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論理は感情の多数決に負ける、おまけに経済的にも。

くじらネタが流行っているようで。

沿岸捕鯨再開 IWC案を生かさぬ手はない(読売新聞) - goo ニュース

IWCの議長案として沿岸捕鯨は認めるが遠洋の調査捕鯨の抑制を求めた物。クジラが絶滅危機だとの反論には科学データの集積が不可欠だ。また食い物を非難されるのはおかしな話だし、私は食人ですら許容できる文化だ。まぁ論理的に日本は完璧だと思うのだが感情の多数決の前には論理なんぞなんの役にも立たないということか。記事ではこの条件ですら日本に甘いというのだからどうしようもない。欧州の森を焼き尽し、クジラの脂だけ採取し殺しまくった欧米人に言われたく無いと思うのであるが。

WEDGE2月号~メディアが伝えぬ日本捕鯨の内幕税を投じて友人を無くす」は議長案発表より前に刊行されたようだが、同様に遠洋調査捕鯨をやめて沿岸捕鯨に切り替えろと述べている。理由は感情的な配慮と経済的な問題だ。産業としての捕鯨はもはや死滅しており、税金を注ぎ込んで調査捕鯨を続けても意味が無いと論破する。感情にも負けた上、経済的にも合理性なしと来たもんだ。

さらにさらにだ日本の捕鯨活動妨害の「シー・シェパード」に対する海外コメント~らばQではシー・シェパードが犯罪行為を行っていることを知っていて尚、日本への反感・恨みが息巻いている。シー・シェパードを応援しているコメントもある。だめじゃん日本。

論理的には日本人が鯨を食すことを非難されるいわれは無い、かわいそうと言うのは主観的で家畜はOKで野生動物がNGというのも成り立ち難い論理だ。強いて言えば公海での捕鯨が非難されるということも有りうる、しかしそれであれば公海上の漁業全てにも同様な問題があるので捕鯨だけが非難される理由は感情的で論理的でないことは明白だ。それでも折れなければならないのか。私自身は鯨を食す習慣が余り無いので、無くてもちっとも困らないが、寂しいと言う程度。

諸外国との友好関係にヒビが入りかねず(豪州はもうすでにか?)、経済的にも産業的にも既に破綻しているというのであれば意地を張る意味も薄い。産業として再生可能な沿岸捕鯨を目指した方が双方がハッピーなのかもしれない。

 

参考)J.NAkanishi Home Page 雑感463-2009.2.3 「捕鯨交渉の落しどころ-悔しいけれど-」

死人を食することで、殺人を肯定しているのではない。また食人はクロイツフェルト・ヤコブ病になるので私は御免です。そういう文化を有する人でも許容できると言う意味です。

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