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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

井沢元彦/逆説の日本史4

2007年03月10日 02時42分47秒 | Books
 井沢元彦の「言霊」「怨霊」「穢れ」といったキーワードでもって、過去から現代に至る日本を解読していく作業はとてもおもろしく興味深い。彼のこうした主張を知ったのは数年前のことで、単発や本や対談集はあれこれと読んでいたが、去年あたりからその本流たる「逆説の日本史」を読み始め、先ほど第4巻を読み終えたところだ。主に通勤途中は夜ベットで読んだりしているだが、週刊誌に連載されたものをまとめただけあって、あまり学術的でなく、肩のこらない文章で、くどいほど平易に日本史を解読しているがいい。

 例えば、現代に生きる我々が「そんなこと云って、縁起でもない」などと何気なく使っている言葉というか考え方に、言霊という日本独自の文化が流れていることを、実に説得力ある事例や比喩を使って説明しているのだが、これが無類におもしろいし、膝を打つような推論なのである。穢れというキーワードもおもしろい、どうして自分以外の人が愛用が使った箸とか茶碗は洗っても、使う気がしないのか、私はこれが昔から不思議で仕方なかったりだが、物理的な汚れではなく「穢れ」というキーワードで説明すべき問題なのだと、彼の著作で知った時はやけに感心したものだった。

 この第4巻では、国が軍隊を持たない平安時代を解析している、おもしろいのはそれを井沢元彦が盛んに現代との共通点を上げるところで、これもまた見事に納得させられる。確かに「平和、平和」とお題目のようにとなえている、ある種の政治家は言霊の呪縛にとりつかれていると思ったし、現代の清潔志向の強い人達の深層には、安寧な時代に生きる人たちの余裕から、再び穢れを忌避する精神が強まった結果なのではないかと喝破するあたりは、納得しまくってしまった。
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高木彬光/人形はなぜ殺される

2007年02月14日 23時51分41秒 | Books
 「呪縛の家」に続き、通勤途中で読もうとバックの中に放り込んでおいてものの、なんやかやで中々読み進めることができなかったのですが、先ほど出張帰りの電車の中でようやっと読了しました。「人形は何故殺される」といえば、神津恭助シリーズの中でも筆頭にあげる人もいるくらいの名作で、今回、読んでみても高木作品でも最大級のトリックと、それに密接に連動した「人形は何故殺される」というタイトルの魅力、奇術というおあつらえ向きに舞台装置などなど、魅力的な趣向にはことかかない傑作には違いないと思うのですが、どうもストーリーに引き込まれないんですよね。記憶によれば、高校時代にこれを初めて読んだ時も同様でしたから、どうも私にとってこの作品は鬼門のようです。魅力を認めるのはやぶさかではないけれど、少なくとも「刺青」や「能面」のように、すくなとも数時間で読み切ってしまうような魅力はないよといったとこでしょうか。

 何故なのだろうといろいろ考えてみるに、まず名探偵神津恭助が序盤から事件に関わっているのも関わらず、結末近くまで一向に犯人の見当がつかず(関係者は何人が真相に気が付くのに....です)、混迷したムードしまま後半まで事件が続いていくストーリーが、どうも釈然としないというのはあるかもしれません。それから、奇術や魔術といった要素が全面に出て、登場人物もそれなりに戯画化する必要があったのか、怨恨や情念だといった要素が気迫で、なにやら切迫感に欠けた感じがしてしまったというのも大きかったんでしょう。いずれにしても、今一歩ストーリーに没入できない憾みがあったということです。
 ちなみにこの作品は昭和32年作ということで、語り口も初期のようなおどろおどろしいものから、大分柔軟で洗練されたものになってきていますし、舞台そのものが戦後の動乱期とは大分違った世相になっていて、初期の作品に比べるとだいぶ年月の流れを感じさせます。また、ストーリーに経済犯罪が見え隠れするのも、その後高木作品の変遷を考えると興味深い点といえるかもしれませんね。
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G.エメリック/ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実

2007年01月13日 19時23分03秒 | Books
 ようやくアマゾンから届きました。「リボルバー」からラスト・アルバム「アビィ・ロード」まで、プロデューサーのジョージ・マーティンの片腕として、ビートルズのレコーディング・エンジニアとして有名なジェフ・エメリックによるビートルズ録音現場の回想録です。ソフトカバーではあるものの、優に5cmはあろうかというボリュームで、先ほどエルヴィス・コステロの序文と、前振りみたいな「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」のところだけ読んでしまいましたが、時間があれば一気に読んでしまいそうなくらい、おもしろいです。アビイロード・スタジオでビートルズ側はコンソールの向こう側にいる人間にどんな無体な要求を出していたのか、いろいろなエピソードが読めそうです。
 なにしろ、私はビートルズに関して、むやみに神格化とたり聖人化したりする読み物にはどうも納得できないクチなので、「ビートルズに対する悪意が感じられる」との評もあるこの本のスタンスは割と抵抗ありません。とりあえず、まだ読み始めたばかりですが、マーク・ウィソーンによる「ピートルズ・レコーディング・セッション」と並ぶ、第一次資料になりそうな本であります。
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高木彬光/呪縛の家

2006年12月22日 23時44分51秒 | Books
高木彬光の長編第三作。ネット上の中古書店で購入したのですが、文庫本だと思っていたら、大昔の春陽社の新書が届きました。中学の時も確かこの本だけは同社の新書に読んだはずで、表紙は違っていてご覧の通りかなり扇情的なので、電車の中で広げるのは少々勇気がいりました(笑)。内容は没落した新興宗教の一族を巡る連続殺人で、メインになるのは、再び風呂場での密室による刺殺という舞台立てで、探偵役はもちろん神津恭介ですが、今回は中盤あたりまでは犯人に出し抜かれ、やや苦戦しているのが特徴でしょうか。密室トリックそのものは、かなり危ない橋渡り的なもので、この時代の人気モードといえばそのとおりなのかもしれませんが、とにかく読者を出し抜いてやろうという、トリック至上主義的なところがが、お遊びというか、マニアック過ぎて今の感覚すると苦しいところがなきにしもあらず。文章は第三作目ということで、いくらか生硬さは抜けていますが、いかんせん大時代的で通俗的な文章なので、読むのに少々つかれました。
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高木彬光/能面殺人事件

2006年12月20日 20時42分47秒 | Books
 私はミドルティーンから20代前半くらいまでは、、雑誌幻影城なども愛読するけっこうませた探偵小説マニアでしたが、そのきっかけとなったのは高木彬光の「刺青」とこの「能面殺人事件」でした。どちらもいかにも本格探偵小説らしい密室殺人をメインにした筋書きのものですが、前者は刺青+胴なし死体という扇情的な舞台設定に加え、混沌としていっこうに埒の明かない事件を、後半登場して一気に解決に導く神津恭助さっそうとした活躍ぶりに、後者は常軌を逸した登場人物が集う「館物」として独特の雰囲気+マニアックな探偵小説趣味を匂わず記述が随所に表すあたりに興奮したものでした。

 さて、久しぶりに「能面殺人事件」に読んでみた訳ですが、「刺青」の時に感じた登場人物の平板なやりとりがいささか興ざめなところはありますが、全編に漂うロマンティックな雰囲気が「刺青」とは全く違って、独特なムードを醸し出している点はよかったですね。ただ、この時期の高木作品は通俗的かつ大仰で直球な形容詞が多くて、高校時代に幻影城に掲載された戦前の探偵小説を読んだ時も、やはりそういう思いにとらわれもんですが、今読むと古色蒼然とした感じがするのは、やはり半世紀以上という時の流れのせいなんでしょうね。
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高木彬光いろいろ

2006年12月16日 09時15分53秒 | Books
 近くの某中古ショップやネット通販でいろいろ買い込んできました(どれも105円コーナー)。「能面殺人事件」、「呪縛の家」、「わが一高時代の犯罪」、「人形はなぜ殺される」、「魔弾の射手」、「成吉思汗の秘密」、「死神の座」、「人蟻」....どれも中学生の頃に読んだもので、探偵小説といえば、高木彬光と名探偵神津恭助で洗礼を受けた私としては、懐かしいものばかりですが、内容的には「能面」「人形はなぜ殺される」「成吉思汗」以外は全く内容を忘れているので、「刺青」を読んだついてに懐かしさ八割で、年末は高木作品を読みあさってみたいと思います。とりあえず(今、読んでいるのは「白雪姫」なんですけど)、中学2年の時に読んで、それこそ探偵小説マニアになるきっかけともなるくらいに衝撃を受けた「能面殺人事件」から....。
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高木彬光/刺青殺人事件(初稿版)

2006年12月15日 09時51分25秒 | Books
 初稿版です。今さっき読み終えたところですが、印象としてはいまひとつ、個人的な印象としては改稿版の方が圧倒的に良いです。もう少しプロットというか骨格のみをぐいぐい押していくようなスリムな気迫のようなものを期待していたのですが、デビュー作なせいか文章がとにかく生硬だし、人物のキャラの描き訳が上手に表現できてないせいか、口調がみなぬっぺりと平板で、時にだれがしゃべっているかよくわからないところもでてきたりするくらいで、読んでいてちと辛かったです。

 なるほど作者が改稿するのもよくわかるという感じでしょうか。ちなみに改稿された部分というのは、昨日、戦後動乱期の風俗小説として読むと楽しいみたいに書いた部分がだいたいそれで、こういう味付けも探偵小説の場合、舞台装置として重要だということがよくわかりました。あとどっちの版でも、メイントリックはともかく、途中まで読むと犯人ってだいたいわかってしまいますよね。初めて読んだ時はどうだったんだろうか、まぁ、コイツ怪しいなと思っても、じゃぁ、どうやって仕組んだのといわれると、ハタと困り果てる....というあたりが、この探偵小説のおもしろさなのかもしれませんが....。
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高木彬光/刺青殺人事件

2006年12月14日 09時21分05秒 | Books
 先日、入手した高木彬光の「刺青殺人事件」の初稿版をそろそろ読もうかなと思っていたところ、某中古ショップで現行版をみつけたので購入してきました。昭和23年に発表されて当時の探偵小説界に衝撃を与えた、密室殺人をメインにした本格探偵小説です(当時はこういう密室殺人みたいなものを扱う探偵小説は日本にあまりなかった)。これもおそらく四読、五読目くらいでしょうが、ずいぶんながいこと読んでいなかったせいか、トリックそのものはさすがに覚えてますが、犯人の名前とかはすっかり忘れていて、けっこう新鮮に読めてます。

 おもしろかったのは、胴体のない死体が発見される、密室状態の殺害現場となった風呂場とか最初読んだ頃の頭で描いた視覚的イメージだと、ずいぶん古色蒼然とした場所だと記憶していたんですが、今読むとけっこう近代的な風呂場だったことがわかったりして、ミドルティーンの頃にすり込まれた記憶とのズレみたいなものを楽しんでます。あと、これは解説にもありますが、特に前半は戦争直後の動乱期を捉えた風俗小説として読むとけっこうおもしろいですね。おそらくこのあたりが改稿の際に補強されたところなんでしょうね。初稿を読むのが楽しみです。
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岡田暁生/西洋音楽史

2006年12月07日 21時09分51秒 | Books
 西洋音楽の歴史を新書のヴォリームで概観してしまおうという大胆な試み。基本コンセプトとしては、その時代に活躍したエポック・メイキングな作曲家を取り上げて、点描的に歴史を俯瞰するのではなく、各時代の作曲家の背景にあったもの、あるいは同時代の作風もキャラクターも違う作曲家に共通の時代の匂いのようなものを読み取っていくという感じになると思う。

 私にはこの作者のような知識も文才もないが、当ブログではある意味そういう切り口で音楽レビュウしてきたところもあるので(ないか-笑)、こうした切り口で音楽を眺めていくのは、非常に共感できたというか、「待ってましたぁ」という感じであった。なにしろこういう本はこれまでありそうでなかったのである(指揮者についてはこの手の文章を柴田南雄がかいていたような気がするが)。

 ただ、まぁ、いかんせん新書の中でもそう厚くない分量にグレゴリオ聖歌からミュージック・セリエルあたりまで収めているため、肝心のロマン派以降はやや駆け足になった感もなくはない。ロマン派の名状しがたい感情のようなものと時代的な文化の相関関係や19世紀末から20世紀初頭にかけての状況など、などもう少し筆ほついやしてもよかったとも思う。
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最近買った探偵小説

2006年11月27日 23時11分05秒 | Books
 先般の長期出張中、カーの「三つの棺」と「ユダの窓」をもう何度目かわからない再読したことは前にも書きましたけど、私には何年に一度くらい再読したくなるカーその他の探偵小説というが何冊もあるんですね。中学~高校の頃はひとがとの探偵小説マニアだったので、当時、読んだ数百冊の探偵小説のうちも、なにがしかの作品がそういう風に生き残っているのだと思いますが、クリスティとかはほとんどもう再読する気にならないものの、ヴァン・ダインとかカー、バークリーあたりは何度も再読したくなるののは、きっとトリッキーな設定とか衒学趣味、さしてあざといまでの謎解き指向みたいところが私の好みなんでしょう。

 昔は創元社とかハヤカワの文庫はどこの書店にも沢山おいてあって、カーなと気軽に買えたもんですが、最近は身近な書店ではこの手の作品ではすっかりみかけなくなってしまいました。先の2冊は自宅に残っていましたが、他の大半作品は既に散逸してしまって自宅にないため、「今時、カーなんぞ絶版なんだろうなぁ、あの時人にあげてしまって残念だったなぁ」ぼんやりとと考えるでも考えていた訳ですが、先日、某ネットショップを検索したところ、絶版にはなっておらず、沢山生き残ってました。喜び勇んで、バークリーの「毒入りチョコレート事件」「試行錯誤」、カー「赤後家」「緑カプセル」「アラビアンナイト」などを注文しましたが(ついでに高木彬光の「初稿:刺青殺人事件」も購入、これも待望の本です)、もうとっくに自宅に届いているのですが、この年末年始にでも、じっくりと読もうと、今から虎視眈々と待ちかまえているところであります。
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プレイバック1980年代

2006年11月26日 19時55分08秒 | Books
 「朝まで生テレビ」の常連として、冷静な風貌に似合わぬ舌鋒の鋭さで、時に反対側の陣営を完膚無きまで叩きのめす(笑)、政治学者村田晃嗣の本です。内容としては、1980年代の政治経済の出来事を中心に、当時のカルチャーなども絡めて、軽いタッチで振り返ってるという体のもので、気楽に読めるものでした。もっとも、あのTV番組のイメージの通り、内容も気軽な読み物を目指していながらも、どこなく生真面目なトーンになってしまうのは、きっとこの人のキャラクターなんでしょうね。

 僕は1959年生まれなので、この本のテーマとなった10年間は自分の20代ほぼ一致する訳ですが、あぁ、レーガン大統領ってオレが20代前半の時になったんだな、そういえばオーウェルにひっかけてなにかおこるかもなどと漠然と考えていた1984年ってあっという間に終わったなとか、83年にデビューしたアートオブノイズかけながら、つくば博にいってなんとなく未来っぽい気分になったよなぁ....(爆笑)とか遠い目をしたり、えぇ、リクルート事件って90年代じゃなかったのと自分の記憶の曖昧さを愕然としたり、通勤や出張先への移動中にしばし楽しませてもらいました。
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この2ヶ月の間に読んだ本

2006年11月14日 23時53分15秒 | Books
 出張中の2ヶ月間、ネット環境は劣悪、音楽ソースはiPodだけという生活を強いられたため、宿泊施設で暇な時間はもっぱら本を読んでいた。

 9月頃はこのブログでもちらっと取り上げた、秋庭俊の「帝都東京・隠された地下網の秘密」とその続編、さらにその後に発表された「新説東京地下要塞」と、東京地下要塞物ばかり読んでいた。東京には戦前から軍事用の地下道が沢山あって、実は戦後作られた地下鉄はそれを転用したものではないか?。というのが正編の要旨だが、続編ではその地下網のルートを江戸時代に作られた上水道あたりにまでさかのぼり、希有壮大なスケールで地下要塞説をぶちあげているあたりはなかなか痛快だった。
 ついでにそのあたりと平行して読んでいたのが、「あの戦争になぜ負けたのか/文藝春秋編集部」、「官邸主導―小泉純一郎の革命/清水真人」、「昭和史1926-1945/半藤一利」、「言霊2/井沢元彦」といったノンフィクション物、このあたりは研修先の近くに靖国神社があったのが微妙に影響を与えているのもしれない(笑)。まぁ、その一方で、松本清張の「昭和史」も読んでいたりするのだが....。

 探偵小説関係では、ディクスン・カーの「三つの棺」とカーター・ディクスン名義の「ユダの窓」をもう何度目かわからないくらいになるが再読した。派手な設定と混乱した謎を一気に解決する探偵ぶりはなんども読んでもおもしろい。30年以上前に購入したハヤカワ・ノベルスも今やボロボロである。
 あと、探偵小説といえば、9月に出た京極夏彦の久々の探偵物「邪魅の雫」は、京極ファンにとっては待望の作品だったが、勇んで購入して読み始めたものの、4割方読んだところで中断、いかん今回の事件は何も起こらなすぎるというか、あまりに謎が淡々としているため、先に読み進めていくモチベーションが続かなかったというところだ。

まだまだあるが、記憶に残っているのはこんなところか。とりあえず今夜はこの辺で....。
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帝都東京・隠された地下網の秘密

2006年09月07日 17時19分26秒 | Books
 先日、ポール死亡説なんかを取り上げたことから分かるかもしれないが、私はこの手の妄想すれすれの「実はこうだったんだよ」的な話というのか、早い話トンデモ話が大好きだ。子供の頃にはフォン・デニケンなんてところは良く読んだものものだし、ちょっと前だとグラハム・ハンコック、あっ、TV番組「第三の選択」に端を発するシリーズなんても好きだった。それがでっちあげや妄想であっても、それらしく騙してくれれば、個人的にはエンターテイメントとして楽しめるといったところなんだろうと思う。しばらく前に出た本ではあるが、ここでテーマとなった時間的、空間的、人的なスケールの巨大さや、地下施設を隠蔽する政府といういかにも陰謀くさい構図といい、近年のトンデモ本では久々の収穫という感じがする。

「戦後の地下技術の革新は凄まじく、よほどのことがないかぎりトンネルの中に壁を立てる必要などないという、必要はないにもかかわらず、地下鉄のトンネルには延々と壁が並んでいる」
「戦前からある地下鉄は銀座線だけとされている。他の路線はしかれなかったという。大手町から日本橋へ、地下鉄東西線は戦後になって建設された。だが、この区間に並んでいる茶褐色の壁は、私には銀座線より新しいようには見えなかった」

 私は上記の前書きの部分で、このところ見慣れた東京の地下の風景がぐにゃりと溶けるような興奮を覚えた。前記の引用で既にわかるとおり、内容的には東京には戦前に戦争用に作られた地下鉄を始めとする地下施設が沢山あって、処分に困った政府が地下鉄や地下駐車場という形でリサイクルしているのではないか....というものだ。その手かがりとして、地図にある解釈に困るようなサインや現行の地下鉄の不可思議な形状などからを中心に推理をしていくのだが、ちょいと妄想が過ぎるんじゃないのと思うようなところは散見するが、東京の地下駐車場のシームレスさ広さや地下鉄の感じる妙に奇妙な違和感をこれまでなんとなくもやもや感じていた人なら、一気に読ませる魅力はあると思う。
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ジョン・レノンを聴け!/中山康樹

2006年07月21日 20時05分21秒 | Books
 ジョン・レノンというと近年は偉人伝に名を連ねるほどに正しく「偉人」になってしまったが、私のような古いファンの立場からいうと、あれはどうも居心地悪い。特に「反戦運動を通じて平和を訴えた」みたいなところを異常に持ち上げるアホなマスコミが多いせいか、どうもそうした「イマジン的レノン」ばかりが肥大化して、まるで現代の聖人君子のようにイメージになりつつあるのは、もはや居心地悪いを通り越して怒りすら感じ時もある。だって、ジョンってのはヨーコとベッドインして、ドングリかなんか配って平和運動気分を満喫している時、自分の持ち会社であるアップルが倒産しそうだなんて連絡はいると、平和運動なんざケロっと忘れてイギリスへとんぼ帰りできてしまったり、ビートルズはくだらねぇといっておきならがら、同じ場所でストーンズと比較されると俄然ビートルが革命分子だったなどという人ですからね。平和運動なんざ、ちょいとした気分でやっていたにすぎないことは、古いファンならみんな知っているし、気分をコロコロかえる人だということも知っている。

 さて、この本はそういう意味で、レノンの魅力はすばり声だと言い切っている点で溜飲が下がる一冊だ。つまらん平和運動などは切り捨て、いわゆる定説とされている曲の由来等もばっさばっさ切っていく。キーワードは「レノンはあの声でシャウトしたかったからすごかったのだ」である。まさに正解、音楽の場合、その背景にある事実関係とか心情みたいなものは確実に忘れされる運命にあるし、アーティストとして音楽でもって伝えたかったことも実は問題でなかったりするのだ。肝心なのは「ジョンが天国も戦争もない世界を想像してごらん」と歌ったから偉いのではなく、あの声で歌ったからその歌詞がそれなりに説得力をもったということだ。世の中ジョンが平和運動をしたから偉いと勘違いしているやつが多すぎるのだ。
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21世紀最大の発見ユダの福音書

2006年06月20日 02時48分28秒 | Books
 今月の文藝春秋でおもしろかったのがこの記事。サブタイが「事実はダ・ヴィンチ・コードより奇なり」である。まず執筆しているのが、元外務省のラスプーチンで鈴木宗男との関係を取り沙汰され、現在謹慎中?の佐藤優というのがおもしろい。彼は大変な博学だというのは、悪役として頻繁にニュースに露出していた頃から有名だったけれど、最近、保守系の雑誌にあれこれ書いている内容はその守備範囲の広さといい、情報量の多い文章といい、いかにも博学な印象だ。

 この文章は、大昔からその存在が取り沙汰されていた「ユダの福音書」がこの度発見され、その内容の予想される影響力の大きさからいって、21世紀最大の発見と呼ぶべきものだ....という趣旨である。で、「ユダの福音書」の何が衝撃的なのかといえば、古来から定番である「ユダは裏切り者」という図式がこの書によって崩れるということらしく、そこから派生したらしいキリスト教の戦闘的拝他主義みたいなものが、今後数十年に渡って変質させていく可能性すらあるというらしい。

 ともあれ、「ユダが裏切り者なら他の使徒達だって裏切りものだった」とか、「ユダの福音書」を辛抱するユダ教団みたいなものがあったとか文章は俄然おもしろさがましていくのだが、その後はけっこうあっさりと「それもこれも神の思し召し」みたいなところでまとめてしまっているのはちと残念で、もっと詳しく読ませろ....という感じだった。
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