つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

2015年6月 里山通信

2015-06-24 17:19:02 | 里山通信



カルガモの家族が沢山いました。大きな鯉や魚の群れも。



「ガクアジサイは咲き終わると、花びらがひっくり返る」

曇り、時々晴れ、丁度良いお天気でした。
東久留米駅から、黒目川の川辺の散歩でした。
東京では珍し清流、湧水がわき出ているからでしょう。

アジサイがあちこちに咲き、梅雨の時期だなと感じます。
所で皆さんはご存知でしたか?
ガクアジサイのこと、

植物博士のSさんから教えていただきました。

上記のテラス、東久留米駅にある電車を見るテラスだそうです。
このあと、若いお父さんが小さいお子さんと電車を見ていました。
西武線はやさしい・・・。

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東京タワー

2015-06-21 10:22:46 | 夫と・・・・。

真っ青な青空、土曜日、嬉しい。

一寸した用事で世田谷に行った。
私のドジで電話確認をしておかなかったので、
その日がお休みという事が分からなく、空振りに。

「これからどうする?」・・・・
という事で、目黒から地下鉄で、「芝公園」
増上寺と東京タワーに行きました。
「あんまり高いところに上ってしまうと、下をみてもよく見えないよね」

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エッセイ 茶箱 

2015-06-13 11:27:50 | エッセイ

エッセイ 茶箱

会社に勤めていた頃、お給料を貰うと、決まって洋服を見て歩き、何か買うのが楽しみだった。
化粧品にお金をかける友人もいたが、目鼻立ちはどうにもならない。
その点、洋服は着替えることですぐに変身ができる。

その頃、ミニスカートが流行った。
それまでのファッションには無かった、膝が見えるスカートは新鮮だったが、短いスカートは子供のようで着るのには勇気がいった。
お店でも急の変化をカバーするためか、襞や切り替え、巻きスカート、ウエストも腰の方まで下がったローウエストファッションなどと、いろいろなスタイルを品揃えしていた、まるで革命が起きたようだった。

人の目が慣れたころ、私もミニスカートを買った。
短いスカートに合わせて、ヒールの低い丸っこい靴を履くと、流行の真ん中にいる様な気分になった。

でも、オーバーコートもスカートも短かかった冬は、薄いストッキング一枚の下半身がとても寒かった記憶がある。

ミニスカートブームは長い間続いた。穿かなくなったスカートは茶箱にしまった。
その後、長いスカートも流行ったが、それよりもパンタロンと呼んだ、裾が広がったズボンを、新宿の「ロぺ」というお店で買った。
冬のボーナスでココア色の、細身の上着も買った。
足を長く見せる為に、ヒールの高い、先のとがった靴を履き、新宿の街を気取って大股に歩いた。

細身の上着は次の年も着て、大切に茶箱にしまい、何年か冬服の定番になった。
茶箱は一人暮らしをしていたころから、押し入れの下の段に収まる物を持っている。
お茶屋さんが保存に使う木箱で、内側にトタンが貼ってあり、今も洋服の保存に愛用している。
今は、茶箱に新品の洋服を入れた事はないが、その時々の洋服と思い出がいっぱい詰まっている。

課題 【流行・変わらない】
         
    先生の講評  
            細部が丁寧に表現され、若い女性の暮らしと心理が鮮やか。
            物を通して、心が表現されている。          

                       

    じのつぶやき ・・・ 先生より、茶箱を冒頭に持ってきてもいいのでは
                    との提案がありました。
                    「茶箱」の表題が強いかな・・・・。

         

            
       
       

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エッセイ ブリ

2015-06-02 15:26:54 | エッセイ

エッセイ ブリ

近くに、六十棟ほどの新築住宅が建ちつつある。
元は大学のグランドだったところだ。
玉川上水のほとりなので、緑が多く住宅としてはほどほどの環境だが、駅までは少し遠い。

昨年秋からの工事で七割方完成し、小さな公園も二つ出来た。
春には新しい家族が引っ越してきて、小さな子供たちがお砂場で遊ぶ姿を想像していた。

売出しの広告や新聞折込も入っているが、さっぱり売れないらしい。
新築売出しの旗が、各棟の前にずらりとはためき、夜は紫色の豆電球がチカチカしている。
誰もいない建物が、これほど並んでいると少し不気味だ、早く若い家族が入ってきてほしい。

私は、今から三十五前に、五年ほど経った中古の家を買った。
サラリーマンが最初に持つような小さな家だった。
その頃は、周りの家も似たような家族で、夫婦と子供が二~三人、老人はいなかった。
だからいつも子供の声がしていた。
朝は学校に行く賑やかな声、その
後は小さな子が三輪車をこぐ音。
郵便屋さんのバイクの音に吼える犬など。

時が経ち、大人になった子供たちが、一人二人と家を離れ、気がつけば殆どが親世帯になった。
あの頃は居なかった、老人だけの年代ばかり。何人かの人が亡くなり、一人暮らしの家の、二階の雨戸が開かなくなった。

休日の午後、小雨が降って何もすることが無い。
新聞も雑誌も見飽きた。
夫はテレビを見ている、頂き物の餅菓子を食べた。

夕ご飯のことが頭をよぎる。私一人だったら支度はしないだろう。
だが、夫はいつも、何でもいいからきちんと食べたいと言う。何にしようか、冷蔵庫をみる。
ブリの切り身が一枚ある。食卓に出したブリの皿を見て、「君は?」と聞く。
食べたくないと言うと「駄目だよ、ちゃんと食べなくちゃ、半分こしよう」
「じゃ小さい方にする、あなたは大きい方を食べて出世しなくちゃね」

他人が見たらわびしい夕ご飯だろう、静かな時間が過ぎる。

              

             課題 【食べる・食べさせる】
             
             先生の講評  互いを気づかい、ユーモアもある。
                       
豊かな交流のある質素な夕食。
                       この対比が利く。

        
             つつじのつぶやき・・・ 少し褒めていただいた作品です。         
       

 

 

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