風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

『同性愛と新約聖書』

2021年08月23日 | 出版
ある日突然、このブログを更新する意欲を失ってしまった。失ったからといってなにがどうなるというわけでもないけど、以前は、更新していないと風塵社が倒産しちゃったと思われるのかなと不安に感じていた面はあった。しかし、それも余計な心配だと気がついたためなのか、駄文を記す意欲が湧いてこなかった。意欲が湧きでない理由を分析しようが、考察しようが、それもまたどうでもいい話だ。記すべきは、久しぶりに新刊を発行したということである。
書名『同性愛と新約聖書』、副題「古代地中海世界の性文化と性の権力構造」、著者はKさん、本体価格4500円也。弊社からの刊行物では2番目に高い値をつけている。1番高いものは25000円であった。小生がこの場で内容について述べてしまうと、本書がレポートの課題とかになったとき、学生がこのブログからコピペしそうなので、遠回りにしか記さないことにする。ここでは、出版社としての営業面から概況を述べる。
そもそも、弊社から本書の前に刊行したのが『反日革命宣言』で、それが2019年1月のこと。おかげさまで『反日革命宣言』は赤字にはならない程度の売上部数とはなったものの(とはいえ数百部)、それから2年半以上も新刊発行に間を空けてしまった。その間、小生がサボっていたということはそのとおりではあるものの、一方で、制作費の捻出にオツムを悩ませていたということもある。支払いのめどが立たなければ、新刊の作りようもないではないか。
そして『反日革命宣言』のように数百部の売上金など、数十万円の利益しか出せない。一人出版社の気ままさがあるから刊行できる売上額であり、長らく絶版となっていたのもむべからぬことだろう。風塵社としては『反日革命宣言』はロングテイル化することを願うわけではあるけれども、初版をすべて売りつくしたとしても、それほどの金額になるわけがない。
そこで、さて、どうしようということで、Kさんに『同性愛と新約聖書』の執筆を急いでもらおうと考えた。本書の凡例に記されているけれど、本書のもとになっている博士論文は2007年に提出されている。ならば、時間が経っている分をアップデートすれば、それで本になるだろうと、小生は軽く考えていたのであった。ところが、そこからKさんの誠実さが発揮される。10年以上前に書き終えたテーマについて、彼は一から真摯に立ち向かうことになる。
Kさんの姿勢は素晴らしいのであるが、そうなると小生からは日々原稿の督促という状況に陥ってしまう。そうこうするうちに2019年は終わり、コロナの2020年へと入っていく。Kさんの知的格闘は続いているものの、コロナのおかげで、政府からは企業援助の財政政策が出動された。それに飛びつかない手はない。しかしそれには膨大な事務作業にとりかからなければならない。そのクソ面倒な作業を終えたのが、2020年の秋くらいだったろうか。
そしてそのクリスマスに、Kさんが小生へのプレゼントとして脱稿することになった。あとは、校正やら索引作りやらという編集的な作業を進めるだけである。ところがそこで、小生が極端な金欠ウツに陥ってしまった。やる気がまったく湧かなくなってしまったのだ。索引用に一語拾うだけなのに、ため息しか出てこない。たしか、2週間ほどまったく進まなかったのじゃないかと記憶する。ましてや校正ともなると、1ページも見たくないという状態である。
索引作りと校正と、どちらが大変な作業なのかと聞かれたら、その答えには窮してしまうことだろう。索引作業は単純労働なのでやっていて非常に飽きやすい。そのうえ、索引を拾う人間がある概念カテゴリーを勝手にイメージしないといけないから、難所にさしかかると判断に詰まることがある。校正のほうは最初から頭を使うけど、推敲しているわけではない。推敲してしまうと誤植を拾えないのである。その、校正であって推敲ではないという意識を、常に一定の集中を維持し続けるという知的営みは本当に大変だ。
編集者によくある落とし穴の一つに「著者があれだけ一生懸命に見直したんだから、その文章に問題はないでしょ」というものがある。しかし著者の意識活動は推敲に向けられてしまう。そのため、単純な誤植に気がつかないことが多い。著者校正を信じてはいけない。校正作業は著者の意識とは一歩離れたところから醒めた視点でなされなければならないのである。
こう考えてみれば、索引作りも校正も、結局は意識の集中でしかない。ところがやる気のわかないときは、集中することにものすごくストレスを感じてしまう。おのれになんだかんだ言い訳しては、動画サイトを見ていて一日が終わったことがどれだけあったことか。小生がそうしてフリーズしてしまったことで、Kさんにしてみれば「聖書学なんて、やりたくもない仕事を押し付けてしまって申し訳ない」と感じられたようであるものの、決してそういうことではない。ただ単に金欠ウツにハマっていただけだった。そして、出版社側のそうした内面の葛藤と、本書の内容とは別物である。本書に多くの理解者が生まれることを期待している。

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1 コメント

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Unknown (馬出千代堅粕)
2021-09-22 01:42:08
「むべからぬ」という日本語は辞書に記載がありません。「無理からぬ」と「むべなるかな」を混ぜているのでは?
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