孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

原因意識からして仕組まれ始まるその事実真実を味わえる本物の精神世界を書いています。

2013年08月13日 | Weblog
人が集ると欲が出てきますが、孤独だと欲が出てきません。
然るに無人島に漂着して一人だと必要とする物を奪い合うことにもなりません。
また人様に先を越される心配もない事からしてマイペースでいられます。

ところが人が集っているところには欲が渦巻いていますから、それに馴染めなくなって一人蚊帳の外になるとそれが孤独感にもなります。

然るに皆が同じ目的&結果を求めて集まるところであっても私は成り行き任せなことからして積極性が無くて目立たず一人静かにしていますから、然るに大勢の中で居ることで反対に孤独を感じることがあります。
だから私は人が集まるところは苦手です。

また無理の無いマイペースが似合っていますから急ぎ慌てることがありません、然るに私の出番はなく、必然からして呼ばれない限りその出番はありません。

ところが良いとこ取りから先取りした人達が手こずったり支障をきたしている時に(また別件の必然ご縁からしての成り行きで)私の出番が来た時に、私の持ち前の自力&創意工夫&能力が役立つ事になることは何度かありました。

然るにそんなにうまい具合に仕組まれると(私としては)必然ご縁の仕組みからして(私を前もって)その場に呼び出されていたのではないのかという(思いもよらない成り行きの結果だけに)(人前に出たがらないし自らして発言できない引っ込み思案の臆病だけに)そんな感覚がしたことは何度か有りました。

然るに欲張らないほうが何かとうまい具合に仕組まれる事実があるのです。
しかしその結果をただ喜ぶだけで終わったり、また偶然そうなったと思うから仕組まれたとは思わないだけです。


ところで欲張って得をしていると思っている人も居るかもしれませんが、この世は意識が原因のその結果ですから、然るに欲張って良かったことが災いになるときが必ず来るのです。

然るにそれが喜怒哀楽の仕組みなのです。

その喜怒哀楽を説く指導者宗教家でさえも、自らがその喜怒哀楽を味わないためにも世間に惑わされないためにも常に神に祈ったりまた始終精神修養鍛錬や修行まがいのことをし続けて押さえ込んでいるのです。
だから油断すると喜怒哀楽を味わうことになるのです。

然るに私は無理の無い自由で呑気気ままな成り行き任せにしての楽チンからして、然るに欲が有っても出てこない状況になっているから欲張ることが無くなっているのです。

そして自由を得るのも、欲張らないようになるのも、楽に生きられるようになるのも、然るに<自力>が原因のその結果です。
然るに他力絡みの結果頼みの思惑期待絡みのそれら欲絡みで得られる結果ではありません。

然るに魅力ある、然るに魅せられる、然るに結果が先にある、その見せ掛けの精神世界ではなくして、
然るに一度の一過性の結果だけで終わらずにして、
然るに己の自力と自信の精神力からして仕組まれ続けて然るに成るようになるその事実真実を味わえる本物の精神世界を書いています。