UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

老骨奥の細道:津波の最大の被災地、陸前高田・・・そして阪神大震災のヘンな想ひ出・・・

2014-09-19 01:22:59 | 日記

大船渡をあとにして岩手県最南端の町、陸前高田市に入りますと、大きな工事現場が姿を現しました、まずは高さが二十メートルほどあるでしょうか、広大な荒れ地に大きな杭打ち機が大空に向けて何本も何本も高々と伸びている光景は見に入りました、GGIはこれほど多くの杭打ち機を一度に目にしたことはありませぬ、まさに林立しているという感じでありましたが、いったい何の工事を行っているのかは、さっぱり分りかねました、

 杭打ち機の林を通り過ぎると、次いで、海岸線にそって新しい土が入れられてきれいに整地されている、甲子園の何倍という言い方がふさわしい、広大な場所が現れました、ところどころにトラクターが走りまわっていましたが、このあと建設工事か何かが予定されているのでしょうか・・・

 そして街の中心部に入りますと、道路に沿って巨大なパイプラインのようなものが何キロも続いている光景が目に入りました、何だろうと思って振りかえって見てみますとパイプラインの端っこから土砂が吐き出されています

 パイプラインのように見えたものは、実は数キロ先にある山の一部を削って生じた土砂を町の中心部の工事現場に運ぶためのベルトコンベアでありました、ダンプで運んでいるのではまどろっこしいというわけでありませう

 今夜の写真はこのベルトコンベアを撮ったものです、と言いたいのですが、GGIの撮りました写真では分りにくいので、サンケイ新聞が今年3月末に掲載していた写真を無断借用いたしました

 サンケイ新聞の記事によれば、この巨大なベルトコンベアはこの3月に完成したとのこと、中心部から数キロ離れたところにある山を削って高台を造成し、削って生じた土砂をコンベアで中心部に運び、盛り土用に使うとのことです

 陸前高田市は津波の最大の被災地の一つであると言ってよいでありませう、震災の大津波で、人口の7%にあたる約1800人の住民が犠牲になったとされています、大震災のよる死者の一割弱を陸前高田市が占めていることになります、現市長さんも奥さんを津波で亡くされたそうです

 未だ工事の真っ最中という感じでありますから、人々が戻ってきて暮らすことができるようになるのはまだまだ先のことでありませう・・・

 GGI1995年の阪神・淡路大震災のとき、何度も足を運んだのですが、市街地の復興の速度は、やはり東日本大震災よりはずいぶん早かったように思います、GGIの記憶は定かではないのですが、阪神大震災の場合、3年後には復興住宅と称された高層マンションがかなり完成していて、被災した人々が入居しはじめていたのではないかと思います、

 GGIがボランティアを装って若干の手助けをしたことのある彷徨える盲目の老ギャンブラーは、西宮の阪急の駅の近くに建てられたばかりの高層マンション、3LDKの部屋を早々と抽選で手に入れました、そのとき、GGIはほんのちょっぴり引っ越しの手伝いをいたしました

 このギャンブラー氏、引っ越しで運び込んだ荷物を前にして、「もっと大きな液晶テレビが欲しいからGGIさん、買いに行くとき、いっしょに来てくれない?」とのたまいました、ところが目の前にGGIのブラウン管式のテレビよりはよっぽど大きい液晶テレビが置かれています、ですから、GGIは遠慮なく申しました

「こんな大きなのがあるから買わんでもええやないか、それにどうせ見えないのやから、ちょっと大きくなったところでたいして変わらんやろ」

GGIさんはちっとも分かってないなあ、大きくなるほど音響もすごいのや、競馬の実況中継なんか、すこし大きくなるだけで迫力がまるで違うのや」

どうやら、このギャンブラー氏、競馬専門のチャンネルで大儲けしようとたくらんでいるようでありました

 この老ギャンブラー氏、都会ではあん摩やマッサージの仕事が激減してしまっため、その後、温泉に出稼ぎに行くことになりました、冷たい風が吹き、雪までちらついている十一月末の某日、GGIは岐阜の下呂温泉まで送っていったのでありますがこの老ギャンブラー氏、、しばらくして下呂温泉から遁走、消息不明となってしまいました、目が見えないことなんかまったく気にしていない、元気かつ極めて身勝手な、とても愉快な人物でありましたが・・・・

 今夜も話が脱線いたしました、どうかお許しください

 グッドナイト・グッドラック!

 

コメント
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