つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ メロン

2019-04-23 16:02:18 | エッセイ

 エッセイ メロン  【夏・自由課題】  2014/7/11

夫と二人、朝はパン食にしている。
夫々が好きなパンと紅茶、ヨーグルト、ハムかウインナー、枝豆、そして果物と言うメニューを飽きもせずに食べている。

果物は季節によって少し変わるが、秋から冬はリンゴ、春になると柑橘類やイチゴ、たまにはさくらんぼの日もある。
梅雨時は意外と果物の種類が少なく、小玉スイカやメロンを食べる。
メロンと言っても網目模様の高級なものではなく、最近の品種改良された手頃な値段の物を使う。
今朝もメロンを切り分けたが、ふと昔のことを思い出した。

当時渋谷の商事会社に勤めていた。
会社は小さかったが、社長は若く活気があり、社員も楽しい人が多かった。
若手の青年ユウちゃんは、顔はイマイチだが人気者だった。
レストランのウエイトレスをしているケイちゃんという恋人がいて、細いズボンに先の尖がった靴を履き、雨も降っていないのに長い柄の傘を持っていた。
長いスカートのケイちゃんと、流行の「みゆき族」を気取っていた。

集金をしてきて、計算をするのに大きな声で独り言を言う。
「合わないよ」、「飯代は自分の財布から出した」、「俺が机に出したのを、誰か取っただろう」、皆ニヤニヤしながら聞いている。
「ああ、何とか合ったよ」と経理に伝票とお金を出すと「適当に合わすんじゃないよ」と課長の篠さんから声がかかる。
背の高い篠さんは口数の少ない文学青年風だが、時々言う冗談は
面白いから皆に好かれる。

当時は高度成長期で会社の決算は毎回黒字、よく週末に会食があった。

ある時、宇田川町の会席料理に行った。
社長がデザートにメロンが出てくると言ったので期待していた。
最後に、気取った皿の真ん中に、薄く切って倒れそうなメロンが出てきた。
皆は黙って食べた。

突然「メロンて固い物だな」と篠さんが言った。
すかさずユウちゃんが「皮食ってるの」と聞いた。
「こんなに薄いのでは食うところがないよ」と篠さんが言ったので、一気に緊張がほぐれ、皆が笑った。

 

 

 

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エッセイ渋谷の雑居ビル

2019-04-16 15:05:10 | つぶやき・・

 エッセイ 渋谷の雑居ビル  課題【昭和】2010/2/1

独身時代に勤めていた商事会社は、渋谷の古い雑居ビルの二階、突き当たりにあった。
そのビルには、会計事務所や、何かを登記する事務所、昼間でも青白い蛍光灯をつけて図面を書いている事務所などが入っていた。
日本映画監督協会の看板もあり、テレビで見た映画監督を、時々廊下で見かけた。

会社は、朝、配送や集金の人達が伝票を持って出かけ、一足遅れて営業の人達も出払うと、日中は、事務員四、五人と社長で業務をしていた。

当時社長は四十代の中頃だった。
日焼けした顔で、ぶっきらぼうな話し方をする、特攻隊の生き残りだった。

渋谷という地の利と人柄なのか、社長の友達がよく訪ねてきていた。
部屋の隅の大ぶりの応接セットのソファーに、お互いがふんぞり返って、「馬鹿言うな」とか「よせやい」とか、学生同士の会話みたいに話をしていた。

その中に、背の高いイトウさんという友達がいた。
週に何日か、日中出かけてきて、社員のように机に座って、書類や、郵便物を整理していた。
その人宛に、何とか経済という沢山の郵便物が届いていたが、会社の所在地を住所にしているらしかった。

社長は「イトウは学生の頃、すごく頭が良かった」、「あいつは、今、総会屋だよ」と言っていたが、何をするのかよく分からなかった。
時々、「お嬢さんたちに」とお菓子を持ってきてくれる。
そんな時は、応接セットのテーブルにお茶を運んで、皆でご馳走になった。
西日の当たるテーブルを囲んで、あの頃は、どんな話をしていたのだろうか。

私が入社して五年程たった頃、戦後の高度成長と言われる波に乗って、渋谷駅をはさんだ反対方向に、小さな自社ビルを建てて、引っ越しした。
古い友人の話だと、あの雑居ビルは、タイルがはがれるのを防止するネットをかぶって、まだ建っているという。

  つつじのつぶやき・・・・毎年4月、梅が丘に5~6人で集まっています、昨日は5人でした。
          
美登利寿司、羽根木公園、世田谷珈琲毎回お決まりのコース。 

          

 





 

  

 

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浅草のむすめ

2019-04-08 16:01:43 | お部屋のこと

浅草が好きです。
ぶらぶらしながら、お土産屋さんをのぞくのも楽しいです。

10年ほど前に来た「浅草のむすめ」です。
大島紬の布もシックです。

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エッセイ オートバイ

2019-04-01 15:43:09 | エッセイ

エッセイ オートバイ  課題【残す・捨てる】 2011/9/9

ある夏、夫が自転車で転んで大怪我をした。
足首複雑骨折で、2ヶ月近く、会社の近くに入院した。
私は毎日、バスと電車を乗り継ぎ、日陰を探しながら病院へ通った。

昼間、お見舞いのお客様や、仕事の連絡で会社の人が来る。
身体もきつかったが、精神的にも疲れた。

ブスが取れ、リハビリは、自宅近くの病院に変わってその年は暮れた。

年が明け梅の咲くころ、私に異変が起きた。
腰が重く感じたと思ったら、足が痺れ時々猛烈な痛みがくる。
長時間のパソコン操作で、疲れと冷えで筋肉が悲鳴を上げた。

そして春休み、二男がスノボーで足を骨折した。

何と言うことだろうと思った。
家族全員が、足の災難に見舞われた。
何か呪われている。
テレビで見た占いのことを思い出した。
乗らなくなった車を、手入れもしないで放っておくと足を怪我する。

「あっ」と思った。
長男の大きなオートバイを玄関先に置きっ放しにしている。
ナンバープレートを無くして乗らなくなり、そのままにして、アパートに引っ越ししてしまった。

業者に引き取ってもらうには、買った時の証明書が必要だと教えられたが、それも見つからない。
その内、そのうちと二年近くになっている、3月末には自動車税の納期だ。 

雨が降っていたが、思い切って陸運局に行くと、年度末のせいか混雑している。
係員に書類を出すと届出人の証明が必要だと言う。
私は持っていなかったので、車で待っている二男を呼びに行った。

松葉杖を突いた二男に、足を引きずった私が傘を差しかけ、水溜りをよけながら歩く。
順番待ちをしている大勢の人がこちらを見ている。

「気の毒に、家族で交通事故に遭ったのだ」と思われたかもしれない。

  つつじのつぶやき・・・8年前の作品です。
                
新しい春、使われなくなった物はさよううならですね。

 

 

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