ニか月ほど前に”バードマン”という映画を見た。
映画はいきなり主人公の空中座禅のシーンから始まり 幻聴の囁きがその異様さに加速を加える。
上半身裸の主人公の 空中座禅の背中は 姿勢が悪く皮膚はたるんでいる。
映画は 90分正真正銘のワンカットで撮られた『エルミタージュ幻想』を模したのか ドラムに導かれ カメラは3日間を連続させて見せている。
ドラムの音で醸し出される ニューヨーク、ブロードウェイ。
主人公は かつて映画界で一世を風靡した 今は落ちぶれたヒーロー役者で 決死の覚悟でブロードウェイの舞台に立つ。 もう後はない。
その舞台の演目が レモンド・カーヴァー著の 『愛について語るときに我々の語ること』 だ。
深く印象に残る映画なのだが 何がこんなに気になるのか よく分からないので カーヴァ―の原作を読んでみた。
どの作品も私の意表をついていて 面喰う。
表題のつけ方は尋常ではなく ??? の連続です。
ますます分からなくなったので 代表作、初期のものと 計3冊の50位の短編を読み終えた。 感じればいい 理解しようとしなくていいらしい。
訳者が村上春樹というのにも 驚いた。 カーヴァ―のほぼ全作品を訳している。
日曜日の夜11時 ラヂオNHK第二で放送されている ”英語で読む村上春樹” という番組があるのですが 3月ごろから 偶然聞き始めていたのです。
個人的なことだが 何か繋がっている?
ラヂオでは 4月から 『TVピープル』 という作品が扱われている。
ある日 主人公の目の前に 実際の人間より 多少縮小されたTVピープルが現れて 勝手にTVを設置していく という中で 妻との関係が顕わになっていくという話なのだが ソファーに座っている自分は その3人のTVピープルに全く無視されて 透明人間なってしまったみたいだというのが 前回の内容でした。
透明人間・・・ あれ?
私も同じような経験をしたような。 (前 5月26日のブログ)
映画 "バードマン” で知った レイモンド・カーヴァ― 。
ラヂオ番組で初めて著作に触れている 村上春樹。 その小説の内容。
こんなに密接につながっているなんて 不思議。
今 私の脳内は 未知の表現との出会いに カオス状態です。
私の中で 全く新しいもの 例えば噴火してできる新山のような が 出現するのかも知れない。
とりあえず 3冊のカーヴァ―の本を 再読しよう。
久しぶりに 大わくわくの
風呼 です