孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

価値観の矛盾とその自己縮小の関係、一日の時間感覚が短く感じる原因、予測・予言・前兆など。

2011年10月12日 | Weblog
自己縮小が進むほど価値観も違ってきます。
例えば贅沢三昧していたときの100万円と今の質素倹約な生活の時とでは、その価値観が違っています。
だから100万円では天国に思えなかったことが、今では100万円が天国に思えると言うわけです。

だから同じ状況であっても、その意識次第で天国にも地獄にも思えるということです。
だから今の自然界の恵みを天国に思えば天国になるのに、その恵みだけでは不足な欲のある人は天国に思えるはずもありません。
だから価値は同じでも、その価値観で天国に思える人とそう思えない人に分かれた場合、それを天国に思える人がそれだけ「得」をしていることになり、天国に思えない人が「損」をしているように思えます。

ところが面白い事に、天国に思えないで欲張っている人のほうが「得」をしているようで、欲張ってない人が「損」をしているかのように思えるのも、その矛盾した意識をもつ人間の成せる技です。
しかし同じ価値ですから、絶対に(事実では)損も得も無いのです。

ところがそれを「損得」で判断していることから苦楽が付きまとうのです。
しかもその苦楽を味わっている矛盾意識がある限り、その未来も、また死後の世界の「意識の世界」においても、その居場所が天国に思える意識になることは絶対にありません。
しかしその価値観・苦楽(良い悪い)を知り尽くし、そんなことは「どうでもいい」ことに思えるように意識が変われば、それだけ楽に生きて行けますし、死後の「意識の世界」でもそれが通用しますから、その宇宙の流れの中でも楽なままに過ごすことが出来ますし、新たな次元意識に進化した地球の「意識・命」の意識体として蘇れる可能性が十分にあります。

同じく、自己縮小に関わる事にあるのが、同じ24時間の地球時間が如何にも早く感じられる人が多いことです。
私でも牛舎のアルバイトに行きだしてから、何故か一週間が早くなり、直ぐに一ヶ月が経ち、一年が経ち二年が経ってしまいました。
ところがそれでも暇で退屈している時間が多いだけにその時の時間は長く感じられますし一日の時間も長く感じます。

ところが自己拡大して暮らしている人はそれだけ忙しい思いをしています。
だからその忙しい事に意識を常に使っていますから、その時は時間感覚が麻痺していて、その事の次第が終わったときに相当な時間を費やしていたことに気付きますから、結果的にはあっという間に一日が終わった感じになります。

その事を耕栄さんが言っていた事にあるのが、一日の時間感覚が18時間くらいに短く感じている人達が多いそうですので、その分だけ人生を忙しく駆け走って疲れ果てているから(息切れ状態同様)体内血液の酸素濃度が欠乏している状態と同じで、それが原因でおかしな事になる人が増えているそうです。
・・・ちなみに「ファバラ」製品が販売されるようになった一因でもあります。
・・・だから巷でも酸素に関心がある人が増えています。
未だそれだけではありませんで、足を使ってゆっくり歩くことが少なくなり、しかも足が主な動力の自転車に乗ることも減り、更に鉄道や船舶を使うことも減り、高速道を突っ走る自動車や短時間で着く飛行機を使うことが多くなっただけに、その良いとこ取りをして時間短縮した分だけ時間を先取りして早めた格好になっていますから、そのバランス調整・埋め合わせに負の弊害副作用が起こっているそうで、俗に言う「浦島太郎の玉手箱」現象が起きているようです。
・・・だから一日がどんどん早回しになっているように感じるのでしょう。
・・・最終的には一日が16時間くらいに感じる人が多くなるようです。

ところが未だあります。
人間が地球資源エネルギーを使いすぎたことから、地球そのものを動かすエネルギーが不足し始めていますから、地球の内部や地軸が乱れる事ことから足早に気候変動が起こりそうです。
それともう一つの可能性が言われているのが「核」の存在です。
その前兆が原子力発電の事故に見られます。
・・・前兆とは氷山に一角が見え出したことです。
・・・だから此れまでも全て前兆がありました。

だからいずれにしろ、否応無しに自己縮小する羽目になるようです。
だから自らの意識で自己縮小しているのと、真坂の有事によって自己縮小が余儀なくされるのとでは大違いです。
だから前もって自己縮小していたほうが「得」な状況になり、自己拡大していたほうが「損」な立場になるやもしれません。