つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 耳

2019-10-30 16:43:13 | エッセイ

エッセイ 耳 課題【耳】   2019年Ⅰ月25日  

出かける時は、バスに乗ることが多い。
最近とても疲れやすくなった。
余程急用でなければ、座席に座るようにしている。
渋滞などで長い行列の時は立ってでも乗るが、停留所が近づく度に、席が空かないかとキョロキョロするから恥ずかしい。

入口から後ろの席は二人掛けが多く、そこに座ると連れの人との会話が耳に入る。
すぐ後ろの席の女性が、バイト先のあれやこれを話している。
ラストオーダーが遅いとか、お通しがどうのこうの、店長に文句を言われて泣いたとか。
居酒屋に勤めているのかなと言う様な会話だった。そんな話の後に、
「就職が決まっておめでとう」
「それはいいのだけれど、お給料が安いので心配、保険とか引かれると二十万円にならないみたい」
「バイトでは、幾ら位貰っているの」
「夏休みや多い時は三十万円以上あったわ」
「でもいいじゃない、夕方早く帰れるし、毎月決まったお給料が入るもの」

 降りる時、それとなく見たら近くの大学の学生のようだった。
華奢な体の地味な学生が、夜の居酒屋で頑張っているのだ。
「へ―― 凄いな、アルバイトの方がいいのだ」なかなか聞けない話だ。

 昼間のバスは空いている。
斜め後ろの座席は、母親と娘さんらしい二人が座っていた。

「今月は何時お金を入れるの、自分の物ばっかり買って」
「・・・・・」聞き取りにくい。
「すぐ、直ぐにと、先月も言ったよね」
「だからね・・・・・」
「今日帰り、銀行に・・・・・、いつも胡麻化すのだから、父さんも・・・・・」

大きな茶色のショールを巻いた娘さんは、周りを気にしてか、小さな声で何か言う。
お母さんは「えっ、えっ?」と聞き返し、興奮してきたのか「もうーっ」と大きな声を出し、静かになった。
何を聞いたのかな。

 

 

 

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箱根駅伝予選会

2019-10-22 07:57:50 | つぶやき・・

JR立川駅通路に、箱根駅伝予選会に向けて
出場チームの旗が立っています。

何時もは10月半ばの昭和記念公園のコスモスの花の盛りの頃。
今年は年号が変わる、国家的行事によるため
1週間遅れの
10月26日(土)9:35スタート
陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街~昭和記念公園

いよいよ駅伝の季節です。

 

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ムーミン谷

2019-10-13 08:57:18 | 楽しい仲間

10月10日(木)サークルで、あけぼの子供の森公園へ行きました。
私たちは勝手に「ムーミン谷」と呼んででいます。

駅から徒歩20分は少し遠いけど、橋を渡ってすぐに入間川の遊歩道を歩きました。
途中大きな樹の下にベンチとテーブルがあり、行きも帰りもそこでお茶タイム。

気持ちのいい入間川が昨日の台風で濁流が流れた様子。
川って、女心と秋の空ですね。

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エッセイ お祖母ちゃんの味

2019-10-05 11:23:51 | 楽しい仲間

エッセイ お祖母ちゃんの味 課題【食べる・飲む】2010.11.12   

          つつじのつぶやき・・・

       9年前の作品です。遠い記憶の底にあるお祖母ちゃんの漬物の味。


暗い土間を入ると、背戸から、ちろちろと水が流れ落ちる音がする。
以前は木小屋だった小さな家に祖母は住んでいた。

祖母は長生きだった。大抵日の当たる縁側で縫い物をしていた。

「お祖母ちゃん」と声をかけると、目をそばめて笑顔になる。
眼鏡は無くても縫い物は出来るといっていたが、「丁度良かった、針に糸を通してくろ」という。
何本もの針に糸を通して針山に刺した。

祖母はいつも黒っぽい木綿の着物に、長い前掛けをかけていた。
腰が大分曲がっていたから、歩く度に前掛けがひらひらしていた。
髪の毛は、ひっ詰めておだんごを作り櫛を挿していた。
その櫛を水にぬらして前髪をなでる。

時々「裏に行くか?」と言うことがある。
杖を付きながら歩く祖母について行くと、沢沿いの先に、湧き水がしみ出た窪地がある。
蕗や三つ葉などの山菜が生えていて、それを籠にいっぱい採って帰った。
あの頃、祖母とどんな会話をしたのだろう。

私は小学校に入ったばかりの頃、麻疹に罹った。
弟も続けて罹り、その後重病の肺炎になり、母が付き添って入院した。

山の家から祖母が出てきて、治りかけた私の面倒を見てくれた。
いつも側にいて、布団をはぐとすぐに首まで引き上げられた。

熱が下がった時、ご飯の上に、小さく刻んだ菜っ葉の漬物をのせて食べさせてくれた。
食欲が戻ったのか、沢山食べた。
真っ白いご飯と緑色の漬物、あの味はずーと記憶に残っていた。
後に母が作った漬物で思い出し、聞くと大根の間引き菜の一夜漬けだと分かった。

私は一時期、小さな家庭菜園を借りていた。
間引き菜を採るため大根の種を多く蒔き、一夜漬けを作ってみた。

あの時のお祖母ちゃんの味には届かなかった。

 

 

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