つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

里山通信2009年6月

2009-06-28 11:13:48 | 里山通信

相模原陸軍造兵廠で造った戦車をテストをした道路の由来

梅雨の晴れ間、ガイドブックに載っていない
Oお兄様お薦めのコース
多摩モノレールに乗って。遠出の里山歩きでした。
南大沢の大きな建物にびっくりしながら、
マンション群の中を通り抜け、尾根緑道の散策。
昨日までの雨が上がり、湿度が・・・とにかく暑い。
「戦車道路」とも呼ばれている広い通りが続く。
道の端には、紫陽花が切れ間無く咲いている。
道路を挟んで、一方はフェンスに囲まれて
「サンクチュアリ」 小鳥の声も聞こえて、
まさに「お花と小鳥の声」に、し・あ・わ・せ・

帰りは南大沢のアウトレットに寄ったのですが
もう何にも買う物が無く、ソフトクリームを食べて
さよならをしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ・私はルリ

2009-06-21 12:42:35 | エッセイ

エッセイ・私はルリ

 私は、15歳になった。随分長く生きてきた。人間のお母さんの
年を通り越して、立派な高齢犬になった。

 最近は中年太りで身体は重いし、特別面白い事もない。毎日、日
向ぼっこか昼寝をしている。そんな私を心配して、おやつのジャー
キーをちらつかせ「ルリ、遊ぼうよ」なんて声をかけてきたり、「
散歩に行こうか?」なんて殺し文句を言ったりする。落ち葉の匂い
をかぎながら、あっちこっちと道草をする散歩も楽しいが、近頃は、
それも億劫になっている。

 十五年前、この家に貰われてきた時、お父さんは名古屋に単身赴
任をしていた。たまにしか帰ってこないお父さんに声をかけられる
と、緊張してお母さんの影にかくれて助けを求めたりした。

 大きいお兄ちゃんは高校生だった。反抗期の真っ盛りで、「ウザ
イ」とか「うるせい」とか、かなりひどい言葉でお母さんを悩ませ
ていた。私も、もう少しで、「もたもたのモタ」と命名されそうに
なった。お母さんは、女の子らしい優しい名前にしようよと、「ル
リ」と言う名を選んでくれた。あのお兄ちゃんが、今では、玄関で
私を抱きしめ「ルリちゃん、ただいま」と、頬ずりをする。

 小さいお兄ちゃんは、小学生で可愛かった。私を見るとすぐに隠
れて「ルリー」と呼ぶ。鬼になった私は、お兄ちゃんを探して家中
を走り回ったり、朝は、学校にはいていく、お兄ちゃんの白いソッ
クスをくわえて、鬼ごっこもした。懐かしい思い出がいっぱいある。

 最後になったけど、私はお母さんが一番好き。私が子供の頃は、
お勤めをしていたのでお留守番が多く、淋しい思いをした。そんな
気持ちを抑えられなくて、お母さんの靴を噛んだり、玄関マットの
上に、おしっこをして困らせたりもした。

 もうすぐ、別れなければならない時がくる。泣き虫のお母さんの
ことを思うと、少しだけ心配している。

先生の講評 
          擬人法に危なげない。優しいメルヘンの世界。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーヤの成長記録

2009-06-17 11:06:27 | つぶやき・・

2009.6.17 午前中のゴーヤたち

昨年夏、緑のカーテンと称して、ベランダに、
ゴーヤとインゲンと朝顔のコンテナを置き、
日差しをよけた結果大成功だったので、今年も並べました。
苗は買ってきて、つるありインゲンと朝顔は、
種を蒔いたら、
インゲンはもう、
立派に葉を伸ばして、ゴーヤに絡み付いています。

今後もこの子たちの成長を見守って生きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッセイ朝鮮の母

2009-06-04 09:43:48 | エッセイ

エッセイ・朝鮮の母

許しがたい北朝鮮のテロ、「拉致」そして「大韓航空機の爆破事
件」
二つの事件に関係した「金賢姫元死刑囚」が、拉致された田
口八重子さんの長男「飯塚紘一郎さん」と、韓国で面会した。

その模様が、テレビニュースで何度も流れたが、見るたび、胸が
締め付けられるような息苦しさを味わった。

妹、母を返せと、運動している飯塚繁雄さんと紘一郎さんの前に、
ドアーの向こうから、少し緊張しているような、青白い顔色の金
賢姫元死刑囚が姿を現す。

沢山の人が見守る記者会見の場で、普段、普通の生活をしている
であろう三人が、ぎこちない仕草の中、精一杯、今の気持ちを伝
えようとしている。

金賢姫元死刑囚が「抱いてもいいですか?」と、小さな問いかけ
をする。紘一郎さんが恥ずかしそうに、すっと寄っていった。母
のぬくもりを追い続けてきた紘一郎さんは、どんな気持ちだった
だろうか。

「お母さんは、屹度、生きていますよ」
「母が北朝鮮で、どんな生活をしていたのか知りたい」
「私が、朝鮮の母になります」

金賢姫元死刑囚の、落ち着いた話ぶりから、事件の修羅場をくぐ
りぬけてきた、その後が偲ばれる。国家の為と吹き込まれ、大韓
航空機爆破事件を起こし、死刑の判決を受けながら特赦で生かさ
れ、罪を背負って生きている姿なのだろう。

あのニュースから、大分、時が過ぎたが、「抱いてもいいですか
?」と、金賢姫元死刑囚の遠慮勝ちの問いに、紘一郎さんも、は
にかんだ顔で身体を寄せていった場面は、今でも心を温かくする。

人は、とても大切な心を伝える時、言葉だけではなく、身体を寄
せあっていくのかもしれない。今、私がそのような場面を思い描
く時、息子達に、何か、とても良い事が起きた時だろう、その時
は、黙って抱かせてもらうつもりである。

※ 先生の講評
     
実況中継の部分が多すぎる。後半の「あのニュースか
     ら・・・」の記述にしたい。暖かい人柄がにじむ
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする