相当以前に「カンボジアに学校を作ろう」なるテーマで資金集め賛同者集めする番組がありましたが、そのカンボジアの子供たちの笑顔に魅せられた人も多いと思います。
ところが同じ子供であっても路上チルドレンの子供たちには笑顔が無くて暗い表情でした。
然るにその違いは文明の中で暮らす落ちこぼれと然るに文明から離れたところで皆が同じように暮らしているその違いにあります。
然るに私が「カンボジアに学校を作る」ことで心配になったのは学業成績の比較競争や然るに落ちこぼれ児童を作る事になり、然るに依然同様の皆の笑顔が見られなくなることです。
また開発途上国の貧困を無くするために、また新たな働き口を増やすためとして、経済戦略的にして先進国の経済システム、然るに商品の宣伝販売&商売の仕方を先進国の企業戦士が教えている様がNHKで放送されていました。
然るにその宣伝販売商法の飲み込みの早い利口な人とそれになかなか馴染めない人との強者弱者の格差、然るに生活格差までが次第に大きくなっていましたから、それら似た者同士が集っている中から利口な人が抜け出して然るにリーダー格になってやがて皆を引っ張っていくことでしょう。
そしてやがてそれらを指導した先進国の企業戦士が大量の物資を持ち込んでくる日も遠くないでしょうし生活格差が次第に大きくもなることでしょう。
またそれと似通っているのが布教活動&宣教師の先導活動です。
然るにその先進国の宗教の布教侵略が商売人の市場開発にもなりその内に企業経済国家や強権国家帝国が動き出すことでしょうし、それが国内紛争や内戦にも大戦にもなるでしょう。
然るに「勝てば官軍、負ければ賊軍」の明治維新の如くになるかもしれません。
然るに良かれとしたことが裏目に出るのがこの世ですが、それを知らずにして偽善者になるのも欲絡みが原因にあります。
ところが精神が穏やかであれば、然るに欲が出無ければ、何でそうなるの、何でそんなことをするのと「何でなの」の違和感になります。
然るに同じ欲目があればそれらに同調賛同し自らもその中に飛び込むことになるでしょうが、しかし欲が無ければそれらが「欲絡み」でやっている事にやがて気付くときがくるでしょう。
だから同じ精神世界であっても欲目で見るのと事実を見るのとでは自ずと違ってくるのです。
然るに自らの中の欲を無くすることは無理でも、然るにその欲が出ないような生き方にすることは可能です。
然るにそれが成り行き任せにして生きることです。
しかしその成り行きに任せられないのが欲です。
然るに思惑と期待を持つことが欲心なのです。
然るに執着にもなるのです。
然るにその執着から離れることを書いているのです。
然るに人様のためではなくして自分の為にです。
然るにその執着から離れることで心が開くのです。
そして自分のことも人様のことも世の中のこともよく見えてくるのです。
然るに闇から光が射したように安心安全にして生きていけるのです。
ところが同じ子供であっても路上チルドレンの子供たちには笑顔が無くて暗い表情でした。
然るにその違いは文明の中で暮らす落ちこぼれと然るに文明から離れたところで皆が同じように暮らしているその違いにあります。
然るに私が「カンボジアに学校を作る」ことで心配になったのは学業成績の比較競争や然るに落ちこぼれ児童を作る事になり、然るに依然同様の皆の笑顔が見られなくなることです。
また開発途上国の貧困を無くするために、また新たな働き口を増やすためとして、経済戦略的にして先進国の経済システム、然るに商品の宣伝販売&商売の仕方を先進国の企業戦士が教えている様がNHKで放送されていました。
然るにその宣伝販売商法の飲み込みの早い利口な人とそれになかなか馴染めない人との強者弱者の格差、然るに生活格差までが次第に大きくなっていましたから、それら似た者同士が集っている中から利口な人が抜け出して然るにリーダー格になってやがて皆を引っ張っていくことでしょう。
そしてやがてそれらを指導した先進国の企業戦士が大量の物資を持ち込んでくる日も遠くないでしょうし生活格差が次第に大きくもなることでしょう。
またそれと似通っているのが布教活動&宣教師の先導活動です。
然るにその先進国の宗教の布教侵略が商売人の市場開発にもなりその内に企業経済国家や強権国家帝国が動き出すことでしょうし、それが国内紛争や内戦にも大戦にもなるでしょう。
然るに「勝てば官軍、負ければ賊軍」の明治維新の如くになるかもしれません。
然るに良かれとしたことが裏目に出るのがこの世ですが、それを知らずにして偽善者になるのも欲絡みが原因にあります。
ところが精神が穏やかであれば、然るに欲が出無ければ、何でそうなるの、何でそんなことをするのと「何でなの」の違和感になります。
然るに同じ欲目があればそれらに同調賛同し自らもその中に飛び込むことになるでしょうが、しかし欲が無ければそれらが「欲絡み」でやっている事にやがて気付くときがくるでしょう。
だから同じ精神世界であっても欲目で見るのと事実を見るのとでは自ずと違ってくるのです。
然るに自らの中の欲を無くすることは無理でも、然るにその欲が出ないような生き方にすることは可能です。
然るにそれが成り行き任せにして生きることです。
しかしその成り行きに任せられないのが欲です。
然るに思惑と期待を持つことが欲心なのです。
然るに執着にもなるのです。
然るにその執着から離れることを書いているのです。
然るに人様のためではなくして自分の為にです。
然るにその執着から離れることで心が開くのです。
そして自分のことも人様のことも世の中のこともよく見えてくるのです。
然るに闇から光が射したように安心安全にして生きていけるのです。