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つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ テレビ

2017-12-14 21:07:48 | エッセイ

エッセイ テレビ   課題 【お気に入りの芸能・芸術】  2017.11.10

テレビの録画を、やっと使いこなせるようになった。
買った時に使い方をきちんと説明をしてもらったのに、二、三度でつまずき一年近く録画ができなかった。
保証期間が一年とあったので電気屋さんに来てもらった。
太った青年は汗を拭きながら「本体の故障は一年保証ですが、使い方の保証期間はありません」と早口で言う。

今度は相手のペースに巻き込まれないよう、ゆっくり復習し、説明書にメモした。

録画でいいことは、好きな時間に見られることと、民放のコマーシャルは早送りにして見られる。
じっくり見たいドキュメンタリー番組やドラマ、映画など、録画のお陰で退屈な時間を過ごさなくていい。

最近、映画を見るようになって気づいたことがある。
テレビのドラマでいつも違和感があった。
本当らしくないことだ。

長旅をしてきた人が折り目の付いた着物や真っ白な足袋を履いている。
着替えらしき物も持っていない旅人がそんなに綺麗な訳がない。
又、長屋のおかみさんの髪が乱れてないし、子供達は洗いざらしの着物も着ていない。
木綿は毎日着ていると体にそった皺があるはずだ。
道も平坦、ぬかるみも泥道もない。
言い出したらきりがない。
衣装や小道具、背景、時代考証がとてもおろそかだ。
そう感じながら見ていると、白けた気分になってくる。

何にも予定がない午後、録画の映画「油断大敵」を見た。
老練な泥棒と新米刑事が出てくる、二〇〇四年の作品だ。
テレビドラマは、大概、刑事ものでは事件現場やパトカーが走りまわるお決まりの物が出てくる。
しかし映画の中では、刑事の普通の暮らしの様子や日常が丁寧に描かれている。
自白をさせる場面では、長いカットで二人の表情を追う。
眼の動き、頬の震え「ああそうだろうな」と何の違和感もなく見入ってしまった。
役者の細かい表情が見られる映画はいい。
多分舞台劇では、そういう細かなところは見られないだろう。
ドラマを見るなら、私は映画がいいなと思う。

  先生の講評・・・テレビドラマの薄さがよく伝わる。
            ビジュワル表現として一番細かく完成されているのは映画だろう。
            舞台は完成度は落ちるが、生の一回だけの独特な迫力はある。

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エッセイ 里山を歩く(サシバ)

2017-10-28 14:42:06 | エッセイ

エッセイ 里山を歩く(サシバ)    【自由課題・季節】 2017年10月13日

月に一度、地元のグループと狭山丘陵の里山を歩いている。
一応ガイドブックに沿ってはいるが、道草や回り道が多い。
長年続いている仲間だから、顔を合わせるだけでも嬉しい。
面白いのはそれぞれのはっきりした年齢を知らないことだ。
初めからお幾つですか? などと野暮なことは聞かなかった。
見た目や雰囲気で「一つ違い」の姉か、妹になる。十歳も離れていても「一つ違いのお姉さん」で通る。

 九月は都バスに乗って、旧青梅街道を箱根ヶ崎に近い瑞穂第一小学校前で降りた。
住宅街を抜けて、大日山遊歩道を上る。
ここは道の両端から鬱蒼と木が覆いかぶさり、見上げるような急な坂道だ。
ゆっくり息を詰めて登る。
途中に牛を飼っている家があり、懐かしい匂いに小さく「うわー」と顔を見合わせる。

登りきった先に、古い墓石の墓地が広がる。
同じ名前が多いのは土地の人が多いからだろう。
昔は舗装もされていない坂道で、葬列は大変だったのではと思う。

 墓地を後に出会いの辻から六道山公園の展望台に行く。
狭山丘陵を空から見ると平地の中の緑の孤島の様だと言うが、成程、五階建ての展望台からの眺めは、山の上とは違った大きな森の真ん中にいるよう様な感じだ。

九月から十月は鷹の仲間「サシバの渡り」が見られる。
晴れた日、サシバが群れを作って南に向かって渡っていく。
サシバは谷戸や水田などに居るカエルやヘビなどを捕って子育てをする里山の鳥だ。
子育てを終わったファミリーが、「今日、出発するよ」なんて何かの合図をし合って、ここに集合し、飛び立つのかと思うと、「元気でね」と声をかけてやりたい。

展望台は、大きな望遠鏡やカメラを固定した人たちが大勢いた。
曇った日だったからか、今日は、まだ渡りはないようだと言葉を交わしていた。

    先生の講評 ・・・・・ サシバ、残念だった。これが見られれば文の核になった。
                 「飛ぶ」イメージのよりどころだから。
                 でも、「歩く」も地道でいい。

 

 

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エッセイ 石川啄木に触発されて

2017-10-20 08:01:03 | エッセイ

エッセイ 石川啄木に触発されて   課題【石川啄木に触発されて】 2008・4・25

  
     呆れたる母の言葉に
     気がつけば
     茶碗も箸もて敲きてありき

石川啄木のこの詩に、心動くのは、息子と、母の日常が思われるからです。
情景は違っても、私にもこんな日々もあったような、そんな気がします。
母として、どうしてあの頃は心に余裕が無かったのか、子育て終了期の今、心のどこかがチクリと痛みます。

私には二人の息子がいますが、夫の転勤に伴い、何度かの転校をしました。
息子たちも,環境の変化に合わせようと努力をしていた筈なのに、未熟な母は、家庭の型を整える事に精一杯で、いろいろな要求を、し過ぎたように思います。
そんな母親に、長男は、自分の気持ちを抑える時があったのでしょう、ドアーにこぶしの跡がありました。

     薬のむことを忘れて、
     ひさしぶりに、
     母に叱られしをうれしと思える。

母はどこまでいっても息子の心配をする。
日常、言い争いがあったとしても、その中に優しい気持ちの交換も感じられてこの詩はほっとします。
今、わが家の長男は自活していますが、時々の会話で口癖の「うるさいよ!」、まだ家に居る二男は、話しかけても「わかった、それで?」とクールな返事ですが、気持ちは通じている筈だと、その後の言葉を飲み込みます。

     たわむれに母を背負いて
     そのあまり軽きに泣きて
     三歩歩まず

この詩は、母と息子の、心の終着点かもしれない。
石川啄木という、才能のある息子を、支え励まし生きてきた母親に、現実の生活の困窮、家族の放浪や、自身の病気、何よりも、文学の挫折が辛く、詫びている様な深い愛情が感じられます。

  つつじのつぶやき・・・エッセイ講座に入って2作目の作品です。
                10年以上書いておられる先輩方が何人も・・・、緊張しました。
               そんな先輩の中に、この課題は苦労した、書かなければと
               「イシカワタクボク、ボク・ボク・ボク」と唱えていましたと言っていたことを思い出します。

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エッセイ 里山のミカン

2017-10-09 17:04:02 | エッセイ

エッセイ 里山のみかん  課題 【秋・自由課題】 2008.10・10 

 「みかんは上に生ってるのより、下の方の、葉っぱの陰の小さい方が、甘いんだよ」

みかん山は、石垣を組み、段々畑にして日当りを確保している。
上に行くのはかなり急勾配な坂道を登る。
坂の途中に、作業でもする時使うのか、小さな広場がある。
そこへ、八十歳を過ぎたという老主人が、杖をつきながら上ってきて、笑顔で言った。

月に一度、狭山丘陵の、里山風景を訪ねて歩いている。
グループの年代はまちまちだが、あえて年齢は聞かない事になっている。
ただ、「若い人はー」とか「歳だからー」の言葉が出ると、「1つだけのお姉さんよね」と、お互いに笑って済ませる。
道草しながらの道中で、思い出話になると、年齢は殆んど察しが付いてしまう。

今年も、みかん狩りに行った。
スタートは青梅街道にある長円寺。
境内のキンモクセイの大樹はすっかり花の盛りを終わって、今は紅葉が真っ赤に色づいている。

野山北公園から、落ち葉を踏みしめて六道山に入り、大将山に抜ける。
大将山は低い山だが、尾根から見下ろす風景は、何だか、ヤッパリ大将になったようないい気分になる。
大将山を下って、みかん狩りのできる農家にたどり着く。

何時ものように、篭と鋏を渡されると急いで坂道を上る。
去年もみかん狩りをしたから勝手が分かる。
上へ、少しでも上へと、なるべく人の来ない所、日当りのいい所へと上る。
お日様に充分当たったような、大きな、色のいいみかんを沢山採って、口にも頬ばり自慢しあっていると、そこへ先ほどの老主人の言葉である。

「えー、本当ですか?」と、皆複雑な笑い、何だか自分達の欲張りを見られたような気分だ。
でも、今更やり直しは出来ない。

頑張る年代、食べ物は大切に、そういう教えも守ってきた同世代だ、「もうしょうがないわね、来年、美味しいみかんを見つけよう」と、欲張った事を大いに笑いあった。

 先生の講評・・・すっきりした自然、人間描写、下線に世代が出ている。

 つつじのつぶやき・・・9年前前の作品です。
               相変わらず、里山散策を楽しんでいます。

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エッセイ 土曜のウナギ

2017-09-22 07:04:25 | エッセイ

エッセイ 土用のウナギ 【自由課題】   2017年8月25日

「ハイお土産だよ」と、夫が小さな包みを渡してくれた。
「えー買ったの」
「これを買うために昼飯を節約したよ、蕎麦屋に行って蕎麦にして、卵をつけた」
「卵をつけるとは豪勢じゃない」

七月の二十五日が土用だとテレビやラジオで話題にしている。
鰻を食べようと言うことだろう。
夫は今朝、出かけに、今日は鰻を食べたいねと言った。
最近はスーパーでも手ごろな値段で売っているが、やっぱり鰻は、お店の焼きたてが食べたい。
でも鰻は高いと思うから、「別に、食べたくない」と言った。

「土用の丑の日には『う』の付くものなら何でも言いそうよ、たとえばうどんでも」
「じゃあ久しぶりにうどんを食べよう」と蕎麦屋に行ったが、やっぱり好きなお蕎麦にしたらしい。

ウナギと言えば、評論家、大宅映子さんのトークショーを聞きに行った時、ゲストに東京大学の塚本勝巳先生が出演された。
ニホンウナギがどこで産卵するか長年追いかけて、二〇〇九年、西マリアナ海近くで、直径一、六ミリの受精卵を見つけたと言う。
あの広い海でと、その話に驚いたことがある。

又何年か前の報道で、輸入されたウナギが港から何度もトラックに積み替えられて、最後に国産ウナギとなって市場に出回っているとか。
ウナギには変わりはないが、育った所が、外国の汚染された川の水だったら困る。

絶対量が足りないのだから仕方がないが、せめて偽装だけはして欲しくない。

夫の買ってきた鰻を温め、炊き立てのご飯に載せ、たれをかける。
山椒の香りもいい。
肝吸いとはいかないが、三つ葉を散らしてお吸い物が出来た。

「やっぱり鰻だな」
「たまにはいいわね」

   先生の講評・・・・・さりげない食事風景。ウナギをゲットする夫の言動がいい。
               庶民の暮らしがある。

   つつじのつぶやき・・・ささやかな暮らしを見てくださった先生、ありがとうございます。        

 

 

 

 

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エッセイ 日の出

2017-08-31 10:28:19 | エッセイ

エッセイ 日の出   課題 【星・月・太陽】 2017年7月28日

私の若い頃、独身の女性がホテルを予約して、何日も観光旅行をするのは贅沢なことだった。
土曜日も休みはなく、休日は日曜日ぐらい、何日もの休暇は取れなかった。

その時分の私は、お金も持っていなかったから、近くにハイキングに行くか、列車に揺られてちょっと遠い、ハイキングに毛の生えた位の山に登山をした。

いつも四人、五人で出かけたが、その時の天気や途中の情報次第ですぐに予定を変更、変り身の早いグループだった。

よく夜行の鈍行列車を待って新宿駅のホームに並んだ。
列車はいつも混んでいて、通路に新聞紙を敷いて座ったり3人掛けをしたり、時々急行券を買うのが贅沢だった。

そんな中でも思い出に残っている山がある。
ある時、友人の会社のグループが富士山に行くと言う。
富士山に登る等と言うチャンスはそんなに無い。頼み込んで連れて行ってもらった。

夜のうちに五合目から登り始め、翌朝の日の出を見、帰りは須走を下りる行程だった。

茶店で金剛杖を買い、気合い十分で出発した。
下では夏の暑さだったから軽装で登り始めたが、夜のせいもあり、登るごとに寒くなる。
暗闇を数本の懐中電灯で照らし、石ころだらけの道を、前の人の靴の後をたどって登る。
暗くて寒い、ようやく八合目に着いた、九合目はもうすぐと山小屋を頼りに登った。
聞いていた高山病になる人もなく、うっすらと明けた、頂上の鳥居の前で皆と万歳をした。

眼下の雲海の下から出てきた日の出は、思ったほど大きくなく感動的と言うものでもなかった。
ただ、ズボンをたくし上げていたら、すぐに日焼けをし、太陽の近くにいるんだと感じた。

富士山に登った自慢話を、家族や友人に何度もしてきた。
今でも富士登山のニュースが流れると夫にする。
いつも「すごいね」と相槌を打ってくれる。
でももう止そう、随分古い話だ、賞味期限はとっくに切れている。

  先生の講評・・・・あの時代、あの若いOLたち、あの休暇、彷彿とする。
             リッチではなかったが、心のはずむ楽しみ。
             確実に時代は移った。それをA印 (最後の2行、下線の部分)
             でユーモラスに決める。

 

 

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エッセイ 星の王子様

2017-08-24 10:40:25 | エッセイ

エッセイ 星の王子様    課題 【ヨーロッパ】  2009.5.22

 柄にも無く、日曜日の朝の食事時は、シャンソンのCDをかける。
夫は「なんにしようかな」と独り言。
私は準備をしながら、「あれがいいんじゃない」と応じる。
こんな時は「私の兵隊さん」がかかる。
別に「ばら色の人生」でも、「ラ・メール」でもいいのだが、最初に「シャンソンっていいな」と感じた曲が、多分、この曲だったような気がするのだ。

結婚記念日のお祝いに、箱根を選んだ。
初日はお決まりの観光コースを回り、次の日は、ネットで検索した「星の王子様ミュージアム」に行くことにした。
「星の王子様」、頭のどこかで聞いた事はあったが、その絵本は読んだ事がなかった。
「お勧めですよ、帰りに仙石原のススキもいいし」と、宿の人に送ってもらった。

お城の門のような所を入ると、無数のシャボン玉が、現実の世界を忘れなさいとでも言うように迎えてくれる。

絵本の世界に行くのかと思って来たが、そうではなく、作者のサンテクジュベリの世界が作られていたのだ。
彼が生きた時代のリオンやパリの古い町並み、大きな中庭、生家のサン=モーリス城の外観を模したお城など、彼が見たであろう景色が作られていた。

そのお城の中は展示ホールになっていて以外に広い。
幼少期の子供部屋や飛行機乗りになってからの基地舎内、その後の仕事部屋が再現され、作品が生まれていく過程も順を追って展示されている。
第二次世界大戦前に、これだけの写真を写し、手紙などもきちんと整理してある。
恵まれた境遇にいたのであろうが、その人生の中、挫折やコンプレックスも、作品の背景などに感じられた。
薄暗い内部、ポイント照明、低く流れるシャンソン、映画で見た、古い時代のパリや、上流階級の生活を感じたミュージアムだった。

「出発しなくていい理由は山ほどあり、兵役免除を受ける根拠だって充分にある。でも、僕は出発する」(43年4月・妻への手紙)

こんな手紙も残して、偵察飛行に一人飛び立ち、コルシカ沖に消えたサンテクジュベリ、その余韻が「私の兵隊さん」の、暗いメロディとだぶる。

   先生の講評・・・・・思い出の曲の由来がよく書かれている。
               「私の兵隊さん」の詞なりメロディ描写が冒頭にあるといい。
               (詞の内容等の具体性でも…)

   つつじのつぶやき・・・エッセイ教室1年目の作品です。
                                なんとなく・・・初々しい・・・と思います。

        

 

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エッセイ お歳は?

2017-07-27 14:11:29 | エッセイ

 エッセイ お歳は?  【自由課題】    2017年6月23日

何時も立川駅前からバスに乗る。
乗り場の先に3人掛けのベンチがあり、大抵お年寄りが座っている。

その日の午後、私の前に年配の女性が二人ベンチに座って、周りの車の音や町の騒音に負けないような大きな声で話していた。
「やっぱりリックが一番ですね、どちらで買われたのですか?」とデパートの袋を沢山抱えた一人が聞いた。
「孫からのプレゼントです」と赤い杖を持ってる一人が言った。
「私は息子から、何とかのブランド品だそうです、お元気そうですね」
「お陰様で、時々はお医者様にも行きますが」
「私はどこも悪いところがなく、何のお薬も飲んでいないのですよ、お年はお幾つ?」
「私は・・・」、それを聞いて一つ若い年を言った。

それから、荷物を多く持った人は、毎日スクワットをしている、片足立ちも出来る、大きく前かがみも出来る、いかに周りの人より若く見られるか、年齢に関することを自慢げに話した。
そして最後に 「かははっ」 とも言うような笑い声を上げる。

「今日はお刺身や何やら、こんなに荷物が増えて、主人は近くのスーパーのお刺身では食べないのです、お刺身の時はデパートの地下に買いに来るので大変です、かははっ」

「かははっ」の後、少し値段が張るが美味しいお店がどこだとか、そこに行ったらどうしたとか、またまた自慢話は続いた。

「昔は吉祥寺に住んでいましたの、あそこは静かで、デパートも近くにあって本当に良いところです」
赤い杖の人は、散々自慢話を聞かされたお返しのように、
「そうですか? 私は阿佐ヶ谷に住んでいましたよ」
吉祥寺より阿佐ヶ谷の方が都心に近いのよと自慢するように、顎を上げて言いた。

高齢になると年齢を言いたがり、聞きたがる。
私はいま暫くは言いたくない。

   先生の講評・・・人物の見方と描写が辛くてよい。
              健康、グルメおたくの高齢者の心理をつかんでいる。
              つまり、通俗を通俗と認識するシャイな目がある。

 

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エッセイ こころ旅

2017-07-05 10:01:06 | エッセイ

エッセイ こころ旅   課題 【好きな俳優・タレント 嫌いな俳優・タレント】 2017年5月26日

NHK・BSに「こころ旅」と言う番組がある。
視聴者の思い出の場所を訪ねて、その時あったことや、風景を追うと言うものだ。

投稿者が心に秘めた風景はそれぞれにあるが、名勝地は殆んど出てこない。
何でもない風景と、その時に感じたいきさつなどが手紙に綴られ、それに近い景色を訪ねて行く。
時には「夕凪の海に沈む夕日」などと書いてあればその時間に近い風景を追うこともある。

レポーターは俳優の火野正平、四人のスタッフと連なって自転車を走らせる。

番組の中で毎回食事風景がある。
地方の街道筋にある食堂の、ごく普通の定食やラーメン等、私も同じような物を注文するだろうと思う物を、美味しそうに食べる。

途中、「満開の桜より、田んぼ一面に咲くレンゲの花が好き」の言葉や、都会育ちのスタッフが怖がるヘビを捕まえて見せたり、小川の泥水の中に手を入れ何かを捕えたりする姿に、元気に遊びまわった少年時代が感じられる。

珍しいシーンがあった。
宿泊先の朝かと思われるが、旅館の浴衣を着、頭は何も被っていない坊主頭に日に焼けた頬、気取らない普通の小父さん、素顔を見たような気がした。

火野は若い時分、たくさんの浮名を流した。
ドラマでは脇役が殆どだと思うが、そちらの方は主役級だった。

当時私はどうしてそんなにモテるのか不思議だった。そんなにハンサムでもないし体格だって普通だし、何が違うのかと思っていた。
今改めて見ていると、人間が本来持っている色気のようなものが、強くあったのだろう。

二年ほど前、NHKテレビの時代劇に出ていたのを見た。
脇役だったが 「あー火野正平が出てる」と、本業は俳優の彼を、不思議な気持ちで見た。

よく仲間うちで、余興に誰かが歌う場面がある。
すぐ目の前で歌っているのを見ると、なんだかとっても可笑しくなって、ただ笑いが止まらない、そんな気持ちと一緒だった。

もう私の心の中に「俳優火野正平」はいる。

  先生の講評 ・・・ 筆者の目線が低く、なおかつ、芸能人への憧れが生活に結びついている。

 

 

 

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エッセイ 蓼科湖畔のバンガロー 

2017-06-19 10:56:37 | エッセイ

エッセイ 蓼科湖のバンガロー   課題 【旅館・ホテル】より 2008.8.8

独身時代、夏になると、長野県の蓼科湖畔のバンガローに行っていた。
友達の会社が契約していて料金が安いのと、何かと便宜を図ってもらえるので、親戚か何かのように通った。

当時蓼科湖畔は、バンガローが多く、民宿も数軒あるというようなところだった。
利用する人は、観光に来る人と、八ヶ岳など登山の延長で泊る人が多かった。

登山帰りの若者は、顔を合わせるとよく挨拶をしあった。

バンガローのご主人は、何とも穏やかな物腰で接してくれる。
ゆっくりとした話しぶりに、つい笑顔になってしまう。
奥さんは、はきはきと物事を取り決めてくれるので、思った事をお願いできるいい夫婦だった。

夜、皆が夕食を終わった頃、ご主人がバンガローの空き地に薪を高く積み始め、各バンガローの扉を叩く。
「フォークダンスが始まるよ」と。

ご主人の誘いと、マイムマイムの音楽が聞こえてくると、皆、広場に向かって集まってくる。

キャンプファーヤーに照らされたご主人のうれしそうな顔。
「ダンスなんて照れるな」なんていっていた者も、「母ちゃんミュージックスタートだよ」の主人の声に手を叩く。

何度か行っている間に、段々民宿の様になり、頼めば食事も出してくれるようになった。 

ある時、会社の夏休みを利用して海に行く約束をした。
友人たちと落ち合うと、海は台風で遊泳禁止が出ているという。
盛り上がった気持ちをもてあまし、蓼科に電話を入れると、「とに角お出で」と言う。
バンガローの空きは無いが、隣の家のバンガローは空いているからそこに泊って、食事とお風呂はこっちで済ませばいいという。
海に行く派手な恰好で蓼科に行ったが、蓼科も雨が降っていて寒かった。

「よく来たね」と、何時もの主人夫婦の温かい笑顔に迎えられた。

  つつじのつぶやき・・・エッセイ教室に通いだした頃の作品です。

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