トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

1日平均の乗車人員1名! JR芸備線小奴可駅

2017年02月24日 | 日記

私には、仕事が一段落したとき乗ってみたくなる鉄道があります。JR芸備線です。JR備中神代(びっちゅうこうじろ)駅からJR備後落合駅を経てJR三次(みよし)駅へ。そこから、さらにJR広島駅に向かう鉄道です。実際の運用は、JR新見駅から備後落合駅まで行き、そこで、三次駅へ向かう列車に乗り継いで三次駅に向かうようになっています。写真は、JR新見駅の1番ホームです。芸備線の列車はここから出発します。新見駅から広島県に向かう列車は1日に6本運行されており、その内の3本は、広島県に入って最初の駅であるJR東城駅までの区間運転の列車です。終点のJR備後落合駅まで運行されている列車は、1日3本しかありません。

新見駅の1番ホームです。1日3本しか運行しない列車に乗りたくなって、この日も新見駅までやってきました。これまで、沿線のJR内名駅(「1日3往復の”秘境駅”JR芸備線内名駅」2014年7月7日の日記)、JR道後山駅(「JR芸備線の”秘境駅”道後山駅」2016年8月27日の日記)、JR備後落合駅(「滞在時間12分、”秘境駅”JR備後落合駅」2016年9月9日の日記)とJR布原駅(「伯備線にあって伯備線駅でない”秘境駅”2014年3月31日の日記)は訪ねたことがあります。JR布原駅は、JR備中神代駅の手前にあるため、正確には伯備線の駅なのですが、伯備線の列車は停車せず、芸備線の列車だけが停車する駅ということで、芸備線に含めました。

備後落合駅に向かう3本の列車は、新見駅を5時18分、13時01分、18時24分に出発します。停車しているのは、ワンマン運転のディーゼルカー(DC)キハ120形車両です。新見駅を出ると、布原、備中神代、坂根、市岡、矢神(やがみ)、野馳(のち)、東城、備後八幡、内名(うちな)、小奴可(おぬか)、道後山の各駅に停車して、終点の備後落合駅に着きます。「Wikipedia」によれば、「2014年の1日平均の乗車人員」は、広島県に入ると減少し、東城駅が9人、内名(うちな)駅と小奴可(おぬか)駅が1人、備後八幡駅と道後山駅は0人(1人未満)という状況でした。乗車人員が余りに少ないと、私は”秘境駅”を連想してしまいます。牛山隆信氏が主宰されている”秘境駅ランキング”に布原駅(36位)と内名駅(28位)、道後山駅(43位)、そして、備後落合駅(138位)はランクインインしています。その差はどこにあるのだろうかと思い、今回は、JR小奴可駅を訪ねることにしました。

新見駅から1時間余、乗車してきたキハ120334号車は、14時04分に、小奴可駅に着きました。一面の雪景色です。ホームも雪に覆われていました。ワンマン運転の運転士さんの車内放送では「備後落合から先の芸備線の列車と木次(きすき)線の列車は雪のため、運行を停止しています。タクシーによる代行運転をしております」とのことでしたので・・。備後落合駅からの折り返し列車は大丈夫だろうかと、少し心配になりました。

私を含めて2人が下車しましたが、乗車された方はいませんでした。列車はすぐに、出発していきました。1面1線のホームです。かつては2面2線のホームだったのでしょう。向こう側にホームの跡が残っていました。線路はすでに撤去されていました。

ホームには、金属製の改札口が残っています。駅舎も窓枠はサッシに変わっていましたが、昭和の木造の小規模駅舎の面影が伝わってきます。床面は、長年、雪や雨露に打たれてひび割れもしていて痛々しい状態でしたが・・。

駅名標です。小奴可駅は広島県庄原市東城町小奴可にあります。隣の内名駅からは4.6km、道後山駅へは4.2km、中国山地の奥深いところにあります。標高546.99m、JR西日本管内で5番目に高いところにある駅です。ちなみに、道後山駅は、標高611.58mのところにあり、JR西日本管内で2番目に高い駅になっています。

駅舎内です。ホームの側に向かって撮影しました。ホームへの出口の手前左側に出札口がありました。小奴可駅は発券業務のみを委託している簡易委託駅になっています。下車したときは駅のスタッフはおられませんでした。

外は晴れ渡っています。周囲の窓からは日射しがさんさんと降り注いでいます。駅舎内の待合いスペースです。なつかしい駅舎に接して作られている長いす(ベンチ?)が周囲にありました。中央にある、手前から2つ目の椅子の上にあったケースの中に、新聞記事のコピーが置かれていました。

芸備線(当時は「三神線」と呼ばれていました)が小奴可駅まで開業したときの「大阪朝日広島版」の記事でした。「東城・小奴可の難工完成」と見出しにあるように、「東城・小奴可間、14キロ540メートル・・・東城川(成羽川)に沿った山間部で難工事も多く・・・、橋梁14、トンネル3、勾配25分の1の箇所も多く、工費110万1750圓を要した」と、本文には書かれていました。難工事の末に開通した三神線の開業を喜ぶ人たちの姿が伝わってきました。記事の中のスタンプにもあるように、小奴可駅までの開業は、昭和10(1935)年6月15日のことでした。

しかし、終着駅であった期間は長くはなく、翌、昭和11(1936)年10月10日には、備後落合駅まで延伸し、途中駅になってしまいました。そして、その翌年の昭和12(1937)年、三神線は新見駅と三次駅を結ぶ芸備線の一部となり、現在の路線名に変わりました。駅舎から駅前広場に出ました。丸いポストも長年の風雪に耐えて痛んだ姿になっていましたが、今も現役でした。駅舎は「道後タクシー」の事務所になっています。駅の簡易委託を受託されたのは、このタクシー会社なのでしょうね(未確認です)。

木製の駅名標です。風雪に耐えた現在の姿です。思わず見入ってしまうような味わいのある姿になっています。

駅に隣接しているトイレです。レトロな駅舎とは対照的に、外観も内部もモダンなトイレです。しかも、掃除が行き届いていて、清潔できれいなトイレでした。

駅前のスペースです。駅に関連した業務を扱う事務所が並んでいたところのようです。この日は土曜日でしたが、人の行き来はまったくありませんでした。

左側にあった事務所の跡です。小奴可駅が貨物を取扱っていた時代には、さぞ賑やかだっただろうと感じさせてくれる、大きな看板が残っていました。

駅前で営業されていたスーパーマーケットの近江屋です。自販機で飲み物を購入するために、軽トラックに乗った人が立ち寄られたり、買い物をすまされた方が出て来られたり、利用される方も多いようでした。

駅の周辺を歩いて見ることにしました。小奴可駅に近い旧街道には古い町並が残っています。小奴可は、江戸時代から明治時代にかけて「鉄穴(かんな)流し」で採取した鉄を薪で銑鉄をつくる「たたら製鉄」によって発展した集落でした。できあがった鉄の集散地として知られた東城町につながっていた通りが東城街道で、その街道沿いに、当時の繁栄をしのばせる集落が残っています。旧街道を訪ねるため、スーパーマーケットの近江屋の前から道を下っていきます。

左側に、かつての東城街道を継承した国道314号が走っています。旧街道を拡幅するときに旧街道の東側に新しい道路を敷設したため、かつての小奴可の町並みが残されることになりました。すぐに、”ENEOS”のガソリンスタンドの前に着きました。その手前を左折して進み、国道314号を渡ってさらに歩きます。

その先で、成羽川を渡ります。川の堤には柳並木がつくられています。成羽川は中流域で高梁(たかはし)川と名前を変えて、瀬戸内海に注ぎます。高梁川は岡山県3大河川の一つで、水島コンビナートの工業用水に、倉敷市民の生活用水にも使われています。

右側にある白壁のお宅を過ぎたところ(駐車場の案内があるところ)を左右(東西)に走っている、道路幅4メートルぐらいの通りが、旧東城街道でした。この道を馬の背に乗せて東城に送られた鉄は、鉄問屋の手で、陸路や筏・川船によって成羽(現・高梁市成羽町)に運ばれました。成羽で、積み替えられてから、玉島港(備中松山藩が整備した港)に送られていました。玉島港からは、さらに大阪や高松に向けて積み出されていたそうです。旧東城街道を左折します。

これは成羽川の下流方面に沿った通りの町並みです。通りの左側に、赤い釉薬瓦が美しい、妻入りの商家風の建物が並んでいます。

こちらは、通りの右側にあった和風の建物です。かつての繁栄をしのばせる町並みが中国山地の山深いところに残っていることに、感動してしまいました。この道は、町を外れるあたりで、国道314号に合流します。建て替わっているお宅や空き地もありましたが、幅4mぐらいの通りが続いていました。

この写真は、歩いてきた旧街道を上流側にむかって撮影しました。立派な常夜灯が残っていました。銘を見ると「嘉永申9月」「野田屋六平、地主 増田屋新兵工」とありました。嘉永の申(さる)年は嘉永元(1848)年。この年、六平さんと地主の新兵えさんが寄進したもののようですね。夜を徹して歩いていた人たちにとっては、ありがたい灯りだったことでしょう。

先ほど左折したところまで戻ってきました。ここから、成羽川の上流側に向かって歩きます。旧街道は緩く上っていく道でした。

こちらは、往事の面影を残すところはあまり多くはありませんでしたが、ところどころに雰囲気のある風景が残っていました。

来た道を引き返し、ENEOSの前から小奴可駅へ向かう通りを上っていきます。乗車してきた列車が、備後落合駅から折り返し新見行きになって戻ってくるのは、14時58分です。約50分余りの滞在時間が、残りわずかになっていました。

ホームに出ました。こちらは、到着したときの新見駅方面の風景です。

「お帰り!」。乗車してきたキハ120334号車が、定時に戻ってきてくれました。これで、新見に帰ることができる。ほっとしました。1日3本しかない列車の旅はスリル満点です。1日平均乗車人員が1人という小奴可駅。この日は、他の2人の方と共に乗車しました。1日平均乗車人員の3倍でした。新見駅まで1時間余の列車の旅が、また始まります。

JR小奴可駅は、1日平均乗車人員1名(2014年)の駅ですが、”秘境駅”にランクインしている道後山駅の0人よりは多く、同じくランクインしている内名駅と布原駅の1人と並んでいます。備後落合駅は、1日平均15人が乗車しているけれども、”秘境駅”にランクインしています。牛山隆信氏が、「秘境度」「雰囲気」「列車到達難易度」「外部到達難易度」「鉄道遺産指数」の5つの指標によって評価されているからでしょう。小奴可駅は乗車人員こそ多くはありませんが、スーパーマーケットが駅前にあったり、かつて、繁栄を誇った東城街道沿いの町並みが残っていたり、秘境駅にはふさわしくない雰囲気をもっていました。JR小奴可駅を”秘境駅”と考えるには、大きな無理がある、そんな感じのする駅でした。次回、JR芸備線の列車に乗りたくなったときには、「平均乗車人員0人」の備後八幡駅を訪ねてみようと思っています。


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