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Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

明けましておめでとうございます

2006年01月01日 00時32分30秒 | Books
 先日レビュウした「はがきスタジオ 2006」で作った年賀状の裏面は、結局全部8パターンとなりました。その中からあたりさわりのないものをひとつだけご披露します....って、ほとんど素材集そのままなんですが(笑)。という訳で、本年もBlogOutをよろしくお願いします。
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日本沈没

2005年12月21日 00時00分12秒 | Books
  「日本沈没」を再読した。もう何度目だろうか、多分4回目か5回目くらいになると思う。年をとってくるとやたらと回顧的な想いが強くなってくるせいか、年の瀬も近い昨今、先週末の会社帰りに某中古書店で見つけたのを機会に購入してきて、大晦日までゆっくり読もうなどと考えていたのだか、案の定、読み始めたら一気にひきこまれ、あしげく移動時間などみつけては読みまくり、月曜日には一通り読み負えてしまった。今は印象に残ったところをあちこち読み返しているところだ。

 この小説は僕は一番最初に読んだ「おとなの小説」だったと思う。当時、「日本沈没」というのは大ベストセラーで、10歳上の愚兄が読んでいたものを拝借して読んだのだと思う。小説などロクの読んだこともなかった私が、何故これに限って読む気になったのか、今では覚えていないけれど、多分、単なるベストセラーという枠を超えて社会現象的なまでに話題になっていたということに加え、正月に公開される映画版「日本沈没」を観に行くとかいう、そういう理由もあったと思う。つまり読んだのは32年前の年末だったのだ。

 作品は主人公である小野寺が夏の東京、八重洲口で暑さにうだりながらちょっとした地震に遭遇するところから始まる。物語はそこから田所博士というもうひとりの主人公を絡めて日本海溝の探査に始まり、日本が沈没する予兆を掴んだあたりから、市井の人を捉えたミクロの部分と政治やその他の大局的な視点にたったマクロな部分をテンポ良く切り返しながら、前半には関西、東京大地震を、後半には文字通り日本が沈没のプロセスを配し、一大破局に向かってあれよあれよと言う間に進んでいくが。そのリアルさは今読んでも恐ろしいくらいのがある。膨大な情報を縦横に駆使し、絵空事を迫真のドラマにしてしまうのは小松左京のストリーテーラーぶりはやはりさすがだ。

 ちなみに、今回読んでいておもしろかったのは、1970年代とおぼしき政治状況が今と全く変わっていなこと。野党とのやりとり、大企業との関わり、報道対策など、この部分だけ切り取って読んだら、現代にでも通用してしまいそうなほど、当時から政治というのは閉塞的かつ状況追認的なもので、結局の日本の政治というのは、30年前もからなんにも変わっていない、ひょっとすると明治の頃からそうなんじゃないかと妙に感心してしまったりもした。

 ところでこの小説、続編を執筆中といい続けて、もう何年になるだろうか?。当然テーマは「離散した日本民族がどうなってしまうのか?」ということになのだめうが、スケールとしては本編の比ではないだろうし、書けば書くほど状況などに時代的誤差でてしまっていることも考えられる。近年の写真をみると往時に比べずいぶんと痩せてしまって、今更30年前にかかえた続編に期待するのも酷ではないかとも思ったりもする。いずれにしても小松左京氏の健勝を祈りたい。
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駅前のドトールで [2]

2005年04月06日 14時59分59秒 | Books
 春に入ると新入生や新社会人を対象とした研修に出張が多いんですが、例によってその帰り駅前のドトールでコーヒーをすすりながら読んだのが、03月25日書いたものの続き、「ゴジラに見る戦後日本(後編)、怪獣王かく去れり」という記事。

 ゴジラを「敗戦に伴い日本国民が変節したことへの罪悪感と、戦争継続をして大義をつらぬいて滅びることへの恐怖の魅惑の象徴」と捉え、戦後日本を解読していく試みですが、この後編では私が予想したような1984年以降ではなく、前編から素直に「怪獣総進撃」につなげて論じてました。
 
 中身としては、「怪獣総進撃」に登場するキラアク星人を戦前の日本、映画に出てくる日本をアメリカに見立てて、ストーリーを解釈していくあたりは前編に続いてのおもしろさ。あと、復活したゴジラについては作品ごとの物語の乱脈ぶりに筆者がサジ投げているようで、ちょいと拍子抜けしましたが、「ゴジラ対キングギドラ」と「ファイナル・ウォーズ」あたりの分析はイケてました。

 そんな訳で、駅前のドトールで憩いのひとときでした。もう、アイス・コーヒー飲む季節になっちゃったんですね。
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駅前のドトールで

2005年03月25日 23時59分59秒 | Books
 今日、午前中、某テレビ局にちょいとした取材があったんですけど、その帰り駅前のドトールでコーヒーをすすりながら、今月の正論読んでいたら、おもしろい記事がありました。「ゴジラに見る戦後日本、本土決戦の恐怖と魅惑」がそれなんですが、要するにゴジラというのは、「敗戦に伴い国民が変節したことへの罪悪感と、戦争継続をして大義をつらぬいて滅びることへの恐怖の魅惑」を象徴しているのだということを骨子にして、ゴジラ映画その他を論じているようです。

 なかなか難しい文章なので、よく理解できてないところもありましたが、とにかくゴジラを「核の脅威」とか「戦時中の米軍」として捉えるだけでなく、「祖国の変節ぶりに怒る旧軍の化身」とも捉えて、日本が敗戦とどう向き合ってきたかを検証していく視点は新鮮でした。これを書いた佐藤健志という人は、これまでにも「ターミネーター」やら「ハウル」などの映画を俎上に上げて、現代を読み解くという文を次々に書いていて、個人的に注目してます。週末にもう一度じっくり読んでみたいと思います。

PS:ちなみにゴジラだけでなく、「モスラ」や「海底軍艦」といった作品も言及されてます。来月の後編ではおそらく1984年以降のゴジラを扱うんでしょうね。楽しみです。
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