同曲もこれで四種目だが、これちょっと変わり種といえるかもしれない。というのもこの演奏、1973年に録音されているのだ。コルンゴールドのヴァイオリン協奏曲といえば、モノラル期にハイフェッツがこの曲を十八番にした後は、近年のコルンゴールド・ルネッサンスまで間は、パールマンとプレヴィンがコンビを組んだ演奏くらいしかないと思っていたからだ。なのでCDが自宅に届いてクレジットを確認して、少しばかり驚いてしまった。つまり「なんだ、この曲は70年代の頃から、ヘルシャーみたいにそこそこ有名な人起用して、EMIみたいなメジャー・レーベルから録音されていたんじゃないか」ということなのだが、ひょっとすると、この曲、初演以来、こうして何度かは録音はされて、発売もされてたみたものの、たいして注目されずに埋もれ続けたということなのだろうか?。
さい、ヴァイオリンのウルフ・ヘルシャーは70年代にデビューしたドイツ系のヴァイオリニストらしい。私も名前だけはかろうじて記憶にあるが、そのプレイを聴くのはもちろん初めてである(ちなみにウィリー・マッテスという指揮者は全く知らない)。肝心の演奏だが、端からそういうつもりで聴くせいもあるだろうが、どうも一昔前の演奏という感が強い。今のヴァイオリニストはコルンゴルトが作り出した甘くセンチメンタルなメロディーを、実にあっけらかんとなんの衒いもなく歌ってしまっているが、ヘルシャーはそのあたり、フレージングの節々に突っかかるところがあるというか、楷書体の立派な演奏ではあるものの、どうもこの曲の甘美さを解放することを躊躇しているように感じる。70年代といえば、この曲はほとんど「究極のアナクロニズム」だったに違いなく、あまりに甘ったる弾きすぎて、イージー・リスニングみたいな通俗に堕することをおそれたのかもしれない。 これが正しいとすれば、やはりこの曲、70年代にはまだ熟成が足りなかったということなのだろう。
「音楽には時代など関係ない....」という人がよくいるが、やはり時代には密接に関係があると思う。その時代の雰囲気、ムードによって、同じ音楽でも聴こえ方が全く違ってくるし、演奏する方のさじ加減もそういうところを期せずして反映してしまうものだと思う。そういう風に時代にもまれて音楽というものは、古典化、ヴィンテージ化していくのだ。
ちなみにこの演奏が収録された2枚組は、コルンゴルトの純音楽畑のいろいろな作品がスナップ写真のようにあれこれ入っていて楽しい。本来、協奏曲とカップリングされていた組曲「空騒ぎ」と「主題と変奏」はディスク2に入っている。前者はシャハムのところで紹介したものの管弦楽版で、あちらには入っていなかった序曲も含めた全5曲、神童コルンゴルトの面目躍如たる絢爛たるオーケストラ作品だが、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」みたいな軽みをおびたファンタスティックさがなんとも楽しい。また晩年の「主題と変奏」はブラームスの「ヘンデル変奏曲」をぐっとリラックスさせたような作品で、子守歌のような主題を元に、性格変奏の持つ技巧的な楽しさにプロムナード・コンサート的な平易さを合わせたような作品で、ハイライトでは高らかに元のテーマが戻ってくるあたりは変奏曲のお約束とはいえ、とても楽しめる仕上がりだ。
あと、録音はさすがに70年代なのでやや時代を感じさせる。この時期のEMIらしく、やや金属的でキンキンするところがあって、協奏曲の方はヴァイオリンの音色共々ちと気にならないでもなかったが、後者の2曲は耳にあまりに馴染みがない作品だけあって、それほど抵抗はなかった。
さい、ヴァイオリンのウルフ・ヘルシャーは70年代にデビューしたドイツ系のヴァイオリニストらしい。私も名前だけはかろうじて記憶にあるが、そのプレイを聴くのはもちろん初めてである(ちなみにウィリー・マッテスという指揮者は全く知らない)。肝心の演奏だが、端からそういうつもりで聴くせいもあるだろうが、どうも一昔前の演奏という感が強い。今のヴァイオリニストはコルンゴルトが作り出した甘くセンチメンタルなメロディーを、実にあっけらかんとなんの衒いもなく歌ってしまっているが、ヘルシャーはそのあたり、フレージングの節々に突っかかるところがあるというか、楷書体の立派な演奏ではあるものの、どうもこの曲の甘美さを解放することを躊躇しているように感じる。70年代といえば、この曲はほとんど「究極のアナクロニズム」だったに違いなく、あまりに甘ったる弾きすぎて、イージー・リスニングみたいな通俗に堕することをおそれたのかもしれない。 これが正しいとすれば、やはりこの曲、70年代にはまだ熟成が足りなかったということなのだろう。
「音楽には時代など関係ない....」という人がよくいるが、やはり時代には密接に関係があると思う。その時代の雰囲気、ムードによって、同じ音楽でも聴こえ方が全く違ってくるし、演奏する方のさじ加減もそういうところを期せずして反映してしまうものだと思う。そういう風に時代にもまれて音楽というものは、古典化、ヴィンテージ化していくのだ。
ちなみにこの演奏が収録された2枚組は、コルンゴルトの純音楽畑のいろいろな作品がスナップ写真のようにあれこれ入っていて楽しい。本来、協奏曲とカップリングされていた組曲「空騒ぎ」と「主題と変奏」はディスク2に入っている。前者はシャハムのところで紹介したものの管弦楽版で、あちらには入っていなかった序曲も含めた全5曲、神童コルンゴルトの面目躍如たる絢爛たるオーケストラ作品だが、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」みたいな軽みをおびたファンタスティックさがなんとも楽しい。また晩年の「主題と変奏」はブラームスの「ヘンデル変奏曲」をぐっとリラックスさせたような作品で、子守歌のような主題を元に、性格変奏の持つ技巧的な楽しさにプロムナード・コンサート的な平易さを合わせたような作品で、ハイライトでは高らかに元のテーマが戻ってくるあたりは変奏曲のお約束とはいえ、とても楽しめる仕上がりだ。
あと、録音はさすがに70年代なのでやや時代を感じさせる。この時期のEMIらしく、やや金属的でキンキンするところがあって、協奏曲の方はヴァイオリンの音色共々ちと気にならないでもなかったが、後者の2曲は耳にあまりに馴染みがない作品だけあって、それほど抵抗はなかった。