つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ:その後(地震その4)

2011-05-28 13:32:05 | エッセイ

エッセイ:その後(地震その4)

 


電気も水道も無い寒い避難所で、最低限の食事と寝る所をつくり、
寄り添って生活をしていた人たちにも、少しずつ時間が過ぎる。

あの時から一ヶ月ほどが経ち、津波で押し倒され折れた幹からも
ぼみ
がふくらんだと、それを見つめるやさしい顔がある。

桜が咲いた、お花見をしたなどの話題も多くなって、難を逃れた高
台のお寺では、地域の人たちが肩を寄せ合ってお花見をし、「がん
ばるぞー」と声を上げている。

見失いそうな心をみんなで奮い立たせるように見える。
その中に、消防団の帽子をかぶった女性がいた。お年寄りを避難誘
導していて、津波に飲みこまれた、消防団員の夫の帽子だと言う。
一緒にお花見をしているのだろう。

何も手がつけられていない一面の瓦の中を、思い出になるものを
探しているのか、あたりを見渡しながら歩いている人や、ただ立ち
尽くす人たちがいる。

土台だけしか残っていない家の前で、年配の男性に、テレビのレポ
ーターが「何か大切な物は見つかりましたか」と話しかけていた。
男性は、黙って腕をめくった。
亡くなった息子の腕で動いていたと言う腕時計を見せた。

又若い男性が、泥の中から母親のアルバムを見つけた。
それまで、アルバムの中身は見たことが無かったが、めくってみる
と若いときの母親の顔があった。
いつも見慣れていた姿とは違い、生き生きとした、若い母親の写真
に初めて接した。
今まで生きてきた証のような気がして、見つけてあげられて良かっ
たと話していた。

今回の災害で、はかり知れないものを失った。
壊れた建物や町は、いつかは復興するだろうが、被災された人たち
の生の声を聞くたびに、もう元には戻れない、戻せない多くのことを
テレビを通して知る。
幸い私は何も被害は無かったが、この痛みは同じ人として、心に深
く受け止めなければと思う。

 

朝日カルチャーのエッセイ教室に通っています。

講師から、「今回の大災害を書いていきましょう」
  と提案があり、何とか文字に起こしています。

主にテレビ等の情報が頼りですが、地震、津波の
  大災害はどう書いても書きつくせません。

未だ原発も先が見えず、その事を思う時、尚心が重
  くなります。


 被災された方、月並みですが、お体ご自愛下さい。

 

 

 

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エッセイ:こんな設計図(地震その3)

2011-05-14 14:39:38 | エッセイ

エッセイ:こんな設計図   課題【地震
     

「宮城県から来ました、宜しくお願いします」
小学校低学年らしい転校生が挨拶をした。
その後のインタビューで「友達を沢山つくりたいです」あどけない顔が緊張している。

天災とはいえ、こんな小さな子にまで試練が及ぶ。
春の新学期、何も無ければ仲良しの友達と遊ぶ約束でもする一日だろうに
と胸がつまる。

大地震と津波の被害で町はメチャメチャになった。
写真で見た
戦争の後の焼け野原のようだ。
の山に、
ポツンポツントと曲がった、鉄骨やコンクリートの建物が残っ
ている

地震に強い家をと願って建てた家も、ひとたまりも無く持っていった。

だが昼間でよかった。
かなりの学校が高台にあり、大半の生徒が助かった。

学校を高台に作っていたことは、以前の教訓が生かされていたということだ
ろう。
大正時代、関東大震災の後、まず丈夫な建物を造ろうと、建築に関わる人
たちが知恵を出し合って、鉄筋コンクリートで同潤会アパートや小学校を作
った。それは戦
にも耐え、今も使われている。

今回のような災害が夜中に起こったら、暗闇の中を遠くの高台まで避難
するのは難しいと思う。

素人の私が考えることだが、こんな設計図はどうだろう。
近くの山をくずし、その土を海辺の土地に下ろして、できるだけ高台に土地
を広げ、住居や学校、公共施設を作る。
生活の拠点が海辺というので
あれば、平地には大きな道路を作り、その両
側に10階建てぐらいの鉄筋コンクリートの建物を作る。
4階迄が、昼間の働く場所とし、住居は、津波が来ても大丈夫な高さ、5階以上にする。
そして、屋上迄上れる階段を沢山作り、万が一の時は誰でも利用する。

階段なら、足の悪い人には、おんぶする背中も、肩も貸せる。

 先生の講評 対象(被災)に対する温かな愛情を感させじる。
             自己流アイディアを考える姿勢からきているのだろう。

    

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里帰り

2011-05-09 11:57:15 | 夫と・・・・。

蔵の街を流れる巴波川

5月の連休、実家に里帰りをしました。
弟夫婦が、いつも気持ちよく迎えてくれます。
(お姉ちゃんの思い込み・・・・?)
初めて巴波川の平船に乗って、塚田家の蔵を見上げました。
テレビドラマ「じん」のペニシリン工場として、出てくるそうです。

墓参りのあと、野草に詳しい人が、
自宅で育てている野草を沢山見せてくれました。
黄カタクリ草、シラネアオイ、チューリップの原種、何とかヤポネ、
等など、後は忘れました。
その後、クマガイソウが自生している所に案内してくれましたが、
弟の友人宅でした。
忘れな草が自然に咲いているのも興味深かったです。

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昭和記念公園のチューリップ

2011-05-03 11:07:56 | 楽しい仲間

 

画像の縮小をすると、満足いくようにならなくて先生に愚痴ってしまいました。
早速、違うソフトで縮小をした画像を送ってくださいました。
それが下記の画像です、ギラギラしていない綺麗な画像です。

パソコン仲間の友達3人、今回はお笑い3人組と
名前が変わり、立川伊勢丹集合、

地下でお弁当とおやつを買い、昭和記念公園へ。
一寸だけお花を見て、早速お弁当。

チューリップに負けず、おしゃべりをしながら写真撮影。
本当にお花がいっぱい、楽しい一日でした。

コメント (2)
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