これは、先日当ブログにも書いたように、実際の収録を観に行った分のテレビ放映。
もちろん放映された時はすぐ観たのだが、いろんなことを書こうと気負いすぎて、折からの夏バテで感想を書くのが遅れてしまった。
でも結論としては、生演奏もテレビ放映もそれぞれによく、ダブルで楽しめたのは本当にうれしかった。
テレビ放映でよい部分と言えば、指揮者の藤岡幸夫さんをはじめ、演奏されている方の顔の表情、楽器の様子などがアップで見れること、挿入されているテロップでさらに勉強になることは当然であるが、今回の放映分で言えば、さらに初音ミクとオーケストラの協演の完成系が見れたことである。
声楽を習っている身からすると初音ミクの声なんて、とんでもない。でもそれをご自分の音楽に抵抗感なく取り入れてしまい、独特の世界を作り出してしまうのが、クラシック音楽を知り尽くしている冨田さんなのである。冨田勲さんは本当に、亡くなる寸前まで、つねに新しい世界を追求する方だったのだということをしみじみと思い、できれば私もその片鱗でもいいから、そういう姿勢を身に着けたいものだと思う。
収録の際は、実際は初音ミクさんの声だけが聞こえ、姿は見えない。でも見えない姿を具体的にイメージして、心から拍手を送ってたんだよね・・・拍手は放映されなかったけど。
ここで私がすごいなと思っているのが2点ある。
1つは、「初音ミクの歌をオーケストラのテンポに合わせるシステムを開発」と簡単にテロップに書かれている部分である。もともとある音声にオーケストラが合わせるのではなく、あくまでも藤岡さんの指揮に合わせて初音ミクを歌わせているのである。実際の収録の時のトークでもそのような話がちらっと出ていたが、どのように操作しているのか、是非見たいところであったが、残念ながらそこはテレビに映してくれなかった。でも確かに収録の時は、捜査している人が舞台上にいたようなのである。
もう1つは初音ミクの画像の動き。人工的に作られた画像だからあまり期待していなかったのだが、動きがものすごくリアルで自然である。私は昔新体操をやっていたから、多少は踊れる人間なのであるが、腕の表情とか、足の踏み出し方、ターンとか、予備動作も含め極めて自然に出来ている。だが人間ではないので、人間臭くならないように処理している。おそらくは人間にセンサー等をつけて解析した動きを取り入れてるんだろうし、ゲームなどの世界では当たり前に使われている技術なのであろうが、私は音楽に合わせて踊りながら歌う初音ミクの動きが、人間らしさと人間を超えている部分のバランスが絶妙だなぁと思って感心したのである。
もう一つ書いておきたいのが、新日本紀行のテーマ曲について。実際の収録の時も、「この曲は3拍子なのになんで日本的なんだろう」とトークの中で言われており、私もその日からずっとそのことについて考えていたが、ろくな答えに行きついていない。
「なぜ日本的なのか」については答えを1つ持っている。それは使っている音階である。今回尺八ソロの入った編曲になっているが、この曲のテーマ部分は、最後の方にでてくるミ以外は、一尺八寸の尺八で普通に出る音(指をかざしたり、半分閉じる等の策を弄しなくても出る)である。
尺八は若い頃少しかじったことがあるが、一尺八寸の尺八を全部穴を閉じた状態から、下の方から1つずつ穴をあけていくと、レ・ファ・ソ・ラ・ドの音が鳴り、記譜上はそれらの音は順番に「ロ・ツ・レ・チ・リ」とカタカナであらわされる。つまり新日本紀行のテーマはロツレチリの基本音でほとんど吹けてしまうのである。
尺八って、ロツレチリの基本音を適当にアドリブで鳴らしてるだけで、日本的な情緒のある曲が出来上がるのよね。
ということでなぜ日本的なのかの答えはそれだと思うのだが、何故3拍子なのかについてはお手上げだね。そもそも3拍子と気付かれないように作曲されている。ただあの曲のリズム感は、物事を前に進めていくようなイメージを醸成している。我々は何らかの車両に乗って、日本の原風景を楽しんでみているような、文字通りの新日本紀行を思わせるようなリズム感である。
伝統的な音階を使いながら、2拍子や4拍子だと、古い世界から抜け出せないような停滞感を感じさせてしまうから、3拍子を使うことで新風を吹き込み、動きをだすことにより、「紀行」のイメージを出そうとしたのかなぁ。そんなことぐらいしか思いつかない。
もちろん放映された時はすぐ観たのだが、いろんなことを書こうと気負いすぎて、折からの夏バテで感想を書くのが遅れてしまった。
でも結論としては、生演奏もテレビ放映もそれぞれによく、ダブルで楽しめたのは本当にうれしかった。
テレビ放映でよい部分と言えば、指揮者の藤岡幸夫さんをはじめ、演奏されている方の顔の表情、楽器の様子などがアップで見れること、挿入されているテロップでさらに勉強になることは当然であるが、今回の放映分で言えば、さらに初音ミクとオーケストラの協演の完成系が見れたことである。
声楽を習っている身からすると初音ミクの声なんて、とんでもない。でもそれをご自分の音楽に抵抗感なく取り入れてしまい、独特の世界を作り出してしまうのが、クラシック音楽を知り尽くしている冨田さんなのである。冨田勲さんは本当に、亡くなる寸前まで、つねに新しい世界を追求する方だったのだということをしみじみと思い、できれば私もその片鱗でもいいから、そういう姿勢を身に着けたいものだと思う。
収録の際は、実際は初音ミクさんの声だけが聞こえ、姿は見えない。でも見えない姿を具体的にイメージして、心から拍手を送ってたんだよね・・・拍手は放映されなかったけど。
ここで私がすごいなと思っているのが2点ある。
1つは、「初音ミクの歌をオーケストラのテンポに合わせるシステムを開発」と簡単にテロップに書かれている部分である。もともとある音声にオーケストラが合わせるのではなく、あくまでも藤岡さんの指揮に合わせて初音ミクを歌わせているのである。実際の収録の時のトークでもそのような話がちらっと出ていたが、どのように操作しているのか、是非見たいところであったが、残念ながらそこはテレビに映してくれなかった。でも確かに収録の時は、捜査している人が舞台上にいたようなのである。
もう1つは初音ミクの画像の動き。人工的に作られた画像だからあまり期待していなかったのだが、動きがものすごくリアルで自然である。私は昔新体操をやっていたから、多少は踊れる人間なのであるが、腕の表情とか、足の踏み出し方、ターンとか、予備動作も含め極めて自然に出来ている。だが人間ではないので、人間臭くならないように処理している。おそらくは人間にセンサー等をつけて解析した動きを取り入れてるんだろうし、ゲームなどの世界では当たり前に使われている技術なのであろうが、私は音楽に合わせて踊りながら歌う初音ミクの動きが、人間らしさと人間を超えている部分のバランスが絶妙だなぁと思って感心したのである。
もう一つ書いておきたいのが、新日本紀行のテーマ曲について。実際の収録の時も、「この曲は3拍子なのになんで日本的なんだろう」とトークの中で言われており、私もその日からずっとそのことについて考えていたが、ろくな答えに行きついていない。
「なぜ日本的なのか」については答えを1つ持っている。それは使っている音階である。今回尺八ソロの入った編曲になっているが、この曲のテーマ部分は、最後の方にでてくるミ以外は、一尺八寸の尺八で普通に出る音(指をかざしたり、半分閉じる等の策を弄しなくても出る)である。
尺八は若い頃少しかじったことがあるが、一尺八寸の尺八を全部穴を閉じた状態から、下の方から1つずつ穴をあけていくと、レ・ファ・ソ・ラ・ドの音が鳴り、記譜上はそれらの音は順番に「ロ・ツ・レ・チ・リ」とカタカナであらわされる。つまり新日本紀行のテーマはロツレチリの基本音でほとんど吹けてしまうのである。
尺八って、ロツレチリの基本音を適当にアドリブで鳴らしてるだけで、日本的な情緒のある曲が出来上がるのよね。
ということでなぜ日本的なのかの答えはそれだと思うのだが、何故3拍子なのかについてはお手上げだね。そもそも3拍子と気付かれないように作曲されている。ただあの曲のリズム感は、物事を前に進めていくようなイメージを醸成している。我々は何らかの車両に乗って、日本の原風景を楽しんでみているような、文字通りの新日本紀行を思わせるようなリズム感である。
伝統的な音階を使いながら、2拍子や4拍子だと、古い世界から抜け出せないような停滞感を感じさせてしまうから、3拍子を使うことで新風を吹き込み、動きをだすことにより、「紀行」のイメージを出そうとしたのかなぁ。そんなことぐらいしか思いつかない。