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マーラー 交響曲第10番 他/オーマンディ&フィラデルフィアO

2007年06月03日 23時27分19秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの10番の補筆全曲盤をいろいろ買い込んで話は、先日書いたばかりだけれど、これはその中でももっとも最近購入したものである。エディションはクック第二稿で、レコーディングされたものとしては、確か唯一のものだったと思う。クック版は最終的に第三稿で終わるのだけれど、第三稿はどちらかというとゴルトシュミットとマシューズ兄弟がメインに手をいれているらしく、純正クック版としては第二稿が最後という見方もできるらしい。現在クック版といえば例外なく第三稿を演奏するらしいので、これまた歴史的には貴重な記録であることは間違いないし、演奏がオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団という超一流コンピである点も、前回取り上げたセルとクリーブランドによるクルシェネク版と並んでポイントが高いところだ。

 さて、マーラーの10番である。私はこれの補筆全曲版は何種ももっているし、それなりに聴き込んでもいると思うのだが、正直に告白すると第2楽章以降はどうも印象が薄い。他人の手が入っている云々という先入観はほとんどないつもりだけれど、どうも「マーラーらしさ」が希薄なような気がするのだ。これは補筆全曲版を聴く前に、第10番といえば単一楽章の作品として、第1楽章ばかりを聴き過ぎたという理由もあると思う。したがって第一楽章は、「交響曲第9番に続くマーラーの音楽」として、多少音が薄いことなどほとんど気にすることなく聴くことができるし、事実マーラーの数ある音楽の中でも大好きな作品で分類できるくらいなのだが、それ以降の楽章となると、どうも音楽のヘソが見えてこないというか、マーラーの音楽らしき感触は全編に渡って感じられはするものの、それぞれの楽章の聴くべきポイントがみつからないという感じなのである。

 という訳で今回このアルバムを開封したのを幸いに、これからしばらく全曲をもう少し聴き込んでみることした。ちなみに今回のオーマンディ盤を聴いて感じたのは、この補筆全曲版がどうにして馴染みにくいかというと、似たようなスケルツォ風な楽章が真ん中で3つも続いていて、どうもメリハリという点で今一歩に感じるということと、第5楽章の途中にアレグロ風な部分が挿入されていて、両サイドを緩徐楽章ではさみこむ構成という点でみると、どうも違和感があるというのでは....というあたりを感じた。ちなみに演奏はすっきりと早めのテンポで進むオーマンディらしい客観主義が感じられるものだが、このアルバムもリマスタリングのせいか、やや音がぬるくなってしまっているように思う。フィラデルフィのサウンド、特にCBSの頃って、もっと金ピカでブリリアントな感触だったと思うのだが....。
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