沼津ジュニアユース─鹿島アントラーズユース。
■プレーの特徴
 シュートに対する反応が鋭く、ハイボールにも強い
■主な経歴
 ・2006 新潟国際ユースU-17日本代表
 ・2007 U-18日本代表候補
■コメント

 子どもの頃からの夢がかない、うれしく思います。1日も早くレギュラーとして
 プレーできるよう、1日1日を大切にして頑張っていきたいと思います。

鹿島ユースGK川俣が来季トップ昇格
 鹿島は13日、鹿島ユースのGK川俣慎一郎(18)が来季にトップチームへ昇格することが内定したと発表した。 [2007年11月13日18時45分]

★J1鹿島
 鹿島ユースのGK川俣慎一郎(18)が来季にトップチームへ昇格することが内定したと発表した。

鹿島ユースGK川俣が昇格
 J1鹿島は13日、鹿島ユースのGK川俣慎一郎(18)が来季にトップチームへ昇格することが内定したと発表した。 (2007年11月13日18時37分  スポーツ報知)

今年1月には當間と共に日の丸も背負った川俣くんがトップ昇格。
守備陣がまた盤石となった。
昨季のユース昇格発表は12/1一昨年は10/28であるから今年もそういう時期になったということである。
ユース昇格を分けて発表する可能性は低いので今季は川俣くん一人なのであろう。
GKはイレブンの中でも特殊でレギュラー奪取も難しいポジションである。
川俣くんも耐える日々もあるかと思われる。
そこは器量で乗り越えて欲しい。
嫡男・正室を斬ることになろうとも、天下人の妹を押しつけられようとも、いずれ自分の時代が来ることを信じて疑わなければ報われる。
耐えて耐えて耐えてこそ日本人である。
300余年の天下太平を目指そうではないか。


大岩警戒注意報

2007年11月13日 | Weblog

鹿島大岩、戦力ダウンの柏を警戒
 鹿島DF大岩剛(35)が13日、離脱者続出の柏を警戒した。18日に対戦する柏はFWフランサ、MF菅沼が故障で離脱。加えてFW李、DF小林祐がU-22の五輪最終予選でベトナムに遠征中と攻撃陣を中心に先発陣を欠く状況だ。  それでも「人は変わるかもしれないが、全員で走ってくるサッカーは変わらない」と相手の戦力ダウンにも油断はなかった。 [2007年11月13日19時50分]

あれほどアウェイで10人の相手に苦労したのである、警戒して当然であろう。
しかも救世主の佐々木は負傷離脱中なのである。
そのよよに取って代わるべき興梠慎三も遠くヴェトナムの地である。
大岩が率先して完封をせねばなるまい。
決して情報は隣国の軍師に漏らさぬよう心がけよ。


マンガかよ…

2007年11月13日 | Weblog

反町監督“キャプテン翼超え”指令
 ゴールが見えなくてもシュートを打て!17日に敵地で北京五輪アジア最終予選ベトナム戦を行うU―22日本代表は12日午後に日本を出発し、13日未明にハノイに到着した。反町康治監督(43)は出発前の練習で「DFがいてもシュートを打て」と異例の指示。シュートへの意識を高めさせた。MF本田拓也(22=法大)が右足首捻挫のため出発前に離脱。追加招集はせず、21人で決戦の地に入った。
 5対5のミニゲーム。カレンがDFの股間を通してシュートを決めれば、興梠は背にした相手を気にもせず、振り返りざまに右足を振り抜く。最後はGK山本までがミドルシュートを突き刺した。もちろん、枠を外れるものもあったが、過去の練習と比べると格段にシュートの数が増えていた。

 これこそがベトナム戦に向けた反町監督の“秘策”だ。指揮官は「日本人はDFを前にしたらシュートを打たないことがよくある。でも、エジミウソン(新潟)やジュニーニョ(川崎F)やワシントン(浦和)は打っていく。そういう意識を持たないと」と解説した。

 つまり、DFに視界を遮られても、とにかくシュートを打つ意識。「ゴールが見えたらシュートを打て」とは漫画「キャプテン翼」で主人公・大空翼に恩師のロベルト本郷が与えたアドバイスだが、反町流は「ゴールが見えなくても打て」。漫画をも超える超絶指令だ。

 狙いは明白だ。日本は最終予選のアウエー戦は1分け1敗。2試合ともシュート数で相手を下回った。シュートを打てばはね返りが味方の前に転がることもあるが、日本はボールを支配してもシュートに至らない。本田圭が「決定的な仕事をするにはシュートの意識を持たなければ」と言えば、興梠「ゴールを求められていると思う」自覚たっぷりに話した

 「課題はたくさんあるけど、全部やっている時間はない」という指揮官が真っ先に手をつけたシュートへの意識改革。意表を突くシュートの連打に、ベトナムDF陣からはキャプテン翼張りの「なにィ」の声が飛び出しそうだ。 [ 2007年11月13日付 紙面記事 ]

愚将は遂にマンガですら出来ぬことを口走り始めた。
試合翌日の新聞に「シュート撃てども枠に飛ばず」というタイトルを書かせたいとでも言いたげである。
まさに「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」である。
別にセリフで笑わせてくれなくとも良い。
今川家の情報漏洩には笑わせてもらった。
上洛の時期だけでなく、ルートや戦略まで他国の軍師に教えているとは離反とほぼ同義では無かろうか。
それを許す今川義元の器量の大きさには敬服である。
この器量を反町氏に求めるのは無駄というのもであろうか。


セレッソ、羽田の弁

2007年11月12日 | Weblog

羽田選手のコメント
今日、京都が山形に引き分けてくれてたら、もっと良かったのですが…。まぁ、最終戦でウチがヴェルディに勝って、入替え戦に行くのが一番ですね。ディフェンスなら、もうどこでもできます。ポリバレント(複数のポジションをこなせる能力)ですから(笑)。

CB一筋で来たハネケンであるが、セレッソ大阪で守備的ポジション全てを習得した模様。
本職CBは元より、左SB、ボランチと現在の鹿島の穴を全てこなしている。
ひょっとして来季へ向けた大型補強となろうか。
とはいえ、先発レギュラーをベンチ外から掴み取った身としては、セレッソに残り重用されるのも良いかと思われる。
我等は既に、そしてセレッソも来季へ向けた編成は始まっておるはず。
しかしながら、セレッソはJ1なのかJ2なのか未定、我等にはACLもあるやも知れぬ。
不確定要素の多い難しい時期である。
無為に上洛を目指すことは無かろう。
そして安易に口車に乗って討ち死にする羽目になるやも知れぬ。
慎重に一つ一つ前へ進むのだ。


Fマリノス戦報道

2007年11月11日 | Weblog

鹿島6連勝、横浜は6戦未勝利/J1

25メートルのロングシュートを決める鹿島マルキーニョス(撮影・蔦林史峰)
<J1:鹿島3-2横浜>◇第31節◇10日◇日産ス
 横浜が早々に先制点を奪った。開始2分に、MF河合の早いリスタートで鹿島守備陣のスキを突き、FW大島がヘッドで決めて、幸先よく先制した。だが鹿島も反撃に転じ、同24分、MF本山のスルーパスに反応したMF野沢が抜け出し、最後はドリブルから左足シュートを沈めて試合を振り出しに戻した。

 後半序盤に鹿島が一気にスパートをかけた。同3分にMF小笠原のFKからFWマルキーニョスが合わせて同点。さらに同7分にはGKが飛び出したところを、マルキーニョスがループシュートを決めて逆転した。同35分に横浜FW坂田に1点を返されたが、そのまま逃げ切った。鹿島は6連勝で今節の浦和の優勝を阻止。横浜は6戦未勝利となった。 [2007年11月10日17時56分]

鹿島MF野沢が同点弾で勝利呼ぶ/J1
<J1:鹿島3-2横浜>◇第31節◇10日◇日産ス
 鹿島MF野沢が値千金の同点弾でチームの逆転勝利を呼び込んだ。開始2分で早々と失点し、不穏な空気が流れたが、同24分に仕事を果たした。MF本山のスルーパスに反応し、右サイドで受けるとドリブルで中に切れ込み、最後は左足シュートで沈めた。「相手は前がかりになっていてサイドが空いていたので、スペースを狙っていた」。狙い通りの同点ゴールからチームは勢いに乗り、後半立ち上がりの2点で勝利を決定づけた。
[2007年11月10日21時1分]

横浜は試合巧者鹿島に屈す/J1
<J1:鹿島3-2横浜>◇第31節◇10日◇日産ス
 横浜は攻撃サッカー復活の兆しをみせながら、試合巧者の鹿島に逆転負けを喫した。前半2分には早いリスタートから、FW大島が先制ヘッドを決める上々の滑り出し。その後も縦パスを中心とした攻めで、相手を押し込んだ。だが前半24分にカウンターで同点を許すと、後半開始直後に2失点し、試合を決められてしまった。大島は「ずっといい感じでボールが回っていただけに、2失点目が痛かった…」と悔やんでいた。
[2007年11月10日21時15分]

鹿島6連勝!残り3戦全勝だ/J1

横浜対鹿島 前半24分、同点ゴールを決める鹿島MF野沢(撮影・蔦林史峰)
<J1:鹿島3-2横浜>◇第31節◇10日◇日産ス
 名門としての意地が、鹿島を駆り立てた。1-1で迎えた後半3分、MF小笠原がDFとGKの間を突く正確な高速FKでFWマルキーニョスの勝ち越し点。同7分にはマルキーニョスがGKのクリアミスをループシュートで決めた。来季契約は現段階で白紙ながら年間自己新の13点目。「横浜時代からあのGK(榎本)が前がかりにプレーすることは分かっていた」。J5クラブを渡り歩いた経験が、浦和の今節での2連覇を食い止めた。

 第6節以降から前節まで積み上げてきた勝ち点は浦和と同じ57。開幕5戦未勝利という序盤の不振から見事なカムバック。粘り強さはこの一戦にも生かされ、2シーズンぶりの6連勝で浦和へプレッシャーをかけた。3戦連続アシストの小笠原は言う。「逆転優勝? ここまで(勝利を)落として今さらというのはある。できることは残り3試合を全勝すること」。すべてを出し尽くせば奇跡が起こるかもしれない。 [2007年11月11日9時48分 紙面から]

鹿島6連勝でV戦線残った!小笠原がオシム監督御前で存在感
 J1第31節第1日(10日、横浜M2-3鹿島、日産スタジアム)3位・鹿島がMF小笠原満男(28)の活躍で横浜Mを3-2で振り切った。

 視察に訪れた浦和・中村GMの前で、鹿島が横浜Mに3-2逆転勝利。6連勝で逆転優勝へ、わずかな望みをつないだ。

 1-1の後半3分、MF小笠原が右FKからFWマルキーニョスの逆転弾をアシスト。MF本山「強さの原動力はこの人」と信頼する背番号40は、日本代表のオシム監督の見守るなかで攻守に存在感を発揮した。
 「ここまで(試合を)落として今さらという感じもするけど、できることはあと3試合勝つだけ。きっちり勝って終われればいい」
 すでに自力優勝の可能性はないが、24日には浦和との直接対決(アウエー)も残す。「間違いなく浦和にプレッシャーをかけることができた」オリヴェイラ監督。最後まで鹿島は諦めない。
(千葉友寛)

10冠あきらめない!鹿島6連勝

<横浜・鹿島>後半7分、この試合2点目を決め、祝福される鹿島・マルキーニョス(手前右)
Photo By 共同

 【鹿島3―2横浜】鹿島が05年の4月以来、約2年半ぶりの6連勝。この日は試合がなかった首位・浦和との勝ち点差を5とし、優勝の可能性をつなげた。2得点で今季の得点を自己最多の13に伸ばしたマルキーニョス「残り3試合を全勝する」と、逆転優勝への強い意欲をほとばしらせた。

 マルキーニョスは今季が日本での7シーズン目で、すでに5チームに所属した渡り鳥。この日の相手となった横浜にも在籍したことがあり、後半7分には「横浜時代からGKが前でプレーするのは分かっていた」と癖を見抜いてループシュートを決めた。

 浦和の優勝阻止に向け鈴木満取締役が「ウチが負けて浦和を楽にさせることだけはやめよう」とゲキを飛ばし、選手は粘り強いプレーで応えた。優勝に向けて勝ち続けるしかない状況で、しっかりと勝ち点3を手にし、オリベイラ監督も「間違いなく浦和にプレッシャーをかけることができたと思う」と言葉に充実感を漂わせた。次節はMF小笠原が累積警告で出場停止となるが、浦和とは直接対決も残している。逆転優勝での悲願の10冠達成もまだあきらめていない。

 ≪横浜6戦勝ちなし≫横浜は後半3分に安易なファウルでFKを与えて勝ち越され、7分にはGKへの中途半端なバックパスから3点目を献上。中沢主将が「なんでもないプレーから失点している」と振り返ったように、ミスで自滅した。MF山瀬功が右足の違和感を訴えて急きょ欠場。前半2分にFW大島の今季13得点目となるゴールで先制したが、これで6試合勝ち星なし。ホームの連敗は4に伸びた。 [ 2007年11月11日付 紙面記事 ]

鹿島、V戦線にとどまる…J1第31節
 ◆J1第31節 横浜M2―3鹿島(10日・日産スタジアム) 3位の鹿島は後半開始早々にマルキーニョスが2得点して勝利に貢献した。1―1の3分にFKに合わせて勝ち越し点を奪い、7分にはミドルシュートをけり込んだ。横浜Mは終盤に1点差に詰め寄ったが、届かなかった。2位のG大阪がともに勝ったため、浦和の優勝は次節以降に持ち越された。

 鹿島が6連勝で、この日は試合がなかった首位・浦和との勝ち点差を5とし、優勝の可能性をつなげた。2得点で今季の得点を自己最多の13に伸ばしたマルキーニョス「残り3試合を全勝する」と、逆転優勝への強い自信をみせた。

 オリベイラ監督は「つくったチャンスの数で上回っていた」と自負する。しっかりと勝ち点3を手にした指揮官は「間違いなく浦和にプレッシャーをかけることができたと思う」と言葉に充実感を漂わせた。 (2007年11月10日19時11分  スポーツ報知)

鹿島6連勝 逆転Vへ執念見せる
2007/11/11(日) 本紙朝刊 スポーツ A版 8頁
 Jリーグ1部(J1)第31節第1日(10日・日産スタジアムほか=6試合)2位G大阪、3位鹿島ともに勝ち、首位浦和の優勝決定は次節以降に持ち越された。
 鹿島は3-2で横浜Mに競り勝ち、勝ち点を63に伸ばした。G大阪は遠藤-バレーのコンビによる2得点で千葉を2-0で下し、勝ち点は64。バレーは今季19得点目で得点王争いでトップに並んだ。新潟はFC東京を2-1で下し、暫定5位に浮上。柏は横浜FCと1-1で引き分けた。横浜FCは連敗を9でストップ。神戸は4-1で甲府に圧勝。磐田と名古屋は0-0で引き分けた。
 浦和は11日に川崎とアウエーで対戦する。

マルキ2発 鹿 島3-2横浜M
 【評】鹿島は後半開始早々にマルキーニョスが2得点して勝利に貢献した。1-1の3分にFKに合わせて勝ち越し点を奪い、7分にはミドルシュートをけり込んだ。横浜Mは終盤に猛反撃して1点差に詰め寄ったが、届かなかった。

 奇跡の逆転優勝へ向けて執念を見せた鹿島が4年ぶりに日産スタジアムで横浜Mを下し、6連勝を飾った。6連勝は05年の第3-8節で達成して以来。浦和の今節での優勝を阻止し、11日に試合のある浦和にプレッシャーをかけた。
 「一つも負けられない状況はみんな分かっていた」小笠原)。不運な立ち上がりも、今の鹿島には関係なかった。前半1分に田代がペナルティーエリア内で倒されたがPKを取ってもらえず、直後にセットプレーから失点。前線からプレスをかけてくる相手にミスが続き、嫌な流れになりかけたが、野沢は冷静にすきを見つけていた。「相手は前がかりでサイドが空いていた」。24分に速攻から右サイドのスペースへ飛び出すと、そのままドリブルで中へ切れ込み左足でネットを揺らした。
 同点に追いつけば、今の鹿島は強い。後半に見せ場をつくったのはマルキーニョス。後半3分に小笠原のFKにニアに走り込んで逆転ゴールを決めると、その4分後には相手GKのクリアボールをカットし、ループシュートで3点目。「相手のGKはマリノス時代から一緒にやっていて、前がかりでプレーすることは分かっていた。GKがボールをけったときにポジションが見えていて、自分のところにきたらトラップしてすぐ打つことをイメージしていたのでためらわずに打った」としてやったりの表情。
 攻撃のキーマンが結果を残し、守備でも最後まで粘りを見せて逃げ切った鹿島。次節は小笠原を出場停止で欠き、内田、興梠が五輪代表で不在。チーム力が問われる試合となるが、野沢「自分たちは上を見るだけ。下を見ずに残り3試合を全力で頑張るだけ」と表情を引き締めた。優勝の可能性がある限り、あきらめることだけはしない。

同点弾の野沢か勝ち越しアシストの満男かはたまた二得点のマルキーニョスか。
試合開始早々の田代の飛び出しや途中出場の敦のボレーそしてダニーロのミドルが決まっておれば、彼等もここに名を連ねておったであろう。
この試合では攻撃陣の活躍が光った。
特にマルキーニョスは上位に通用しないと揶揄されたことで発憤したのか攻守にわたって大車輪の活躍であった。
そしてチームはリーグ戦4試合連続3得点である。
絶好調だった2005年前半でも記録していない。
勝てていなかったエコパと横浜国際で記録していることも素晴らしい。
チームの熟成の表れであろう。
メンバーは揃っていると断言しようではないか。
後は試合中に起こるエアポケットのような集中の欠如だけを修正すれば、王者の風格も甦ってこよう。
気持ちの問題と言い換えることも出来る。
勝つことで養っていけるのでは無かろうか。
勝ち続けてシーズンを終えることが我等の願いなのである。


Fマリノス戦コメント

2007年11月10日 | Weblog

鹿島アントラーズ  :監督  <試合終了>
不注意な失点があったが、あわてず同点にし、逆転することができた。決定的なチャンスの数で上回ることができたと思う。本当なら4点目(マルキーニョスのゴール)があって、そこで試合が決まっていたはずなので、判定には残念に思っている。(今日の勝利で)首位の浦和にも十分プレッシャーを与えることができたと思う。後の試合も、自分たちは勝つだけだ。

【J1:第31節 横浜FM vs 鹿島】オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島)記者会見コメント [ J's GOAL ]
11月10日(土) 2007 J1リーグ戦 第31節
横浜FM 2 - 3 鹿島 (16:03/日産ス/21,109人)
得点者:2' 大島秀夫(横浜FM)、24' 野沢拓也(鹿島)、48' マルキーニョス(鹿島)、52' マルキーニョス(鹿島)、80' 坂田大輔(横浜FM)

●オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島):
「激しいゲームだったが、今日のゲームで鹿島の方が優れていたのはチャンスの数。それも明確なチャンスをつくれていたということが勝因になったと思う。前半は立ち上がりPKをゲットして優位になれるかと思ったのだが…。そこから不注意な失点をして、その後に試合を立て直せるかがテーマとなった。何とか同点に追いついて、後半も30分まではゲームをコントロールできた。終盤は我々がうまくリスクマネージメントできていた。その後に4点目が生まれたのだがオフサイドのフラッグが上がった。ゴールなら、あれでゲームは終わっていた。

警戒していた山瀬功が出ていなかったことで、当然、やり方は変更した。相手のシステムも予想していたダイヤモンド型ではなくボックス型で、少し戸惑いがあったようだ。できるだけ前半に修正しようと指示を出したが、なかなかうまくいかなくて、相手にペースを握られる時間帯もあった。

ガンバも勝っていることも含めて、これで浦和にプレッシャーをかけることができたと思う。相手にとって気になる状況にすることができた。次節も我々が勝ち抜くことによって、可能性を広げることができればと願っている」
以上

【J1:第31節 横浜FM vs 鹿島】試合終了後の各選手コメント [ J's GOAL ]
●岩政大樹選手(鹿島):
「流れがよかろうが、悪かろうが、チームとしてやるべきことはハッキリしている。今日のように、アウェイであれば押し込まれるシーンもある。最後の最後まで辛抱して、セットプレーから勝ち越せるのがウチの強みだし、だから、こうして勝点を重ねられていると思う。ウチは8月くらいから、負けたら終わりだという気持ちでやっているし、6連勝している今もその状況は変わらない。ただ、最近になって多少可能性が出てきているので、今日の試合は僕にとって、今シーズンの残りを決める大事なゲームだと思っていた。これで来週はホームだし、その次はレッズとやれる。この後、何が起こるのか楽しみになってきた」

チェアマンの指示が行き届いておればPKもゲットであるしオフサイドもなかったはず。
ちゃんと指示を守って欲しかった。