島津亜矢コンサートに行きました。
チケットの売り出し時期に気づくのが遅れて
完売したとのつれない返事に諦めていましたら、
10日ほど前に、「まだある」と新聞に載っているとの知らせに飛びつきました。
前から2列目、端っこに近かったけれど堪能しました。
司会者なし、踊り(ダンスなど)無し、全部一人で仕切って歌い切りました。
後半、客席に降りて握手会、その間もマイクを離さず歌いました。
島津亜矢コンサートに行きました。
チケットの売り出し時期に気づくのが遅れて
完売したとのつれない返事に諦めていましたら、
10日ほど前に、「まだある」と新聞に載っているとの知らせに飛びつきました。
前から2列目、端っこに近かったけれど堪能しました。
司会者なし、踊り(ダンスなど)無し、全部一人で仕切って歌い切りました。
後半、客席に降りて握手会、その間もマイクを離さず歌いました。
里山散策、残暑がきついのでルートを変更。
武蔵大和からたっちゃん池、多摩湖の堤防、
木陰の草原で早いランチ。
おやつの交換が沢山。
ひと月振りのおしゃべりは果てがありません。
3連休の中日、久しぶりに里山を歩きました。
お茶とおやつだけを持って、青梅街道「三ツ藤」下車。
赤坂トンネル、御岳トンネル、赤堀トンネル、最後の長田トンネル。
たまに自転車に追い越されましたが、他の人と殆ど会いませんでした。
「かたくりの湯」でランチ。
おそばと天ぷら、揚げたてで美味しかった。
その後休憩室で30分ほど仮眠。やっと野山北公園を散策。
しばらくぶりで疲れました。
9月15日(日)MGCを見に行きました。
朝6時過ぎには家を出て、お目当ての場所に。
新聞で、日差しを遮るところを紹介していたので、ちゃんと守りました。
正解だったけど場所は秘密です。
沢山の関係車両が通り、空にはヘリコプターの爆音。
大きな歓声と拍手の中、真っ白いユニホームの設楽悠太選手がたった一人で。
ふるえました、あのまんまの設楽悠太選手です。
大きなストライドで駆け抜けた姿は、「マラソンの天使」?のようでした。
帰りは反対方向に応援場所を変えて待ちました。
スマホで、失速したことは分かっていましたが、さっきより大きな声で
名前を呼びました。
「あ~帽子を被っていれば良かったのに」
「サングラスをすれば良かったのに」
「氷をうまく利用すればよかったのに」
「少しペースを落とせばよかったのに」
まるで母親になった心境でした。
「世界に出ていくのには、あの位の戦いをしなければ」と
賞賛の声が上がったのにはホッとしました。
『まだ、次がある!』
エッセイ コの字の私道 【秋・自由課題】 2009、10.9
つつじのつぶやき・・・
10年前の作品です。
夏は終わる。
10年経ってもつらい思い出です。
玉川上水沿いの道路から、コの字型の私道がのび、それを囲んで10軒ほどの家がある。
秋になって、キーンと抜けるような青空の日が続くと、玉川上水のコナラや椚の葉っぱが色づき、少しの風に舞い落ちる。
特に、渇いた風が吹いた翌朝は、たくさんの落ち葉が私道をうめる。
そんな朝は、シャーシャーと、落ち葉を掃く竹箒の音が、あちこちで聞こえる。
私も時間があれば箒をもつ。放っておくと、自分の家の前にあった落ち葉が隣に飛んでいってしまうからだ。
「又、今年もきましたね」
朝の挨拶が、こんな言葉ではじまる、もう決まった風景である。
この私道の角には、大きな百日紅の木がある。
その下は一寸した社交の場で、子供が小さかった頃は、恰好の遊び場でもあった。
行き止まりの静かな私道は、三輪車や、足を着いて乗る小さなプラスチックの車のゴトゴトとした音が、家の中から確認できた。
子供達が学校に行くようになると、登校時の集合場所になり、大きな声が響いて、忘れ物を取りに帰る、門扉の音やドアーの音がした。
雨の朝は、お揃いの黄色の傘を見送ったのもこの私道だ。
そのうちに、子供達は家を離れ、母親達も、それぞれに自分の世界を作って、私道で立ち止まる人は少なくなった。
ある時、笑顔の青年に挨拶をされた。暫くぶりに会った青年に、子供の頃の顔がダブった、「あら、〇ちゃん?」と、すっかり凛々しくなった姿に驚いた。
その青年が、夏の海で事故死した。
私道で遊んでいた子供が、先に逝くなんて考えていなかった。
葬儀場に向かう棺を、百日紅の花陰から見送った。
「此処が大好きだったの、此処が」。
お父さんの仕事の都合で、転校が多かった青年の言葉だったと、お母さんが泣き崩れた。
エッセイ 落葉(2)【秋・自由課題】 2011・10・14
つつじのつぶやき・・・
長雨や突然の大雨、9月は油断できませんね。
私の大好きな狭山丘陵、これから秋を感じに出かけますよ。
東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵は、民家に近い里山として、昔から生活に深くかかわっている。
今は深い森に覆われている谷戸も、人の手で丹念に作られた田んぼだった。
歩いていると、こんな山奥の方まで開墾したのだろうかと、小さな石積みに、稲作に生きた生活がしのばれる。
そして、なくてはならない日々の燃料として、楢やクヌギの雑木林も多く残っている。
私は、四季の変化が楽しめる散策に、友人たちとよく出かける。
春には芽吹きの初々しさ、夏は太陽を遮る深い緑、秋の黄色に染まった木々には思わず声をあげる。
冬になると、葉を落とした林の中は、柔らかい日差しがさし込んで明るい。
木枯らしが吹くような時でも、足元の落ち葉は暖かく、小鳥や小動物、虫たちの寝床にもなるという。
その落ち葉は木々を育み、ドングリなどが実り、生きものの食べ物になる。
友人は、道端に落ちている葉っぱを裏返して「この葉っぱは、ヒノキかサワラか?」などとクイズを出す。
「これはサワラ」
「どうして」
「白い葉脈が×印で連続している、さわらない」と腕を交差する。
「ヒノキは」
「ヒノキは、ローマ字のYがつながっているので、ヒノキだわい」と散策が続く。
時々、無残な杉林に出会うことがある。密集して植えられた木が倒れ、その下の土がえぐり取られ、赤土がむき出しになっている。
枝打ちや間引きがされず、葉を落とさない常緑樹は、日が差さず、暗くてじめじめし、小鳥の声も聞こえない。
大きな山崩れが起きないうちに、もう必要のない杉林などの植林を控えて、自然の森に戻し、生きものや植物たちと棲み分ける時が来たのだと思う。