仏文学者にして ランボー研究家、 詩人として 作詞家として 昭和という時代を生きられた 西條八十の長女さんの嫩子さんの 父親としての八十さんを書かれたエッセイです。
先に読んだ ”父西條八十” は 父親からの聞き語りの体でしたが この本は 1970年に夫と父を相次いで亡くされ 傷心からやっと立ち直られかけた 1978年の刊です。
三井ふたばこ というペンネームの詩人でしたが 夫の死後、旧姓の西條嫩子に戻られました。
娘としては 流行歌の作詞家ではなく 仏文学者・詩人で居て欲しかった。
窮地に陥った時 人は音楽によって救われる と何度も体験された八十氏は 戦前も戦後も歌詞を書くのをやめなかった。
嫩子さん自身も 夫の赴任先の中国で 戦後 生きて帰国できないかもしれないという境遇で 誰かが歌う 八十氏作詞の ”かなりあ” に こころ 救われたそうです。
恋愛沙汰の多い八十氏を(それでも家庭には持ち込まなかった)盲いた姑の世話もしながら 身なりも構わず尽くした妻を亡くしてからは 打って変わったようにおとなしくなった八十氏を 亡くなるまで10年ほど 嫩子さんは世話をされます。
三井ふたばこさんは 親の七光りで詩人として高名なのだと思っていましたが なかなかの才人そして苦労人です。
戦前・戦後を生き抜く大変さが私にもよくわかりました。
わたしが カラオケで好きなのは西條八十作詞が多い気がします。
”越後獅子の唄” ”青い山脈” ”絶唱” 中でトリの ”夕笛” は 声のコンデションが悪いと歌わないほど好きです。
とかく偉人は めんどうくさい。
by 風呼