京王線狭間駅前に出来た、エスフォルタアリーナ(八王子体育館)
に土曜日、初めて女子バスケットの試合を見にいきました。
夫の友人の娘さんが、「シャンソン」の選手とお聞きして
応援というか、見学をさせていただきました。
女子といえども素早い動きに圧倒されました。
ルールも余り分からないのですが、
とに角、球が入ればいいので、初心者も応援できます。
夫は又今週も行くそうです。
京王線狭間駅前に出来た、エスフォルタアリーナ(八王子体育館)
に土曜日、初めて女子バスケットの試合を見にいきました。
夫の友人の娘さんが、「シャンソン」の選手とお聞きして
応援というか、見学をさせていただきました。
女子といえども素早い動きに圧倒されました。
ルールも余り分からないのですが、
とに角、球が入ればいいので、初心者も応援できます。
夫は又今週も行くそうです。
エッセイ 少飛の塔
旧青梅街道の箱根ヶ崎近くに「岸」というバス停がある。
その近くの「里山民家」の小さな看板に添って住宅地を抜けると突き当り、左に行くと、
狭山丘陵が広がり、都立の里山民家、その後ろに「岸田んぼ」や六道山公園もある。
だが、すぐにはそこに行かず、右に曲がって「禅昌寺」というお寺に行く。
ここに少年飛行兵の慰霊を祭った供養塔がある。
戦前、全国から志願した少年兵が、1年の基礎訓練を終わって、操縦、通信、整備に
分かれ各地で訓練した後に出撃し、4.600人以上の人が亡くなった。
昭和19年頃からは、帰ることのない特攻で出撃した460人も含まれている。
17歳の少年も含まれていたなどを聞くと、息子たちに重ね合わせて素通りはできない。
五年ほど前、夫は、取引先の社長さんが少年飛行兵だったと聞き、私が禅昌寺に行っ
たことを話すと、知らなかったので案内してほしいと言われた、と言う。
社長さんは休みの日、息子さんの運転で迎えに来た。
途中、武蔵村山市大南にあった陸軍航空少年飛行兵学校跡地に立ち、校門から入
るとこの方角に宿舎があったとか、木造の小さな2階建ての家を指さし、「少年の家」
と呼ばれたのはここだったとも教えてくれた。
終戦が近い頃に2度、敵機の爆撃を受けた。
操縦する兵士が見えるような近さだったので死ぬかと思ったとか、休みの日は部屋で
遺書を書いていたなどと、切れ間なく話された。
禅昌寺の境内に「少飛の塔」となって慰霊塔はある。
兵学校跡地に団地ができるので、昭和38年に移され建立されたのでまだ新しい。
過酷な運命に散った少年兵への慰めのように、柵の周りにコスモスが咲いている。
社長さんは記帳箱を開けて、長いことページをめくっていたが、ご自分も記帳された。
元の兵学校跡での興奮した話しぶりとは違い、「ウン、ウン」と小さくつぶやいて、静か
におだやかな口調になった。
箱根旧街道 甘酒茶屋
2年前、お座敷でとろろご飯を頂いて
とっても美味しかったのに、もうメニューには無いとのこと、力餅で昼食。
甘酒は昔からの味? 私の中では、ここが一番。
大涌谷の温泉玉子を食べて
寿命が7年延びました。
夫より長生きして、しっかり介護も引き受けます。
仙石原のススキ
2年前は雨に降られて悲しい風景でしたが、
見事な青空に、朝一番で見に行ったところ、
露に濡れたススキは、銀色に輝いていました。
強羅の宿は、真東の部屋、
大きな羽目殺しのガラス一面朝もやの中に、
オレンジ色の朝日と、影絵のような山の景色、
大きな松が映る光景は、忘れられない思い出になりました。