つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

梅雨

2016-06-29 15:29:37 | つぶやき・・

昨日6月28日は里山散策の日でしたが雨で中止。
ここ何年か無かったことでした。
梅雨ですもの仕方がないですね。

生垣に咲いているつゆ草が、
1センチほどのコンクリートの隙間に落ちて咲いています。
根性ものです。
私も見習って、元気に過します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ ルリ

2016-06-21 11:35:23 | エッセイ

エッセイ ルリ

ルリが死んで3年たった。
シーズーという小型の犬種で、15年生きた。

私は最初、犬を飼うのは乗り気ではなかったが、二人の男の子が、時々、大声で怒鳴りあったりする。
殺伐とした空気になるのが気になっていた。

犬でも飼ったら少しは違うかも知れないと思ったが、どんな風に犬と付き合っていいのか漠然としていたので、近くの獣医さんに聞いてみた。
最近シーズー犬が人気で、抱っこしても、関節が割りと丈夫だし、騒がしくないし、おりこうですよと教えてくれた。

シーズ犬というのが分からなかったので、図書館に行き、小型犬の本を何冊か見た。
そこに、もこもこの毛で、目が隠れたシーズーの可愛い写真を見て、心は決まった。

子供達に話すと喜んだ。特に小学生の二男は、「直ぐに迎えに行きたい」とニコニコ顔で催促をした。

ルリが来てから、私達の生活は充実した。
話題の始まりは、大体、「ルリがね」だった。
朝は「ルリ、行ってきます」と誰かが言い、玄関で「ただいま」の声がすると、こんな嬉しい事は無いといわんばかりの姿で迎えて、家族のみんなを喜ばせた。

死ぬ前の年、こたつの端から歩き始めて、突然、ドタンと倒れた。
始めて見る姿にびっくりして抱き上げたが、しばらく固まった後に、フッと目を開けた。

その頃から、確実に老いてきた。
耳は大分前から遠くなってはいたが、よく襖にぶつかった。
「どう~したの」と、ドジをした仕草をからかっていたが、本当は目が見えなくなっていたのだ。

そして、随分我が儘になった。
あんなに楽しみにしていた散歩は嫌、嫌いなものは食べない、抱き上げると迷惑そう、ころころ転がっていた、気のいいルリでは無くなった。
体がきつかったのだろう。
だけど、その世話をする事はちっとも嫌ではなかった。

縁あって家族になった私達に、最後の我が儘をして困らせ、未練を残さないようにとも、今は思えてくる。

 課題 【有縁・無縁】  2011・6・24

 つつじのつぶやき・・・6年前の作品です。
              6月23日が命日、 紫陽花の花が咲く頃になると思い出します

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ 社長

2016-06-11 16:06:23 | エッセイ

エッセイ 社長

結婚をする前、小さな商事会社に勤めていた。
社長が三十代で興した若い会社で、社員は途中入社が多く、特に営業の人はよく入れ替わった。

自動車メーカーで、常にトップクラスの販売をしたとか、保険会社でボーナスを貰うと現金の入った封筒が立ったとか、景気のいい話が飛び交っていた。
そうならば、そこで頑張っていたらよかったと思うが、何か事情があってここに来たのだということは皆が分かっていた。
その日、その月の成績がものをいう。

社長は特攻隊帰りで、色黒のぶっきらぼうな話し方をする人だった。
社員が自慢話をしても、ジロッと見て「そうかい」とそっけない返事をしていた。

20年程前に会社を閉めたが、その後、奥さんが亡くなって、社長は一人で暮している。

以前勤めていた私達は、奥さんの命日近くにお花を持って集まる。
社長はその頃から随分と話しに加わって、よく笑うようになった。
帰り道、社長は話し相手が欲しいのよと、私達は次に集まる約束をした。

今年、年賀状がなかった。具合でも悪いのかと気になって電話をしたが、何度かけても呼び出し音しかしない。
先輩のMさんと様子を見に行った。

閑静な住宅街にある家は、植木が道路にまではみ出してしばらく手を入れていないようだ。
近所の人に聞いてみたが、お付き合いがないので分からないと言う。

ポストに、「必ず連絡を下さい」と電話番号を書いて入れてきた。

しばらくして、別に住んでいる息子さんから電話があった。
「昨年から病院に入っていて、今度施設に変わります、落ち着いたら知らせます」と言ってきたが、まだ連絡がこない。

私はこの会社に十年以上勤めた。
社長も、亡くなった奥さんも、何時の頃からか東京の親のように思えて、時々ふっと心をよぎる。

    課題 【父の背中・母の顔】 2011・8・26

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ ゴメンね 

2016-06-01 15:30:27 | エッセイ

エッセイ ゴメンね

朝、玉川上水を散歩する。土手の両岸が遊歩道でクヌギやコナラの林が続く。
向こう側は小学校の通学路になっている。
最近まで流行っていた、「ラッスンゴレライ」「ちょっと待って、ちょっと待ってお兄さん!」のフレーズ「チョット、ちょっと一寸待ってくださーい」と言いながらランドセルを揺らして駆けていく子供達もいて、つい笑ってしまう。

時々柵に手をついて、足や肩を延ばしながら休憩をする。

対岸で女の子の泣き声がする、大きな声だ。
見ていると、お母さんと中学生ぐらいの男の子がさっさと歩いてくる。
泣き声はそのままの所で泣き続けているので、別の親子だと思った。

と、急に二人の足が止まった。男の子が今来た方に駆けて行き、ピンクのリックを背負った女の子の手を引いて戻ってきた。
お母さんは黙ってその様子を見ている。
女の子の泣き声が大きくなった途端、

「だから言ったでしょ、歩けないのなら帰りなさい」と怒鳴っている。
お兄ちゃんらしい男の子はお母さんの様子をじっと見ている。

長男は二男と五歳離れている。
五歳と言う歳の差は余裕があるせいか、何かとよく二男の面倒を見てくれた。

ある時私は洋服の試着をしたいので、二男を見ているように言った。
試着に手間取っていると、歩き始めた二男はあちこち行きたがって困らせている。

二男の大泣きする声がする。
見ると、長男が眉間にしわを寄せ、とてもつまらなそうな顔をして、二男の上着を引っ張って、床に座らせようとしていた。

今思うと、二男の世話は当然だと甘えていた。
嫌だと言えないところで、命令はしなかっただろうか。
「お願い」とちゃんと頼んだろうか。お兄ちゃんと言ってもまだ小さな子供だった。
あの時、あの頃のことを思うと、「お兄ちゃんゴメンね」の言葉が、気持ちの底にたまっている。

 課題 【問い・答え】    2016・4・22

 先生の講評 
    
他人の親子連れ→自分の子ども→とすんなりつながる構成に〇〇はない。
    純なる者を傷つけてしまったのではないかと引きずる気持ちが純。
    ※ 〇〇達筆過ぎて読めません。

 

キンラン、4月末~5月始め、玉川上水の遊歩道わきに咲いていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする