つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

里山通信 2016年4月

2016-04-27 15:35:10 | 里山通信

 

うららかな、本当に麗らかな春の一日、
西武線飯能のあさひ山展望公園へ行きました。
入間川にかかる赤い橋「割岩橋」
河原の澄んだ水を見ながら、渡り終わったところで最初の休憩。
川風と鶯のこえに、月並みですが「癒されて」

山は緑、道端にはたんぽぽ、美杉の地区は
何処のお宅も綺麗にお花を咲かせていました。

あさひ山の向かい,夕日山は今回はパス。
帰りは飯能駅で甘いものをいただき良い一日でした。

 

 

 

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お散歩

2016-04-20 11:42:46 | つぶやき・・

朝、玉川上水を散歩をする。

春の息吹は毎日変り、楽しませてくれる。
ついこの間は、カタクリの紫の花。
黄色の山吹は、土手の中、水辺まで咲いている。

時々ストレッチをする柵の中は、小さな花、稚児ユリの群生地。

花ことば
「恥ずかしがりや」「純潔」だそう。

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エッセイ 国分寺駅

2016-04-14 09:54:03 | エッセイ

エッセイ 国分寺駅

 「オボジ、あっちだよ」長男が五歳の頃、国分寺駅のホームで夫に呼びかけた言葉だ。
オボジ、朝鮮語でお父さんのこと。

国分寺駅から私鉄に乗り換えると、朝鮮大学がある。
多分、朝鮮大学のお兄ちゃん達が話していた言葉に刺激を受けて、自分も、リクちゃんになっていたのかもしれない。

近所で一番仲良しだった二歳上のリクちゃんは両親が北朝鮮の人だ。
3人兄弟の末の子で、お兄ちゃん達から年が離れていたのと、幼稚園に行っていなかったので、いつも一人遊びをしていた。

身体は華奢で内気な子だったが、内に秘めた何かを感じさせ、声をかける時など、少し気をつけて話さなければと言うような雰囲気を持っていた。

いろいろな遊び方を知っていて、一つの事を根気よくするようなところがあった。
長男はリクちゃんの家来のように、いつも後についてまわり、リクちゃんのする事や口癖が憧れで、何でも真似をした。

暑い夏の日、暫く声がしないので見に行くと、百日紅の花の下で頭をつき合わせ何かを作っていたり、ある時は、ブロック塀に寄りかかって、真剣に話しこんでいたりした。

その内、リクちゃんは北朝鮮の小学校へ入学して帰りが遅くなる。
長男も幼稚園の友達と遊ぶ事が多くなる。
段々別の世界を持つようになって、以前ほど一緒には行動をしなくなった。

それでも、リクちゃんの通う小学校の方針らしい、「将軍様」とか、「あの方とお呼びする」とかの影響を受けていた。
私が困った顔をすると、長男もその反応を感じたらしく、段々距離をおくようになっていった。

そんな折、リクちゃん一家は、何処かへ引越ししてしまった。
あれから随分と時は過ぎたが、今はいい若者に成ってる筈だ。
時々、遠くを見つめるような目をしたリクちゃんに会いたいと思う。 

     課題 【駅・(空)港】

     つつじのつぶやき・・2008年7月の作品です。
                   新緑の季節、新しい出会いが始まりましたね。

2008.7.11 

コメント (2)
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エッセイ 抽斗

2016-04-05 15:47:55 | エッセイ

エッセイ 抽斗

私の育った小さな町の通りに、二軒の店があった。
軒の低いおシンさんの店は鍋、釜、笊から茶碗、菓子や子供向けの籤まで、何でも屋の店。もう一軒は、「煙草や」と呼ばれている、間口の広い蔵構えの商店。

煙草やは、「たばこ」の赤い看板や、塩の青い看板がぶら下がっていた。
又、何かの鑑札、板塀にキッコーマン醤油や、油などの看板も取り付けてあった。

重い硝子戸を開けて入ると、二段框の板敷はピカピカに磨かれて、壁には、一面大小の抽斗があった。
その前の大きな火鉢の前に、髪をひっつめたに結ったおばあさんが座っている。
しわしわの顔、歯のない口をもぐもぐしながら、小さなキセルでいつもたばこを吸っていた。

葉書きを何枚と、切手を下さいなどと言うと判らなくなる。
抽斗を開けたり閉めたり、何度も聞き返し、首を振りながら怒った顔になる。
すると奥から、モンペをはいた小柄なおじいさんが出てくる。
「あいよ、何だね」と愛想よく話を聞いて、背伸びするようにして抽斗から出してくれる。

おばあさんのことを、皆は「もぶれている」と言っていた。
もぶれるの意味は分からなかったが、今でいう認知症だったのだろう。

あの頃は砂糖から油まで、大抵量り売りだった。
煙草やの土間には、酒や醤油、味噌の樽がいくつも置かれ、それを量るのは、養子のサトルさんの仕事だ。
学校から帰ると、「煙草や」にお使いに行く。
木しゃもじを持ったサトルさんは、味噌樽と秤の間を小刻みに動き、何度も量り、決しておまけはしない。

煙草やは沢山の山林を持っていた。
雨が降り続いて、農作業が遅れるような時でも、山の材木は一雨ごとに太くなり、益々金持ちになる、と、町の人は噂をしていた。

  
  課題 【忘れる・記憶する】 2014・2・28

  先生の講評 ・・・ノスタルジーの紗(?)を通した人物表現が巧み。
              過去の人間が、今生きているようだ。

  つつじのつぶやき・・・2年前の作品です。
                先生の講評、
紗(?)が達筆すぎて読みとれません

                ※ 今朝原稿を見直したら、紗( )の字は「幕」の様です。
                  演劇評論家の先生ですものね。

 

 


             

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