摩訶不思議のエネルギーからして霊魂&想念の世界につながりそして完全真理を学び知ることになりましたが、しかし完全真理が完全だけに不完全意識の人間には実践できない真理になりました。
然るにその不完全意識の人間が思い考え編み出した信仰宗教&精神世界は元からして不完全ですから、然るに邪な意識の者が操る余計で無理があって無駄に終わる不完全な精神世界の形を巷に普及させる結果にもなりました。
しかしそれでも完全真理によって巷の信仰宗教の信じる祈る願うのその不完全さや誰もが良いとこ取りしたがる人間関係の不完全さがハッキリしてきましたし、然るに余計なことや無駄になることや欲張り無理することのその愚かさやその虚しさを実感でもって味わってきました。
そこで自己縮小の実践、然るに素朴に生きる、然るに楽に生きる実践を書くに至りました。
然るに無理をしないで楽に生きることなら誰しも皆が実践できるはずなのに何だか手ごたえが感じられません。
そしてこの先に今の完全真理よりも優れたものが出てくるはずも無く、また本物の世直し人救いの神懸り奇跡の人が絶対に出てくるはずも無く、然るに「どうしようもない」人間界のままで終わるのでしょうが、然るにそれで宜しいのでしょうか、
ところが世界を見れば(不完全意識ながらも)素朴にして明るく楽しく生きている国家民族が見てとれます。
然るに文明の利器&他力よりも持ち前の自力とその自信と精神力でもってして生き生きと生活しているその様が見てとれます。
然るに別世界の事ではなくしてこの世の事実にあるのです。
更にそれらよりも過酷な居場所で生きるために一生懸命な人達も大勢います。
然るに私達はどうでしょうか、
然るに楽しく生きるための趣味嗜好娯楽を追い求め続けることに一生懸命になっていませんか、
然るにその原因は不平不満から始まる不安心配&不信感や怒りや恐れからして生きている「気がしない」から、その代替に趣味嗜好娯楽でその変化刺激快感快楽を味わって「生きている気分」を味わっているのです。
然るに生きている価値&本物ではなくして価値観&見せ掛け&豪華絢爛を求めてそれを味わたがっているのです。
然るに自由孤独が孤独感にもなっているのです。
然るに寂しくて人が集り集いそして枯れ木に花の如くに賑やかにしていたいのです。
ところが互いが束縛制限支配したりまた不信感からして都合の悪い者を否定反発排除したがるわけです。
然るにそれが正しいとして自己主張堅持することからしてその正義感まで持つに至りました。
然るに私は正しいの正義感や価値観や孤独感で生きていることになります。
ゆえに判断しないで事実で生きる、思い思惑を持たずに今を生きることが言われる由縁です。
然るに生きていくには十分すぎるほどに持っているのだから、然るに欲張り無理をしないで楽に生きることを書いているのです。
然るにその不完全意識の人間が思い考え編み出した信仰宗教&精神世界は元からして不完全ですから、然るに邪な意識の者が操る余計で無理があって無駄に終わる不完全な精神世界の形を巷に普及させる結果にもなりました。
しかしそれでも完全真理によって巷の信仰宗教の信じる祈る願うのその不完全さや誰もが良いとこ取りしたがる人間関係の不完全さがハッキリしてきましたし、然るに余計なことや無駄になることや欲張り無理することのその愚かさやその虚しさを実感でもって味わってきました。
そこで自己縮小の実践、然るに素朴に生きる、然るに楽に生きる実践を書くに至りました。
然るに無理をしないで楽に生きることなら誰しも皆が実践できるはずなのに何だか手ごたえが感じられません。
そしてこの先に今の完全真理よりも優れたものが出てくるはずも無く、また本物の世直し人救いの神懸り奇跡の人が絶対に出てくるはずも無く、然るに「どうしようもない」人間界のままで終わるのでしょうが、然るにそれで宜しいのでしょうか、
ところが世界を見れば(不完全意識ながらも)素朴にして明るく楽しく生きている国家民族が見てとれます。
然るに文明の利器&他力よりも持ち前の自力とその自信と精神力でもってして生き生きと生活しているその様が見てとれます。
然るに別世界の事ではなくしてこの世の事実にあるのです。
更にそれらよりも過酷な居場所で生きるために一生懸命な人達も大勢います。
然るに私達はどうでしょうか、
然るに楽しく生きるための趣味嗜好娯楽を追い求め続けることに一生懸命になっていませんか、
然るにその原因は不平不満から始まる不安心配&不信感や怒りや恐れからして生きている「気がしない」から、その代替に趣味嗜好娯楽でその変化刺激快感快楽を味わって「生きている気分」を味わっているのです。
然るに生きている価値&本物ではなくして価値観&見せ掛け&豪華絢爛を求めてそれを味わたがっているのです。
然るに自由孤独が孤独感にもなっているのです。
然るに寂しくて人が集り集いそして枯れ木に花の如くに賑やかにしていたいのです。
ところが互いが束縛制限支配したりまた不信感からして都合の悪い者を否定反発排除したがるわけです。
然るにそれが正しいとして自己主張堅持することからしてその正義感まで持つに至りました。
然るに私は正しいの正義感や価値観や孤独感で生きていることになります。
ゆえに判断しないで事実で生きる、思い思惑を持たずに今を生きることが言われる由縁です。
然るに生きていくには十分すぎるほどに持っているのだから、然るに欲張り無理をしないで楽に生きることを書いているのです。