つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 曲がり角

2020-08-26 12:19:33 | エッセイ
              エッセイ 曲がり角  【夏・自由課題】 2013・7・12
 
            その日、沢山の家事をこなしていた。
            布団カバーに、バリバリと音がしそうに糊をつけ、竿いっぱいの洗濯をした。
            小さな庭だが雑草も抜いた、久し振りに休みなく動き回った。
            日も陰り、干した布団にカバーをかけ、2階から下に運んでいた。
            階段途中の曲がり角が三角の踏板になっている。
            重い物を持って下りる時は、一旦足を止め右、左の足をそろえること、いつも 心掛けていた。
            のに、それをしなかった。
            一気に下りて足を踏み外した。
            壁に手をついて止まろうとしたが、滑って頭から転げ落ちた、「あっ」という間の事だった。
            頭の中で何か揺れたような気がした。
            「痛い」、声が出たのか出したのか覚えていない。
            大変なことをした、どうしたらいいのだろうか、咄嗟に、動かない方がいいと、落ちた姿勢のままで考えた。
            玄関の時計がコチコチと聞こえる。
            その音にあわせて「痛い、痛い」と声を合わせた。
            しばらくしてそっと頭を上げてみた。
            大丈夫、起きられる、この後のことが気になった。
            夫は夕ご飯はいらないと言っていた。
            息子に「食事は外で済まして」と電話をした。 
            階段から一緒に落ちた布団を引っ張って、横になっているうちに眠ってしまった。
           
            夫が帰ってきた、「救急車を呼ぼう」と言う。
            「救急車は絶対嫌」と言ったが、これからのことが気になった。
            来週は友人達と続けて会う約束があり、サークルの会合もある。
            やはり一度は病院に行っておかなければならないと思った。
            息子も帰って来たので、救急病院に行った。
            夫が玄関で車椅子に乗れと言う。
            嫌だったが頭を動かさない方がいいと思い従った。
            CTスキャンの結果、今は問題なさそうだが、打ち身の方は明日、形成外科へ行くようにと言われた。
            腰と膝、左頬と腫れたところに湿布をした。
            こんな風に痛い目に遭いながら、体力の衰えと言う曲がり角を曲がる。

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エッセイ ルリ

2020-06-27 20:15:08 | エッセイ

エッセイ ルリ  課題【穏やか・乱れる】 2014・11・24 

病院の帰り、電車の窓から新しい住宅の横の畑道を見て、不意に胸の奥がつまった。
冬の晴れた日、畑道を、長い毛を風になびかせて走るルリの姿を見た様な気がした。

10年以上前、家の建替えの為、その近くにアパートを借りた。
当時、シーズーの室内犬、ルリを飼っていた。
借りた部屋は、畑道に近い、古いアパートだった。
夫は単身赴任中、私は勤めていた。
建替え中は、息子たちの事、工事、銀行の事等一番忙しい時、気を張っていたが心に余裕がなかった。
そんな頃、ルリは変わった家のトイレの場所が分からなくなり、度々粗相をした。
ある時は随分我慢をしたのか、ぐるぐる回り始め布団の上に沢山のおしっこをした。
思い出すと本当に済まなかったと思うが、お尻をかなりきつく叩いた。
その感触は今も手に残っている。

最近、私は体調が良くない。
涙目になったり、頭痛がしたりするのは眼に原因があるのではと気になっていた。
4年程前、病院で診察を受けたことがある。
白内障は問題はないが、緑内障の疑いがある。
暫く様子を見ると言うのでそのまま過ごしてきた。
緑内障は怖い病気だと言う、不安な日が続いていた。
思い切って、病院に予約を入れた。
以前の担当医は変わっていた。
いくつかの検査をした後、新しい先生は「緑内障というのはどうしてかな」と首をかしげた。
白内障は視力の数値もしっかりしているし、手術はもう少し後、視力が下がってからでもいいと言う。
涙が出るのはドライアイの様なので、目薬を出しましょうという事だった。
かなり緊張しながら都心の病院まで出てきたが、不安は消えた。
ホッとした心の底にいたルリ。
畑道を見ておセンチになったのかもしれない。
また明日から、平穏な日々が続く。

 

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エッセイ ルリ

2020-06-22 16:00:32 | エッセイ

エッセイ ルリ  課題【有縁・無縁】 2011・6・24

ルリが死んで、3年経った。
シーズーという小型の犬種で、15年生きた。
私は最初、犬を飼うのは乗り気ではなかったが、二人の男の子が時々大声で怒鳴りあい、殺伐とした空気になるのが気になっていた。
犬でも飼ったら少しは違うかも知れないと思い、近くの獣医さんに聞いてみた。
最近シーズー犬が人気だ、関節が割と丈夫で男の子が抱っこしても痛めない。
騒がしくないし、おりこうですよと教えてくれた。

シーズ犬というのが分からなかったので、図書館に行き、小型犬の本を何冊か見た。
もこもこの毛に覆われた、黒い目の可愛い写真を見て、心は決まった。
子供達に話すと喜んだ。
特に小学生の二男は、「直ぐに迎えに行きたい」とニコニコ顔で催促をした。

ルリが来てから、私達の生活は変わった。
 話題の始まりは、大体、「ルリがね」だった。
朝、「ルリ、行ってきます」と誰かが言う。
又「ただいま」の声がすると、こんな嬉しい事は無いという姿で出迎えて、家族を喜ばせた。


死ぬ前の年、こたつの端から歩き始めて、突然、ドタンと倒れた。

始めて見る姿にびっくりして抱き上げたが、しばらく固まった後に、フッと目を開けた。
その頃から、確実に老いてきた。
耳は大分前から遠くなってはいたが、よく襖にぶつかった。
「どう~したの」と、ドジをした仕草をからかっていたが、本当は目が見えなくなっていたのだ。
そして、我が儘になった。
あんなに楽しみにしていた散歩はイヤッ、嫌いなものは食べない、抱き上げると迷惑そう、ころころ転がっていた、気のいいルリでは無くなった。
体がきつかったのだろう。
だけど、その世話をする事はちっとも嫌ではなかった。
縁あって家族になった私達に、最後の我が儘をして困らせ、未練を残さないようにとも、今は思えてくる。


ルリが死んで、12年経った。
あの時、あまりに涙を流していたら、
埋葬をしてくれた人が
「お母さん(私)が死んだら、
三途の橋のたもとでルリちゃんは待っていてくれるそうですよ」
と慰めてくれました。

「ルリ、こっちはコロナと言う病気で大変なのよ」

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エッセイ とんかつ

2020-06-07 09:29:50 | エッセイ

エッセイ とんかつ 課題【会う・別れる】 2013・6・28

駅前にある肉屋さんを、一時期よく利用した。
肉は生協の物を使うので買わないが、息子たちが好きな、とんかつやコロッケなどを揚げてもらう。
店主はいつも奥の方で肉を捌いている。
目が合うと少し微笑むが「いらっしゃい」の声を聞いたことがない。
小柄な奥さんはよくしゃべる。
特に料理の事を聞くと、直ぐに3つや4つの答えくれる。
「来客があるので、揚げ物を出そうかな」、などと言うと、じゃー何時までにいらっしゃい、家に帰ってすぐに揚げられるよう用意しておくからと言ってくれる。
「ポテトサラダもお願いね」と言うと、「分かった、分かった」と嬉しそうな顔になる。
家を空けた帰り、夕飯のおかずに「とんかつを揚げて」と店に寄ると「さっきご主人が買っていったわよ」と言われたことが何度かあった。

先日、久し振りに寄った。

ガラスケースの向こうから奥さんが振り向いた。
ひどく痩せていた。
痩せているというより何か病気の顔だった。
「元気」の言葉を飲み込んで、さりげなく「痩せたね」と言った。
いつもダイエットをしなきゃあと言っていた。
包みを渡される時、何の前置きも無く「お医者さんが、何でも好きなことしなさいっていうのよ」と小さな声で言った。
喉に固いものが上がってきた。
そばにお客さんが来たので声が出なかった。
曖昧に「体、気をつけてね」と受け取った。
すると、夫が、「ちゃんと治療すれば大丈夫だよ」と口を挿んだ。
大変な事を、そんな簡単に言っちゃいけないのにと思った。

奥さんは定休日になるとウオーキングをしていた。
会うといろいろな話をしたから、大抵の事は知っていた様に思っていた。
でも今、私の知らない、つらい時間を過ごしている、話をきちんと聞けばよかった。
それを思うと顔を合わせられない。
店の前を通る時、つい奥さんの姿を探してしまう。

 

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エッセイ  県営プール 

2020-05-24 09:43:03 | エッセイ

エッセイ 県営プール  課題【平成。未来】 2010・6・25

随分前の話だが、広島市内を頻繁に走っていた路面電車は、100円だった。
運賃が安くて便利だったので、気軽に利用して繁華街に出かけた。
週に何日かは、県営プールの水泳教室にも通った。

広島市民球場の隣にある、古びた大きな建物のプールは、公式な大会も開く50mプールだった。
中心部が深く足が付かない。

よく大学生達が水球の練習等をしていた。
勿論、そんな深い所で初心者は泳げない。
普段はプールを横に区切ってロープを張り、22m位のコースになっていた。
端のコースは、赤い床が沈めてあり、生徒はそこを使う。
私は習い始めたばかりだったので、その22mも泳げなく、いつも水を飲んでいた。
水泳教室の日は気分が重くなるが、終わった時の爽快感が好きだった。
その日も、プールから上がって、クロークからお風呂屋さんにあるような籠を受け取り、混んだ脱衣所の隅で手早く着替え、簀の子がカタカタとなる通路を出た。
帰り、本通りのアーケード街を歩いていた。
 ある店の前で、大勢の人がテレビを見ている。
小渕さんが年号を発表している場面だった。
右手から出した、その「平成」の文字を見た時、「あれっ」と、少し感動した。
 私には男の子が二人いる。〇平、△平と二人とも「平」が付く名前である。
その「平」が嬉しかったのだ。
夕食の時、子供達に言った。
「〇ちゃんと△ちゃんの名前についている平の字が、平成って言う年号になって、昭和の代わりに使われるのよ」と。
今年、平成も22年になった。
あの時通った県営プールはもう無い。
コンクリートむき出しの薄暗い脱衣所、歩く度にカタカタとなる簀の子の音も遠い思い出になった。

 先生の講評………生活だけに即して、時代の境目を描く手法が堅実。
             末尾が抽象的表現過ぎる。

  つつじのつぶやき…水泳を習い始めたのは、平成が始まった頃なんですね。
                随分長くやっているのにちっとも上達しません。

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エッセイ 欣治伯父さん

2020-05-13 09:20:39 | エッセイ

エッセイ 治伯父さん  課題【隠す・さらす】 2012・10・26

欣治伯父さんは、お母さんの実家の跡取りだが、道楽者で家をつぶした。
何でも新しもの好きで、まだ自転車が珍しい頃から乗り回し、夜になるとお洒落をして、横笛を吹きながら歩いていたと言う。
子供だった母は、伯父さんの留守に自転車の稽古をして、早い内から乗れたそうだ。
鉄砲撃ちもした伯父さんのことを、皆は、肘を上げて打つ構えをしながら、「ドンは」と言っていた。
大きな茅葺の家だったというが、私が覚えているのは、土台の石だけだった。
伯父さんは屋敷外れの、木小屋だった小さな家に住んでいた。
たまに姪の私と会っても、金歯が光る、日に焼けた顔で、「〇〇か?」としか言わなかった。

新緑の頃、まだ屋敷周りの茶畑は売られていなかったのか、伯母さん達がお茶摘みに来た。
私も手伝いをした。
「しゃねーな」とか、「ほんとうに」とか話している。
又迷惑を掛けられたらしかった。
伯父さんの家の障子が細めに開いた。
「今度はどんな人だろうか」と伯母さんが言った。

伯父さんは何人目かの女の人と暮らしていた。
昼時、弁当にしようと、小さな庭に回ると箒の跡がきれいについている。
声をかけて縁側に座ると、「どうぞ」と、女の人がお盆にのせて汁椀を出した。
静かそうな人だった。
午後、伯母さんたちは「隠れるような暮ら方をしている」。
「案外いい人みたいだね」。
「だけどお汁は塩味だった、多分味噌が無いんだろう」等と、伯父さんの甲斐性なしを嘆いていた。

後に、私の結婚式に来てくれたが、金歯が欠けて、なんだか随分小さな体になって、「いよっ」と言った。
それが最後に会った欣治伯父さんの姿だった。

 先生の講評‥‥人物の描き方が細にして生き生きとしユーモアがある、うまい。
            のどかな田舎の風景と共に目に浮かばせる筆力だ。

 つつじのつぶやき‥‥欣二伯父さんは長男です。
             前回の「霧島つつじ」に出てくる伯父さんは二男、

             もうみんな、彼方に逝かれました。       

 

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エッセイ 霧島つつじ

2020-04-14 11:20:06 | エッセイ

エッセイ 霧島つつじ 【春・自由課題】   2009.4.10 
     
母の実家は、村の真ん中の砂利道を曲って、山の方に少し上がっていくと、集落が六軒ほどの、一番奥にあった。
昔は大きな農家で、大家族が暮らしていたというが、私の生まれる前に、田畑も家も人手に渡り、屋敷跡には土台の石だけが残っていた。
広い屋敷跡には、葱や菜っ葉の野菜畑、大きな樹木、何かの花も咲いていた。
春になると、背戸のゴツゴツした岩肌に沢山のつつじが咲く。
そのはずれの小さな家に、祖母と、まだ結婚をしていない母の兄、叔父さんが住んでいた。

私は両親と、町中にある家に住んでいた。
叔父さんは町に出かけてくると、私の家に泊まった。
帰る時、幼い私を連れて帰り、しばらく祖母と三人で暮らした。
祖母は、子供を九人も生んだ。
母が末の子供だったので、私から見たら、随分年をとっていた。

優しいお祖母ちゃんと言うのではなかったが、寝る時はいつも一緒だった。
日向の匂いのする布団の中で、お伽話やわらべ歌を聞かせてもらった憶えがある。

叔父さんは、家に帰ると私には関心をみせず、祖母ともあまり話しをしなかった。

私は祖母の後を、一日中付いてまわった。
祖母の傍にいるのにも飽きると、裏山のつつじの木の下に行っておままごとをした。
種類などは分からなかったが、大きな樹の、真っ赤なつつじが大好きだった。
つつじの花と、春の青空を、うっとりと眺めてでもいたのだろうか。

七~八年前、春の風に吹かれて自転車をこいでいると、植木屋さんの畑に赤いつつじを見つけた。
懐かしくなって、植木屋さんに尋ねた。
「霧島つつじです」 幼い日の、あの時に、めぐり合ったと思った。
今、私の庭にも霧島つつじがある。
もうすぐ、真っ赤な花が咲く。


  先生の講評・・・・・・・・表題の通りなら、初出はカラフルにするなど印象を強めたい。
               のどかな人と風景がほうふつとする。

   つつじのつぶやき・・・・・・・困ったコロナですね。
               古い作品です。
               今年もつつじは蕾を膨らませています。

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エッセイ いい言葉

2020-04-03 09:18:23 | エッセイ

エッセイ いい言葉  課題【話す・黙る】 2008.11.14  

昨年秋、日経新聞一面のコラムに、高尾山薬王院山門の看板のことが載っていた。
そこには次の文字が書かれているという。

高いつもりで低いのは、教養
低いつもりで高いのは、気位
深いつもりで浅いのは、知識 
浅いつもりで深いのは、欲、等々、十カ条が掲げてあるそうである。
まだその看板は見た事はないが、そのことばが気になって、時々思い出す。
思い出して考える。
自分には全部当てはまる

多分、このことばを考えた人も、私と同じだったのだろう。

先日友人のところに「オレオレ詐欺」の電話がかかってきた。
友人が出ると「オレオレ」と言って泣き出す例のオレオレ詐欺である。
人の優しさにつけ込み、無防備な人を騙す卑劣な行為だが、こちらにも、ある種の「欲」が潜んでいる事も一因なのかもしれない。
公にはしたくないし、大事にしたくない、早く始末をしたいなど、その本質の対応を忘れている事も、被害が大きくなるのではないだろうか。

友人は、「声が違うみたいだけど」と不審に思い、何度も聞き返した。
泣き声がおかしい、そして、普段、息子は「俺、オレ」とは言わない。
やっと我に返って電話を切り、難を逃れたとか。
何時の頃から、子供は親にむかって「オレ」なんていう言葉を使うようになったのだろう。


青森からりんごを送ってもらった。
中に敷かれた古新聞に、いいことばが載っていた。
読み飛ばして深くは覚えていないが、大体こんな会話だったような。
仲良しだった飲み友達との久し振りの会話だ。 


・・・
「だめだ~、血圧が、今はコーヒーだ」 

  「甕を割ったのかい!」・・・
 なんと風流で、粋な会話をしているのだろう。

  先生の講評・・・冒頭の部分、言葉3題ではあるが通俗のままでジャンプしていない。
           自分には全部当てはまるを、何かエピソード(素材)はないか?

  つつじのつぶやき・・・古い作品です。

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エッセイ 成功・失敗

2020-03-15 11:16:30 | エッセイ

エッセイ 成功・失敗  2008.5.10

「成功・失敗」と言うと、失敗の方が判りやすく、数も多い。
箇条書きにすると、どれ程になるか恐ろしいことになる。
「人間編」「女性編」「妻編」「母編」と分類したら面白いだろうが、生き方等はまだ終着点に達していないし、判断に困る事もあって判定が難しい。
 成功かどうかは分からないが、今、まあどうにか満足しているなと感じている事は、小さな家を造った事かもしれない。
子供達を育てている時期、大きな関心は、思い通りの住まいをつくり、それにあった生活をすることだった。
小さなマンションから始まり、日当りの悪い新築の家を買ってすぐに売却し、次に中古の家を買い、信じられないくらい改装して、落ち着いた頃、夫の転勤で二回の転居をした。
やっと古い家に戻ってきたら、あちら此方の痛みが目に付いて、又悪い虫が動き出した。

図書館で、ある建築家の本に出会い、住まい造りと、住まい方を教えられた。
予算や、土地や、工期等いろいろな制約があるのに、考えられるだけの要求を盛り込み、安直な家作りをしていないか。
何が必要で、何が大事かを深く考えると言う内容に共鳴し、勉強会に参加した。
完成した家の見学会で、ユーザーや設計者、職人達が、皆自由に、熱い思いの家造りを語っていた。

今迄、予算と間取りばかり気にしていた自分が恥ずかしかった。

少ない予算で、何とか出来上がった家だが十年間住み続けている。
シンプルで小さな家だが、素材と仕様は譲らなかった。
 
今の家を作る前、住まい作りに随分情熱を傾け、いろいろな失敗もした。
今、住まいに関しては、気持ち安らかに暮らしているので、成功だったのかもしれない。

 つつじのつぶやき・・・・・エッセイ教室に通い出して4回目の作品です。
 
 先生の講評・・・・・   丁寧に書きたい気持ちはは分かるが、スパッと核心に
               入りたい。ゆえに最初の4行は削除。

            


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エッセイ シルバーモンスター

2020-02-26 12:58:18 | エッセイ

エッセイ シルバーモンスター  課題【自由課題】 2019年12月27日 

 ここの所ずーと好いお天気が続いている。 

 昼前にバスに乗った。
半分位の乗客は殆どが座席に座り車内はゆったりとしていた。
道路も混んでいない。
もうすぐ駅に着くという所に小さな信号があり、そこだけ横断する人と信号待ちの車とでごちゃごちゃと混んでいた。
前の方で、重い物を落としたような音がし少しざわついた。
バスがゆっくり歩道の方に移動した。
のろのろと横切った軽自動車にぶつけた様だ。
若い運転手が「運賃は結構ですから、此方で降りて下さい」と済まなそうに言った。
乗客は皆、「あーぶつかったの」と気軽に降り始めた。
私も皆の後についてタラップを降りようとしたら、直ぐ後ろの年配の男が、「だから駄目なんだよ、〇〇バスは」と捨て台詞を吐いた。
私は吃驚して振り向いた。
私の気持ちとはかけ離れた言葉だった。
「何を言ってるんですか?」と思わず声が出た。
その剣幕に、降りた男は反対の方に急いで行ってしまった。
運転手だって間違って起こしてしまった事だろう、それを非難する等考えられなかった。
駅に歩きながら怒りが段々膨らんできた。
あの場面がもう一度あったら、大きな声で「人が困った時、その言葉はないでしょ?」と、強く男に言いたいと思った。
運転手には、「大丈夫?」とも声を掛けたかった。

 テレビで見たが、足を組んだ女性の膝を新聞紙で叩く男がいた。
女性は何度も足を組む。その度に叩く男。

 随分前に、こんな場面も見た事がある。
昼間だったが地下鉄は空いていた。
斜め前の席に、派手な格好をした女性が大きく足を組み、気取った様子で周りを見回していた。
駅に着いた時、私の隣の初老の男が、思いっきり膝を叩いて降りて行った。
席から半分落ちかけて、女性は何が起きたのか分からない様だった。
発車した後は、頬がプーと膨れていた。
少し痛快にも感じたが、降りながら叩くのは卑怯だなとも思った。
 相手が反撃をしないと判っている時だけ、行動を起こすのは嫌な男だ。

 先生の講評‥‥
       心の歪み、みにくさにいたたまれない感性。
       心の審美に敏感だ。 
    

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