無知の知

ほたるぶくろの日記

つぶやき

2010-07-20 23:55:31 | 日記

今日も夏空の一日でした。この抜けるような青空と同じような一日でありたいと思ったのですが、現実は甘くありません。昨日からいろいろな話しが耳に入り、今日は今日とて仕事場での修羅場が展開しました。私が直接矢面に立っているのではないのですが、深く関わる案件なので大変難しいと思っています。こういうとき、静かに状況を眺めるというのはなかなかに難しいことです。あれこれと言ってみても詮無いことが次々と湧き上がってきます。

まあ、この現実に生きているからの経験ではあります。このように様々の状況を経験できる一生というのもありがたいことです。今の状況をどのように過ごすかはまさにchallengeであります。今日のできばえは30点。赤点です。それでもかなり以前よりはましな点数です。もっとおおらかに、状況を受け入れることができるなら素晴らしいと思います。明日に向けて今は仕切り直しているところです。

仕事でチームを組んでいる方への上からの強烈な圧力があるのです。それが何を意図しているのか、少々謀りかねています。あまりに理不尽な圧力に見える一方、それも仕方ないかな、と思う部分もあります。ただ、その方の退路を塞ぐようなことがあってはならないと思います。どこか流れていく方向がないと、その方は居場所がなくなってしまいますから。今、私にできるのはその方が自暴自棄にならず、できること、向かえる方向を見つけて頂きたいと願うことです。

研究の世界は基本的にその方の個性を徹底的に発露することに他なりません。自分は何を知りたいと思っているのか、何を疑問におもい、どんなquestionを設定するのか、に尽きます。我の追求のように見えますが、それは我を超えた普遍の追求でもあります。それは強烈なpassionでなくては続きません。

あることを「科学的に証明する」のはそのくらいの覚悟がないとなし得ないものであるようなのです。ですから、現状としてなされなくてはならないことと、自分が興味を惹かれることこととの接点を見出し、そこへ向け最善、最大の努力を注ぎ込むことが必要です。それは真に個人的なものであり、逆説的になりますが、突き詰めていきますといつか普遍的な問いになっていくのだと思うのです。

基礎の研究とはそのような自分との格闘であるようです。自分という個を追求し、普遍に至る。そこに何かが生まれるようなのです。ですから、たとえチームを組んでいるとはいえ、一人の研究者の方向性を他の研究者が規定することはできません。できることは「頑張って頂きたい」と願うこと、それだけであります。

ずいぶん、抽象的に思いを吐き出させて頂きました。何のことをつぶやいているのかわかって頂けないかもしれません。申し訳なくおもいます。しかし、これが研究に従事する一人のこころの内であります。研究は人生そのものであるように思います。