つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 渋谷の雑居ビル

2023-02-25 14:14:22 | 楽しい仲間
                    

                               先生の講評・・・・・
                                           「イトウ」さんの描写に強烈な存在感が、時代の影がある。
                                           突き放した結末も良し。

                               つつじのつぶやき・・・・・
                                            前回書いた「社長」シリーズの舞台です。
                                           渋谷の栄通りを少し歩き、先日まであった東急デパート本店の前にありました。
                                           私が勤めていた時は、大向小学校でした。
                                           先日、開店当時の様子がニュースに流れ懐かしくなりました。
  

                    渋谷の雑居ビル 課題 【昭和】       2010・2・12


          独身時代に勤めていた商事会社は、渋谷の古い雑居ビルの二階、突き当たりにあった。
          そのビルには、会計事務所や、何かを登記する事務所、昼間でも青白い蛍光灯を
          つけて図面を書いている事務所などが入っていた。
          日本映画監督協会の看板もあり、テレビで見た映画監督を、時々廊下で見かけた。
          会社は、朝、配送や集金の人達が伝票を持って出かける。
          一足遅れて営業の人達も出払うと、日中は、事務員4~5人と社長で業務をしていた。

          当時社長は四十代の中頃だった。
          日焼けした顔で、ぶっきらぼうな話し方をする、特攻隊の生き残りだった。
          渋谷という地の利と人柄なのか、社長の友達がよく訪ねてきていた。
          部屋の隅の大ぶりの応接セットのソファーに、お互いがふんぞり返って、
          「馬鹿言うな」とか「よせやい」とか、学生同士の会話みたいに話をしていた。
          その中に、背の高いイトウさんという友達がいた。
          週に何日か、日中出かけてきて、社員のように机に座って、書類や、郵便物を整理していた。
          その人宛に、何とか経済という沢山の郵便物が届いていた。
          会社の所在地を住所にしているらしかった。
          社長は「イトウは学生の頃、すごく頭が良かった」、「あいつは、今、総会屋だよ」と言っていたが、
          何をするのかよく分からなかった。
          時々、「お嬢さんたちに」とお菓子を持ってきてくれる。
          そんな時は、応接セットのテーブルにお茶を運んで、皆でご馳走になった。
          西日の当たるテーブルを囲んで、あの頃は、どんな話をしていたのだろうか。

          私が入社して五年程たった頃、戦後の高度成長と言われる波に乗って、渋谷駅をはさんだ反対方向に、
          小さな自社ビルを建てて、引っ越しした。
          友人の話だと、あの雑居ビルは、タイルが剥がれるのを防止するネットを被って、まだ建っているという。


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セツブンソウ

2023-02-12 13:36:24 | 楽しい仲間



一か月遅れで、街歩きの、ささやかな新年会をしました。
帰り、殿ヶ谷戸公園へ。
シニアの入場券、70円です。
「大人の休日」のカードを持っていた人は、何と50円。
園内は人も少なく、ゆっくりと散策。
セツブンソウの、可愛い花びらが愛おしい。


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エッセイ 社長

2023-02-11 11:06:09 | 楽しい仲間


                           先生の講評……
                                   しがないサラリーマンの哀歓と虚勢が、すくいあげられている。
                                   荒れた社長宅、手紙の投函、息子の電話とまことによい展開、社長が良く書かれている。
                                   「親のように思える」奥さんとの生前の交流をしのばせるエピソードもあるといい。
                                   どこを削るか?
                           つつじのつぶやき・・・・・
                                   2011年の作品です。
                                     前回の「あんパン」を載せて、社長の事、由木さんたちの事、あの頃のことを懐かしんでいます。


                      エッセイ 社長   課題【父の背中・母の顔】 2011・8・26
 
          結婚をする前、小さな商事会社に勤めていた。
          社長が三十代の時に興した若い会社で、社員は途中入社が多かった。
          特に営業の人はよく入れ替わった。
          自動車メーカーで、常にトップクラスの販売をしたとか、
          保険会社でボーナスを貰うと現金の入った封筒が立ったとか、景気のいい話が飛び交っていた。
          そうならば、そこで頑張っていたらよかったのにと思うが、
          何か事情があってここに来たのだということは、皆が分かっていた。
          その日、その月の成績がものをいう。

          社長は特攻隊帰りで、色黒のぶっきらぼうな話し方をする人だった。
          社員が自慢話をしても、ジロッと見て「そうかい」とそっけない返事をしていた。
          
          二十年程前に会社を閉めた。
          その後、奥さんが亡くなって、社長は一人で暮している。
          以前勤めていた私達は、奥さんの命日近くにお花を持って集まる。
          その頃から随分と話しに加わり、よく笑うようになった。
          帰り道、社長は話し相手が欲しいのよと、私達は次に集まる約束をした。  

          今年、年賀状がなかった。
          具合でも悪いのかと気になって電話をしたが、何度かけても呼び出し音しかしない。
          先輩の由木さんと様子を見に行った。
          閑静な住宅街にある家は、植木が道路にまではみ出してる。
          暫く手を入れていないようだ。
          近所の人に聞いてみたが、お付き合いがないので分からないと言う。
          ポストに、「必ず連絡を下さい」と電話番号を書いて入れてきた。
          暫くしてして、別に住んでいる息子さんから電話があった。
          「昨年から病院に入っていて、今度施設に変わります、落ち着いたら知らせます」。
          まだ連絡がこない。

           私はこの会社に十年以上勤めた。
          社長も、亡くなった奥さんも、何時の頃からか東京の親のように思えて、時々ふっと心をよぎる。

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エッセイ あんパン

2023-02-08 17:17:46 | 楽しい仲間

      エッセイ  あんパン 課題(やわらかい・堅い)  2020.2.26 

          先生の講評……自分の心理、性格をよく描いていて泣かせる。
                     時間の流れがわかりにくい
 

  随分前、元勤めていた会社の社長と食事をした時の事を、
  次の様なエッセイに書いた。

   ―― 先輩由木さんが、「今はラフな恰好をするのですね? 
  その内に暖かいズボンを送りますね」と言ったら、
  「前があいているやつな、俺は男だから」と、社長が答えた。
  社長と別れた後、さっき見た洋品店に寄った。
  「貴女にも買ってあげる」。
  ズボンの包みを抱いて、一人電車に揺られているうちに、
     ふっと涙が出そうになった。
  老いてしまった社長、由木さんの変わらぬ優しさ、
     私はみんな好きなんだと思った。――

  このズボンは、社長と由木さんと食事の約束をした時、
  少し早く着いたので、
  由木さん二人、近くの洋品店を覗いた時に目に付いた物だ。
  食事の待ち合わせ場所に行くと、何時も、センスのいい物を身に着けて
  いた社長が、黒の帽子と、ジャージ姿だったので驚いた。
  勤めていた会社は、小さな商事会社だったが、社長と社員では距離もある。
  いくら老いた社長にとはいえ、
  「ナイロンの生地、裏がフリースのズボン」を送る等とは、考えつかない。
  でも由木さんは、そんな関係を超えた、大らかな気持ちをもっている。

  その夏、社長から下高井戸の病院に入院したと、電話があった。
  一人で行くのは気が重かったが、取りあえず様子をと思った。
  何かお見舞いの品を考えたが、何も浮かばなかった。
  社長は、窓の緑が涼しげな個室に寝ていた。
  「おっ」と小さく手を上げて、そばの椅子を指さした。
  ずーと食欲がなく、息子さんに連絡をしたという。           
  それ程やつれては見えなかった。
  「何かしましょうか?」
  「綺麗な看護婦さんが、いろいろしてくれるからいいよ、
  でも粒あんのパンが食べたい」

  踏切の先のパン屋に行ったが、あんパンは無かった。
  仕方がないのでスーパーに行った。粒あんは無く、
  袋に入ったこしあんのパンを買った。
  分かっていれば、ちゃんとしたパン屋さんの美味しそうなものが
  選べたのにと、残念だった。
  病室では、話が続かなかった。
  二人きりだと、何を話していいか分からない。
  何か役に立ちたいと思っても、何も出来なかった。 

  由木さんだったら、「背中をさすりましょうか」等と言って、
  気の利いたお喋りができたろうに。
  思い出す度に、自分の小ささが残念だった。
  社長に会ったのは、それが最後だった。



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