UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

人生論・・・ひとにメイワクをかけない生き方・・・

2019-02-15 01:40:44 | 日記
今日は人生論でございます。

GGIよ、お前なんかに人生論なんてムリムリ、聞きたくもないと言う声が聞こえてまいりますが、まじめな話でございます。まあだまされたと思って・・・

一昨日、シルバー人材センターのオジサンたちが朝からやってきてわが庵のガーデンの木をバッサバッサと剪定してくれました。おかげさまで、わが庭は見違えるようにスッキリいたしました。外科医は何でも切りたがる習性があると申しますが、剪定オジサンたちも、私たちは何でも切りたがるのだと自慢げに自称しておりました。おかげで、我が庭はスッキリを通り越して・・・まるで坊主頭になったみたいです

今日の写真はスッキリし過ぎてしまったわがサザンガーデンを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

わがガーデンに勝手に出入りしている日ごろは無愛想なクロネコがさっそくやってきて「やあ、GGIのオッサン、庭きれいになったなあ、気持ちがいいなあ、きれいになったからオシッコしても気持ちいいだろうなあ」と珍しくうれしそうな笑顔を浮かべておりました、ネコもときには笑うのです。

クロネコ君が立ち去ったあと、GGIはぼんやり庭が眺めておりました。もうオレも年取ってしまったからなあ・・・だから、この庭、いっそのこと枯山水なんかにして、ワビ・サビの境地に浸って悟りをひらいたりしようかなあ、などとわが人生の来し方・行く末などになんとなく思いをはせてしまいました

そうやなあ、人の生き方には二種類あるなあ、ヒトに迷惑をかけない生き方とヒトに迷惑をかける生き方・・・

今の親はともかく昔の親は自分の子どもに「何をしてもいいけどヒトさまに迷惑をかけることだけはしないように」といったりするのが主流だったように思います。

まあ、このようなヒトに迷惑をかけない生き方、敷島の大和心を尊ぶ礼儀正しき日本人の倫理観にあっているのかもしれませぬ。でも、世の中、もちろん実際にはヒトに迷惑をかける生き方をする人も存在しています。一般的に申し上げて、元気の良いヒトはメイワクをかけることをものともしない確率がたかいようであります。

果たしてどちらが良いのか・・・一概に何とも言えませぬ。人の迷惑はかけているけれど世の中に役立つ、ヒトのためになることを行うヒト、迷惑をかけないけど、ただそれだけで何もしないヒト・・・

はっきり申し上げますと、思い切って申し上げますが、GGIはヒトにメイワクをかけないヒトであります。少なくともそのように努力しているつもりであります。

GGIの知人は元気な人が大半です。元気があるからヒトに少々メイワクをかけるのは平気です。たとえば彼らの多くは予告抜きで、あるいはほんの直前に一方的に予告するだけで、わが庵を突如来訪するのを常としています。今日は午後用事があるなあ、これからでかけようかなどと思っているときにやって来て、勝手に居間にまで入り込んで、ちゃぶ台のまわりに散在しているサブトンに座って、「ああ、ここはくつろぐなあ」などとほざいたり、ときにはサブトンを重ねて枕にして横になったりいたします。

先日も元気な知人二人が突然やってきました。この二人はわが庵訪問は初めてでありましたがアポまったくなしでありました。買い物から帰ってきましたら大通りに面したわがノーザンガーデンの隅っこにたむろしておりました

「どうしたんや、君ら、いきなり」

「いやなあ、あの有名な北向き地蔵に行ってきたんや、帰りにこの道、川沿いにくだっていったらGGIの庵に着くやろうと思って・・・・それでやっと探し当ててサザンガーデンの方から入って、《お~い、GGI!》と何度か叫んだけど出てこないからウロウロしていたら、隣家の奥さんが聞きつけて出てきて、GGIさんの家、玄関はもっと向こう、このサザンガーデンをぐるっと回って、と教えてくれたんや・・・会えて良かった、ちょっと上がらせてくれない?」

「あかん、アポなし突撃で上がらしてくれとは厚かましい、いま中は散らかっているからあかん、こんどアポありで来てくれたらきれいにしておくから」

「そんな冷たいこというなよ、せっかく孤独なGGIを慰問にきたのやから。バチがあたるぞ、上がらせてくれんと」

強引に押し切られてしまいました。1等応接室はセッティングに時間を要しますので仕方なしに居間に通しました。すぐにちゃぶ台にまわりにたむろして曰く

「うわあ、散らかってるなあ、そやけどこのくらい散らかっている方が何となく落ち着くなあ」

この二人はヒトにメイワクをかけて元気に生きる人種の典型であります。わが知人のなかには、生きていた頃さんざんGGIにメイワクかけてからアッサリ亡くなってしまい、死後も結構メイワクをかけてくれる人物もいたりします。まあ死後までともなりますと、これも運命かと悟らざるを得ませぬ・・・

キレイになった庭を眺めながら、オレは人にメイワクをかけない生き方としてきたよなあ、なにしろオレは生まれてこの方元気だったためしはないからなあ、だからメイワクをかけようがないよなあ、だから胸を張って言えるよなあ,メイワクかけていないと・・でもただメイワクをかけなかっただけの話かなあ、ヒト様のお役にたつようなことは何もしなかったわけや、これもなんか若干さびしい気がするなあ・・・・

などと考えていましたら、あることにハッと気づきました、イヤ、オレ、結構メイワクかけている、ということに気づいたのです。

どのようなメイワクであるか、このメイワクの素が今日の写真に写っていますので写真を良くご覧になってください。

写真の中央、やや右寄りに長方形のものが見えますね。これがメイワクの素です。これは水道のメーターが入っている箱のフタです。月に一度、検針する人がやってきてフタを開いてメーターを読み取ります

この水道のメーター、いまは庭がキレイサッパリとしておりまので、どこにあるのか、その所在はひと目ですぐに分かります。でも夏になると・・・夏が訪れ草々がバッコしますと行方不明になってしまいます。夏から秋、そして冬になって草々が茂りに茂ってから枯れてしまっても、手入れ皆無に近い我が庭の草クンたちが水道のメーターを完璧に隠蔽してしまうのです。メーターを検針するヒトは思っていることでありませう

「なんという家や、庭の手入れを何にもせずに、草を生い茂らせて・・・どこにメーターがあるか分からんやないか、八重葎何などと何を気取ってるんや、これじゃ雑草無限地獄庵やないか、ヒトのメイワクを考えろよ!ショモないブログを書く時間があったらメータの周りぐらい、草を刈っておけよ!」

しかしながら、メイワクの問題は主観的な問題でもあります。メイワクをかけた方が「かけた」という自覚があり、「かけられた」ほうにも「かけられた」という意識があってはじめて「迷惑」と言う行為は成り立つからです。両者の意識が一致ないかぎり「迷惑」は成立いたしません。まことに残念ですがわが知人たちの意識とGGIの知識はほとんどの場合まるで一致しておりませぬ。かれらは「老人慰問」という親切心でわが庵を予告なしに訪問している、自分は世のためヒトのため役に立っていると勝手に確信しているからです。両者の意識が一致していない場合は「迷惑」ではなく「メイワク」と表現するしかありませぬ・・・人生は一筋縄ではいかないのであります・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする