先日、
医療と介護の現場人がケアのホンネを語り合う、という、
とても面白そうなシンポジウムに参加するため、新宿に行ってきました。
進行役は慢性疾患を抱えるフリーライターで、
パネリストは介護福祉専門学校の校長である医師と、同じ専門学校の講師である介護福祉士のお二人でした。
そこでしか聞けないような現場の裏話や苦労話がたくさん飛び出すのだろうとの期待は少々はずれ、
残念ながら大筋が司会の方の理論や個人的な内輪話で占められたように感じましたが・・・
最後の質疑応答では、思わず考えさせられるようなホンネもいくつか聞かれました。
例えば、
慢性疾患を抱え、介護を受けているという会場の方からの、
「自分はいつもヘルパーから子ども扱いされる。そのたびに腹が立ってしょうがない。
この気持ちをどうすればよいのか?」
という質問。
司会からは明快な答えが帰ってこなかったのですが、しばらくやり取りしたあと、質問したご本人自らが、
「今いい方法を思いつきました。
ムカついた時には携帯の着信音を鳴らして、電話に出たところで難しいビジネス用語をまくし立て、
ヘルパーさんの鼻を明かしてやることにします」
と述べられ、こちらも思わずニンマリ。
それから、校長の傍ら、都内と長野県の病院に日替わりで勤務もされているというパネリストの医師の、、
次のような言葉も印象的でした。
「病院の数が多い東京では、患者は自由に病院を選ぶことができますが、田舎ではそうはいきません。
一見、医療資源が豊富な都会の方がいいように思われますが、実はそうとも言えません。
患者が病院を選べるということは、裏を返せば、病院も患者を選べるということなのです。
病院側にとって都合の悪い患者の診療を断っても、どこか他が診てくれるだろうとの心理が働くからです。
逆に、病院過疎地でそんなことを言っていたら、その患者さんは行き場を失って亡くなってしまうかもしれない。
だから、どんな患者も引き受けざるを得ません。」
私も、議会で救急医療問題について取り上げる中で、
医師不足とは単に人数の問題ではなく、『何でも見ることができるお医者さん』の不足なのだと実感しているところです。
この言葉にはとても考えさせられました。
他にも、
適性に欠ける人物がヘルパーの仕事を安易に考え就職し、安易に辞めていく事例が後を絶たず、
そうとわかりながらも労働力不足から雇わざるをえない施設側の実態も語られました。
極端に低くみなされているヘルパーの報酬と地位が、これら問題の要因の一つなのでしょう。
「皆さん自身は、こんな腰かけヘルパーに介護されたいと思いますか?」
との介護福祉士のパネリストの問いかけは、会場に響きました。
また、最後には
9人の認知症のお年寄りを一人のヘルパーで見るという夜間帯のグループホームで、
「もし一人が急病になって病院に連れて行かなければならなくなった場合、残りの8人を誰が見るの?」
という、まさに現場のホンネも飛び出しました。
市原市の医療や介護も、課題は同様です。
現場の声を、市政にきちんと反映させていかなければなりません。
会場を出ると、日が落ちかけていました。
せっかく東京に来たのだから、と、
埼玉に住む妹と上野駅で落ち合い、近くの安いスペイン料理のお店に入りました。
妹はまだ40そこそこなのですが、約半年前に突然脳卒中で倒れ、入院生活を送りました。
その頃私はちょうど選挙の真っ最中で思うように見舞いに行けず、随分案じましたが、
この日の妹は私の二倍は良く食べ、三倍は飲み、タバコも止めて元気いっぱい(^_^;)
後遺症も全く見られず、安心しました。
発見と搬送が早く、出血もわずかであったことが幸いでした。
自分を含めて誰もが皆、いつ何時、医療と介護の世話になるかもわかりません・・・
医療と介護の現場人がケアのホンネを語り合う、という、
とても面白そうなシンポジウムに参加するため、新宿に行ってきました。
進行役は慢性疾患を抱えるフリーライターで、
パネリストは介護福祉専門学校の校長である医師と、同じ専門学校の講師である介護福祉士のお二人でした。
そこでしか聞けないような現場の裏話や苦労話がたくさん飛び出すのだろうとの期待は少々はずれ、
残念ながら大筋が司会の方の理論や個人的な内輪話で占められたように感じましたが・・・
最後の質疑応答では、思わず考えさせられるようなホンネもいくつか聞かれました。
例えば、
慢性疾患を抱え、介護を受けているという会場の方からの、
「自分はいつもヘルパーから子ども扱いされる。そのたびに腹が立ってしょうがない。
この気持ちをどうすればよいのか?」
という質問。
司会からは明快な答えが帰ってこなかったのですが、しばらくやり取りしたあと、質問したご本人自らが、
「今いい方法を思いつきました。
ムカついた時には携帯の着信音を鳴らして、電話に出たところで難しいビジネス用語をまくし立て、
ヘルパーさんの鼻を明かしてやることにします」
と述べられ、こちらも思わずニンマリ。
それから、校長の傍ら、都内と長野県の病院に日替わりで勤務もされているというパネリストの医師の、、
次のような言葉も印象的でした。
「病院の数が多い東京では、患者は自由に病院を選ぶことができますが、田舎ではそうはいきません。
一見、医療資源が豊富な都会の方がいいように思われますが、実はそうとも言えません。
患者が病院を選べるということは、裏を返せば、病院も患者を選べるということなのです。
病院側にとって都合の悪い患者の診療を断っても、どこか他が診てくれるだろうとの心理が働くからです。
逆に、病院過疎地でそんなことを言っていたら、その患者さんは行き場を失って亡くなってしまうかもしれない。
だから、どんな患者も引き受けざるを得ません。」
私も、議会で救急医療問題について取り上げる中で、
医師不足とは単に人数の問題ではなく、『何でも見ることができるお医者さん』の不足なのだと実感しているところです。
この言葉にはとても考えさせられました。
他にも、
適性に欠ける人物がヘルパーの仕事を安易に考え就職し、安易に辞めていく事例が後を絶たず、
そうとわかりながらも労働力不足から雇わざるをえない施設側の実態も語られました。
極端に低くみなされているヘルパーの報酬と地位が、これら問題の要因の一つなのでしょう。
「皆さん自身は、こんな腰かけヘルパーに介護されたいと思いますか?」
との介護福祉士のパネリストの問いかけは、会場に響きました。
また、最後には
9人の認知症のお年寄りを一人のヘルパーで見るという夜間帯のグループホームで、
「もし一人が急病になって病院に連れて行かなければならなくなった場合、残りの8人を誰が見るの?」
という、まさに現場のホンネも飛び出しました。
市原市の医療や介護も、課題は同様です。
現場の声を、市政にきちんと反映させていかなければなりません。
会場を出ると、日が落ちかけていました。
せっかく東京に来たのだから、と、
埼玉に住む妹と上野駅で落ち合い、近くの安いスペイン料理のお店に入りました。
妹はまだ40そこそこなのですが、約半年前に突然脳卒中で倒れ、入院生活を送りました。
その頃私はちょうど選挙の真っ最中で思うように見舞いに行けず、随分案じましたが、
この日の妹は私の二倍は良く食べ、三倍は飲み、タバコも止めて元気いっぱい(^_^;)
後遺症も全く見られず、安心しました。
発見と搬送が早く、出血もわずかであったことが幸いでした。
自分を含めて誰もが皆、いつ何時、医療と介護の世話になるかもわかりません・・・