エッセイ 老眼鏡
五十代の始め、当時勤めていた会社で小さな文字が見えにくくなり、老眼鏡をかけ始めた。
ある時、メガネを掛けたまま洗面所に行き顔を上げたら、随分老けた自分の顔が鏡に映って吃驚した。
「あ~嫌だ、もう辞めようかな」と気持ちがずしっと落ち込んだ。
だから、掛けなくても済む時は、胸のポケットに入れ、出し入れをしながらかけていた。
それから人前では老眼鏡はかけたくないと思っている。
老眼鏡と言っても遠近両用なので、いつも掛けていていいのだが、家では、テレビを見たり、細かい作業をする時にかける。
掃除や階段を下りる時など、かけたまま動くと頭が痛くなるので、動き回る時はかけない。
遠近両用のメガネは何時になっても慣れない。
掛けたりはずしたりするから、あちこちに置き忘れ、「メガネ、メガネ」と呪文のように唱えて探しまわる。
それでも見つからない時は、「メガネは顔の一部です」と、声を出して探すと不思議に見つかる、
コマーシャルの効用だ。
コマーシャルを作った人は、似合ったメガネはお顔が引き立ちますよと言いたいのだろうが、私は、メガネ探しの呪文につかっている。
子供の頃、日常必要だった人には気の毒だが、映画や漫画の中で、メガネを掛けた女性は意地悪で冷たそうとか、成金マダムの金縁メガネなどと、おかしな偏見で描かれていた。
それは普通のメガネの話なのだが、私の中に敬遠する気持ちがあるのかもしれない。
義姉はメガネがよく似合う。
似合うからお洒落なものを買う。
長い時間のおしゃべりの後、バックからメガネを取り出してかけると、急にシャキッとしたいい顔になる。
私は、出かける時は持ち歩いて殆んどかけない。
「メガネが嫌い」はうっとうしいのと顔に自信がない所為だ。
「自分の顔」のことは、まだ往生しきれていない。
課題 【服装・装身具】 2011・2・25
つつじのつぶやき・・・六年前の作品です。
今は毎日眼鏡をかけています。でも相変わらず表ではかけません。