つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 里山を歩く(サシバ)

2017-10-28 14:42:06 | エッセイ

エッセイ 里山を歩く(サシバ)    【自由課題・季節】 2017年10月13日

月に一度、地元のグループと狭山丘陵の里山を歩いている。
一応ガイドブックに沿ってはいるが、道草や回り道が多い。
長年続いている仲間だから、顔を合わせるだけでも嬉しい。
面白いのはそれぞれのはっきりした年齢を知らないことだ。
初めからお幾つですか? などと野暮なことは聞かなかった。
見た目や雰囲気で「一つ違い」の姉か、妹になる。十歳も離れていても「一つ違いのお姉さん」で通る。

 九月は都バスに乗って、旧青梅街道を箱根ヶ崎に近い瑞穂第一小学校前で降りた。
住宅街を抜けて、大日山遊歩道を上る。
ここは道の両端から鬱蒼と木が覆いかぶさり、見上げるような急な坂道だ。
ゆっくり息を詰めて登る。
途中に牛を飼っている家があり、懐かしい匂いに小さく「うわー」と顔を見合わせる。

登りきった先に、古い墓石の墓地が広がる。
同じ名前が多いのは土地の人が多いからだろう。
昔は舗装もされていない坂道で、葬列は大変だったのではと思う。

 墓地を後に出会いの辻から六道山公園の展望台に行く。
狭山丘陵を空から見ると平地の中の緑の孤島の様だと言うが、成程、五階建ての展望台からの眺めは、山の上とは違った大きな森の真ん中にいるよう様な感じだ。

九月から十月は鷹の仲間「サシバの渡り」が見られる。
晴れた日、サシバが群れを作って南に向かって渡っていく。
サシバは谷戸や水田などに居るカエルやヘビなどを捕って子育てをする里山の鳥だ。
子育てを終わったファミリーが、「今日、出発するよ」なんて何かの合図をし合って、ここに集合し、飛び立つのかと思うと、「元気でね」と声をかけてやりたい。

展望台は、大きな望遠鏡やカメラを固定した人たちが大勢いた。
曇った日だったからか、今日は、まだ渡りはないようだと言葉を交わしていた。

    先生の講評 ・・・・・ サシバ、残念だった。これが見られれば文の核になった。
                 「飛ぶ」イメージのよりどころだから。
                 でも、「歩く」も地道でいい。

 

 

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エッセイ 石川啄木に触発されて

2017-10-20 08:01:03 | エッセイ

エッセイ 石川啄木に触発されて   課題【石川啄木に触発されて】 2008・4・25

  
     呆れたる母の言葉に
     気がつけば
     茶碗も箸もて敲きてありき

石川啄木のこの詩に、心動くのは、息子と、母の日常が思われるからです。
情景は違っても、私にもこんな日々もあったような、そんな気がします。
母として、どうしてあの頃は心に余裕が無かったのか、子育て終了期の今、心のどこかがチクリと痛みます。

私には二人の息子がいますが、夫の転勤に伴い、何度かの転校をしました。
息子たちも,環境の変化に合わせようと努力をしていた筈なのに、未熟な母は、家庭の型を整える事に精一杯で、いろいろな要求を、し過ぎたように思います。
そんな母親に、長男は、自分の気持ちを抑える時があったのでしょう、ドアーにこぶしの跡がありました。

     薬のむことを忘れて、
     ひさしぶりに、
     母に叱られしをうれしと思える。

母はどこまでいっても息子の心配をする。
日常、言い争いがあったとしても、その中に優しい気持ちの交換も感じられてこの詩はほっとします。
今、わが家の長男は自活していますが、時々の会話で口癖の「うるさいよ!」、まだ家に居る二男は、話しかけても「わかった、それで?」とクールな返事ですが、気持ちは通じている筈だと、その後の言葉を飲み込みます。

     たわむれに母を背負いて
     そのあまり軽きに泣きて
     三歩歩まず

この詩は、母と息子の、心の終着点かもしれない。
石川啄木という、才能のある息子を、支え励まし生きてきた母親に、現実の生活の困窮、家族の放浪や、自身の病気、何よりも、文学の挫折が辛く、詫びている様な深い愛情が感じられます。

  つつじのつぶやき・・・エッセイ講座に入って2作目の作品です。
                10年以上書いておられる先輩方が何人も・・・、緊張しました。
               そんな先輩の中に、この課題は苦労した、書かなければと
               「イシカワタクボク、ボク・ボク・ボク」と唱えていましたと言っていたことを思い出します。

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夏の終り

2017-10-12 07:33:09 | つぶやき・・

ほかの植木に寝そべっているように羽根を伸ばした朝顔は
毎日花をつけてくれます。

今朝は8つ咲いています。

昨年Mさんにいただいた「ホップ」が沢山の葉をつけて
暑い日差しを遮ってくれました。
来年はもう少し増やして、日差し除けはホップにします。
プランターの「ゴーヤ」と違って
地植えをしたので水やりやコンテナの始末をしなくていいようですので。

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エッセイ 里山のミカン

2017-10-09 17:04:02 | エッセイ

エッセイ 里山のみかん  課題 【秋・自由課題】 2008.10・10 

 「みかんは上に生ってるのより、下の方の、葉っぱの陰の小さい方が、甘いんだよ」

みかん山は、石垣を組み、段々畑にして日当りを確保している。
上に行くのはかなり急勾配な坂道を登る。
坂の途中に、作業でもする時使うのか、小さな広場がある。
そこへ、八十歳を過ぎたという老主人が、杖をつきながら上ってきて、笑顔で言った。

月に一度、狭山丘陵の、里山風景を訪ねて歩いている。
グループの年代はまちまちだが、あえて年齢は聞かない事になっている。
ただ、「若い人はー」とか「歳だからー」の言葉が出ると、「1つだけのお姉さんよね」と、お互いに笑って済ませる。
道草しながらの道中で、思い出話になると、年齢は殆んど察しが付いてしまう。

今年も、みかん狩りに行った。
スタートは青梅街道にある長円寺。
境内のキンモクセイの大樹はすっかり花の盛りを終わって、今は紅葉が真っ赤に色づいている。

野山北公園から、落ち葉を踏みしめて六道山に入り、大将山に抜ける。
大将山は低い山だが、尾根から見下ろす風景は、何だか、ヤッパリ大将になったようないい気分になる。
大将山を下って、みかん狩りのできる農家にたどり着く。

何時ものように、篭と鋏を渡されると急いで坂道を上る。
去年もみかん狩りをしたから勝手が分かる。
上へ、少しでも上へと、なるべく人の来ない所、日当りのいい所へと上る。
お日様に充分当たったような、大きな、色のいいみかんを沢山採って、口にも頬ばり自慢しあっていると、そこへ先ほどの老主人の言葉である。

「えー、本当ですか?」と、皆複雑な笑い、何だか自分達の欲張りを見られたような気分だ。
でも、今更やり直しは出来ない。

頑張る年代、食べ物は大切に、そういう教えも守ってきた同世代だ、「もうしょうがないわね、来年、美味しいみかんを見つけよう」と、欲張った事を大いに笑いあった。

 先生の講評・・・すっきりした自然、人間描写、下線に世代が出ている。

 つつじのつぶやき・・・9年前前の作品です。
               相変わらず、里山散策を楽しんでいます。

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あ、トマトだ

2017-10-03 08:13:20 | 楽しい仲間

今朝、ここに映っている黄色の物を
すっかり柿かと思って夫に出したら「これ何?」

包丁をいれた時、ちょっと変だなとは感じたのですが・・・
「黄色のトマト」でした。

コメント (1)
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