あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

色とりどりのハイビスカス

2009-10-08 08:32:29 | 植物

 奈良から帰って、怒濤の一週間が過ぎました。 なぜかというと、県展の搬入日が迫っていたからです。今年は例年より10日も早いのです。 10日も違うと、制作への影響は大きいです~  いえ、はじめっから分かっていたことなんですけどね


 搬入日の7日は、ちょうど松山は秋祭りの真っ最中。 搬入を済ませてお祭りでも見物して、呼び物の神輿の鉢合わせでもブログに書いて・・・・との計画は見事におじゃんになりました。


 超大型台風がやってきます。 雨が降っては写真も写せません。 風雨がひどければ桜三里を越えるのは不安です。 搬入は明日にすることにしました。


 で、ネタがありません。 今までに撮りためたハイビスカスの写真を紹介しますね。


 7月始め、去年植えた小さな苗に初めて花が咲きました。



  黄色とピンク、何とも繊細な色合いの花でした。


  同時期に植えたもう1本の苗からは、黄色ですが中がオレンジの花が咲きました。



 


 ハイビスカスは10月になっても咲き続けています。 ちょうど咲き始めたところ。



  


 オレンジ1色です。



 


 もちろん定番の赤もあります。 



 これが3,4年前からあるもので、地植にしてからとても大きくなりました。 今では2メートル近くの灌木になっています。 花もたくさん咲きますよ。 この赤いハイビスカスが夫は好きで、とうとう専用のハウスまで作ってしまいました。
 それならばと、わたしが実家で放置されているのを見つけてはもらってくるのですが、残念ながら花が終わった後なのでどんな花が咲くかわかりません。 それでも大きな鉢に植え替えたり、地植したりすると必ずもう一度咲いてくれるので、それが楽しみです。  


 最後までどんな花が咲くのか分からなかった1本。 これが一番弱っていて、成長も遅かったのです。 ようやく咲いているのを見つけました。



 レモンイエローに白い芯。 カスタードクリームのようにおいしそうな色でした。


 ハイビスカスの種類は5000くらいあるんですって。 コレクションにのめり込んだら大変です。  


 石鎚山系に守られているわたしの地方では、台風は対したことなく通り過ぎたようですが、皆さんの地域ではいかがでしょう。 被害が大きくありませんように。 


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2年目のミラクルフルーツ

2009-10-07 08:17:04 | 植物

 冷凍庫からこんなものが出てきました。



 ミラクルフルーツです。 去年の実を冷凍したのを忘れてた。 
 すっぱいものを甘く感じるという不思議な木の実です。
 冷凍してもその効果はあるのか試してみたかったのですよ。 で、さっそく食べてみました。1個食べてからレモンの薄切りをかじってみると・・・・・・


 うん、甘い。甘いけれどーちょっとすっぱい。 どうも効果が薄くなっているような気がしました。 それでもう1個も食べてしまいました。 
 少し甘みが増したかなあと思いました。 それでスダチもかじってみました。 スダチの香りが口いっぱいに広がって、なかなかいい感じでした。 でも、やっぱり効果は薄れていると思います。 新鮮なものは、レモンの酸味を全く感じません。
  
 そのミラクルフルーツは、実がなる苗を植えてから2年目、背は低いけれどこんなに立派に茂っています。 実がなるまでには何年もかかるらしいですよ。 だけどね、実がちっともついてないのです。 去年は7月には実がなっていたというのに。 
 あ、向こうの方に見える赤いものはハイビスカスの花殻ですから。




 栽培の難しい木のようです。 この苗を手配してくれた甥っ子が、本当に実はなるのかと心配していました。 1年目はなったけど2年目はだめなのかも。  


 が、葉っぱをかき分けてみるとー 



 ありました。 去年より実がなるのは遅いけれど、たしかに。
 濃い緑の葉っぱに赤い実がとてもかわいいです。


 ちょっと失礼して、スカートの下を・・・ってこんなふうにして撮るのかな。



 どうも実は日陰が好きなのか、枝の下向きにつくみたいです。 去年はこんなに葉っぱがなかったからよく見えたのでしょうね。 まだつぼみもついています。
 数えてみると10個以上ありました。 
 すごい! すごいけれど・・・・  わざわざミラクルフルーツ食べてまでレモン丸ごと1個を食べることもないでしょう。 さて・・・・ 
 去年の感動は少し薄れてしまっています
 ところが、今日のこと、晩ご飯のためにもずくを買ってきたのですが、うっかりと味付けしてあるのを買ってしまいました。 それがとてもすっぱくて、最後まで食べらなかったのですね。 
 


 しまった、こんなときこそミラクルフルーツ! だったです。


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不遇の実

2009-10-05 21:52:34 | 野菜・果物・料理など

 本ブログ初登場のナツメです。



 新入りの植物ではありませんよ。 もういつのことか分からないくらい昔から、畑の隅に植わっています。 どうしてナツメなんか植えたんでしょう。
 母はナツメが好きで、あんまりおいしいおいしいというものだから、つられて植えたのだったかな、それすらも定かでないほど我が家では関心を持たれてないナツメです。


 もう茶色くなって、柔らかくなってしまったものもあります。 昔のナツメは茶色く熟れた方がおいしかったのだそうです。 



 でも我が家のナツメはこんな感じになったらころがいちばんいおしいです。
 もうどんなにおいしいのかと思ったら、たしかに甘酸っぱくてりんごのような味がしますが、水分が少なくてぱさぱさとしています。 実は小さくて三口も食べればもう種しか残りません。 育ち盛りを戦時中に過ごした母にとっては、こんな小さなナツメでも大変なごちそうだったのかもしれません。 でも食べ物も豊富な現代では、子どもたちもろくに食べようともしませんね。



 だから植えたもののろくに見向きもされず、畑でひっそりと実をつけているのです。


 人間には小さくても鳥のくちばしには大きすぎる実は、丸呑みされて遠くへ運ばれることもなく、しかたがないので足元に実を落としては跡継ぎを育てています。


 


  それもまた、少し伸びたと思ったら草刈り機で刈り取られ、大きくなることはありません。どこまでも不遇の実なのです。 なんとか日の当たる場所に出してやれないでしょうか。人によるとナツメ酒にしたらおいしいというのですが、多分作っても飲まないので作りません。
 
 畑へ行くたび1,2個もいでかじってはいましたが、そうこうしているうちに、ナツメのシーズンも、もう終わり。 わずかに残ったのをもぎとって実家に持って行きました。
 両親は喜んで食べていましたが、弟は1個食べて「うま(く)ないのう。」と言いました。 やっぱりね。 


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いちじくのジャム

2009-10-03 21:00:58 | くらし

 2年前に高知の日曜市で買ったいちじくに、今年は実がなりだしました。



 皮の赤い西洋いちじくです。


 一日に1個もないときもありますが、こんなに沢山熟れている日もあります。 



 ジャムにするほどでもないし、これはぼつぼつとわたしのお腹に収まってしまいます。 もう少しまとまって採れると何かできるんですけどね。 でも、まだ2年目ですから、これでも良くとれる方だと思います。


 西洋種のいちじくはあまりおいしくないと今まで思っていましたが、これは甘くておいしいです。ただもうちょっと酸味がほしいくらいですね。


 そうこうするうちに、箱いっぱいのいちじくを頂きました。


 


  うれしい~ 。 日本いちじくでした。 子どもの頃から馴染んできたなつかしいいちじくです。 実家にはいちじくの木があって、秋になるとそれをもいで食べるのがとても楽しみでした。 いちじくは手で簡単にもげますが、切り口に白い汁が出るんですよね。 それを口につけると口にできものができたりしたのですが、あれは汁にかぶれたということだったんでしょうか。 写真の中の割れてないものはちょっとすっぱいです。 でもぱくっと口の開いたのは既に痛みかけていたりして、ちょうど良いのを採ることが大事なんです。
 


 このたくさんのいちじく、どうしようかなあ。 
 忙しくてあまり手の込んだことはできませんでしたので、全部ジャムにしてしまいました。


 皮をむいて砂糖と一緒に火にかけ、柔らかくなったら木べらでつぶしながらほどよい堅さになるまで煮詰めます。 いちじくはペクチンが多いのか、何もしなくても煮るだけでとろとろのジャムになるのです。
 こがさないようにかきまぜながら弱火でことことと煮るのですが、時間がかかります。 ちょうど仕事休みだったぶじこに手伝ってもらいました。 
 ぶじこは小皿片手にかきまぜながら、ときどきお吸い物の味見をするようになめています。と~ってもおいしいんですって。 日本いちじくの若いのはけっこう酸味がありますから、それがちょうどいいみたい。
 
 おいおい、何回味見してるのかな~


 でも、わたしはもう少し酸味がほしかったので、 レモン半分絞ってまぜました。 これでよし。 味がしまってきたと思います。


 なんと、けっこう大きな24センチのなべに半分以上できました。



 ちょっと作りすぎたか。 実家にも持って行って、あとはぶじおくんにせっせと食べてもらいましょう。


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守り伝える人々がいればこそ

2009-10-02 01:41:51 | 旅行

  昼食の後はいよいよ藤ノ木古墳の現場へ。


 藤ノ木古墳は、斑鳩町、法隆寺から少し歩いたところにありました。 そもそもの始まりは、樹木の茂ったこの古墳の大きさを特定するのが目的だったといいます。 しかし調査が進むにつれ、埋蔵物への期待が高まりました。 マスコミの報道合戦も過熱気味で、先生たちはここで2ヶ月間、報道関係者に昼夜見張られながら発掘作業をしたそうです。



 現在古墳は公園として整備されています。 向こうの方には写真入りの解説パネルが置かれています。


 古墳内への入り口です。 見学者があの扉の前に立つとセンサーが働いて奥深くにある石室に明かりがともり、内部が見えるようになっています。



 ガラスにカメラを押しつけて写してみたけど・・・・・



  発掘の様子や副葬品などについては博物館で買ったこの本に詳しく書かれています。  
  バスの中で前園先生にサインを頂きましたよ。



 今まで見てきた古墳は、それが悪意はなかったにせよ、故意に破壊されてきたものばかりでした。 ここまできてようやく、最良の方法で保存と公開をするに至ったいうことでしょうか。 これも進化のひとつですね。


 最後に、法隆寺を訪ねて今日の旅は終わりです。 添乗員さんに指定された集合時刻までにはまだ1時間半近くあります。 お土産もここで買うのです。 奈良といえば柿の葉寿司と奈良漬け。 ウキウキしてきました。


 が、いざ法隆寺へ来てみると


 ひ、広い・・・・・ 
 南大門の所から右半分を写したところです。 これがまだ左側にも続いているのです。 これを1時間ほどで?



 


 門をくぐると、中門の向こうに五重塔が見えます。 あそこまで行くのもやっぱり遠い。



 


 法隆寺へは中学校の修学旅行以来です。 あれからウン十年、歴史を重ねているのですね。 



 日本最古の木造建築だ、「柿食えば・・・」だ、百済観音だ、と行く前も着いてからもさんざん聞かされて、それでもあのころは、たいした感想もなくただガイドに連れられて歩くだけだったように思います。
 今日も修学旅行生らしいグループがたくさん歩いていました。 この若者たちは、日本の誇るこの寺をどう思ったのでしょうか 。



  五重塔は、日本最古ではなく世界最古でしたね。 細かい木の組み合わせが実にきれいです。


 


  東伽藍にある夢殿。 八角形の建物で有名です。 これもまた美しい。 屋根が、軽やかな感じがします。



  


 


  どの建物を見てもその精緻な作りは美しく、写真もいっぱい撮りましたが、



 何しろ急いでいますもので、できばえはいまいちーと言い訳しておきます


 ところで、現在の法隆寺は飛鳥時代に建てられたものではなく、やや時代が新しいものです。 金堂や五重塔がある西伽藍から少し南にずれた位置にあった若草伽藍がもともとの法隆寺であったろうというのが今は定説のようです。
  ただ、安置されている仏像などは飛鳥時代のものであり、火災時に僧たちによって持ち出されたのであろうということです。 木像の華奢な指一本欠けることなく、細心の注意をはらって運び出されたのです。 
 法隆寺での前園先生は、法隆寺という貴重な遺産は、偶然の幸運によって残ったのではなく、古代からの人々の努力で守り伝えられてきたを強調されたように思います。 法隆寺には万が一の時のための資金としてお宝が眠っているのだとか。 


 たとえば、柱ひとつにしても、痛んだところを別の木をはめ込んで修理した跡があります。



 こいういう細かい所は、指摘されて初めて気づくものです。 先生のガイドで本当によかった。


 この柱は右にねじれていますね。 それを見て、法隆寺の解体修理に当たった現代の名工西岡常一さんを思い出しました。
 木を買うのではなく山を買って、そこに生えていた木の持つ特性を生かして使う。そういわれていた西岡さん、ねじれはねじれのままに、しかし他のくせのある木との組み合わせを考えて使うのだそうです。 あの本、もう一度読みたい。
 そして西岡さんの思想と技術とは、たった一人の弟子小川光夫さんに引き継がれ、現在鵤(いかるが)工舎という技術者集団となって各地の神社仏閣の建築や修復に活躍しています。


 このように考えていくと、遺跡というものは、守り伝えようとする意志があって、実際に守る人々の努力や技術があってこそ残っていくのだと思いました。 現代においてその役目は、考古学者だけでもなく、史跡に関わる人だけでもなく、 わたしたち一人一人がその一翼を担うべきなのだと、そんな気持ちでした。  


  


 予定時間を大幅にオーバーして、ろくにお土産を買う間もなく帰路につきました。 ああ、柿の葉寿司・・・・ まあ、充実した旅だったからいいか。
 夕食予定だった吉野川ハイウエイオアシスでは、とっくに閉店してしまったお店の中でうどん屋さんだけが明かりをつけてわたしたちを待っていてくれました。 おわり


 たった1日のことを・・・・・やっと終わりです。 だらだらと長い(これでもはしょったつもり)レポートにおつきあいくださってありがとうございました。 そしてご一緒させていただいた東温史談会の皆様、前園先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。


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考古学は進化する

2009-10-01 01:36:18 | 旅行

 次の見学場所へはバスで向かいました。
  明日香へ行かれた方ならすぐおわかりでしょう。有名な所ですよ~



  広い広い盛り土の上にあるのは、石舞台古墳でした。



 この巨大石の古墳は蘇我馬子のものという説が有力だそうです。 この辺りには豪族の古墳200あまりがありましたが、それらをこわしてこの墳墓が作られたのだそうです。 相当の権力の持ち主であったことが分かります。



  蘇我馬子は島の大臣と呼ばれ、明日香村島庄のカギ型の池のある場所に屋敷があったと考えられているそうです。 そこは後世、天皇になるべき人が住むようになり、飛鳥宮の東にあったことから東宮と呼ばれるようになりました。 いまも皇太子のお住まいが東宮御所と呼ばれるのはこの名残だそうです。


  内部の天井からは秋の空がまぶしく見えました。 大きい岩です。



  周りの盛り土一面に白い彼岸花が咲いていました。 ゆっくり写真を撮りたいけれど、先生は先を急いでいます。



 でも、ちょっとだけ時間を頂きましょう。 白と言っても、クリーム色がかったのや、ピンクがかったのや、ぼつぼつとサーモンピンクの優しい色も。



  真っ赤な彼岸花とはまた違った清冽な印象を受けました。 古墳には赤よりも白が似合います。 でも、これはどうも園芸種らしいのですね。 せっかくの歴史の舞台ですから、園芸種や外来種を排除した日本古来の植物だけにしてみたらどうかしら。 きっと今の華やかな花壇とは比べものにならない地味で素朴な草花だけになるでしょうが、いにしえへの思いはさらに深まるのではないでしょうか。  


 再びバスに乗り、狭い街中を無理矢理通り抜けて着いたところは、飛鳥清御原宮跡です。


 そこは、田んぼの中に忽然と現れたという感じでした。



 井戸が復元されています。 向こうの栂の木のある場所は建物があったところです。



 この場所は、昔から板蓋宮(大化の改新で、蘇我の入鹿が中大兄皇子に討ち取られた宮殿)があった場所と言い伝えられており、昭和47年に史跡に指定されたとき、「伝飛鳥板蓋宮跡」という名前がつけられましたが、 その後の調査でこれが飛鳥清御原宮跡とわかりました。 さらに歴代の天皇によってたびたび遷都されたという都の多くが、実はこの清御原宮のある場所であったことが分かったそうです。 板蓋宮も、清御原遺跡の下に埋もれているそうなのです。 新しい発見があるたびに次々と歴史が塗り替えられ、考古学は進化し続けているように思いました。


 その思いをさらに強くしたのは、次の見学場所、「橿原考古学研究所付属博物館」でした。
 ここには研究所が70年間で発掘した品々が展示されています。 


 なんと、一部を除いて写真撮影OKなんですよ。


 飛鳥清御原宮の模型を見る人たち。 



 マスクの人が多いのは、新型インフルエンザの予防のため、人が集まるところではマスクをしなさいと一人一人に配ってくれたからなのです。 ついでに言うと、食事の前にはうがい薬の入ったコップ、バスに乗るときには手指を消毒するスプレーと、至れり尽くせりでした


 圧巻はなんといっても藤ノ木古墳の出土品です。 この藤ノ木古墳の発掘に当たっては最新の技術が導入されました。
 発見された石棺は一度も開かれた痕跡が無く、中の遺物を調べるためにファイバースコープが使われたのです。 その結果、石棺の中には水が溜まっており、放っておくと腐食が進むおそれがあったため石棺を開いて調査することになったそうです。
  


 慎重な開棺の結果発見されたもの


 金銅製の鞍。



 精緻な装飾は日本で作られた物と判断されました。


 金銅製の靴、冠、装身具など、すばらしいものばかり。



 展示されているものほとんどがレプリカではなく本物です。 展示物といってもレプリカだらけのどこかの博物館とは大違い


 しかし、レプリカとはいってもバカになりませんよ。 光り輝くこの太刀はもちろんレプリカなんですが、



 お値段、2000万円!


 藤ノ木古墳の棺の中から発見されました。


 考古学は、研究の方法も進化して、それがまた新たな発見に繋がって、今後もますます進化し続けるのでしょう。 


 延々と書き連ねて、ここでようやく昼食です。
 最後までお読みくださってありがとうございました。 午後からは藤ノ木古墳を見に行きます。


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