良い悪いで判断するその矛盾意識&不完全意識はどうすることも出来ないが、しかし意識することからしてその行動が伴いますから、然るに欲張らないで楽に生きることを意識して行動すればそれに無理が無いだけにその結果がすぐにも出てきます。
しかし趣味嗜好娯楽でもってして変化刺激に満ちた生き方を意識していればそれには無理が伴いますから、然るにそれを成している自己満足とそれが思い通りにならなかった不平不満からしてのその喜怒哀楽の矛盾を味わうことになります。
その中の自己満足は自惚れ慢心で終わりますが、しかし不平不満は不安心配&恐れ怒りの不信感となったり、またそれが妬み嫉妬のジェラシーにもなったり、またそれが仕返し報復や自己破壊&他者破壊の破壊意識にまで至るのです。
しかも自己満足の積み重ねから自惚れ慢心していても、心の奥底に満たされていない隙間があるからして何やら虚しくなったり、また良かったことが逆転したりまた裏切りられたりして、その思わぬ結果からして不満の挫折を味わうことになり、その挫折感からして怒り嫉妬仕返し復讐や自己破壊や他者破壊の破壊意識に至るかもしれません。
然るに自己満足も不平不満に変わるときが必ず来るのです。
然るに愛情がジェラシーや憎悪に変わるのと同じです。
然るに自己満足と不平不満の繰り返しの「時代の進化」が破壊意識につながり、然るに帝国が崩壊してその残骸が残るように、然るに巨大化されたままに推移する事無くいつしか滅びる時が来るのです。
それが予言とか予知ではなくして(信じるか否かでもなくして)(史実にも見られるように)遅かれ早かれ必ずそうなるのが宇宙の仕組みにあるのです。
然るにそれが終わりではなくして新たな始まりにもなるのです。
然るにその終わり始まるその繰り返しからして宇宙すべての「意識&命」(意識体&生命体)が進化しているのです。
然るにそれが地球人類の進化&宇宙の進化拡大につながっているのです。
ちょっと横道にそれたので元に戻しますが、
生まれながらにして持つその良い悪いで判断する矛盾意識&不完全意識を無くする事が絶対的に無理でどうすることも出来ないことも判ってきました。
然るに「どうすることも」出来ないのならば、然るに「どうにでもなれ」が如くに開き直り、そして運を天に任した如くにそのままに「ほっといて」その成り行き任せにして気楽に生きるほうが賢い生き方に思えませんか、
然るにどんなに欲張り苦労してその一過性の満足を味わったところでそれが虚しさ挫折から破壊意識にまでもつながるならば、然るに此れからの人生を成り行き任せにして「楽に生きる」ほうが賢明なのではありませんか。
そうなれば当然ながら欲張り無理したり余計なことにも無駄にもならずに、然るに不完全意識の人間関係もまったく「気に」ならなくなり、然るに束縛制限支配することも否定反発することも無くその自由意識にして必然のご縁の成り行き任せの人間関係が定着します。
ちなみに自己満足を求めて生きることはやがて自分の首を自分で絞める自滅&破壊意識につながりますが、
然るに自由意識にして成り行き任せの自然体で生きることは良い悪いで判断しない完全意識につながる宇宙の仕組み&宇宙人類の進化に添うことになります。
然るに不自由な立場でして満足と不満の繰り返しで生きるのか、
それとも自由な立場でして満足も不満も無い穏やかなにして楽に生きるのか、
然るに(進化できない)暗い闇意識でずーっと生きることになるのか、
それとも明るい光が射す未来に生きて「意識の進化」になるのか、
その分かれ道に立っているのです。
しかし趣味嗜好娯楽でもってして変化刺激に満ちた生き方を意識していればそれには無理が伴いますから、然るにそれを成している自己満足とそれが思い通りにならなかった不平不満からしてのその喜怒哀楽の矛盾を味わうことになります。
その中の自己満足は自惚れ慢心で終わりますが、しかし不平不満は不安心配&恐れ怒りの不信感となったり、またそれが妬み嫉妬のジェラシーにもなったり、またそれが仕返し報復や自己破壊&他者破壊の破壊意識にまで至るのです。
しかも自己満足の積み重ねから自惚れ慢心していても、心の奥底に満たされていない隙間があるからして何やら虚しくなったり、また良かったことが逆転したりまた裏切りられたりして、その思わぬ結果からして不満の挫折を味わうことになり、その挫折感からして怒り嫉妬仕返し復讐や自己破壊や他者破壊の破壊意識に至るかもしれません。
然るに自己満足も不平不満に変わるときが必ず来るのです。
然るに愛情がジェラシーや憎悪に変わるのと同じです。
然るに自己満足と不平不満の繰り返しの「時代の進化」が破壊意識につながり、然るに帝国が崩壊してその残骸が残るように、然るに巨大化されたままに推移する事無くいつしか滅びる時が来るのです。
それが予言とか予知ではなくして(信じるか否かでもなくして)(史実にも見られるように)遅かれ早かれ必ずそうなるのが宇宙の仕組みにあるのです。
然るにそれが終わりではなくして新たな始まりにもなるのです。
然るにその終わり始まるその繰り返しからして宇宙すべての「意識&命」(意識体&生命体)が進化しているのです。
然るにそれが地球人類の進化&宇宙の進化拡大につながっているのです。
ちょっと横道にそれたので元に戻しますが、
生まれながらにして持つその良い悪いで判断する矛盾意識&不完全意識を無くする事が絶対的に無理でどうすることも出来ないことも判ってきました。
然るに「どうすることも」出来ないのならば、然るに「どうにでもなれ」が如くに開き直り、そして運を天に任した如くにそのままに「ほっといて」その成り行き任せにして気楽に生きるほうが賢い生き方に思えませんか、
然るにどんなに欲張り苦労してその一過性の満足を味わったところでそれが虚しさ挫折から破壊意識にまでもつながるならば、然るに此れからの人生を成り行き任せにして「楽に生きる」ほうが賢明なのではありませんか。
そうなれば当然ながら欲張り無理したり余計なことにも無駄にもならずに、然るに不完全意識の人間関係もまったく「気に」ならなくなり、然るに束縛制限支配することも否定反発することも無くその自由意識にして必然のご縁の成り行き任せの人間関係が定着します。
ちなみに自己満足を求めて生きることはやがて自分の首を自分で絞める自滅&破壊意識につながりますが、
然るに自由意識にして成り行き任せの自然体で生きることは良い悪いで判断しない完全意識につながる宇宙の仕組み&宇宙人類の進化に添うことになります。
然るに不自由な立場でして満足と不満の繰り返しで生きるのか、
それとも自由な立場でして満足も不満も無い穏やかなにして楽に生きるのか、
然るに(進化できない)暗い闇意識でずーっと生きることになるのか、
それとも明るい光が射す未来に生きて「意識の進化」になるのか、
その分かれ道に立っているのです。