このところ地上の天国と書くことがありますが、それが形(地上)のことではなくて「意識」の中で(天国に)思えることですから、その地上の天国に思える意識に到達していなければ、何のこともないただの現実しかありません。
また私が完全意識になったとしても、その私一人だけが完全意識になっても他の人達が不完全な意識のままであれば、その人達と接し触れ合う人間関係の中で真の至福を味わうことには無理があります。
だから大勢の人が自由平等調和の意識になっていなければ現実は大して変わりません。
また例えば完全意識になった数人がその完全真理を人様に熱心に説いても、精神世界のことだけにその結果を形で見せることが出来ないので、ただ内容説明するだけですから、その説明を素直に聞き入れてそれに従う人達が集まってくるとは限りません。
そこで必要・必然になるのが、人前で何らかの奇跡を成して見せて(神の生まれ代わりや生き仏のように思わせるようにして)それらの人達を引き寄せる集める事をすれば、これまた現在で見られる宗教家・教祖の類と同じになります。
そうなると、そこに集る人達の多くが神社仏閣の神や仏の他力依存やそれらを信じたがる傾向と同じになって、完全真理の理解やその実践が疎かなままに推移して行くことになり、これまた信じるか否かの信仰宗教と似通った事になります。
・・・すなわち大勢の人が完全意識にならなければ今と大して変わりません。
その原因が何処にあるのか、誰にあるのかと言えば、私達一人一人の意識に原因があるのです。
だから先ずは個人の意識改革が言われる訳ですが、ところがその自己縮小を始める前は現在のように(自分さえ良ければの)個人意識丸出しですから、その自己縮小さえも無理があるわけです。
そこで必要になるのが何らかの目的意識を抱かせる事です。
そして「嘘も方便」の天国や地獄が出てきたりしているのです。
しかし完全真理から言うところの地上の天国・極楽は特別なことではないと書いているし、また形で見ることではなくて己の意識で感じ取る事になると書いていますから、巷の宗教真理とは違っています。
しかし私が此れまでに学び知ったことや気付き感じたことのその思い判断や願望が含まれていますから不確かなことでもあります。
それでも、この世の現実・形が大きく様変わりすることではなくて、先ずは己の意識で気付き感じ取ることから始まると思っていますから、その感じ取ることが出来る意識力(感性・霊力の類)が必要と書いているわけです。
そうなれば自然界の「意識」を感じ取ることも出来るようになりますから、その自然界を意識することで会話しているような感覚が味わえるようになると思います。
また人間関係でも、その時々の必然ご縁で接し触れ合う中に心にしみるものを感じとり、それがいつまでも意識(心)の中に宿るような感じになると思っています。
そして意識変わり(意識次元の進化)で人間と言う姿形(氷)固体が消えて流動(水)になれば、皆が同じ流れのままの「調和の天国」のようになると言われています。
そしてその流動体(水)が空気のようになれば分け隔てる感覚が無くなり「すべてがひとつ」になると言われています。
そして空気から「光」になれば瞬時にして地球から他の惑星の「意識・命」とも触れ合うことにもなるようです。
そこで私の願望にあるのが、それが氷であれ水であれ空気や光のようであっても、例えば私が海に行きたくなってそこへ辿り着いたら、そこに同じ思い・意識の人達も来ていて、それぞれの個性を出し合って一緒にその時間を楽しむ事になればまさしく天国です。
また色んな動物や植物に囲まれてそれを見ていたいと思ったらいつの間にやら実現していたり、何か創意工夫してみたいと思ったらそんな人達が集る場所に来ていたり、また自分が望む特技や個性を持った人達と親しく接し触れ合うことができれば最高です。
またドラマのような三角関係や濃厚な恋愛感情は必要なく、ただ波長が合い調和し合う人間関係・男女関係で十分です。
また過酷・残酷・意地悪・痛めつける・スリル満点やびっくり仰天させるような娯楽や番組は必要ありません。
また何処にでもあるようなものですが、今は無いが為の必然からして、その必要なものや食べたい物が見計らったようにして直ぐにでも手に届くことになればいいですね。
そこで私が注意していることにあるのが「執着」です。
それが嫉妬執念怨念であれば執着しているだけにその意識の世界からなかなか抜け出せません。
また良いとこ取りばかり執着しての自己満足が多ければ、その調和のために今度は不平不満の多い意識になるようです。
だから悪さばかりしてきた意識が今度は善人ぶる意識になったりして、その裏表を味わって意識を調和させるようです。
・・・それでも修正・調和に至らなければ同じ繰り返しが続くようです。
そして自己拡大のままで終わったら、今度は厳しい環境状況のところがお似合いの意識になる可能性があります。
・・・それが生前中であれば、重病人や大怪我で不自由(自己縮小)することになる事例が多いようです。
・・・悔い改めて自ら望んだ場合はジャングルや孤島や高原山岳の生き様で自己縮小を味わうようです。
これらは概ねのことですが、SFや夢物語ではなくて「すべてが意識」のその「意識の世界」に私達人間の「意識・命」が実在しているのですから、まんざら嘘も方便でもないようですから(概ね正解のようですから)、やはり自らが自己縮小し続ける意識になる必要があると思っています。
また私が完全意識になったとしても、その私一人だけが完全意識になっても他の人達が不完全な意識のままであれば、その人達と接し触れ合う人間関係の中で真の至福を味わうことには無理があります。
だから大勢の人が自由平等調和の意識になっていなければ現実は大して変わりません。
また例えば完全意識になった数人がその完全真理を人様に熱心に説いても、精神世界のことだけにその結果を形で見せることが出来ないので、ただ内容説明するだけですから、その説明を素直に聞き入れてそれに従う人達が集まってくるとは限りません。
そこで必要・必然になるのが、人前で何らかの奇跡を成して見せて(神の生まれ代わりや生き仏のように思わせるようにして)それらの人達を引き寄せる集める事をすれば、これまた現在で見られる宗教家・教祖の類と同じになります。
そうなると、そこに集る人達の多くが神社仏閣の神や仏の他力依存やそれらを信じたがる傾向と同じになって、完全真理の理解やその実践が疎かなままに推移して行くことになり、これまた信じるか否かの信仰宗教と似通った事になります。
・・・すなわち大勢の人が完全意識にならなければ今と大して変わりません。
その原因が何処にあるのか、誰にあるのかと言えば、私達一人一人の意識に原因があるのです。
だから先ずは個人の意識改革が言われる訳ですが、ところがその自己縮小を始める前は現在のように(自分さえ良ければの)個人意識丸出しですから、その自己縮小さえも無理があるわけです。
そこで必要になるのが何らかの目的意識を抱かせる事です。
そして「嘘も方便」の天国や地獄が出てきたりしているのです。
しかし完全真理から言うところの地上の天国・極楽は特別なことではないと書いているし、また形で見ることではなくて己の意識で感じ取る事になると書いていますから、巷の宗教真理とは違っています。
しかし私が此れまでに学び知ったことや気付き感じたことのその思い判断や願望が含まれていますから不確かなことでもあります。
それでも、この世の現実・形が大きく様変わりすることではなくて、先ずは己の意識で気付き感じ取ることから始まると思っていますから、その感じ取ることが出来る意識力(感性・霊力の類)が必要と書いているわけです。
そうなれば自然界の「意識」を感じ取ることも出来るようになりますから、その自然界を意識することで会話しているような感覚が味わえるようになると思います。
また人間関係でも、その時々の必然ご縁で接し触れ合う中に心にしみるものを感じとり、それがいつまでも意識(心)の中に宿るような感じになると思っています。
そして意識変わり(意識次元の進化)で人間と言う姿形(氷)固体が消えて流動(水)になれば、皆が同じ流れのままの「調和の天国」のようになると言われています。
そしてその流動体(水)が空気のようになれば分け隔てる感覚が無くなり「すべてがひとつ」になると言われています。
そして空気から「光」になれば瞬時にして地球から他の惑星の「意識・命」とも触れ合うことにもなるようです。
そこで私の願望にあるのが、それが氷であれ水であれ空気や光のようであっても、例えば私が海に行きたくなってそこへ辿り着いたら、そこに同じ思い・意識の人達も来ていて、それぞれの個性を出し合って一緒にその時間を楽しむ事になればまさしく天国です。
また色んな動物や植物に囲まれてそれを見ていたいと思ったらいつの間にやら実現していたり、何か創意工夫してみたいと思ったらそんな人達が集る場所に来ていたり、また自分が望む特技や個性を持った人達と親しく接し触れ合うことができれば最高です。
またドラマのような三角関係や濃厚な恋愛感情は必要なく、ただ波長が合い調和し合う人間関係・男女関係で十分です。
また過酷・残酷・意地悪・痛めつける・スリル満点やびっくり仰天させるような娯楽や番組は必要ありません。
また何処にでもあるようなものですが、今は無いが為の必然からして、その必要なものや食べたい物が見計らったようにして直ぐにでも手に届くことになればいいですね。
そこで私が注意していることにあるのが「執着」です。
それが嫉妬執念怨念であれば執着しているだけにその意識の世界からなかなか抜け出せません。
また良いとこ取りばかり執着しての自己満足が多ければ、その調和のために今度は不平不満の多い意識になるようです。
だから悪さばかりしてきた意識が今度は善人ぶる意識になったりして、その裏表を味わって意識を調和させるようです。
・・・それでも修正・調和に至らなければ同じ繰り返しが続くようです。
そして自己拡大のままで終わったら、今度は厳しい環境状況のところがお似合いの意識になる可能性があります。
・・・それが生前中であれば、重病人や大怪我で不自由(自己縮小)することになる事例が多いようです。
・・・悔い改めて自ら望んだ場合はジャングルや孤島や高原山岳の生き様で自己縮小を味わうようです。
これらは概ねのことですが、SFや夢物語ではなくて「すべてが意識」のその「意識の世界」に私達人間の「意識・命」が実在しているのですから、まんざら嘘も方便でもないようですから(概ね正解のようですから)、やはり自らが自己縮小し続ける意識になる必要があると思っています。