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”父西條八十は私の白鳥だった”  西條嫩子著

2019-02-18 15:32:30 | 

 

仏文学者にして ランボー研究家、 詩人として 作詞家として 昭和という時代を生きられた 西條八十の長女さんの嫩子さんの 父親としての八十さんを書かれたエッセイです。

 

先に読んだ ”父西條八十”  は 父親からの聞き語りの体でしたが この本は 1970年に夫と父を相次いで亡くされ 傷心からやっと立ち直られかけた 1978年の刊です。

 

三井ふたばこ というペンネームの詩人でしたが 夫の死後、旧姓の西條嫩子に戻られました。

 

娘としては 流行歌の作詞家ではなく 仏文学者・詩人で居て欲しかった。

窮地に陥った時 人は音楽によって救われる と何度も体験された八十氏は 戦前も戦後も歌詞を書くのをやめなかった。

 

嫩子さん自身も 夫の赴任先の中国で 戦後 生きて帰国できないかもしれないという境遇で 誰かが歌う 八十氏作詞の ”かなりあ” に こころ  救われたそうです。

 

恋愛沙汰の多い八十氏を(それでも家庭には持ち込まなかった)盲いた姑の世話もしながら 身なりも構わず尽くした妻を亡くしてからは 打って変わったようにおとなしくなった八十氏を 亡くなるまで10年ほど 嫩子さんは世話をされます。

 

三井ふたばこさんは 親の七光りで詩人として高名なのだと思っていましたが なかなかの才人そして苦労人です。

戦前・戦後を生き抜く大変さが私にもよくわかりました。

 

 

 

わたしが カラオケで好きなのは西條八十作詞が多い気がします。

”越後獅子の唄” ”青い山脈”  ”絶唱” 中でトリの ”夕笛” は 声のコンデションが悪いと歌わないほど好きです。

 

 

とかく偉人は めんどうくさい。

 

 

 

              by    風呼    

   

 

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