太平洋戦争後の昭和21(1947)年、本州と四国を結ぶ国鉄の新しい航路が開かれました。戦後の混乱期、物資の輸送力の増強のために、広島県の仁方(にがた)港と愛媛県の堀江(ほりえ)港間に開かれた仁堀航路でした。その仁方港への連絡駅としての役割を果たしていたのが、国鉄の仁方駅でした。この日は仁堀航路の面影を求めて、現在はJR西日本の駅になっている仁方駅を訪ねることにしました。
JR呉線の仁方駅です。昭和10(1935)年に開業しました。今年、開業してから84年目を迎えています。仁方駅は、呉市仁方本町2丁目にあります。
JR仁方駅を訪ねるため、呉線の起点である三原駅の1番ホームに向かいました。ホームには、三原駅発11時31分発の広(ひろ)駅行きの列車が出発を待っていました。JR西日本広島支社の最新車両、227系電車の2両編成、ワンマン運転の列車でした。
11時55分頃、終点広駅の一つ手前にある仁方駅の2番ホームに到着しました。数人の乗客とともに下車したホームには、真新しいガラス張りの待合室がありました。そして、その先の広駅方面には新しく出口がつくられ自動改札機が設置されていました。列車は、その脇を、次の広駅に向かって出発して行きました。
下車したホームを広駅方面に向かって進みます。跨線橋がありましたが、撤去工事が進んでいるようです。跨線橋に上る階段部分は骨組みだけになっています。対面する1番ホーム側の跨線橋は、橋桁を支える支柱だけになっていました。
ホームの広駅側の端から見た仁方駅の全景です。2面2線の長いホームが見えます。右側が広・呉駅方面に向かう列車が停車する2番ホーム。三原駅方面に向かう列車が停車する左側の1番ホームに接して、トイレと広島銀行のキャッシュコーナー、そして、駅舎がありました。撤去中の跨線橋の先に見えるのは呉市が設置した仁方歩道橋です。
ホームを引き返して2番ホームのガラス張り上屋のついた出口まで戻りました。自動改札機も設置されています。その先が待合室でした。このとき、手に、集めた飲料の缶を持った高齢のボランティアの男性とお会いしました。「待合室などは、完成してから1週間ぐらいしか経ってないんだ。朝夕は、30人ぐらいの人が乗車されるから、雨の日の待合室は大変だ。昔は、このあたりに荷物の取扱所があったんだ。やがて駅舎も新しくなる予定だよ」とのこと。仁方駅は駅の改修が進んでいるようでした。
2番ホームの出口から広々とした駅前ロータリーに出ました。「昔は、駅前からこのロータリーの左側、今はマンションになっているあたりに枕木をつくる工場があって、そこまで引き込み線が敷かれていた」と、教えていただきました。
広場から見たホームと駅舎方面です。満開の桜の向こうにホームへの入口と駅舎の屋根が見えました。
仁方港にいってみることにしました。広場からまっすぐ進みます。その先の右側に、呉市立仁方中学校のグランドのフェンスが見えました。その手前にある交差点を左折します。
左折して「桟橋通り」(県道261号・仁方港線)に入ります。桜並木が続きます。通りの左側に「弘法桜」の石碑がありました。平成18(2006)年に、「桜による仁方活性化会議」の方々が整備された桜並木のようです。
通りの右側にあった案内図です。中央の左右の通りが桟橋通りです。通りの周囲は工場が並ぶ地域になっています。その中に「鑢(やすり)」「ヤスリ」と書かれた工場が目につきました。
写真は、ヤスリを製造している会社です。ヤスリは鋼(はがね)の表面に目立てをして(小さい目、突起を刻んで)焼き入れした、金属仕上げの工具のことですが、仁方で製造される「仁方のヤスリ」は、全国シェア90%を超える特産品になっています。江戸時代の文政年間(1818年~1829年)、大阪で製造技術を習得した仁方の町民によって伝えられたことに始まるヤスリの製造は、大正時代に機械化されてから発展したといわれています。
桟橋通りを進みます。通りの正面に、「仁方桟橋」と書かれた緑の屋根、玄関ポーチのついた建物が見えました。太平洋戦争後の昭和21(1946)年5月1日、当時宇高連絡船しか無かった本州と四国を結ぶ輸送力の増強のために新設された、仁堀航路の桟橋があったところです。
仁方桟橋の建物です。仁方駅から、歩いて15分ぐらいかかりました。当初は他の航路からの転属船で運行していた仁堀航路でしたが、昭和50(1975)年初めての新造船、瀬戸丸が就航しました。その6年後の昭和56(1981)年、フェリー瀬戸丸(399トン)は、仁方港から堀江港までの37.9kmを1時間40分かけて結んでいました。廃止の前年には、1日2往復が運行され、1日平均、乗客119人、自動車10台が利用していたそうです。しかし、昭和57(1982)年7月1日に、赤字を理由に廃止されてしまいました。運行便数が少なかったこと、駅から桟橋までが、離れていたことが主な原因だったとされています。
玄関から内部に入ります。ベンチが並んだ広い待合室と改札口、左側に桟橋の事務室の跡が残っていました。
仁堀航路が廃止されてからは、この桟橋は近くの島々を結ぶ航路の発着場になっていました。その時代の名残の時刻表がそのまま残されていました。近くにおられた方のお話では、「安芸灘大橋が開通してから、島への航路は廃止された」とのことでした。下蒲刈島と本土とを結ぶ安芸灘大橋が開通したのは、平成12(2000)年のことでした。
現在の仁方桟橋です。近くにおられた方にお聞きしますと、今は、近くの島々から産業廃棄物を回収するダンプカーを運ぶフェリーが発着しているとのことでした。
仁方桟橋から見た安芸灘大橋です。その後ろは蒲刈島、右側の島は下蒲刈島です。現在では、車で安芸灘大橋を渡って、下蒲刈島の見戸代(みとしろ)に渡り、その後、下蒲刈島から蒲刈島へ渡るのが、メインルートになっているそうです。
桟橋の近くに石碑がありました。「仁堀航路跡 局長 石井幸孝」と刻まれています。仁堀連絡船は、昭和31(1956)年4月から広島鉄道管理局の所管になっていました。石井幸孝氏は広島鉄道管理局の局長だった方だと思われます。
JR仁方駅前のロータリーまで戻ってきました。駅前広場の三原駅側に、呉線を跨ぐ仁方歩道橋が設置されていました。仁方歩道橋を通って、駅舎側に向かいます。
仁方歩道橋の駅舎側から下ります。ちょうどその時、三原駅行きの列車が1番ホームに入ってきました。下りきったところに「仁方歩道橋 1983年3月 呉市」と記されたプレートありました。
仁方歩道橋から下りたところの三原駅方面です。ボランティアの男性は、三原方面に向かう線路の外側には「貨物側線が一本敷かれていたよ。その先には日通(日本通運)の事務所と倉庫があった。今は住宅になっているところに倉庫と保線区員の詰所が並んでいた」とおっしゃっていました。そうすると、写真の通路があるところに貨物側線が、左側の住宅のあるところに日通の倉庫と保線区の詰所が並んでいたようです。
駅舎の正面に回ります。呉線は、明治36(1903)年に、海田市駅と呉駅間が開業したことに始まります。呉線の東の起点である三原駅からは、昭和5(1930)に、三呉線として、三原駅と須波駅間が開業し、その後、西に向かって延伸開業して行きました。そして、昭和10(1935)年に、三津内海(みつうちのうみ、現・安浦)駅と広駅間が開業して全通し、呉線と改称しました。仁方駅はこのときに開業しました。仁方駅は、平成15(2003)年から無人駅になっています。駅の入口の向こう側は、駅事務所があったところです。
駅舎への入口です。右側の柱に建物財産標がありました。
「日本国有鉄道 建物財産標 財 第9号 鉄 本屋 昭和10年11月」と記されています。開業時の駅舎が現在も使用されているようです。
駅舎に入ります。左側に駅事務所と出札窓口、正面にホームへの出口がありました。写真では見えませんが、左側には、1940円区間までの自動券売機が設置されています。
右側には3脚のどっしりとした3人掛けのベンチがあり、ベンチの右側には自動販売機が設置されています。
駅舎寄りの1番ホームに出ました、広駅方面から見た駅舎です。駅舎の手前にトイレと広島銀行のキャッシュコーナーがあります。駅に来られる人の多くが、キャッシュコーナーを利用されていました。
ホームからのトイレの入口です。ホームからキャッシュコーナーの脇から入って行くようになっています。
ホームの三原駅方面です。旅客上屋が見えます。上屋を支える柱の最も三原駅寄りの一本に建物財産標がありました。
「日本国有鉄道 建物財産標 第10号 鉄 旅客上屋 昭和10年11月」と読めました。ホームの上屋も、開業時につくられたもののようです。
駅舎に掲示されていた「仁方駅改修工事の案内」です。ホームで出会ったボランティアの男性は「やがて、駅舎も新しくなる」といわれていました。この「案内」で、その概要がわかりました。老朽化対策として、跨線橋の撤去、駅舎の上家解体と新設、トイレの外壁改修」の工事を、2018(平成30)年9月12日から、2019(令和元)年6月末日までに行う計画になっていました。2019年の4月11日には、駅前の広場からまっすぐトイレに入れるようになるそうです。
駅舎前からのキャッシュコーナーとトイレです。4月11日からは柵が撤去されて、こちらからトイレに行くことができるようになっているはずです。
かつて、国鉄仁堀航路への連絡駅として、物資や人の交流が行われていたJR仁堀駅ですが、老朽化対策として、2番ホームの待合室や自動改札機の新設が行われていました。今後、トイレや駅舎の改修も行われることになっています。
新しく生まれ変わった仁堀駅を見るために、また、訪ねてみようと思っています。