お目出度いのですが、我が家は普通に今日も看護の日々です。介護じゃあないから良いのか?
今朝は3時半過ぎにつまが起きてきたので交代して、さっと御風呂に入って身体を温めて眠りました。最後に見た目覚まし時計は4時を過ぎていたのを憶えています。
気が付いたら11時でした。寒いですね。そっと起き上がりました。階下に降りるとつまが洋画を見ていました。ねこさんはすやすや。あとで御飯を何か食べさせましょう。朝方、フードを良くつぶしたのに鰹節を掛けたのを食べたそうな。わたくしが寝る前にはヨーグルトも大匙一杯近く食べましたしね。
まあ取りあえず、二人で正月の料理を食べましょうとお昼には早いけど、朝には遅いなあと思いつつ。まずは煮物を戴きましょう。今年も慈姑は高くて諦めました。それぐらいかなあ、あとは例年通りと言いますか、昔母が作っていた頃と同じように。
本当の子供の頃、10歳ぐらいまでは家で鶏を飼っていましてね、それをつぶして、内臓も入れましてね、ああ、前にキンカンもと書いたのは鶏の卵の体内に有るやつですかね、アレをキンカンなんて言いましたね。子供心にちょっと怖かったけど好きでしたね。あと骨とモモ肉を厚いまな板の上で、鉈で良く叩きましてね、今で言うつくねですか、そういうのも入れました。無駄にせず、ガサを増やしてと言う母の工夫だったんでしょうね。一度再現してみたいなあ。骨までは入れなくても、軟骨ぐらいのところを叩いてね、田舎から鶏肉を送って貰おうかなあ。その汁で蕎麦、なんて良いだろうな。
蒲鉾、正月だけ買う小田原の高いやつ。「鈴ひろ」と言いましたかね。「まるう」より高いんですよ。まあ魚屋では一番高いやつ。それ以上のを食べる暮らしは出来ていませんもので。
お雑煮。関東のちょっと田舎風ですか。牛蒡人参、鶏肉のだし。肉も入れてます。妻の実家、父方は栃木県、母は東京ですが、親の出は新潟県ですが、同じような物だったみたいですね。時々気まぐれに江戸風、かつお節の出汁で、簡単に蒲鉾一枚、餅一切れ、菜っ葉少し、と言うようなのも作りますがね。
デザート、従弟自製の干し柿です。そろそろ底をつきそう。本人曰く、剥くだけだもの、あとは干しておくだけ、大したことないよ、と言いますが、大変だよなあと思いますね。有り難いです。
抹茶を点てて貰いました。実はお替わりしてもう一杯。貧乏なおっさんの唯一の贅沢です。茶碗はこれ。
つまが30ぐらいの頃かなあ、毎日行っていた陶芸で焼いてきた織部。貧乏だったけど、好きなことをして生きてきましたね。
食べたあと、鶏のレバーを擂り鉢ですってねこさんにあげました。最初は面倒臭そうに、食べ出すとゆっくりですがよく食べてくれ完食出来ました。椅子から飛び降りて水を入れた容器まで歩きがぶがぶと飲んでいましたね。結構元気が出て来たみたい。飲み終わったら椅子に飛び上がり、ベッドにしている椅子に飛び移り、自分で寝方を決めて寝ました。うん、これで生き返るかな。随分と心配したけど。今日も5時に病院へ行って点滴を受ける予定です。首が据わらない、斜頸と言うんですか、あの症状も随分と軽減されたようです。
そんなこんなで、年が変わっても何の変わりもなく、日々の暮らしは続いていきます。今年もよろしくお願いいたします。皆様のご健勝をお祈りいたします。
今朝は3時半過ぎにつまが起きてきたので交代して、さっと御風呂に入って身体を温めて眠りました。最後に見た目覚まし時計は4時を過ぎていたのを憶えています。
気が付いたら11時でした。寒いですね。そっと起き上がりました。階下に降りるとつまが洋画を見ていました。ねこさんはすやすや。あとで御飯を何か食べさせましょう。朝方、フードを良くつぶしたのに鰹節を掛けたのを食べたそうな。わたくしが寝る前にはヨーグルトも大匙一杯近く食べましたしね。
まあ取りあえず、二人で正月の料理を食べましょうとお昼には早いけど、朝には遅いなあと思いつつ。まずは煮物を戴きましょう。今年も慈姑は高くて諦めました。それぐらいかなあ、あとは例年通りと言いますか、昔母が作っていた頃と同じように。
本当の子供の頃、10歳ぐらいまでは家で鶏を飼っていましてね、それをつぶして、内臓も入れましてね、ああ、前にキンカンもと書いたのは鶏の卵の体内に有るやつですかね、アレをキンカンなんて言いましたね。子供心にちょっと怖かったけど好きでしたね。あと骨とモモ肉を厚いまな板の上で、鉈で良く叩きましてね、今で言うつくねですか、そういうのも入れました。無駄にせず、ガサを増やしてと言う母の工夫だったんでしょうね。一度再現してみたいなあ。骨までは入れなくても、軟骨ぐらいのところを叩いてね、田舎から鶏肉を送って貰おうかなあ。その汁で蕎麦、なんて良いだろうな。
蒲鉾、正月だけ買う小田原の高いやつ。「鈴ひろ」と言いましたかね。「まるう」より高いんですよ。まあ魚屋では一番高いやつ。それ以上のを食べる暮らしは出来ていませんもので。
お雑煮。関東のちょっと田舎風ですか。牛蒡人参、鶏肉のだし。肉も入れてます。妻の実家、父方は栃木県、母は東京ですが、親の出は新潟県ですが、同じような物だったみたいですね。時々気まぐれに江戸風、かつお節の出汁で、簡単に蒲鉾一枚、餅一切れ、菜っ葉少し、と言うようなのも作りますがね。
デザート、従弟自製の干し柿です。そろそろ底をつきそう。本人曰く、剥くだけだもの、あとは干しておくだけ、大したことないよ、と言いますが、大変だよなあと思いますね。有り難いです。
抹茶を点てて貰いました。実はお替わりしてもう一杯。貧乏なおっさんの唯一の贅沢です。茶碗はこれ。
つまが30ぐらいの頃かなあ、毎日行っていた陶芸で焼いてきた織部。貧乏だったけど、好きなことをして生きてきましたね。
食べたあと、鶏のレバーを擂り鉢ですってねこさんにあげました。最初は面倒臭そうに、食べ出すとゆっくりですがよく食べてくれ完食出来ました。椅子から飛び降りて水を入れた容器まで歩きがぶがぶと飲んでいましたね。結構元気が出て来たみたい。飲み終わったら椅子に飛び上がり、ベッドにしている椅子に飛び移り、自分で寝方を決めて寝ました。うん、これで生き返るかな。随分と心配したけど。今日も5時に病院へ行って点滴を受ける予定です。首が据わらない、斜頸と言うんですか、あの症状も随分と軽減されたようです。
そんなこんなで、年が変わっても何の変わりもなく、日々の暮らしは続いていきます。今年もよろしくお願いいたします。皆様のご健勝をお祈りいたします。
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