つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

躑躅・つつじ・ツツジ

2020-04-29 10:36:45 | お部屋のこと

今年のつつじは、例年になく花が付きました。
先日の雨に、花びらに雫が溜まって
枝が折れそうになってしまいました。
未だ花が付いている内で可哀そうだったのですが、
昨日盛りが終わったところの枝を切りました。
ただ、ただ花だけのてんこ盛りです。



リビングの窓辺



和室の出窓



玄関、げた箱の上

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霧島つつじ

2020-04-22 09:36:36 | お部屋のこと

2020年4月22日、今朝の霧島つつじです。
(未熟なカメラ技術、本当は息をのむ様な真っ赤なのですが)

新型コロナの感染が治まりません。

出かけられないのは窮屈ですが、

今迄生きてきた中で
何の予定もなく、こんなにのんびりしたことはありません。
ご褒美の長い休暇だと思えば、結構楽しい日々を過ごせています。

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エッセイ 霧島つつじ

2020-04-14 11:20:06 | エッセイ

エッセイ 霧島つつじ 【春・自由課題】   2009.4.10 
     
母の実家は、村の真ん中の砂利道を曲って、山の方に少し上がっていくと、集落が六軒ほどの、一番奥にあった。
昔は大きな農家で、大家族が暮らしていたというが、私の生まれる前に、田畑も家も人手に渡り、屋敷跡には土台の石だけが残っていた。
広い屋敷跡には、葱や菜っ葉の野菜畑、大きな樹木、何かの花も咲いていた。
春になると、背戸のゴツゴツした岩肌に沢山のつつじが咲く。
そのはずれの小さな家に、祖母と、まだ結婚をしていない母の兄、叔父さんが住んでいた。

私は両親と、町中にある家に住んでいた。
叔父さんは町に出かけてくると、私の家に泊まった。
帰る時、幼い私を連れて帰り、しばらく祖母と三人で暮らした。
祖母は、子供を九人も生んだ。
母が末の子供だったので、私から見たら、随分年をとっていた。

優しいお祖母ちゃんと言うのではなかったが、寝る時はいつも一緒だった。
日向の匂いのする布団の中で、お伽話やわらべ歌を聞かせてもらった憶えがある。

叔父さんは、家に帰ると私には関心をみせず、祖母ともあまり話しをしなかった。

私は祖母の後を、一日中付いてまわった。
祖母の傍にいるのにも飽きると、裏山のつつじの木の下に行っておままごとをした。
種類などは分からなかったが、大きな樹の、真っ赤なつつじが大好きだった。
つつじの花と、春の青空を、うっとりと眺めてでもいたのだろうか。

七~八年前、春の風に吹かれて自転車をこいでいると、植木屋さんの畑に赤いつつじを見つけた。
懐かしくなって、植木屋さんに尋ねた。
「霧島つつじです」 幼い日の、あの時に、めぐり合ったと思った。
今、私の庭にも霧島つつじがある。
もうすぐ、真っ赤な花が咲く。


  先生の講評・・・・・・・・表題の通りなら、初出はカラフルにするなど印象を強めたい。
               のどかな人と風景がほうふつとする。

   つつじのつぶやき・・・・・・・困ったコロナですね。
               古い作品です。
               今年もつつじは蕾を膨らませています。

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エッセイ いい言葉

2020-04-03 09:18:23 | エッセイ

エッセイ いい言葉  課題【話す・黙る】 2008.11.14  

昨年秋、日経新聞一面のコラムに、高尾山薬王院山門の看板のことが載っていた。
そこには次の文字が書かれているという。

高いつもりで低いのは、教養
低いつもりで高いのは、気位
深いつもりで浅いのは、知識 
浅いつもりで深いのは、欲、等々、十カ条が掲げてあるそうである。
まだその看板は見た事はないが、そのことばが気になって、時々思い出す。
思い出して考える。
自分には全部当てはまる

多分、このことばを考えた人も、私と同じだったのだろう。

先日友人のところに「オレオレ詐欺」の電話がかかってきた。
友人が出ると「オレオレ」と言って泣き出す例のオレオレ詐欺である。
人の優しさにつけ込み、無防備な人を騙す卑劣な行為だが、こちらにも、ある種の「欲」が潜んでいる事も一因なのかもしれない。
公にはしたくないし、大事にしたくない、早く始末をしたいなど、その本質の対応を忘れている事も、被害が大きくなるのではないだろうか。

友人は、「声が違うみたいだけど」と不審に思い、何度も聞き返した。
泣き声がおかしい、そして、普段、息子は「俺、オレ」とは言わない。
やっと我に返って電話を切り、難を逃れたとか。
何時の頃から、子供は親にむかって「オレ」なんていう言葉を使うようになったのだろう。


青森からりんごを送ってもらった。
中に敷かれた古新聞に、いいことばが載っていた。
読み飛ばして深くは覚えていないが、大体こんな会話だったような。
仲良しだった飲み友達との久し振りの会話だ。 


・・・
「だめだ~、血圧が、今はコーヒーだ」 

  「甕を割ったのかい!」・・・
 なんと風流で、粋な会話をしているのだろう。

  先生の講評・・・冒頭の部分、言葉3題ではあるが通俗のままでジャンプしていない。
           自分には全部当てはまるを、何かエピソード(素材)はないか?

  つつじのつぶやき・・・古い作品です。

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