UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

冬が来る前におセンチな晩秋・・・(その一):燃える秋・・・

2021-11-21 22:18:39 | 日記
数日前の夕方、元西武大津店さんの隣の大きなスーパーに買い物に行きました。お店をでましたら秋が燃えていました

今日の写真はこの燃える秋を撮ったものです。西武さんの横、小さな川沿いの道の並木、少し前から鮮やかに色づいていたのですが、夕日に照らされて一気に炎上したのです。これまでは西武さんの建物がありましたので並木が夕日を浴びることはなかったのですが、建物がすっかり解体されてしまいましたので夕日に照らされったらされ、このように炎上・・・GGIは思わず、これこそ燃える秋だなあとおセンチになってしまいました。

五木寛之の小説に「燃える秋」と題された、甘ったるいカッコいい恋愛小説(とGGIは読んでいないのですが勝手にそう決めつけております)があります。映画化され、その主題曲「燃える秋」を何と現代音楽で著名な武満徹が作曲しています。武満氏、これは現代音楽とは無縁のビジネスと割り切って甘ったるいラブソングに仕上げております(映画そのものは出資者とのゴタゴタなどがあって一度公開されたもののお蔵入りになっているそうです)

甘ったるい歌なのですがGGIはおセンチ愛好家でありますので嫌いではありません。

お聴きになりたいかたはユーチューブでどうぞ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

今夜は思いっきり輝かさせていだきます、でも明日は・・・

2021-11-20 01:04:22 | 日記
前回の日記で電線に挟まれたお月さまのことを記しましたが、一昨日の夕刻、暗くなりかけたころ、GGIはまたしても電線に挟まれているお月さまを目撃してしまいました。

今日の写真はこりもせずに電線に挟まれ立ち往生しているお月さまを撮ったものです。今度はどうやらお月さまの姿は満月のようであり、明るく光を放っていました。そこでふたたびお月さまとの対話を試みました

お月さま、またであってしまいましたね

あら、GGIさん、またこんなところでお出会いするなんて・・・

ご迷惑ですか? あいかわらず電線がお好きなようですね、今度は一段と完全に電線に取り囲まれていますね

電線が好きなのはGGIさんのほうでしょう、電線に挟まって立ち往生しているように見える私の姿が好きなのは・・・

まあ、正確に言えばそういうことですが。でも、今夜のお月さま、ぼんやりと夕空に浮いていて「存在の耐えられない軽さ」を感じせる先日のお姿とはずいぶん違いますね。明るく煌々と輝いてとっても素敵ですよ、今夜は十分なる存在感を発揮していますよ、いったいどうしたのですか?

よく聞いてくれました。GGIさん、実は明日は夕方から夜にかけては深~い事情がありまして、あなたにお出会いできないのです

お出会いできないなんて、突然冷たいことは言わないでください、心変わり云々などという、そういう安っぽいことをしてはいけませんよ

そうではございません、実は明日は夕方から夜にかけて私ども皆既月食に変身して姿を隠さなければならないことになっているのです、それが残念なので、今夜は思いっきりまん丸になって、思いっきり輝くことにしたのです、おわかりになりましたか?

わかりました、でも皆既月食って素晴らしいことじゃないですか、姿を見えないけれど確かにそこに存在しているなんて・・・それこそ存在の本質なのです、自分が美しいからといって自分の存在を見せびらかすのは下の下ですよ

あら、それなら、今夜の私は下の下だとおっしゃるのですか?

いや、必ずしもそういうわけではありませんが・・・お月さまってお姿に似あわず人にからんだりするのがお好きなのですね。もうこれ以上からまれないように今日はこのへんで失礼させていただきます

お待ち!この卑怯者!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

月見れば・・・ああ月見れば月見れば・・・

2021-11-17 01:23:15 | 日記
一昨日の夕方、買い物に出てふと空を見上げましたら夕空にお月さまが浮かんでおりました

今日の写真はこのお月さまを撮ったものです。珍しいものではありませんがクリックしてしかと観察なさってくださいませ

ご覧のように、お月さまは二本の電線のあいだに浮かんでいます。そこでGGIはお月様に御挨拶いたしました

お月さま、こんばんは、今日も良い天気でしたね、ところでそこで何をしていらっしゃるのですか?

あら、GGIさんじゃないですか、いつもと違い今日は礼儀正しいですね。何をしているのかですって。ご覧の通りです。ただ空に浮かんでいるのです

ほうとうですか、ただ浮かんでいるだけですか?

そうよ、浮かんでいるだけではいけないとでもおっしゃるのですか・・・

いいえ、そういうわけではありません。ただ、浮かんでいるだけではなく、何かお困りじゃないかと思ったのです

困っているですって、いったいどういう意味?

あの~ですねえ、お月さま、二本の電線に挟まれてしまって身動きが取れなくなってお困りになっているのではないかと思ったのです。

何をおっしゃっているのですか」、電線に挟まれてなんかいませんよ

そうですか?ほんとですか?だって、お月さま、ちょっとこの写真をご覧になってください。ほら、お月さまは明らかに二本の電線に挟まれているじゃありませんか?

GGIさん、あなたはあいかわらず、人生も第四コーナーを曲がって、もうゴールが目と鼻の先だというのに、ショモないことを言っているのですね。この写真、わざと私が二本の電線に挟まれているように見える位置から撮っただけではありませんか。そんな馬鹿なことを言っていないで、晩秋のお月さまを目にしてもっとマシなことは言えないのですか、一句詠んでみてはいかがですか、昔の人はお月様をみてステキな和歌や俳句などをたくさん遺しているのですよ

御説ごもっともですが,私めに、いきなり優雅な句をモノにせよと言われましても・・・では、恥ずかしながら・・・

《月見れば・・・ああ月見れば・・・月見れば・・・》

いかがですか?お月様への深~い深~い想ひを詠ってみたのですが・・・

いかがですかって?論外、論外、ただの駄洒落にもなっていませんね

お月さま、ずいぶん冷たいですね、では、もう少しましなものを一句・・・

《月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど》

あら、それは百人一首に出てくる和歌じゃないですか、大江千里という歌人が作った・・・古今集に入ってくる句ですよ

よくご存知ですね。誰が詠んだものであるかはとにかく、なかなかいい句です。これがただいまのGGIの心境なのです

わかりました、でも意味は分かってるの?

まあ、だいたいは・・・お月様を見ていて、あれこれ思い巡らしていると何もかも悲しくなってくるよなあ、どうしてなんだろうなあ・・・秋が自分にだけ訪れたというわけじゃないことはわかっているけどなあ、というところでありませうか。要するにこれはおセンチ満杯の句に過ぎないのですが、晩秋おセンチ愛好家のGGIはこの句が気に入っているのです

ふ~ん、GGIサンにしては案外しおらしいことをおっしゃるのね。ところで「あれこれ思いめぐらす」ってGGIさんはいったい何に思いを巡らすというのですか?

グッドク過ぎるエスチョンです、ずいぶん鋭い質問ですね、しかし、お月さま、そのあたりのことは私めのプライバシーと申しますかトップシークレットに・・・

GGIさん、いまさらプライバシーなんてケチなことを言わないで正直におっしゃり!

まあ、一言ではなかなか言えないのですが、強いて言えば・・・いわゆる《わが存在の耐えられない軽さ》と申しますか、私どものアイデンティティについてあれこれと・・・

えっ、今なんとおっしゃいました?存在の耐えらない軽さ?己のアイデンティティですって?やめときなさい、そんなGGIさんに高尚すぎることを考えるなんて、時間のムダ、GGIさんにはムリムリムリ、ムリの三乗、四乗,五乗です!

やっぱり無理ですかあ・・・・いや、お月さま、あなたが中空にぽっかり独り浮かんでおられる姿を目にして、存在の耐えられない軽さって、たとえて言えば、このようなお月様の状態を指すのかなあと思ったのですが・・・

まあ、失礼ね!私が存在の耐えられない軽さですって?それどういう意味、私は軽々しい存在に過ぎないとでも?なんていうことをおっしゃるの!もうそんな私の自尊心を傷つけるようなことをおっしゃる方とはおつきあいできません!

そんなあ・・・おつきあいできませんって言われても・・・お月様は毎晩お出ましになるじゃないですか・・・まあ、そうおっしゃらずに今後もお顔をおみせくさい・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

すごいなあ、と驚いているだけではいけないのだけれど、それでもやっぱりすごいなあ!

2021-11-13 01:15:35 | 日記
昨日、わが居間のちゃぶ台の上に郵便物や書類や各種紙切れの類がてんこ盛りになっているのを目にして、わが整理整頓能力の欠如ぶりにわれながらウンザリ、誰のせいでもない己の責任でありますから不愉快になり自己嫌悪に陥ってしまいました・・・

中には読む必要があるものがないわけでありませんが、大半はもう不要、あるいは目を通す気がない、雑多な郵便物か紙切れ・・・私信はともかく印刷物が詰まっているだけの郵便物などは、ほとんどが読む必要がないか読んでも退屈するだけ、目を通す気にはなれませぬ。かようなしだいで放置しておりますうちに、ちゃぶ台の上に山盛り状態というのが当然の帰結・・・

うんざりしているだけでは何も解決になりませぬ。優柔不断名人のGGI、しばしどうしたものかと悩んでいたのですが、午後になって、このてんこ盛り状態を解消すべく、整理して不要なものはサッサと捨てて、ちゃぶ台をスッキリさせることを決意、ノロノロと廃棄作業にとりかかりました。

これも不要、それも不要、あれも不要と次々にゴミ箱に放り込んでおりましたら、何かが細かく記されている一覧表のようなものが一枚ひらりと足もとに落ちました。なんだろうと思ってあらためて手に取って眺めてみました。

今日の写真はこの表のようなものを撮ったものです。細かい字で記されておりますので、お手数ですが大きく拡大してご覧になってくださいませ

一行目に次にように記されています

《12月1日(火)から31日(木)までの「辺野古貸し切りバス」の日程は以下の通りです」》

どうやらこの紙切れ、沖縄の米軍基地内に土地を所有しているけれど、自分の土地を米軍に貸したくはないのだという市民の方々がつくっている団体から送られてきた郵便物の中にはさまっていたもののようです。

GGIはこれまでに何度かこの日記に書いておりますが、沖縄の米軍基地のひとつである普天間飛行場内に若干の土地をずいぶん以前から所有しております。つまりGGIさまは地主様なのでます。いつごろ地主になったのか記憶は定かではないのですが、沖縄が返還され(1972年)、返還の景気づけに開催された沖縄海洋博(1975年)のころのことではないかと思います

GGIはこの海洋博の見物ついでに、沖縄出身のまん丸顔の陽気で快活な友人の案内で沖縄本島の北端から西表島まで一週間ほど気まぐれブラブラ旅行をしたことがありますが、それ以後は一度も沖縄の足を運んだことはありませぬ

地主様になったきっかけは、わがマザーが生前お世話になっていた教会の牧師さんが「地主になってくれる人を探してください、一人当たり一坪だけ所有してもらえればいいのです」と沖縄の牧師さん頼まれたことです。GGIはこの地主さがしを頼まれた牧師さんからもらった地主募集のチラシを目にして「先生、こんなものになる人なんてほとんどいませんよ。でも地主の成り手が誰もいなければ先生もお困りになるでせう。ですから、わがマザーがお世話になっていることでもありますし、またわがマザーの義兄が子ども5人残して沖縄で戦死していることでもありますし、わがマザーと私がそれぞれ一坪だけの地主になることにいたしませう」と約束したのでありました。

ですから、もう40年以上ものあいだ沖縄の地主をしていることになるでせうか。GGIが持っておりますのは米軍普天間飛行場内の土地です・・・現在工事中の辺野古の米軍基地が完成したならば普天間飛行場は返還されることになっているのではありますが、辺野古に建設中の米軍基地、果たして完成するのか甚だあやしく、先行きはまったく不透明、ですから、おそらくGGIはお迎えが来るまで地主であり続けることになるのではないかと思います・・・

地主になってからしばらくして、ある関係者に「私は一坪地主になったのですけれど、実際の面積はどのくらいあるのですか、ほんとうに一坪あるのですか》と尋ねてみましたら、その関係者曰く

「とんでもない!共同で所有している基地内の土地の面積を一坪地主の人数で割ってみたら、割り算したら、すぐに分るでしょう。まあ、せいぜい、地主一人あたり、ヨッコラショと腰を下ろすことができるくらいの広さ、まあ、お尻一人分ぐらい、すなわちハンカチ一枚ぐらいの広さです、つまりGGIさんは一坪ならぬお尻一個地主、いやハンカチ一枚地主なのです!」

地主であるからといって、GGIは何か特別なことを行っているわけではありませぬ。ただ、毎年、ときおり沖縄防衛局(元の名称は「沖縄防衛施設局」でしたが、防衛庁が防衛省に格上げされてから現在の名称になりました。すわなち、防衛施設に関するお役所から沖縄を防衛するお役所になったのです!)からGGIの土地を強制的に米軍基地用の土地として借り上げるための手続きなどに関する通知が一方的に送られてきますので、それらの書類にチラッと目を通すだけであります。つまり、日本政府は日本の法律に従って厳密かつ公正な手続きを経て合法的に国民の土地を強制収用するのだということを証明するために、いろいろな手続きに関する事柄を通知してくるのです。日本政府が何ら違法なことは行っていないことを証明するためのアリバイ作りです。地主の役割・存在価値は、どのような通知が来ようとも無視して、あくまでも、沖縄の米軍基地内に土地を持ち続けていること、つまり土地を所有してこと自体にあるのです・・・

(このように在日米軍の軍用地に関しては特別措置法に基づき政府は国民から強制的に借り上げることが許されているのですが、日本の自衛隊の基地に関しては政府が強制収容することは法的に許されていません・・・)

話が横道にそれたしまいましたが今日の写真で紹介しました紙切れを見て驚いてしまいました。

この紙切れ、昨年12月の、辺野古の基地建設工事に抗議を行う人々のための辺野古行き貸し切りバスの運行予定表なのです。何と、12月1日から31日まで、土曜と日曜を除き、毎日、予定がびっしり詰まっているのです!毎日々々、バスに乗って辺野古の基地建設反対の抗議行動などに市民が足を運んでいるのです!

すごいなあ、すごいエネルギーだなあ、沖縄の人々はすごく頑張っているのだと驚いているだけではいけないのですが、それでもやっぱりすごいなあと驚き、すっかり感心してしまいました・・・・

以下は付録です

この日記をブログに掲載した翌日の11月14日、朝日新聞の朝刊を眺めていましたら朝日歌壇の欄に以下のような短歌が紹介されていました

《 特別ノ御高配トハ此レナノカ辺野古ヲ埋メル土砂トナル骨 》  東京都  中島加略人

沖縄戦での死者の遺骸が未だ残っている土砂を辺野古の基地建設の埋め立て工事に使おうとしていることを詠んだ句です。「特別ノ御高配」云々は、沖縄戦末期の1945年6月はじめに沖縄での海軍の司令官であった大田少将(死後に昇進して中将)が自決直前に海軍次官あてた電文の最後の部分を指しています。
 
「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂(い)フ 沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」

(一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。)

大田少将が海軍次官に宛てた電文の全文については朝日新聞2021年8月11日のデジタル版をご覧になってください

付録の付録

大平洋の激戦地であった硫黄島は敗戦後しばらく米国が占領しており米軍の基地を建設しました。建設にあたって米国は米兵の遺骸は収集しましたが、日本兵の遺骸は放置したままでした。次いで、硫黄島が日本に返還されてから、自衛隊の基地が建設されました。この建設にあたって政府は日本兵の遺骨収集は行わなかったのではないかと思われます。その後、民主党政権の時代に、菅首相が硫黄島に未だに日本兵の遺骨が大量に残されていることを知って、予算数億円をつけて遺骨収集を行うことに決めました。でもそのあと、政権が代わってしまったこともあり、果たしてどれだけ遺骨が収集されたのか定かではありません。大半は未だに残されているのでは・・・とGGIは疑っております

なお硫黄島の住民は自衛隊員だけであり、一般の市民は遺族が慰霊に訪れる場合にだけ島への立ち入りを許されることになっているそうです・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

お寺さんの掲示板を目にして、いまさらながら我が人生に若干なやんでしまうの記

2021-11-10 01:30:29 | 日記
一昨日、ビールやお酒やお米の配達を頼みに近くの永年馴染みの酒屋さんにまいりました。酒屋さんの向かいにはお寺の門があり、そのわきの掲示板には、いつも仏さまの教えや教えに関連した一文を著わした手書きの貼り紙が貼りだされています。

以前の日誌に、このお寺の住職さんは中学高校でGGIの一学年上の先輩であることを記しましたが、酒屋さんの店内に入って、居合わせた店主の奥さんに「前のお寺さんの掲示版、時々へんに難しいことが書いてあって縁なき衆生には理解できんことがあるなあ、もっと易しいことを書いてくださいと住職さんに言っておいてくれませんか」と言いましたら、「ハッハッハ、ほんまですねえ」と明るく笑っておりました。

と申しますのは、かつて「善人とは暗い人 悪人とは明るい人」と記されていたことがあって、そのときは大変頭を悩ませたことがあるからです(このときのことは今年の1月19日の日記に書いておきました)。一昨日は、酒屋さんを出てからお寺さんの掲示板のほうに目をやりましたら、新しい貼り紙がしてありました。

今日の写真はこの貼り紙を撮ったものです。よろしければクリックしてしかとご覧くださいませ。貼り紙に曰く

善し 悪し
損  得
好き 嫌い
ばかりで生きる
  私

う~ん、簡潔な一文ではありますが・・・この一文、「私は良し悪しと損得と好き嫌いだけを尺度にして生きる・・・」ということでありませうが、これはおそらく「でも、そんなことで良いのであろうか」と言った反語的意味あいを込めたものであろう、と勝手に解釈いたしました・・・

そこでGGI、今度の貼り紙、意味はよく分かった、と思い込んで念のために写真に撮っておこうとデジカメでパチリ・・・

ところが今夜、この写真をしばらく眺めながら、この一文の意味についてもう一度考えておりますうちに、わが身を振り返っていろいろ迷いが生じてきました

そやなあ、オレはどうなのであろうか・・・ではオレは良し悪しで生きてきたのであろうか・・・どうもはっきりせんなあ、ひごろ何か物事の善し悪しに強くこだわることはあまりないけれど、ものごとの善し悪しを判断するということはあるよなあ・・・それに、たいして善いこともたいして悪いこともあんまりしてこなかったしなあ、そやなあ、善悪なあ・・・

それに損得かあ・・・そやなあ・・・損得にはこだわらないというほど立派ではないけれど、それにしてもGGIは元々貧乏たらしい生活をしているだけ、だから損得話にはあまり縁がないし、人生を左右するような重大な損得話が降ってわいたりするようなことはないから損得には関心の持ちようがないしなあ・・・でも、人間関係の損得となるとやっかい、あまり頭を突っ込みたくないよなあ・・・そやなあ、損得なあ・・・

それに好き嫌いかあ・・・そやなあ・・・食べ物の好き嫌いは別として、人間関係に若干の好き嫌いがないわけでもないというか、好き嫌いしていないふりはしてるというか・・・でもなあ、もともと、この世に生を受けて以来、どうも生きるエネルギーが本質的に欠如にしているようなので、誰か他人や何かモノや物事を極端に好きになったり毛嫌いするほどのエネルギーにもともと欠けているからなあ、苦手な人間というのはいるけどなあ・・・とにかく好き嫌いに強くこだわったりするのはしんどい、エネルギーがいるからなあ・・・そやなあ、好き嫌いなあ・・・

などと、あれこれ、あれこれ、そやなあ、そやなあと深夜堂々巡りをしておりますうちに、我が人生、いったい何やったのやろう・・・結局、そやなあ人生だったのかなあと、つまり優柔不断、連続的不決断の人生、ひとことで言えばウジウジ(UGUG)人生に過ぎなかったのかもしれないなあ・・・というわけで、はたと若干深淵なる疑問にぶつかってしまいました

俺の人生、善し悪しを強く意識して生きてきたわけでもないし、損得にも強くこだわって生きてきたわけでもないし、それに好き嫌いで多少のゴタゴタはあったかもしれないけれど好き嫌いに流されっぱなしで生きてきたわけでもないし・・・

それに、信仰なるものにも縁なき衆生だったし、すると、果たして、いったい俺はいったい何を指標?にして、何を大切に思って、何を頼りにして、生きてきたのやろう・・・

それに、このお寺さんの張り紙には「善し悪し、損得、好き嫌いだけで」と書いてあるところをみると、善し悪し、損得、好き嫌い以外の事柄っていうのは何を指すのかなあ・・・これはおそらくこれらの事柄以外にもっと大切なことがありますよ、という意味なのやろうなあ、その大切なことって何だろうなあ・・・そのことを知りたければ仏さまの教えをもっと勉強しなさいということかなあ・・・

などと、迷路を彷徨うかのように悩んでしまうに至っていたのです。ひらたく申し上げれば、これまでの我が人生、いったい何を頼りに生きてきたのであろう、わが人生に何か意味らしきものが果たして若干でもあったのであろうか・・・などなど、ちょっとカシコバカぶって申しますと、この年になってしまってから、どうやらGGIは存在することの不安といったものに若干襲われたようでありました・・・中年をすっかり過ぎてしまってから、存在すこることの不安という森に迷い込んでしまうなんて・・・この年になって、いまさらながら存在することの不安について考えてしまうとは・・・

などとぼんやり考え込んでおりましら、とつぜんチェコ出身の作家、ミラン・クンデラが仏語で書いた小説の題名が心に浮かびました。題名は

《存在の耐えられない軽さ》

この題名、一風変わった日本語離れした題名ですが、仏語の原題、l'Insoutenable légèreté de l'être を直訳したものです

GGIはこの小説、読んでおりませぬ。チェコを代表する作家のひとり、クンデラは、いわゆる「プラハの春」(1968年に起きたチェコスロバキアの変革運動)を支持していたのですがソ連軍がプラハに侵攻してきたためにフランスに亡命した作家です。この小説、「プラハの春」という歴史的なできごとを背景として著わされたものであり、歴史の激流に運命を翻弄された人物たちを描いた小説のようでありますが、読んでおりませんので、哲学めいたこの題名が何を意味しているかは何も知りませぬ。ただ、どういうわけか、この題名だけが永年にわたりGGIの脳ミソに強く焼き付いているのです。

存在の耐えられない軽さかあ・・・そやなあ、確かに、そうかも知れんなあ・・・耐えられない軽さか、そやなあ・・・おそらくそうやろなあ・・・でも、「存在」っていったい何や・・・

さてさて、まことに余計なおせっかいでございますが、みなさんはこのお寺さんの貼り紙をご覧になって、自らの人生を如何様に思われたでありませうか

今日もまったく訳の分からない意味なき日記となってしまいました。お許しください。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!