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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

第1648回 N響定期公演

2009年08月04日 23時32分36秒 | ブラームス
 BSで録りためあったN響の定期演奏会から、この5月20日にサントリーホールでの1648回の模様を観た。ブログラムはオール・ブラームスでネルソン・ゲルナーをフィーチャーしたピアノ協奏曲第2番と交響曲第2番という構成である。指揮は日本の尾高忠明である。寡聞にして私はピアノのネルソン・ゲルナーはもちろん、指揮の尾高についてもほとんど何も知らないのだが、どちらかといえば、演奏家の解釈云々というよりは、たまにはブラームスの曲の演奏を「観てみる」のも悪くない....みたいな感じで視聴した感じである。私は近年、すっかりクラシックの生演奏とは疎遠になっているし、そもそもブラームスの生など私はほとんど観たことがないかもしれないのだ。

 さて、そのブラームスの曲の演奏を「観てみて」感じたことといえば、自分にとっては当たり前のことかもしれないけれど、「やっぱ、ブラームスの曲って素晴らしい、なんやかやといっても、ブラームスって自分にとって、一番好きな作曲家だよなぁ」ってこと。ピアノ協奏曲第2番と交響曲第2番はどちらも作曲したプラームスの中期というか、彼が公私ともにもっとも安定していた時期の作品だから、曲はどちらもそこはかとない哀感を漂わせつつも、けっこう田園的な幸福感が溢れていたりするのだが、実をいうと私はブラームスの作品でも、そうした理由が故に、どうもこの時期の作品は食い足りないような気がしたりもしているのだ。ところが、こういう映像付きという、いつもと違った形で聴くと、意外にも曲の良さを実感できたりした訳だ。

 ブラームスの曲はオーケストラ的にみれぱ、当時のモードからしてもいささか古臭い保守的なものだったのだろう。ただし、その各パートをやりくり上手して、落ち着いた色調の中にも多彩な色彩を散りばめたりして、実は非常に巧緻なオーケストレーションだったりする訳だけど、映像付きだけととてもよくわかる。とにかく裏に回ったパートがいろいろ思わぬ動きをしているのが改めて分かったりするのだ。「ははん、ここで第2ヴァイオリンはこういう風に動いてたのねー」「あらら、ヴィオラけっこう活躍してるじゃん」「金管ってこんなオブリガートしてたっけ」ってな感じである。で、そうしたいろいろな発見をしつつも、やはりブラームスの音楽って、実に自分の身体にピタっとくる代物であることを再発見したもするのである。

 マーラーも好きだし、新ウィーンもいい、「トリスタン」も最高、でも、自分にとって、やっぱ一番「好き」な作曲家はやっぱブラームスなんだろうな....などと、なんとなく納得してしまった演奏会であった。ちなみに尾高の指揮は質実剛健だが、けっこう熱っぽいところもあり(N響してはかなり轟音だったと思う、ついでにゲルナーのピアノも輪をかけて轟音だった-笑)、なかなか好演だったと思います。
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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番/ファウスト、ジュランナ、ムニエ、ハン

2009年03月30日 23時27分20秒 | ブラームス
 NHKのBSのクラシック系に「ハイビジョン・クラシック倶楽部」という番組がある。平日の朝6時とか午後1時とか、主に室内楽をメインに据えて、けっこう渋めのアーティストの演奏会をオンエアしているのだが、さすがにそれら全部は録画する気はないものの、たまに興味ある曲がプログラムにかかるとと、録画することにしている。先日、その中から「清水直子と仲間たち/アウラータ・クインテット」を観てみた。曲目はブラームスのピアノ四重奏曲第1番から第1楽章, 第2楽章, 第4楽章である。私は清水直子とかアウラータ・クインテットなど初めて聞く人だが調べてみたところ、ベルリン・フィルその他のえり抜きのメンツによるエリート集団だそうで、けっこうな大物だったのだが、もちろん今回のお目当ては演奏者ではなく、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番である。

 ブラームスのピアノ四重奏曲は全部で3曲あるが、弦楽六重奏曲だとかピアノ五重奏曲、ピアノ、クラリネットといった作品に比べると、編成が地味すぎるのか、大のブラームス党である私ではあるがこれらについてはほとんど馴染みがない。ただしこの第1番だけは、シェーンベルクの管弦楽編曲版に馴染んでいたせいで例外だ。その時の演奏はデビュー直後のサイモン・ラトルがバーミンガムを振ったものだったが、シェーンベルクの編曲があまりといえばあまりなくらいにブラームス的世界を再現していたせいだろう、私はまるでブラームスの交響曲がひとつ増えたようにすら感じ、けっこう愛聴したたものだった。そうなれば、その原曲の演奏というのも聴きたくなるのが人情だが、あまり記憶がはっきりしないのだが、当時のカタログにはピアノ四重奏曲第1番は多分なかったんじゃないだろうか、私は原曲の演奏を聴くことなくこれまで過ごしてきたのだった。なので、第3楽章が抜けているとはいえ、この曲を映像付きで鑑賞できるのはありがたいと、録画しておいたという訳である。

 演奏だが、室内楽の演奏会など20年くらい前にアルバン・ベルク弦楽四重奏団以来だから、もう初めて観るようなものである。演奏家のアップで観ると、さすがに室内楽は指揮者がいないせいだろう、各演奏家が非常に緊張していて、一音一音が真剣勝負なのがビビッドに伝わってきて、ロックだとかジャズにはない張りつめたようなムードがなんともい言えずにいい。曲の方はあれほど聴き込んだ割に、あまりにブラームス的な第1楽章はともかく、他の楽章はほとんど覚えていなかったが、こうした小さい編成で聴いても聴いても実に素晴らしい曲である。壮麗な第1楽章の第二主題とかなんど聴いても感動する。第2楽章のメインの主題で弦のトレモロが次々にリレーションしていく、目の詰んだこまやかさなども絵付きでみると実によくわかる。まだ、第4楽章のジプシー風なムードの中、激情的に盛り上がっていくが、管弦楽版ではほとんどブラームス的な世界を越えたスケールでそれが展開されていたが、原曲ではあくまでもスリムでシャープな面持ちで突き進んでいく様も悪くない....というか素晴らしい。テーマが三現するあたりのクインテット一丸になったホットさなど実にエキサイティングだ。

 そんな訳で、この曲についても勢いついでということで、今度はしばらく前に購入したブリリアントのブラームス室内楽全集の封を切って、同曲をファウスト、ジュランナ、ムニエ、ハンのクインテットで演奏したものを聴いている(写真はこちらのもの)。私はこの団体の詳細について、さっぱりわからないのだけれど、今聴いたばかりのアウラータ・クインテットのモダンで推進力豊かな演奏に比べると、ずいぶんおっとりしたソフトな趣だ。おそらく若手の演奏だと思われるが、ブラームス的なベタベタしたところ、重厚感にはあまり拘らず、やけにスースー演奏している感じだが、録音は完備したものだし、角のとれたやわらかめの音調が、いかにも上品な室内楽といった風情があって、ブラームスをシューベルト寄りに解釈したというところか。個人的にはアウラータ・クインテットの方が好みのような気もするが、まぁ、これはこれで悪くない。
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ヴァイオリンとピアノのための作品集/リサ・バティアシヴィリ

2009年03月25日 23時09分02秒 | ブラームス
 ショスタコの協奏曲でその豪快かつ完璧な演奏に瞠目させられたグルジアの女流ヴァイオリニスト、リサ・バティアシヴィリ(このアルバムの表記はリサでなくエリザベス)。注文してあった3枚のCDはとっくに届いているのだが、とりあえず一番古い「ヴァイオリンとピアノのための作品集」を聴いてみた。フィチャーされているのは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番、バッハの無伴奏パルティータ第1番、シューベルトの「ピアノとヴァイオリンの為の「華麗なロンド」 」の3曲。バッハとシューベルトの曲はまったく馴染みはないので、まずはブラームスのヴァイオリン・ソナタの第1番を聴いてみる(とはいってもトップに収録されているのだが)。この曲は20代の頃にけっこう聴き込んだ記憶がある。確かクリスチャン・フェラスの演奏した廉価盤で、当時、「あ~あ、単調な曲だなぁ」とか思いながら、けっこう辛抱強く聴いていたのが懐かしい。

 もうクリスチャン・フェラスの演奏の記憶などほとんど記憶に残っていないので、フェラスの演奏に比べて、バティアシヴィリはどうだとか全然書けないのだが、「雨の日の歌」というニックネームが付く、そこはかとないメランコリーと瞑想的気分が全編を覆ったこの渋い曲を、実に伸びやかに弾いている。ブラームス的なしっとりしたロマンティシズムや控えめな歌心といったところにも不足はなく、特に第1楽章の「孤独だが自由だ」的な独特の満ち足りた気分にふと悲しげな気分がよぎる、もうブラームスらしいとしかいいようがないあの感覚を、なんだか久々に聴いて堪能してしまった(聴きながら、プラームスのヴァイオリン・ソナタの3曲中では、これが一番好きだったことも思い出した)。やや太めでがっしりした音色、ちまちました細部の描写にこだわらずおおらかさに弾ききっているところなど、多分、彼女の個性なのだろう。よく覚えていないが、フェラスの演奏の方がよほど甘く歌謡的な演奏だったように思う。

 2曲目のバッハは無伴奏ということもあり、N響とのショスタコ演奏のカデンツァの部分をいやおうなく思い出させたりするが、もちろんこっちが元でショスタコはカデンツァはバッハへのオマージュである。バッハの無伴奏のヴァイオリン曲ってのは、実は初めて聴くのだが、もっと壮絶な緊張感があるような曲だと思っていたが、作られた時代が時代だけに、特に語法的な難解さがある訳でもないし、バロック期の音楽特有の静謐感のようなものは妙に心地よかったりした。シューベルトのは「華麗なロンド」とタイトルされている通り、かなり構えの大きな15分近い大作。序奏だけで3分半もあり、本編もベートーベン風な覇気と、シューベルトらしいメロディアスさがあれこれ交錯しているのが、おもしろい作品だが、バティアシヴィリも実に快調に弾いている(ように思う)。
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ブラームス 交響曲第2番(ピアノ連弾版) 他/マティーズ&ケーン

2008年11月02日 14時34分52秒 | ブラームス
 約一年ぶり、マティーズ&ケーンによるブラームスのピアノ連弾版作品集の一枚。このアルバムには交響曲第2番と第3番が収録されている。とりあえず今2番の方を聴いているところである。昨年の調度今頃に封を切った同シリーズの交響曲第1番の方は、さすがにあの威容を誇る大曲をピアノにトランスクリプション(しかも2台4手じゃなくて1台で連弾)すること自体の限界を感じさせたりもしたけれど、この2曲はもともと曲の性格としてブラームスの交響曲の中では叙情の方が勝っている....というか、いや違うな、もっぱらそっちに焦点を当てた演奏をしたとしても、とりあえず破綻しない楽曲とでもいったいいか。とにかく素直に楽しめる。

 第2番は冒頭からごくごく普通のピアノ曲として楽しめる。そもそも2番はオーケストレーション自体が一筆書きみたいなあっさりとしたところがあるせいだろう、ピアノ連弾でも、聴いていて特に不足感のようなものはあまり感じることなく(全く感じないといった嘘になるが)、調度同じ頃、つまりブラームス中期のピアノ作品「2つのラプソディー」とか「8つの小品」あたりに横溢する「満ち足りているんだけど、ちょいすきま風が吹いている....」みたいな、ブラームス的風情をもったピアノ曲で聴けるといったところだろうか。正直いうとブラームスの2番については、もうオーケストラ版はいささか耳タコみたいなところがあるので、こういうシンプルな、まるで独白のような風情(その割にしつこいけど-笑)の演奏の方がよほど新鮮に聴こえたりする。第二楽章のちょっとシューマンみたいな暗い叙情についても、その性格故になんの違和感もない。

 第三楽章もおもしろい。交響曲第2番というどちらかといえばなだらかの起伏に全編が染まった曲の中で、この第三楽章はリズムのおもしろさ、ちょっと突き抜けたような明るさという点で異彩を放っている楽章だけれど、主部とトリオの対比だとか、ポリリズム風な処理だとか、調度「ヘンデル・ヴァリエーション」みたいな起伏でもって処理しているようで、オーケストラで演奏するような色彩感は当然ないけれど、十分に楽しんで聴ける。最終楽章は重厚なオケが猪突猛進で駆け抜けていくような曲だから、全曲中では一番聴き劣りしてしまうが、マティーズとケーンはかなり熱っぽいテンションで演奏して、量感がない分シャープさでカバーといった感じだ。という訳で、なかなか楽しめる演奏だ、これはWalkman行き決定!。
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ブラームス 交響曲第1番(ピアノ連弾版) 他/マティーズ&ケーン

2007年11月23日 18時38分08秒 | ブラームス
 前回に続いて、こちらもマティーズとケーンによるブラームスの4手のためのピアノ作品全集の一枚である(第6巻)。しかも今度は交響曲第1番、あの分厚いオーケストレーションを4手とはいえ、ピアノ1台で一体どう表現しうるのだろう?....といったあたりが、当然興味のポイントとなるのだが、実際聴いてみると、さすがに肝心の両端楽章がかなり苦しい(笑)。ブラームスの交響曲第1番といえば、おそらくブラームス作品史上、一番オーケストレーションをあれやこねくり回した作品だろうから、発想段階ではきっとそうであったに違いないピアノ曲的なニュアンスはきっと跡形もなくなっているのだろう。それ故に「オリジナルに比べて、音の響きは確かに薄いけれど、独立したピアノ曲としてけっこう楽しめる」みたいなところがあまりなく、どちらかといえば不足感ばかりを感じてしまう....といったところになるのだろうと思う(前回のピアノ協奏曲にもそういうところはあったけれど、主要な要素のひとつであるピアノがほとんどそのままというのが救いになっていた)。

 まぁ、そういう感じなので、聴き所としては当然第2,3楽章ということになるだろう。特に第2楽章は、普通のピアノ作品としてもかなり楽しめるのではないか。この楽章の特徴である田園的な大らかさの中で、ふと滲ませる寂寥感のようなものは、こちらの演奏からも十分に伝わるし、隙間の多いピアノの響きが逆に効果的だったりもすると思う。それに比べると第3楽章は元のオーケストレーションが華やかせいか、それをおっかけるだけで精一杯なところもあるのだが、トリオの部分でみせる直線的表情などはけっこうきかせるものがある。
 ちなみに、フィルアップに収録された「勝利の歌」は原曲を聴いたことがないのだが、大学祝典序曲的なある意味機会音楽的作品なのだろう。かなり派手な祝典的雰囲気があり、それに併せてかピアニスティックな響きも充満している。そういえば、ブラームスの未知の曲を、最初にこうした骨格だけで聴くというのは、ある意味得難い機会かもしれない。もっとも「勝利の歌」ってうちに、普通の演奏はあるんだろうか?。
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ブラームス ピアノ協奏曲第1番(ピアノ連弾版)他/マティーズ&ケーン

2007年11月10日 22時47分05秒 | ブラームス
 マティーズとケーンによるブラームスの4手のためのピアノ作品全集の一枚。このシリーズで前回聴いたのは、セレナードの1番と2番をカップリングしたもので、あれは原曲がピアノ・デュオによるものじゃないかと思うくらいに、4手というスタイルにハマっていた仕上りで、私などここ数ヶ月ウォークマンのライブラリーに入れて、日々の移動中のBGMなどととして愛聴しているところなのだが、このアルバムに収録されたのはピアノ協奏曲第1番と大学祝典序曲となっている。セレナードは2台のピアノ版だったような気がするのだが、こちらはピアノ1台を連弾しているスタイルで、かつあの疾風怒濤な大曲に挑戦しているというのだから興味深い。

 まず前者だが、4手をソリストとオーケストラという協奏曲の図式で割り振った編曲ではなく、4手をフルにつかってあの大曲をなんとか再現しているというようだ。したがって協奏曲的というより、この曲が元々もっていた交響曲的、あるいは大規模なピアノ・ソナタみたいな趣が全面に出てる感じがした。ブラームスの場合、オーケストラ曲といっても、かなりピアノ的というかそもそもピアノ曲として構想されている場合も多いので、この曲でも予想されたような量感の不足だとか箱庭的なちんまりとしてしまっているようなところはあまりなく、けっこう楽しめる。前述の物言いとは矛盾するようだが、第3楽章などなかなかスリリングである。後者は元々セレナードなどと共通する田園的、祝典的な趣の強い曲なので、こちらは全く違和感のない演奏になっている。この曲は元々少しばかりとりとめがないところが散見する曲だから、こうしたクリアですっきりとした見通しの良い演奏にしてくれると、この曲のブラームス的な幸福感のようなものをかえって、忠実に伝えてくれているのかもしれない....などとも感じたくらいだ。

 それにしても、このマティーズとケーンによる4手のためのピアノ作品全集(ナクソス・レーベル)は現在まで何枚くらい出ているのだろうか?。ここ数年、気が付くとぽつりぽつりと購入しているのだが、ナクソスの場合、カタログが膨大すぎ既発のアルバムというのが把握しづらいし、よぼどきちんとチェックしないと新譜でも出たのも知らずそのまま売り切れなんてことがよくあるから、シリーズが膨大であればあるほど集めにくいみたいなところがないでもない。最近はあまりないようだけれど、完結したきちんボックスに収めて出してもらえないだろうか。なにしろ、4手のためのピアノ作品全集なんて、他のレーベルでやることはまずないだろうから、将来にわたって資料的にも非常に貴重なものとなるのは間違いない思うのだが....。
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ブラームス セレナード第1,2番 他/マッケラス&スコッティッシュCO

2007年09月09日 15時46分39秒 | ブラームス
 ブラームスのセレナードという作品は、往年の大指揮者にとっては、内容的に大ブラームスの作品にしては「軽すぎて身のない作品」だと思われたのだろうか、交響曲や序曲、変奏曲などに比べ、ほとんど取り上げられることがなかった。ただし、アバドとかケルテスといった戦後世代あたりの指揮者あたりになると、この作品のもつ淡いロマン性だとか、BGM的な流麗さのようなものに独特の価値を見いだしたに違いなく、マーラーのように急激な勢いはないけれど、ここ四半世紀くらいブラームス作品の中ではじわじわと人気が上がり、それなりに様々な指揮者にも取り上げるようになっていると思う。

 このマッケラスとスコッティッシュ室内管による2曲のセレナードを収録したアルバムもそうした一枚である。同コンビによるブラームス交響曲全集とほぼ同時期に収録されているから、アーティストも発売元も、いわば全集の補遺のような位置づけだしのかもしれない(交響曲と同等とはいかないとしても、ブラームスの看過できない管弦楽作品としてとらえていることがよくわかろうものである)。演奏だが、ほぼ交響曲全集と同様のコンセプトで演奏されているといってもいいと思う。弦がやや薄目にバランスした分、他の楽器の動きがいつもより明瞭に聴こえてくる結果、やけにフットワークの軽いギビキビとした印象を受ける演奏だが、かといってケルテスやアバドのようにシャープなリズムで押しきったようなものでなく、イギリス的な中庸さと、新古典派的なドライなところが、妙に入り交じっているところがマッケラスらしいところなのだろう。

 ともあれ、この2曲、先日、4手のピアノ版を聴いて以来、オーケストラ版もあれこれ聴いている最中だが、昨日、出張で市原に赴いた時に、車中ではもっぱらこの曲を流していたのだけれど(ちなみに演奏アバドとベルリンのもの)、まだまだ暑いとはいえ、そろそろ秋めいてきた田舎の風景とこの音楽は本当に合い、「なんていい曲なんだろう....」と思いながら、車を運転していて、そうだ、マッケラスとスコッティッシュ室内管の演奏とか購入してあったよな....などと思い出したので、さっき聴いてみたところである。
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ブラームス セレナード第1,2番/マティーズ&ケーン

2007年08月24日 23時12分26秒 | ブラームス
何度も書いている通り、私は大のブラームス党である。彼が作った音楽はそれほど親しみやすいものばかりでもないので、折に触れて少しづつ慣れ親しんでいる感じなのだが、ここ数年は中々新しい作品を開拓できずいたところ、昨年はピアノ協奏曲第1番とセレナード2曲という収穫があった。前者は昨年の前半、後者は同じく後半によく聴いたものだが、こうして新たなレパートリーが増えるのは楽しいことではある(この歳になると、もうあんまり増えていかないが、ちと寂しいんだけど....)。セレナードはブラームスの管弦楽作品としては、いわば習作期の作品だけれど、その田園的な情緒のようなものと、ある種の幸福感のようなものが、その後のブラームスにはない、ある種のみずみずしさを感じさせるのが良かったし、ちと弛緩気味ではあるが、イージーリスニング的な軽さのようなものも親しみやすかったのだと思う。

 このアルバムはこのセレナードを四手のピアノで演奏したもので、ナクソス得意の落ち穂拾い的なマイナーな選曲なのだが、一聴してこれがなんともいい。そもそもブラームスの音楽はどれもピアノによって発想された音楽が多いせいか、管弦楽作品でもピアノに置き換えて違和感のないものが多いよう気がするが、この作品も作曲者自身の編曲だけあって、一聴するとなんだかこちらがオリジナルのように感じてしまう程にセレナードが描いた田園的で牧歌的、懐かしいといいたような世界を四手のピアノで表現している。ブラームスのピアノ曲といえば、個人的には「ヘンデル・ヴァリエーション」に留めをさすという感じだけれど、このセレナードはかの曲の牧歌的でところに極めて近く、聴いていると深いリラクゼーションというか、やすらぎのようなものを感じさせてくれるのだ、そこがいい、第1番の第4楽章のメランコリックに展開していく部分など筆舌に尽くしがたい美しさがある。こういう曲を聴いていると、なんだか、もう秋ももうすぐそこという気がしてくる.....いや、外はまだ灼熱なのだが(笑)。
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ブラームス 交響曲全集/トスカニーニ&NBC SO

2007年06月07日 20時25分02秒 | ブラームス
 51年から52年にかけてトスカニーニがNBC交響楽団と収録したブラームス交響曲全集。例によって序曲などのオーケストラ・ピースは一切省いて、交響曲4曲をCD2枚に収めている今はやり?のコンパクトなスタイルである。2枚組ということで、昨夜と今晩4曲をざっと聴いてみたところだけれ、良くも悪しくも「トスカニーニのブラームス」という他はない個性的な演奏だ。あらゆる意味で、去年聴いたヨッフムとベルリン・フィルによる全集と対極にある演奏ともいえる(まぁ、高カロリーな演奏という意味では似ていなくもないが)、とにかくテンポが早く、ストレートな推進力に富んだぐいぐいと進んでいくブラームスで、もったいぶったようなところや、曖昧なところがないのはトスカニーニの面目躍如たるところだと思う。

 ブラームスの音楽はその堅牢さ構築性という意味で、ドイツの保守本流のような作風だし、随所に見え隠れする逡巡するようなロマンティシズムもまたドイツ・ロマン派そのものといってもいいようなものだから、聴く前の予想としては、トスカニーニ流の「猪突猛進するような灼熱のザッハリッヒ・スタイル」にブラームスは合わないような気もしていたのだが、実際聴いてみると想像以上に説得力がある演奏だった。確かにブラームス的な重厚さ、あるいは抑圧したロマンティシズムというか、ある種のワビサビのようなものは希薄なのだけれど、その分、とにかく旋律を壮麗に歌っているのは、例えば2,3番といった歌謡的センスが強い曲ではな大きな魅力だし、音楽の淀みない流れのようなものから、ドイツ流のブラームスというローカル色や、第4番につきまとう文学性のようなものを洗い流し、インターナショナルなブラームスとして、ある種の高みを感じさせる音楽になっているのは、まぁ、好き嫌いはともかくとして、ひとつの解釈としては高くは評価できるのではないだろうか。

 ちなみにこの全集、収録が50年代初めの頃だから、音質は当然モノラルだけれど、リマスターが効を呈しているのか、聴こえてくる音は腰もあるし、輪郭もくっきりしていて、音的にはそれほど不満はない。そういえばヨッフムの全集でも、モノラルとはいえその音質の良さに驚いたものだけれど、これらはマスターの音が元々良かったという事情もあるだろうが、やはり最近のリスマター技術によるモノラル音源の音質向上なんだろうと思う。私は聴いていなが、オリジナルのアナログなり、旧CDの音を知っている人にとって、ひょっとすると、この盤で聴ける音はほとんど「別物」といってもいいくらい、違っているのではないだろうか?。
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ブラームス 交響曲第4番/クレンペラー&フィルハーモニアO

2007年04月04日 00時11分55秒 | ブラームス
 聴く前の予想としては、クレンペラーとブラームスでは、この4番あたりが一番相性が悪いのでは?などと思っていたのですが、これもまた看過できない良さのある演奏でした。ブラームスの第4番といえば、この作曲家の晩年の入り口に位置する作品で、晩年らしい独特な寂寥感と激しい情熱のようなものが交錯するところが特徴な訳で、そのあたりを例えばワーグナーのような振幅で描く演奏も多い訳ですが、この演奏ではそうしたブラームスの伝記的な面にはあまりとらわれず、ストレートに交響曲の世界を楽しませてくれるといったところでしょうか。作品に内在するであろう情感なり、文学性なりは、演奏から期せずして浮かび上がってくれば、それでよし....みたいなそっけなさが、逆に「今までの演奏って、むしろデフォルメだったんではない?」と思わせるくらいに説得力あります。いや、クレンペラーのブラームスは本当にどれも良いですねぃ。

 そんな訳で、第1楽章冒頭で聴ける例の「すすり泣き」は、ここでは単に「ラプソディックで美しい旋律」に聴こえ、展開部のドラマチックさも地に足がついた重厚さがあって、むやみに泣き叫んだりしません。第2楽章の木枯らしの中をとぼとぼ歩いているような雰囲気で演奏されることが多いですが、ここではそうした絵画的な要素を拒否するように早めのテンポでまるでベートーベンのように演奏していて、それ故、中間部の美しさが映えるといったところですかね。
 第3楽章はやや意味不明な賑々しさを感じさせる曲でもありますが、ここでのクレンペラーは遅めのテンポで、重厚かつ格調高く演奏しています。ポイントとなるトライアングルが逆にブラームス晩年の寂寥感を感じさせたりするのが妙ですし、トリオがこのくらいトリオらしく聴こえる演奏もないのでは?。パッサカリアである第4楽章ではいよいよクレンペラーらしさが横溢。ブラームス晩年の情念といったキーワードで語られがちなこの楽章ですが、ここではパッサカリアという一種の変奏曲を克明かつ冷徹に描写しているという感じですかね。まぁ、ここまで克明にやられると、いささか情念が欲しいという気もしていると、さすがに終盤ではかなりドラマチックに盛り上がります。さてはそこまで待っていたのか(笑)、うむ、なかなか芸達者ではないか>クレンペラー。 
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ブラームス 交響曲第3番/クレンペラー&フィルハーモニアO

2007年03月25日 23時47分20秒 | ブラームス
 例によって堅牢で緻密なブラームスです。フォルハーモアとは思えないくらいどっしりとしたバスを底辺にして、上にのっかる各声部が異様にくっきりと聴こえてくるという相変わらずの音楽づくりともいえますが、1番、2番、そして今回の3番と聴いてきて、こういうクレンペラーの特質はブラームスととても相性がよいよう感じます。ブラームスの音楽は表向きベートーベン流な骨太で男性的な音楽を指向する一方で、時にベタベタとしたロマン派的な情緒を隠しようもなく滲ませたりもする訳ですけど、そういった複雑系なところをクレンペラーはけっこう自然に表現していると思います。まぁ、基本的にはドイツ流の表現なんでしょうが、クレンペラーらしく各声部をくっきりと描きわけたら、ブラームス的な情緒、詩情のようなものが期せずして顔だしたというかなんといか....。

 第1楽章はやや遅めのテンポで雄渾に仕上げていますが、両翼配置でヴァイオリンの動きがよく分かるのに加え、裏で鳴る木管だの金管だのかなり明確に聴こえせいか、この楽章のもつ推進力といった面よりは、くすんだオーケストレーションの拡がりだとか、やや優柔不断を感じさせる情緒のようなものが併せて感じられるのがいいですね。続く第2楽章はいく分早めのテンポで、さっさと進んでいくという感じですが、ここでも各旋律の綾のようなものがなんともいえぬ詩情と緊張感をかもし出しています。しかし、フィルハーモニアの木管、なんともいえなく良いですねぃ。
 有名な第3楽章も早めテンポで、すっきりとクリアに例の旋律を歌い上げています。あんまり「憂愁のブラームス」といった雰囲気はありませんが、ある意味抽象的な旋律美のみで勝負しているという感じで、これはこれで見識というものでしょう。最終楽章は第1楽章と同様、遅めのテンポで雄渾に仕上げています。かなりの緊張感を伴った演奏でもありますが、決して我を忘れて暴れないとこがクレンペラーらしさでしょう。という訳で全編を通して非常に充実した演奏です。とても気に入りました。
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ブラームス 交響曲第2番/クレンペラー&フィルハーモニアO

2007年03月17日 13時17分47秒 | ブラームス
 こちらは全集から第2番。クレンペラーらしいといっていいんでしょうが、この曲につきものの感傷的な美しさや女性的な情緒面を割と後方においやったよう「純交響曲な演奏」という感じで、いわば「辛口のブラームス」。ホルンや木管をフィーチャーして冒頭に続いて登場するいくつかの「懐かしくてちょっとセンチな旋律」をあんまりしみじみと歌わずに、ぶっきらぼうに演奏しているあたり、「おや?」とか思います。一方、展開部のやや精力感が増した場面では、この部分がまさに展開部であることを感じさせる闘争的な面や推進力といった男性的な面を表に出た演奏となっているのですが、とにかく堅牢に構築された建造物みたいなびくとも動かない重量感と安定感が印象的です。

 第2楽章はこの楽章に特徴ともなっている「憂愁の美しさ」みたいなところがあまりなく、後半などオーバーにいうと第1番の第一楽章を聴いているような、厳しく悲劇的なムードが全面に出しているのがユニークです。第3楽章もこの曲の田園風なのどかさは、音画的ところはそれほどではなく、ベートーベン流儀のスケルツォみたい解釈で押し切った演奏という感じで(本編とトリオが逆にになったスケルツォという感じですが)、その意味では、無類の格調高さを誇った演奏となってします。最終楽章も同様で、この楽章の「田舎のお祭り」的な素朴なハッピーさはあまり考慮せず、交響曲のフィナーレとして相応しい盛り上がり、ドラマを作ろうとしている演奏という印象を受けます。他の演奏ではあまり感じないのですが、この演奏だと後半部など、もう「これでもか」というくらいにしつこい(笑)、典型的なドイツの交響曲のフィナーレという感じがしますから不思議です。このあたりクレンペラーという人の個性なんでしょうね。

 あと、いつも似たようなこと書いてますが、表向き音楽が盛り上がっても、この人自身はそれほど熱狂的でもホットでもなく、常に冷静さを失わないみたいな風情が演奏から漂うように感じられるあたりも、やはりクレンペラーらしさと考えるべきなんでしょうか。
 ちなみに収録は56年で、時期的にはぎりぎりでステレオ録音に間に合ったという感じですが、EMIらしい解像度のおかげでブラームスのような音楽であるば、十分に良好な音質と感じられます。それにしてもこの時期のEMI録音でこれだけバスが太く感じられるとなると、スタジオでは本当に重量感あるサウンドが鳴っていたんんだろうなぁ。
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ブラームス 交響曲第1番/クレンペラー&フィルハーモニアO

2007年03月11日 13時21分34秒 | ブラームス
 2年近く前に「ブラームスだらけ」などというエントリーを書いたことからも分かるとおり、自宅には未聴のブラームスが沢山あって、あの時書いた何種類かの全集は現在でもほとんど放置状態の上、更に数種類の全集を買い込んだりしています。去年は珍しくブラームスをやたら聴きたくなった一年だったので、ちょいと買い込み過ぎました。ついでに書けば、去年の秋頃は季節的にもこちらの気分的にも、とっかえひっかえ聴くのにはおあつらえの時期だったのですが、長期出張があったせいで、状況的にセレナードくらいしか聴けなかったのが残念でした。このところ興味はもっぱらマーラーの方にいってしまったので、ブラームスはしばらくお預けといった感じですが、ちょいと気が向いたのでクレンペラーのブラームス交響曲全集の中から第1番の入っているディスクを聴いてみました。

 第1楽章は一聴して重厚で雄渾なブラームスという印象です。出だしのテンポはけっこう遅めなのですが、心臓の鼓動と形容される冒頭のティンパニのリズムがヤケに立っているというか、きっちりとリズムを隈取っている印象があるせいか、音楽が鈍重にならず、むしろ安定感のようなものを感じさせます。主部も悠々迫らぬテンポで演奏していて、この楽章の悲劇的なドラマ性だとか闘争的なダイナミズム、全面に押し出したロマン派風な演奏とは一線を画したものという印象です。第2楽章はややドライに突き放したようなところはありますが、この楽章が本来持っているであろう北ドイツ的な質実な美しさをよく再現した演奏といえます。

 一方、第3楽章は早めのテンポで、ラプソディックな情感を匂わせつつ、さらりと演奏しています。ついでにこの立体的に構築されたオーケストレーションをクールに演奏するフィルハーモニアのオケのうまさにも感心させられます。最終楽章は序奏部分はあまり粘らずけっこう本編まで足早に進み、ハイライトたる本編にごくごく自然に移行していく印象です、本編の方も「勝利の凱旋」的な祭り騒ぎにせず、第1楽章同様、悠々迫らぬ中、格調高く仕上げているところが聴き所でしょう。

 という訳で、このクレンペラーの演奏、かつて聴いたR.シュトラウスからして、もう少しエキセントリックなところもあるのか?とも予想しましたが、絵に描いたように質実剛健、男性的な佇まいの立派なブラームスでした(ただし、オーソドックスな感じがあまりしないのは何故だろう???)。収録は57,8年ということで、ぎりぎりステレオ録音に間に合ったという感じですからレンジなどそれなりですが、EMIらしい精緻なディテール感はなかなかですし、なによりこの録音では弦を両翼配置したパターンをとっていて、ブラームスらしい響きを満喫させてくれるのがポイント高いです。
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ブラームス 変奏曲集/ペーター・レーゼル

2007年02月25日 16時54分25秒 | ブラームス
 ブラームスは変奏曲の大家として有名で、ビアノを中心にして沢山の変奏曲を残しているのは有名な話ですが、「ヘンデル」と「パガニーニ」、そして管弦楽の方でハイドンと三つが飛び抜けて有名で、後はほとんど知られていないというのが現状だと思います。かくいう私もそうで、ブラームス愛好家を名乗りながら、前述の三つ以外はほとんど知りませんでした。ブラームスのピアノ曲は自宅にそこそこの数のCDもありますから、変奏曲もそのほとんどはいつでも聴けるにも関わらず「知らない」というのは、我ながら怠慢以外の何者でもありませんが、本日ひょんなきっかけで「自作主題による変奏曲 ニ長調 op.21-1」を聴いたところ、意外にも楽しめたので取り上げることにしました。

 さて、この作品、番号21の1ですから(ちなみに2は「ハンガリーの歌の主題による変奏曲」となります)、私の大好きな「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」にけっこう近く、曲の雰囲気もかなり共通するような部分が散見するのが注目されます。タイトル通りテーマは自作で、彼の作る歌曲によく出てくるような、厳かだがそこはかとない温もりがあるものです。そこからいくつかの変奏が続きますが、最初は原曲に寄り添うように変奏が始まり、徐々に幻想曲風、練習曲風な変奏が続き、次第にピアニスティックでダイナミックに展開となる訳ですが、このあたりの技巧とロマンの妙な混在ぶりがとても「ヘンデル」に近くて楽しめます。ただ、まぁ、この曲の場合、「ヘンデル」ほど入り組んでおらず、後半登場する劇的な変奏に向かって、比較的一直線に進んでいくような感じがあり、それが終わってしまうと、あとはエピローグみたいな感じになってしまうので、できることなら、もう一山欲しかったなぁと思わないでもないですが....。

 ちなみに聴いたディスクは廉価盤として分売された、ペーター・レーゼルの全集の第3巻です。私はこのピアニストをほとんど知らず、またディスクもこれだけしか持っていませんが、いかにもブラームスといった感じの、ドイツ的な重量感と生真面目なロマン派的情緒をよく表現していて、これといった特徴はありませんが、良い意味で保守的なピアニストだと思いました。一緒に収められた「ヘンデル」と「パガニーニ」は、ほんの少し早めのテンポで、この難曲をいかにもブラームスを聴いているという充実感とともに楽しませてくれます。私はブラームスのピアノ曲全集をゲルバルト・オピッツが演奏したものを持っていますが、このアルバムの内容からするとレーゼルの全集もかなり期待できそうですね。おっと廃盤か。
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ブラームス 悲劇的序曲/ジュリーニ&PO

2006年11月29日 23時12分19秒 | ブラームス
 この3月に取り上げたアラウとジュリーニが組んだピアノ協奏曲第一番の余白に収録されていたもの。先の長期出張の際はiPodにこれが入っていたせいで、ピアノ協奏曲のついでといってはなんですが、かなりの回数聴いたように思います。演奏はピアノ協奏曲とほぼ同様で、遅めのテンポで旋律を美しく歌い、流麗さが全面に出しています。やや腰の重い印象はありますが、その分ゆったりとした拡がりがあり、ジュリーニらしい伸びやかな美しさが特徴の演奏といえましょう。

 したがって聴きどころとなっているのは、第一主題というよりは甘美な第二主題ということになるんでしょうか。裏で流れる副旋律のバランスが絶妙で、その美しさは、さでさしずめ「カラヤンばり」といいたくなるような、しなやかな壮麗さがあって、しばし聴き惚れてしまいます。ただ、まぁ、その分、精力的な第一主題の推進力、真ん中の展開部にあたる部分のじわじわと盛り上がりながら主題を回帰させるドラマチックさなどは、今ひとつ訴求力というか、決め手に欠ける気がしないでもないです。まぁ、このあたりはジュリーニという指揮者の個性と考えるべきなんでしょうが。
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