昨日、わが居間のちゃぶ台の上に郵便物や書類や各種紙切れの類がてんこ盛りになっているのを目にして、わが整理整頓能力の欠如ぶりにわれながらウンザリ、誰のせいでもない己の責任でありますから不愉快になり自己嫌悪に陥ってしまいました・・・
中には読む必要があるものがないわけでありませんが、大半はもう不要、あるいは目を通す気がない、雑多な郵便物か紙切れ・・・私信はともかく印刷物が詰まっているだけの郵便物などは、ほとんどが読む必要がないか読んでも退屈するだけ、目を通す気にはなれませぬ。かようなしだいで放置しておりますうちに、ちゃぶ台の上に山盛り状態というのが当然の帰結・・・
うんざりしているだけでは何も解決になりませぬ。優柔不断名人のGGI、しばしどうしたものかと悩んでいたのですが、午後になって、このてんこ盛り状態を解消すべく、整理して不要なものはサッサと捨てて、ちゃぶ台をスッキリさせることを決意、ノロノロと廃棄作業にとりかかりました。
これも不要、それも不要、あれも不要と次々にゴミ箱に放り込んでおりましたら、何かが細かく記されている一覧表のようなものが一枚ひらりと足もとに落ちました。なんだろうと思ってあらためて手に取って眺めてみました。
今日の写真はこの表のようなものを撮ったものです。細かい字で記されておりますので、お手数ですが大きく拡大してご覧になってくださいませ
一行目に次にように記されています
《12月1日(火)から31日(木)までの「辺野古貸し切りバス」の日程は以下の通りです」》
どうやらこの紙切れ、沖縄の米軍基地内に土地を所有しているけれど、自分の土地を米軍に貸したくはないのだという市民の方々がつくっている団体から送られてきた郵便物の中にはさまっていたもののようです。
GGIはこれまでに何度かこの日記に書いておりますが、沖縄の米軍基地のひとつである普天間飛行場内に若干の土地をずいぶん以前から所有しております。つまりGGIさまは地主様なのでます。いつごろ地主になったのか記憶は定かではないのですが、沖縄が返還され(1972年)、返還の景気づけに開催された沖縄海洋博(1975年)のころのことではないかと思います
GGIはこの海洋博の見物ついでに、沖縄出身のまん丸顔の陽気で快活な友人の案内で沖縄本島の北端から西表島まで一週間ほど気まぐれブラブラ旅行をしたことがありますが、それ以後は一度も沖縄の足を運んだことはありませぬ
地主様になったきっかけは、わがマザーが生前お世話になっていた教会の牧師さんが「地主になってくれる人を探してください、一人当たり一坪だけ所有してもらえればいいのです」と沖縄の牧師さん頼まれたことです。GGIはこの地主さがしを頼まれた牧師さんからもらった地主募集のチラシを目にして「先生、こんなものになる人なんてほとんどいませんよ。でも地主の成り手が誰もいなければ先生もお困りになるでせう。ですから、わがマザーがお世話になっていることでもありますし、またわがマザーの義兄が子ども5人残して沖縄で戦死していることでもありますし、わがマザーと私がそれぞれ一坪だけの地主になることにいたしませう」と約束したのでありました。
ですから、もう40年以上ものあいだ沖縄の地主をしていることになるでせうか。GGIが持っておりますのは米軍普天間飛行場内の土地です・・・現在工事中の辺野古の米軍基地が完成したならば普天間飛行場は返還されることになっているのではありますが、辺野古に建設中の米軍基地、果たして完成するのか甚だあやしく、先行きはまったく不透明、ですから、おそらくGGIはお迎えが来るまで地主であり続けることになるのではないかと思います・・・
地主になってからしばらくして、ある関係者に「私は一坪地主になったのですけれど、実際の面積はどのくらいあるのですか、ほんとうに一坪あるのですか》と尋ねてみましたら、その関係者曰く
「とんでもない!共同で所有している基地内の土地の面積を一坪地主の人数で割ってみたら、割り算したら、すぐに分るでしょう。まあ、せいぜい、地主一人あたり、ヨッコラショと腰を下ろすことができるくらいの広さ、まあ、お尻一人分ぐらい、すなわちハンカチ一枚ぐらいの広さです、つまりGGIさんは一坪ならぬお尻一個地主、いやハンカチ一枚地主なのです!」
地主であるからといって、GGIは何か特別なことを行っているわけではありませぬ。ただ、毎年、ときおり沖縄防衛局(元の名称は「沖縄防衛施設局」でしたが、防衛庁が防衛省に格上げされてから現在の名称になりました。すわなち、防衛施設に関するお役所から沖縄を防衛するお役所になったのです!)からGGIの土地を強制的に米軍基地用の土地として借り上げるための手続きなどに関する通知が一方的に送られてきますので、それらの書類にチラッと目を通すだけであります。つまり、日本政府は日本の法律に従って厳密かつ公正な手続きを経て合法的に国民の土地を強制収用するのだということを証明するために、いろいろな手続きに関する事柄を通知してくるのです。日本政府が何ら違法なことは行っていないことを証明するためのアリバイ作りです。地主の役割・存在価値は、どのような通知が来ようとも無視して、あくまでも、沖縄の米軍基地内に土地を持ち続けていること、つまり土地を所有してこと自体にあるのです・・・
(このように在日米軍の軍用地に関しては特別措置法に基づき政府は国民から強制的に借り上げることが許されているのですが、日本の自衛隊の基地に関しては政府が強制収容することは法的に許されていません・・・)
話が横道にそれたしまいましたが今日の写真で紹介しました紙切れを見て驚いてしまいました。
この紙切れ、昨年12月の、辺野古の基地建設工事に抗議を行う人々のための辺野古行き貸し切りバスの運行予定表なのです。何と、12月1日から31日まで、土曜と日曜を除き、毎日、予定がびっしり詰まっているのです!毎日々々、バスに乗って辺野古の基地建設反対の抗議行動などに市民が足を運んでいるのです!
すごいなあ、すごいエネルギーだなあ、沖縄の人々はすごく頑張っているのだと驚いているだけではいけないのですが、それでもやっぱりすごいなあと驚き、すっかり感心してしまいました・・・・
以下は付録です
この日記をブログに掲載した翌日の11月14日、朝日新聞の朝刊を眺めていましたら朝日歌壇の欄に以下のような短歌が紹介されていました
《 特別ノ御高配トハ此レナノカ辺野古ヲ埋メル土砂トナル骨 》 東京都 中島加略人
沖縄戦での死者の遺骸が未だ残っている土砂を辺野古の基地建設の埋め立て工事に使おうとしていることを詠んだ句です。「特別ノ御高配」云々は、沖縄戦末期の1945年6月はじめに沖縄での海軍の司令官であった大田少将(死後に昇進して中将)が自決直前に海軍次官あてた電文の最後の部分を指しています。
「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂(い)フ 沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」
(一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。)
大田少将が海軍次官に宛てた電文の全文については
朝日新聞2021年8月11日のデジタル版をご覧になってください
付録の付録
大平洋の激戦地であった硫黄島は敗戦後しばらく米国が占領しており米軍の基地を建設しました。建設にあたって米国は米兵の遺骸は収集しましたが、日本兵の遺骸は放置したままでした。次いで、硫黄島が日本に返還されてから、自衛隊の基地が建設されました。この建設にあたって政府は日本兵の遺骨収集は行わなかったのではないかと思われます。その後、民主党政権の時代に、菅首相が硫黄島に未だに日本兵の遺骨が大量に残されていることを知って、予算数億円をつけて遺骨収集を行うことに決めました。でもそのあと、政権が代わってしまったこともあり、果たしてどれだけ遺骨が収集されたのか定かではありません。大半は未だに残されているのでは・・・とGGIは疑っております
なお硫黄島の住民は自衛隊員だけであり、一般の市民は遺族が慰霊に訪れる場合にだけ島への立ち入りを許されることになっているそうです・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!