お彼岸だというのに、東京は、また雪が降っています。
仕舞おうと思っていた火鉢に、火を入れてしまいました。
エッセイ 巳斐の人たち (太田川) 【森・湖・橋・ホテル】 2018.2.9
広島市の西に太田川がある。
大きな川で市内に入る前に何本かの支流があり、原爆ドームの側の元安川もその一つだ。
私は一時期、市内から太田川を渡って宮島に行く途中の巳斐と言う所に住んでいた。
市内には「広電」と言う路面電車が沢山走っていた。
三十年も前のことだが、乗車券が百円、行き先が分かりやすく、バスに乗るより利用しやすかった。
広島市は中国地方でも大きな都市だ。
市民球場やプール、美術館、病院と施設がまとまってある。そこに行きながら、買い物や食事など、よく広電に乗った。
巳斐から乗ると、走り出してすぐに左にカーブし、太田川にかかる巳斐橋を渡る。
下の河川敷は広く、学校が休みの日、時々ソフトボールの練習があった。
当番になった親は、川の近くに待機し、外野がエラーしたボールを拾う。
ボールが流れてしまうと虫取りの網を使って、ゆっくり流れている川から掬い上げた。
二男は入ったばかりの一年生。チームで使いまわしをするぶかぶかのユニホームを着て走っている。
慣れない練習をしているのが心配で時々目で追っていると、Bチームは橋の下の日陰で休憩をしている。
今では考えられないことだが、当時練習の時は、水分を取るとバテるから、休憩以外は飲まないという事になっていた。
当番が持ってきたクーラーボックスからカップに取り分けて同じ分量を貰う。
日に焼けた顔が並ぶ。
太った子が汗だくの顔で「もうちょっとお願い」とねだる。
「一寸だけね」と、もう一杯注いで貰うのを見た他の子供達も、「ずるい、ずるいよ」とコップを出す。
時々バイクに乗った町内の人がアイスを持って差し入れをしてくれる。
そんな時の子供達の歓声は特別だ。
川べりで貝を拾っている人がいる。
魚釣りの人や、お弁当を広げている家族連れもいる。
夏には原爆で亡くなった人の灯篭流しもある。太田川は生活の川だ。
先生の講評・・・・・川をめぐる物語の上、中、下流は人生にたとえられる。
表現も多いか、つつじ版は中流の母の記。
情景がまざまざと浮かぶ。
エッセイ 「お兄ちゃんだよ」 課題 【心・体】 2009.12.11
何年か前、「佐賀県唐津市の小5男児ひき逃げ・連れ去り事件」と「秋田県藤里町の小1男児殺害事件」という、悲惨な事件が連続してあった。
あの時のお兄ちゃん達は、今、どんな気持ちで弟の事を思っているのだろうかと、時々思い出す事がある。
唐津市の事件は、小学5年生の男の子が、夕方、叔父さんの家から自転車で帰る途中にひき逃げされ、その後、連れ去られ行方不明になった事件だ。
壊れた自転車と、血の痕が残っていた為、消防団や地元の人たちが探していたが見つからない。
一旦引揚げ、明朝の捜索ということになった。
朝まで待てない家族は、再び探しに行き、夜中の一時過ぎ、高校生のお兄ちゃんが、真っ暗闇の林道で、頭に重症を負っていた、瀕死の弟を発見したと言う。
生まれた時から、ずーと見守ってきた弟が、突然居なくなる。
そして事件に巻き込まれたらしい、お兄ちゃんは、真っ暗な山に向かって、何度も何度も弟の名を呼び、祈ったと思う。
もう一つの事件は「秋田県藤里町の小1男児殺害事件」
小学校からの帰り道、近所のおばさんに家に呼び込まれて殺害され、近くを流れる川の土手に放置された、小学一年生の豪憲君の事件だ。
テレビのニュースには、元気な豪憲君の映像が繰り返し流されたが、それはつい最近まで保育園児だった幼い姿だ。
いつも遊んでいた友達のお母さんに殺されるなんて、考えもしないで家に入って事件にあう、その時、どんなにか怖かっただろうと思う。
事件後の告別式の時、小学4年生の豪憲君のお兄ちゃんが、最初に呼びかけた言葉が、「お兄ちゃんだよ」だったとか、何ともせつない言葉だ。
お兄ちゃん達が、突然に出遭ってしまったあの時の悲しみ、心に吹き荒れた嵐は、少しでも治まってきただろうか。
つつじのつぶやき・・・・・・8年前の作品です。
春の雨がしとしと・・・寒い日です。
気持ちがおセンチになります。
昨夜、お嫁さんからの贈り物が届きました。
「お雛様」 です。
我が家は男の子二人だったので、「お雛様」は
ずーと遠いところにありました。
うれしくて写真を撮ってしまいました。
ブログに載せるって「自慢」かな?
すみません!