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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

鈴木宗男、佐藤優/反省-私たちはなぜ失敗したのか?-

2007年12月14日 23時46分30秒 | Books
 先の訪台の時に読了したもの。外務省のラスプーチンこと佐藤優と疑惑の総合商社といわれた鈴木宗男の対談集である。テーマは文字通り2002年以降世間を大騒ぎさせた外務省疑惑事件である。この事件については、先月読んだ「国家の罠」で佐藤優がその経緯ややりとりについて詳細に描いていて、かなりおもしろかったが、本書はその補遺のようなスタンスになるのだろうか、いや、補遺というにはあまりに豪華である。なにしろ今度は本尊鈴木宗男が登場するのだ。このふたりでこの事件について、順に回想しつつ、時にあの時こうすればよかったと反省するのだが(だからタイトルが「反省」となっている)、さすがにマスコミと世間に悪のレッテルを貼られ巨悪の象徴のように語られたふたりが揃ったせいか、いつものとりすましたようなところがなく、時にかなり熱く実名入りであけすけな批判が連発する。さしずめ「今度はこっちの反転攻勢をかけてやる」ってな勢いである。その熱っぽさがまたおもしろい。

 それにしても、「国家の罠」もそうだったが、仮にここに語られていることが真実だとすると、我々は数年前なんとマスコミに踊らさせていたことか。ご両人ともあまり人相が優しくなかったせいもあるが(笑)、私自身、当時は陰険そうな佐藤の表情と、繰り返しオンエアされた鈴木が自民党の会議室で怒鳴り声を上げる場面を繰り返し刷り込まれたため、このふたりをすっかり悪党だと思ってしまっていたのだ。おそらく世間でもそうだろうし、未だにそう思っている人の方が多いはずだが、結局のところはこれらの本でご両人に悪のイメージはどうやらマスメディアで作られた虚像らしく、それを背後で操っていたのは外務省本体(+α)だったことが浮き彫りにされる。こうなると俄然巨悪に感じるのは外務省ということなってくるのだが、はたしてどうなのだろう。この本を読むと外務省がひとつに明確な意図をもって策謀を巡らしたように感じるのだけれど、なんとなく、そういう明確なものより、自己保身に走った役人たちの集合無意識みたいなものが(戦前の陸軍とかもそうだったように)、ああいう流れを生んだのではないかとも感じのだが。
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中川右介/松田聖子と中森明菜

2007年12月01日 20時42分27秒 | Books
 しばらく前にレビュウした「カラヤンとフルトヴェングラー」は、戦前戦後を通じて対立する両雄としてクラシック界をを飾ったカラヤンとフルトヴェングラーの対立ぶりを、各人の行動や発言を歴史的に追いかけながら検証しつつ、その時代の様相を浮かび上がらせることに成功した好著だったが、その著者中川右介が同じ幻冬舎新書からだした第2弾がこれである。時代を象徴する2大アーティストの対立を軸に話しを進めていくのは、「カラヤンとフルトヴェングラー」と同様だが、今回の素材はなんと「カラヤンとフルトヴェングラー」から半世紀後、しかも日本が舞台となった「松田聖子と中森明菜」の物語である。中川右介といえばクラシック系のライターという印象をもっていたが、こういうジャンル横断的ところなところは、いかにも「団塊の世代」以降のライターが持つ独特の柔軟さというか節操のなさがあって楽しい(自分にもそういうところが多々あるし-笑)。

 話は松田聖子の前段階として山口百恵から始まる。松田聖子は山口百恵のアンチテーゼとしてスタートしたのだがら、どうしてもそこは触れておかなければならなかったのだろう。そして松田聖子が歌謡界において、どのように這い上がりながらなんとか成功を手にするプロセスが語られ、やがて松本隆とのコラポレーションでアイドル歌謡としてひとつの高みに達し、そのあたりから彼女の対抗馬として中森明菜が登場するといった順序で語られている。残念ながら、実体として松田聖子と中森明菜はほとんど対立していなったようなので、そのあたりの相克を期待して読むと拍子抜けするし、私は松田聖子はともかく中森明菜の音楽はほとんど聴いたことがないので、そのあたりはさらっと読み飛ばしてしまったのだが(笑)、やはりのこの本の白眉は松田聖子と松本隆のコラボレーションがいかにユニークで、ある種革命的だったことを、詩を中心に詳細に分析されているところだろう。歴史的には生乾きのテーマなので、全体としてはルポルタージュ的なところもあるが、十分におもしろい本であった。この著者の次の本が待ち遠しい。
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柳田邦男/壊れる日本人

2007年11月27日 23時56分05秒 | Books
 私は一応ネットで飯を食っている人間で、しかもどちらかというとネットのネガティブな面が飯のタネになっているようなところがあるのだが、昨日だったか、出張にいく途中千葉駅のショップで移動中の暇潰しにでもと思って、この本を購入してみた(そういえばここ2年近くらい駅で何かを購入する時はすっかりモバイルSuicaを使うようになった)。柳田邦男といえば、昔から事故、災害関係では有名だったし、最近では医療関係などのノンフィクション作家として有名だから、このタイトルからして、昨今のケータイやネットについて、その陰となる部分を説得力ある切り口で展開してくれるのではないか?と期待したのである。

 さて内容だが、これがあまりおもしろない。まずネットのネガティブな面についての分析がいかにも紋切り型というか、ステレオタイプなのである。ゲームと暴力、仮想現実、ある種のネット依存など、ストレートに語ってもらっても、いささか手あかのついた切り口という感があるし、そもそも柳田の文面からは、どうも「年輩の人特有なコンピューターとかネットに対する嫌悪感」があまりに露骨に見え隠れしてしまうので、要するに柳田邦男って人はネットが嫌いであり、そもそも、「ネットやパソコンがなかった時代のコミュニケーションこそノーマル」と考えている人ということが分かってしまうので、いささか興ざめしてしまうのである。おまけに最後の結論が、ノーケータイ・デイをつくろう....みたいになってしまうのでは、どうもネットとかパソコンが必要でない人が、必要としている人に対して説教しているような、どもう説得力のなさを感じてしまいがちだった。
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佐藤優/国家の罠

2007年11月22日 18時39分17秒 | Books
 外務省のラスプーチンこと佐藤優は、最近保守系の月刊誌では常連といいたいほど執筆家として活躍しているが、これはそんな彼が一躍名を上げたデビュー作である。なにしろ、鈴木宗男とセットであれほど、世間を騒がせた事件を当事者自ら回想し、また逮捕後の経過について赤裸々に語っているのだから、そもそも素材からしておもしろくない訳がない。 ストーリー的には「真相はこうだ」的な事件の回想部分より、逮捕後、追求する検事とのやりとりが白眉である。国策捜査という運命歯車にのせられた佐藤が、それを認識し、その意味するところを、極めて冷静に読み取ろうとしていくあたりは、おもわず一気に読ませてしまう迫力がある。

 そもそも、佐藤優という人の書く文章は冷徹ともいえる硬質な感触ながら、文章が非常におもしろく、一気に読ませてしまうところもあるのがいい。監獄生活のスケッチ、人物観察などちょっとした寄り道なども、ストーリーの本筋と離れることなく、ぴったりと寄り添って進行させていくあたり、とにかく達者な文という感じであり、読んでいて飽きない。ただ、気になったのは、これはこの後の「自壊する帝国」で、けっこう鼻につくようになるのだが、「あいつがオレのことをこう絶賛した」的くだりがけっこう多く、これは少々たじろぐものがある。本当にそういわれたんだら仕方ないと、いわれればそうなんだろけど、こういうところは書かなくても、ここに書かれた行動を読むだけでも十二分に優秀な人だと分かるから、ちと蛇足のように感じた次第である。
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G.エメリック/ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実

2007年10月08日 23時12分47秒 | Books
 私はここしばらく、ポール関連の作品ばかり聴いているが、「フレミング・パイ」を聴ききながらアルバムのクレジットなどを眺めていたら、ジェフ・エメリックの名前を見つけたことで、ふと思い出して「積ん読中」だったこの本をとりだしてきた。確か1月に購入してきたもので、最初は興味津々に読み始めたんだけど、どうも前半部分はどうも話題がビートルズから離れがだったり、寄り道みたいな部分も多くて、いつのまにか放置してしまったいたのだ(あの時期は他に読みたい本も沢山あったし、ビートルズ関連の音楽そのものに、ちょいと興味が向かなかったこともあったかもしれないが....)。

 そんな訳で、この一週間くらいかけてようやくこの大冊を読み終えた。やはりおもしろくなるのは、冒頭の部分で扱われる「リヴォルバー」の章くらいからだろう。この時期のビートルズは来る日も来る日続く単調なツアーの疲弊もあってか、スタジオ・ワークにのめり込むようになっていくのは有名な話だが、それを当時のエンジニアの生き証言として語られるのだからおもしろい。おまけのそのエンジニアはどちらかといえば、現在のエンジニアと共通するようなブロデューサーの領域に侵犯するようなタイプで(でもないか?)、しかもアイデアマンだったせいで、当時にしてみれば実験的としかいいようがないビートルズの発想を次々に具体化していくプロセスを生々しく語られていくのは確かにおもしろい。

 また、ポール寄りではあるものの、ビートルズの面々のキャラクターを割と冷静に観察し、「サージャント・ペパー」以降、メンバーのキャラの顕在化、頂点を極めた人間の傲慢な振る舞い、ドラッグ漬けのスタジオの乱痴気騒ぎなどなどを通じて、バンドそのものが崩壊していくプロセスを生々しく描いている点も興味深い。このあたりはマーク・ウィソーンによる「ビートルズ・レコーディング・セッション」の記述でも一部伺いしれたものだけれど、ようやくその全容....ってほどではないにして、現場の雰囲気が解明されたというところかもしれない。とにかく4人の奇行集団に翻弄された、当時のアビイロード・スタジオの混乱ぶりがよくわかる。特にジョンはひどく、68年あたりを境にジョンの奇行ぶりがエスカレートしていくのをみていると、ドラッグの災禍というのは確実に音楽面でもジョンを蝕んでいたのだなぁ....とも思ったりもした。
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ディクスン・カー/火刑法廷

2007年09月10日 20時41分52秒 | Books
 昨年の11月にディクスン・カーが創元社から大量に復刻されたのを知り何冊か買い込んだのはその時書いたとおりだが、実はこれらの本は-いつものことながら-ほとんど読んでない。ちょっと前にその中から「アラビアンナイトの殺人」を取り出して来て、バックの中に入れて折りをみては読んでいたのだが、あまり先に進めず、そのまま放り出してしまった。この話、千夜一夜物語をよろしく、三人の登場人物が各々の視点で遭遇した事件について語り、一夜を徹してそれを聞いていたフェル博士が夜も明けてきた頃に、3人の話を基に事件を解決するというストーリーである。

 私の場合、最初に読んだ時は別段たいした話だと思わなかったが、再読以降に、舞台仕立てのおもしろさ、伏線の張り方の巧妙さなどなど、じっくり楽しめたりする場合が多いので、この作品も再読した時に、視点によって語られる事件の様相がまるで異なるという「羅生門」的状況にいたく興奮した覚えがある。ただ、今回はそこに至るまでのファースがかったストーリーがちんたら進むので、今回は興が乗らなかったようだ。こうした初読はたいした印象がなく、再読しておもしろさを知ったといえば、カーの場合、「火刑法廷」も忘れ難い。

 この作品はカーにして珍しくフェル博士などの名探偵が出てこず、自分の奥方が魔女なのではないかという設定やオカルトっぽい雰囲気も濃厚で、その不可解な設定もいつも通りけれん味がある。それが後半登場する探偵の推理で一気に解決するカタストロフィはカーのいつもやり口だが、この作品の場合、この後一段どんでん返しが用意されているのも楽しめるところである。それまでの伏線とは違った伏線が浮かび上がってくる仕掛けになっているのがいいのである....などと書いていたら、むしろこっちを読みたくなってきた(笑)。先日、古本屋で幸運にも見つけてきたところなので、こっちを先に読んでみるか。
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最近読んだ本

2007年07月04日 00時38分30秒 | Books
 出張続きで電車で移動することが多い毎日なので、最近はよく本を読んでいる。いくつか取り上げてみる。

・中野翠(著)/今夜も落語で眠りたい
・桂文我(著)/落語通入門
 落語関連の2冊、前者は志ん生、文楽、志ん朝あたりを中心にした落語のスタンダードの紹介を兼ねたエッセイ風の読み物で、この3人に対する愛情がよく伝わる楽しい本だ。自分は「通」ではないので、この3人しか好きじゃないみたいなスタンスもおもしろいし、落語は夜寝る前に聴くというのも、なんか分かる気がするし、読んでいて楽しい本だった。後者は江戸時代から現代までの落語の歴史を概観した読み物だが、なにしろ落語というライブなメディアが題材だから仕方ないともいえるが、大昔の落語家については記述がちときまじめすぎるかなぁと思った。

・安藤健二(著)/封印作品の謎
 主に特撮系の映画やTVで、存在そのものが封印されてしまったいくつかの作品について、それが封印されるまでプロセスを追ったノンフィクション。ただし、この手の作品はだいたいは似たような経緯で封印されるので、後半にいくほど「またかい」という感じにはなる。まぁ、それだけ「日本特有の事情」というのが浮き彫りにされたともいえるのだが。

・リチャード・ドーキンス(著)/神は妄想である
 これは新書ではなく堂々たるハードカバーの大作である。神が存在しておらず、概念そのがすべからく人間にとって害悪であることを様々な視点から、論証している。イギリス人特有の皮肉っぽい文体に加え、ペダンチックな引用の数々などのせいもあって、日本人の私には書いてあることの半分くらいしか理解できなかったけれど、神が存在していることを証明する有名な定理みたいなものに反駁するくだりなどはおもしろかったかな。あと、これを読むと欧米人にとって神というのは、いかにどでかい存在であり、特にアメリカでは日本人には想像できなくくらい、異様な存在感あることがかよくわかったりした。
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田草川弘/黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて

2007年06月25日 21時33分20秒 | Books
 映画「トラ・トラ・トラ!」を巡る黒沢の降板劇、その後話題となった本編の公開、黒沢自身の自殺未遂などの出来事は、当時、小学生だった私もなんとなく覚えている。これは私の記憶力が良いという訳ではなく、当時、それほどスキャンダラスな話題だったということなのだと思う。なにしろ、当時の黒沢明はまさしく「世界のクロサワ」だった訳で、その黒沢の人生でももっとスキャンダラスな出来事が「トラ・トラ・トラ!」の降板と自殺未遂が短期間に起きた訳だから、やはりマスコミも大きく取り上げたのだと思う。

 さて、この本だが、本年の大宅賞を受賞した田草川弘の力作である。どうやら、この交番劇は従来まで謎に包まれていたらしく、どうして降板したのか、現場はどうなっていたのか、また作品そのもののプリプロダクションはどうなっていたのかなど、ほとんど明らかでなかったようだ。私は熱心な黒沢ファンという訳ではないが、黒沢ヒストリーでは必ず歯切れの悪い調子で出てくる「トラ・トラ・トラ!」を巡る黒沢の降板劇の真相がいったどんなものだったのか、ずっと興味があったことは確かだ。ついでにいえば、詳しい内容はすっかり忘れてしまったものの、確か数年前に文芸春秋で、東映撮影所の暴君ぶりをルポしたような記事が出た時もけっこう興味深く読んだりもしたので、大宅賞受賞のアナウンスを知って以降、ずっと気になっていたのである。

 一読した印象としては、まさに黒沢対ハリウッドだな....というもの。家内手工業的な映画作りで暴君として振る舞っていた黒沢が、ハリウッドという合理主義の極致みたいなシステムと軋轢を起こしつつ、思いこみやスタッフの曖昧な説明などで、プロデューサー兼任みたいなポジションにいると勘違いして、従来の暴君のまま現場で一気に突っ走り、東映という不慣れな環境での撮影、素人俳優の起用など様々な悪条件も作用して、撮影開始後約一ヶ月で降板という辞退に追いくまれていくプロセスが(その様はまさに自滅としかいいようがない)、主としてハリウッド側で発掘した資料を基に入念に描かれている。

 私は前述の文藝春秋の記事を読んでいたせいもあって、撮影以降のトラブルについては、特に衝撃的な事実というがあったという訳ではないし、本文中に出てくる黒沢の病気とかもけっこう曖昧に処理されていていたりするところも散見するので、おおよそ予想とおりというか、やっぱこういう感じだったんだろうな....というところだったが、前半の脚本段階でのハリウッド側との葛藤は、「暴走機関車」の分も含めて、とても興味深く読めた、私がまさに「黒沢対ハリウッドだな」と思ったのはそうした部分である。ともあれ、謎に包まれていたこのスキャンダルこういう形で全貌をまとめたのは素晴らしく、黒沢に興味がない人が読んでどのくらいおもしろいかは分からないが、私は一気に読み終えてしまったというところである。
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山口雅也/奇偶

2007年06月08日 19時58分33秒 | Books
「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」「匣の中の失楽」は一般的に 日本推理小説界の四大奇書といわれている。奇書というのはこの場合、普通の推理小説の概念を大きく超えたメタミステリでかつ、とてつなくユニークな趣向が作品に盛られているというようなものをいうと思うのだが、実は私は四大奇書の大ファンだったので、この作品が、それらに続く『第五の奇書』として売られたことを知った時点で、問答無用で購入したのだった。もっともハードカバーの方はもう5年以上も前の2002年に出ていたらしく、それなりに話題にもなっていたようなのだが、なにしろ推理小説自体それほどアンテナを張っている訳でもないので、こういう作品ですら見落としてしまっていたという訳だ。

 で、この「奇偶」だが、ここでは扱うテーマは偶然である。主人公がそれこそ偶然とも思えない出来過ぎな偶然に次々と遭遇し、やがて片眼を失う。こうした境遇の中、徐々に神経症的で不安を増大させる主人公が、思わぬ殺人事件に遭遇し、やがてその渦中に巻き込まれていくというがおおまかなストーリーとなっている。原発事故や9.11なども絡めなにやら終末論的ムードも濃厚なのも特徴的だが、この小説の奇書たる所以、もやはりそのプロセスで偶然というものについて、様々な登場人物が蘊蓄を傾け、主人公と対峙して禅問答のようなやりとりを展開していくところにあるのだろう、その意味ではこの作品「メタ本格」ではなく、「メタ変格」であり、ニューロティックな雰囲気にしてから、四大奇書の中では「ドグラマグラ」に近いものを感じる。私はこの手の衒学的な禅問答が大好きなクチなので、とても楽しめた作品ではあるのだが、後半の密室殺人の解決やそもそも事件そもそものケリのつけ方はいささか、竜頭蛇尾というか、意外にあっけなく終わらせてしまったなという感もなくはなかった。どうせなら、一応の合理的解決をした後、もう一度ひっくりきかえすような展開だとか、もう少し構想をふくらませてあのレイラのところで一気に終わらせてもよかったように思う。

 そんな訳で、第5奇書と呼ぶのはいささか躊躇を感じないでもない。もっとも「匣の中の失楽」を最初に読んだ時も、夢中になって読んだことは読んだが、まさか「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」と並び称される作品として評価が定着するには、やや軽いかな....などと思ったものだから、この作品もこの後どう評価されのか、現時点てばよくわからないのだけれど。
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小松左京/日本沈没 第二部

2007年06月02日 21時16分20秒 | Books
 一昨年の暮れに、「日本沈没」のことを書いた時、最後に「近年の写真をみると往時に比べずいぶんと痩せてしまって、今更30年前にかかれた作品の続編に期待するのも酷ではないかとも思ったりもする。」などと締めくくったのだけれど、こういう形で続編が出たとは正直驚いた。確か昨年の長期出張中に都内の書店の新刊のところに沢山並べてあったのを見て知ったのだが、なんと谷甲州という人との共著になっていて、あとがきなど読んでみると、執筆は体力的に無理なので、ストーリーを共同作業でまとめて、小説そのものは谷甲州が担当したということらしい。おかげで、私は「小松左京以外の人の書いた小松左京の小説」という警戒感のようなものを感じてしまい。結局半年近く、購入することをためらっていたのだが、ようやく購入して、数日前に読み終わったところである。

 なにしろこの作品、ストーリーはともかく実際の執筆は別人が担当していることで、あの小松左京らしいスケール、饒舌さ、あるいは生活感のようなものが、いったいどうなってしまっているんだろうと、実はおそるおそる読み始めたのだが、意外にも実に小松左京らしいタッチの作品になっていて、読んでいて懐かしいやら、安心するやらで、あっという間に読了してしまったという感じだ。
 ストーリーは当然の如く、沈没した日本のその後で、沈没から25年後からスタートする。日本人当然世界に散らばっていて、パプアニューギニアだとかカザフスタンなどに活動する人達をピンポイントかつ平行して、入念に描写していくのは、ある意味前作の同じパターン。ちなみ日本政府もちゃんと存在していて、首相は中田という設定なのが懐かしい(ちなみに渡り老人の孫とか国枝、もちろん小野寺や玲子も登場する)。しかもこれらのドラマの中から、次第に日本復活に向けてのメガフロートという人工島や地球シミュレーターといったプロジェクトが浮かび上がるという趣向になっている。

 ネタバレ承知で書くと、メガフロートという人工島は、地球シミュレーターの予測で、なんと地球は氷河期を迎えることになり頓挫、今度は地球規模の危機となるという展開が後半の中心となっていくのが、ここに例によって政治だの、思想だが絡みいかにも小松左京らしい蘊蓄が傾けられる。
 ただ、全体としては後半がやや駆け足すぎで、薄手になってしまった感もある。大詰め近く首相と外務大臣がサシで向かいあう、日本とは、愛国心とは....みたいな問答は、いかにも小松左京らしくて、なかなか読ませるのだが、今一歩、危機の主体(氷河期)が漠然としていることもあってか、どうも切迫感がなかったのが惜しまれるところかもしれない。谷甲州の文章は小松左京ほど、説教臭くも、感傷的でもないけれど、この作品のスケール感や「日本沈没」の雰囲気はよく生かしているだが、なにしろちと短い、この倍とはいわなくとも、1.5倍くらいの分量があった方が良かったと思う。
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半藤一利 /昭和史〈戦後篇〉

2007年05月20日 23時17分32秒 | Books
 半藤一利といえば、私は20代の頃、映画絡みで「日本の一番長い日」で知り、その後しばらく経って「ノモンハンの夏」や「ソ連が満洲に侵攻した夏 」といった力作を愛読した覚えがあるし、「文藝春秋」での座談会などは常連でもあるので、この「昭和史」という本を知った時は、あの語り口で昭和史を俯瞰してくれたらさぞや読み応えがあるだろうと、ずいぶんと期待したものだけれど、実際に手にとってみると、これが執筆したものではなく、数人の関係者の前で講義のような形で語った内容を、文章として起こしたものであることがわかって少々落胆した。語り下ろしなどといえば聞こえはいいけれど、口述筆記じゃねぇかなどと思った訳だ。

 ところが、これの前巻にあたる「戦前編」を読んでみると、「日本の一番長い日」のような緻密さや豊富な情報量が書き込まれたようなものとは、もちろんタイプが全然違う読み物ではあるのだが、これはこれで非常におもしろく、わかりやすかったのである。なにしろ、私のような世代だと戦前の歴史というのは非常に解りにくく、何がどうやって2.26事件や軍部の暴走はどうして起こったのか、更には第二次大戦に至った経緯などなど、いろいろな本を読んではみるものの、いまひとつ実感として理解できないところがあったから、こういうわかりやすい形、まさによくできた先生の授業を聴いているような感じで読めたのが良かったのである。

 ちなみに、私が前巻を読んだのは、確か去年10月くらいで長期出張のさなかで、電車の中や出張先の宿舎で一気に読んでしまったが、そんな本であるのに、続きを読むのが半年もたってからだったのは、こちらの相対的な戦後の歴史への関心度の薄さがあるのかもしれない。ともあれ、こちらは終戦直後から高度成長期の終焉あたりまでを語っていて、戦後処理に冠して異様に詳細に語っているのが特徴だ。まぁ、今の日本の基礎となっている部分だし、著者の青春時代ということもあったのだろう。終戦直後から数ヶ月間の日本の変化を非常にリアルに語っているあたり読み物だ。また昭和30年代中盤あたりになってくると、自分が生まれた時期になるので、自分とオーバーラップして読めたのもまたおもしろい部分であった。という訳で、ここ数日ぼちぼち読んでいたのだが、本日出張先の電車の中でやはりあっという間に読了してしまった。
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最近読んだ本

2007年05月10日 23時08分28秒 | Books
・落語名人会 、夢の勢揃い/京須偕充
 後に落語専門?のプロデューサーとなる著者が、寄席通いつめて少年時代や、レコーディング・プロデューサーとなってからの落語家との関わり、伝説の名人たちの高座や楽屋での姿などを非常に味わい深い文章でつづった一冊。非常におもしろく、出張の帰りの電車で一気に読んでしまった。私は落語が大好きだが、いにしえの巨人たちのことをCDでしか知らないことが多いため、それを補完する意味でも興味津々だったし、昭和の時代を描写した読み物としても一級品だと思った。特に円生にレコーディングを持ちかけにマンションで赴き、かの大家と対峙する場面は文章は落語的な視点による人物描写が実にすばらしく本書の白眉となっている。
 
・他人を見下す若者たち/速水敏彦
 現代の若者が持つ、他人を軽視しする、すぐにキレる、尊大といった特徴を、現実世界での裏付けのない自尊心という視点で読み解こうとしている本。著者はこれを「仮想的有能感」と名付けている。これがはなはだ根拠薄弱な仮説ということを著者は良く知っていて、まぁ、仮説の前の仮説みたいな感じで書いているのだけれど、その仮説を敷衍するために持ち出される事例はなかなかおもしろく、この仮説を説得力があるものにしている。ただし、ただしここでいう若者は、むしろ現代人と読み替えてもいっこうにおかしくないくらい現代人の特徴をとらえているとも思った。

・人蟻/高木彬光
 名探偵神津恭介を一旦退場させ、弁護士百谷泉一郎を登場させた昭和32年の作品。時は松本清張ショックが探偵小説界に吹き荒れている頃だから、それを意識したストーリー自体は本格探偵小説というより、経済ミステリーという感じで、それまでの神津物とはかなり違った趣になっている。もっとも、同時期の神津恭介がまるで百谷泉一郎みたいに行動する「死神の座」でもこうした変化が鮮明にでているから、とってつけた感じはしない。ストーリー的にはキャノン機関、政界の大物、そして百谷の恋愛とけっこう読み飽きないで最後までもっていく。高木作品というと文章があまりに直球ストレートで今読むとちょっと気恥ずかしいようなものが多かったけど、この時期の作品ともなると小説としてもけっこうこなれてきたことを感じさせる。

実はまだまだ読んでいるのだが、とりあえず今夜はこんなところで....。
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高木彬光/成吉思汗の秘密

2007年04月04日 18時04分49秒 | Books
 私が探偵小説に好きになるきっかけとなったのは、中学一年の時に読んだ松本清張の「点と線」がそのきっかけだけれど、それに前後して、高木彬光の「邪馬台国の秘密」と「刺青殺人事件」と出会い、高木彬光(同時に名探偵神津恭介)のファンとなると同時に、探偵小説そのものに対してマニア的な嗜好が一気に加速した。その後、高木彬光の作品は「能面」などケタはずれにおもしろいと思ったものだが、それに匹敵するくらいに貪るように読んだのが、この「成吉思汗の秘密」である。なにしろ「成吉思汗=源義経」という気宇壮大な着想そのものが魅力的だったし、実際読んでみても、源義経が死んでおらず、ロシアへ渡航して、その後成吉思汗になる可能性を、とても説得力の仮説の積み重ねで展開していくストーリーにも異常に興奮したものだった。思えばこの頃から、トンデモ話的なものが好きだった訳だ。

 さて、この「成吉思汗の秘密」だか、当時非常に説得力ある仮説と思えた神津恭介説だけれど、久しぶり読んでみて思うのは、けっこうピンポイントだよなぁということ。結局、「そういう可能性も否定できない」を、次々に積み重ねていくだけで、それをつなぐものは、結局、音の一致だとか、誰々の行動が納得できない、....みたいなところになってしまうので、どうも説得力としてはイマイチかなぁなどとも思ってしまったのだ。登場人物でいえば、権威側の井村教授のいい分に、逆に説得力が感じでしまったのは、皮肉という他はない。あと、「能面」の頃の高木作品に比べれば、大分文章はこなれてきたけれど、やはり大時代的な芝居がかった臭さのようなもののも気になるところで、こういう仮説はそろそろ誰かが、新しい視点、新しい語り口で、作ってもおもしろいのではないだろうか。
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中川右介/カラヤンとフルトヴェングラー

2007年03月21日 19時48分26秒 | Books
 ここに書かれた一連の事件、エピソードはクラシック・ファンならみんな知っていることなんだろうか?。私はこのブログでは一応クラシック・ファンを気取っているものの、所詮はトーシローなので、ここに書かれた内容はほとんど初めて読むことばかりで、非常に興奮して読めた。フルトヴェングラーとカラヤンが敵対関係にあったのは有名だが、そもそもいかなる経緯でそうなったのか、どうしてベルリン・フィルにカラヤンが終身指揮者として就任できたのか、チェリビダッケはどうしてフルトヴェングラーの後任となれなかったのか、何かと詮索されるご両人とナチとの関係はどのようなものだったのか、この新書では1930年代中盤からの約20年間のフルトヴェングラー、カラヤン、そしてチェリビダッケのストーリーを追いながら、それらを解き明かしていく。

 例えば、フルトヴェングラーが、親子ほど歳の違うカラヤンに敵対心を持つようになったのは、ゲーリングとゲッペルスのナチの内部抗争が一役買っていて、カラヤンを必要以上に大きく見せてしまった結果、元々猜疑心の強いフルトヴェングラーがライバルとして敵意をいだくようになった経緯があるとか、このご両人は終戦直後でナチとの関係を清算することで手一杯で、身動きのとれないご両人に替わって、チェリビダッケがベルリンで台頭していく様がなどは興味津々で読めた。
 また後半のフルトヴェングラーが自らベルリン・フィルの後任としてお墨付きを与えていたチェリビダッケとの信頼関係の崩壊してく経緯や、チェリビダッケがその傲慢さ故にベルリンとの関係までも悪化さた間隙をぬって、機を見て敏なカラヤンがすかさず登場....といったあたりもなかなかスリリングで、全体としては見事な「栄光のドイツの落日に展開された権力闘争のドラマ」となっている。

 冒頭にも書いたとおり、私はこれらのエピソードをほとんど知らなかったし、脇役としてトスカニーニ、ワルター、ザルツブルグ音楽祭、バイロイト、ウォルター・レッグといったお馴染みの人たちも登場して、錯綜した人間関係の絡みの中で展開されるこの権力闘争はなかなかドラマチックで、ページをめくるのももどかしくあっという間に読み切ってしまったというところだ。それにしても、ここで描かれたフルトヴェングラーの嫉妬深く、猜疑心の固まりのような性格はなんとも凄い。これまでは権力欲のとりつかれたカラヤンがベルリン・フィルを強奪したみたいなイメージがあったけれど、フルトヴェングラーのカラヤンに対する迫害ぶりというのも相当なものだったことがよくわかる。単純な善玉、悪玉で割り切れるような確執ではなかったというところだろう。

 ちなみに、この手の新書としてはしばらく前に岩波新書だったか「バイロイト」という本があったけれど、あれをサブ・ストーリーとしてめくりなから、この新書を再読したら更に興味深く読めそうだ。もちろんその時のBGMはウォルター・レッグがプロデュースしたご両人のモノラル録音がいい。さっそく何かひっぱり出してこようか....(笑)。
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井沢元彦/逆説の日本史5

2007年03月12日 12時35分30秒 | Books
 第5巻です。昨夜は宿直だったもんで、その休み時間に一気に読んでしまいました。今回は鎌倉幕府成立から北条氏に政権が引き継がれていくまでをフォーカスしています。律令政治に不満な関東の武士たちに御輿として担がれた源頼朝、源平の対立という単純な図式では解読できない鎌倉幕府スタートのプロセス、源義経の政治音痴ぶりが身の破滅を招くブロセスなどなど、今回はお馴染みのキャラクターが登場するので、人物関係が割と頭に入りやすく(笑)、すいすい読めたというところです。まぁ、このシリーズの歴史解釈については、詳しい方ならいろいろ意見もあるんだろうとは思いますが、真偽のほどはともかくとして、説得力抜群の語り口がおもしろいんですよね。

 本巻の極めつきは御成敗式目の内容から、「道理をとおす(みんなが納得する)」ことが、日本ではなによりも優先するロジックだという、逆説シリーズらしい視点が提供されるあたりですかね。この部分は結局゛「和」と深い関連がある視点ですが、小泉元総理で有名になった大岡越前の三方一両損のエピソードを例え話的に持ち出して、その論旨を展開していくあたりはまさに絶好調です。また、史料主義の学者や左翼的陣営の硬直した姿勢に対する批判も、相変わらずの調子ではありますが、舌鋒鋭くこれもまた痛快でした。うーむ、このペースだと既に購入済みの第6巻もきっと直ぐに読み終わってしまうだろうから、第7巻も買っておかねば....。
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