無知の知

ほたるぶくろの日記

諸行無常

2010-07-08 00:01:01 | 日記
今朝神棚のお世話をしていて、水道水中の塩素について考えるともなくぼんやり思っておりました。子供の頃、上水道が整備されるまでしばらく井戸水を使っていたこと、その水は夏は冷たくいつまでも触ったり、口をすすいだり飲んだりして楽しんでいたことなどを思い出していました。上水道の塩素、様々な食品の保存料、防腐剤などは現代の生活の必要悪なのだよなあ、と思っていました。流通させるためには必ずストックをする地点があります。どこかでものを溜めておく、とどめておく必要があるのです。

そこまで考えたところで、止まった水は腐る、何事も滞ると腐るな~と考えは別な方に流れ出しました。この世のすべてが変化するということはそういうことなのでしょう。きれいな花も数日たてば枯れます。榊も枯れます。ベランダの植物もどんどん様子を変えています。子供もいつの間にか大きくなって、もうどこを探しても赤ちゃんらしさは残っていません。どんどん変化しているのです。自分も変化しています。身体は年を取ってきていますし、考えかた、ものの感じ方も変化しています。

そうして気がついたことは、心のどこかで変化することを嫌がっていることでした。変化があれば対応しなくてはいけません。その変化はよい変化も悪い変化もあります。悪い変化を恐れているのです。これがだめなんですよね。変化することこそがこの世の恩寵であることが未だに実感できていないようです。全ての変化をありがたく受け取りながら生きていきたいのですが、道はまだ遠いようです。