つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 日の出

2017-08-31 10:28:19 | エッセイ

エッセイ 日の出   課題 【星・月・太陽】 2017年7月28日

私の若い頃、独身の女性がホテルを予約して、何日も観光旅行をするのは贅沢なことだった。
土曜日も休みはなく、休日は日曜日ぐらい、何日もの休暇は取れなかった。

その時分の私は、お金も持っていなかったから、近くにハイキングに行くか、列車に揺られてちょっと遠い、ハイキングに毛の生えた位の山に登山をした。

いつも四人、五人で出かけたが、その時の天気や途中の情報次第ですぐに予定を変更、変り身の早いグループだった。

よく夜行の鈍行列車を待って新宿駅のホームに並んだ。
列車はいつも混んでいて、通路に新聞紙を敷いて座ったり3人掛けをしたり、時々急行券を買うのが贅沢だった。

そんな中でも思い出に残っている山がある。
ある時、友人の会社のグループが富士山に行くと言う。
富士山に登る等と言うチャンスはそんなに無い。頼み込んで連れて行ってもらった。

夜のうちに五合目から登り始め、翌朝の日の出を見、帰りは須走を下りる行程だった。

茶店で金剛杖を買い、気合い十分で出発した。
下では夏の暑さだったから軽装で登り始めたが、夜のせいもあり、登るごとに寒くなる。
暗闇を数本の懐中電灯で照らし、石ころだらけの道を、前の人の靴の後をたどって登る。
暗くて寒い、ようやく八合目に着いた、九合目はもうすぐと山小屋を頼りに登った。
聞いていた高山病になる人もなく、うっすらと明けた、頂上の鳥居の前で皆と万歳をした。

眼下の雲海の下から出てきた日の出は、思ったほど大きくなく感動的と言うものでもなかった。
ただ、ズボンをたくし上げていたら、すぐに日焼けをし、太陽の近くにいるんだと感じた。

富士山に登った自慢話を、家族や友人に何度もしてきた。
今でも富士登山のニュースが流れると夫にする。
いつも「すごいね」と相槌を打ってくれる。
でももう止そう、随分古い話だ、賞味期限はとっくに切れている。

  先生の講評・・・・あの時代、あの若いOLたち、あの休暇、彷彿とする。
             リッチではなかったが、心のはずむ楽しみ。
             確実に時代は移った。それをA印 (最後の2行、下線の部分)
             でユーモラスに決める。

 

 

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エッセイ 星の王子様

2017-08-24 10:40:25 | エッセイ

エッセイ 星の王子様    課題 【ヨーロッパ】  2009.5.22

 柄にも無く、日曜日の朝の食事時は、シャンソンのCDをかける。
夫は「なんにしようかな」と独り言。
私は準備をしながら、「あれがいいんじゃない」と応じる。
こんな時は「私の兵隊さん」がかかる。
別に「ばら色の人生」でも、「ラ・メール」でもいいのだが、最初に「シャンソンっていいな」と感じた曲が、多分、この曲だったような気がするのだ。

結婚記念日のお祝いに、箱根を選んだ。
初日はお決まりの観光コースを回り、次の日は、ネットで検索した「星の王子様ミュージアム」に行くことにした。
「星の王子様」、頭のどこかで聞いた事はあったが、その絵本は読んだ事がなかった。
「お勧めですよ、帰りに仙石原のススキもいいし」と、宿の人に送ってもらった。

お城の門のような所を入ると、無数のシャボン玉が、現実の世界を忘れなさいとでも言うように迎えてくれる。

絵本の世界に行くのかと思って来たが、そうではなく、作者のサンテクジュベリの世界が作られていたのだ。
彼が生きた時代のリオンやパリの古い町並み、大きな中庭、生家のサン=モーリス城の外観を模したお城など、彼が見たであろう景色が作られていた。

そのお城の中は展示ホールになっていて以外に広い。
幼少期の子供部屋や飛行機乗りになってからの基地舎内、その後の仕事部屋が再現され、作品が生まれていく過程も順を追って展示されている。
第二次世界大戦前に、これだけの写真を写し、手紙などもきちんと整理してある。
恵まれた境遇にいたのであろうが、その人生の中、挫折やコンプレックスも、作品の背景などに感じられた。
薄暗い内部、ポイント照明、低く流れるシャンソン、映画で見た、古い時代のパリや、上流階級の生活を感じたミュージアムだった。

「出発しなくていい理由は山ほどあり、兵役免除を受ける根拠だって充分にある。でも、僕は出発する」(43年4月・妻への手紙)

こんな手紙も残して、偵察飛行に一人飛び立ち、コルシカ沖に消えたサンテクジュベリ、その余韻が「私の兵隊さん」の、暗いメロディとだぶる。

   先生の講評・・・・・思い出の曲の由来がよく書かれている。
               「私の兵隊さん」の詞なりメロディ描写が冒頭にあるといい。
               (詞の内容等の具体性でも…)

   つつじのつぶやき・・・エッセイ教室1年目の作品です。
                                なんとなく・・・初々しい・・・と思います。

        

 

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実家

2017-08-15 07:28:47 | 夫と・・・・。

火伏信仰、天狗信仰などの象徴、天狗の面

(古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場とな
り、その後日光全山26院80坊の僧坊達は修行をした)

 8月、山の日から実家に行ってきました。

夫は行く度、古峰ヶ原の古峰神社でお祓いを受け、お札をいただいてきます。
今回も弟夫婦と4人、行ってきました。
食事は「佐野ラーメン」を食べようと決めていたのに、途中寄り道などを
したら結構長いドライブでになり、遅めのラーメンを食べました。
疲れて家に帰り、高校野球の中継の声を遠くに聴きながら、
それぞれが昼寝をしてしまいました。

早めに帰る日、お盆の準備を少しだけ手伝いました。
青竹を切って、座敷の隅に立て祭壇を作ります。
私はほおずきを13個下げ、なすときゅうりに足をつけ
仏様の乗ってくる「牛」と「馬」を作りました。
ほおずきの上には、わかめ昆布と、ゆでたおうどんを下げます。

弟たちは提灯の組み立てに奮闘していました。

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蔦温泉

2017-08-08 14:32:26 | 夫と・・・・。

夫は若い時、友人と二人で青森を旅し
十和田湖近くの「蔦温泉」に泊まり、その温泉がとにかく心に残ったとかで
夏休みの旅行の計画をするときに必ず言い出します。

私は「遠い」、「夏に温泉」、は気が重く、間際に電話をすると、いつも満室。
今年は早々と計画をして宿の予約ができたので義姉も誘って3人旅になりました。

朝晩霧が立ち込める蔦温泉は、市街地から1時間近く山に入った一軒宿。
大町桂月も本籍を移し、ついの住処にしたそうです。

2日目は、宿前からバスで奥入瀬渓流沿いを歩き、十和田湖遊覧。

3日目は何の計画もなく、盛岡に途中下車しました。
ちょうど「さんさ踊り」が始まる日で、市内の目抜き通りは
夜に見学をする場所取りのシートがたくさん敷き詰めてありました。
駅前では「ミスさんさ」 も加わって軽快な太鼓のリズムに合わせての
「さんさ踊り」を見ることができました。

 

 

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